エネルギーバンパイア | 明珠掌在〜【日常がスピリチュアル!】掌の上にある小さな宝物たち
今日いらした若いお客様。

職場のおばさまたちの愚痴に耳を傾けてしまうのは、彼女が本当に純粋で優しいから。
人の愚痴を進んで聴きたいという人はいない。
ところが毎日職場に行けば聴こえてしまう。
その結果、心が疲れるのは想像できる。
そうなるともちろん体も病む。
体が痛くて痛くて触れない…それは心の状態そのままを体が表現しているから。

心を麻痺させて、感じないようにして、仕事に行く。
心の状態が酷くなればなるほど、体も酷く麻痺していく。
最後に辛抱しきれなくなった体は激痛で訴えてくる。
考えてみても、病院に行っても、痛みの理由がわからないのは当たり前かも知れない。
知ったら辛くて仕事に行けなくなるから、麻痺させて自ら気づかないようにしているのだもの。

そんな辛い状況の人に、この手を当てるのが私の今の仕事。
何か言う必要もない。
ただ、エネルギーを注ぐこと。
それで痛みが取れたら、心も少しは癒されたということだと思う。

{34FD574B-44D7-4849-A6CA-6C2FD33DBC8E}


そんな状況をいくつも見るにつけ思うのだけれど。
愚痴を言う側の人たち…
吐き出せば自分は楽になるのかもしれない。
でもなぜ楽になるか考えたことはあるかしら。
それは。
聴いてくれる人が引き受けてくれているから。
吐き出すためのエネルギー、吐き出されたもののエネルギー、受け取るエネルギー、それを消化(昇華)するためのエネルギー、すごくたくさんのエネルギーが動く。
それに触れてヘトヘトになることもある。
だから人の愚痴にべったり付き合うと疲れる。

エネルギーは水と同じで、いつも高い方から低い方へと流れるから、愚痴を言いたくなるような低いエネルギー状態のとき、聴いてくれている人のエネルギーを奪っているということ。
つまり知らず識らずのうちに、エネルギーバンパイアになっているということ。


愚痴を言うのは悪くはないし、それで精神的安定を保つのも大事。
でも、いつもそこに感謝があるだろうか。
それを聴いて引き受けて緩和してくれる人がいることを認識しているだろうか。

こうして体を病んでしまう繊細で素直な若い子たちを見るにつけ、愚痴を言う側の人の「自分の鬱憤を晴らすために感情をぶつける」「聴く人の気持はどうあれ、自分の気持ちが楽になれば良い」という感覚を感じずにはいられない。

直接じゃなくても、ツイッターやSNSで愚痴を書きなぐる人もいる。その時の鬱憤は晴れるかも知れない。
ただ、スマホが日常だという若い世代なら、嫌でもそれを目にしてしまうだろう。
"自分ごとですでに疲れている人にとって、他人の愚痴のオンパレードはもはやテロだ"とは、20歳の我が息子の談(笑)


私だって「言う側」に立ったことがあるもの、愚痴を言いたくなるような苦しさも理解できる。
でも、相手を思いやれないのは、やっぱりNGだ。
私たちはお互い様で生きてるんだから。
口先での"ありがとう"とは違う、聴いてくれる人のエネルギーをずっと奪い続けていると解っているからこその感謝が、あるのとないのとでは大違い。


世の中、バランスは大事だ。
時には自分の生き様や行動を見つめることも。
ますば、私自身がそんなふうになっていないか。
家族や友人に、私の不満をぶつけて引き受けさせてはいないか。
そこに感謝はあるか。
…と、問われた気持ちだった。