DRIFTER

~漂流者の日々徒然~


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←76年チャンピオン獲得時のバリー



病室のバリーを見舞ったのはヤマハ発動機の小池社長(当時)だった。


いちライダーをメーカーのトップが見舞うのも異例だったが、その小池の言葉にバリーは更に驚いた。


小池はバリーの手をとって言った。「私はあなたのレースを見てとても感動しました」


バリーはこの言葉で未来が明るいものになった気がしたのだった。


「僕は長年スズキのために働いてきたけれど、一度もスズキの社長に会ったことがなかったんだぜ!」バリー談


82年はGP史におけるエポックメイキングなシーズンだったといえよう。


500ccクラスに於いて、これまでのスズキとヤマハに加えてカワサキとホンダが参戦し、日本の四大ワークスが揃い踏みした年になったのである(カワサキはこの年限りで撤退、ホンダはこの3年間スポット的に参戦していた)。

特にホンダは意欲的で、斬新な3気筒マシンNS500を擁し、スズキから移籍した前年度チャンピオンのマルコ・ルッキネリ、350ccクラスの元チャンピオンの片山敬済、そして新人ながら「天才」との呼び声も高いフレディー・スペンサー(米)の3台体制で臨んできた。


一方バリーはというと相変わらずの型落ちマシンでシーズンの開幕を迎えることとなった。ただしケニーが乗る新型V4マシンにしても非常に完成度が低い状態で、ヤマハ勢は2台揃ってスズキはおろか新興勢力のホンダにも苦戦を強いられた。


そしてシーズンも半ばに差し掛かりヤマハのニューマシンの熟成も進む頃、ついに「その時」がやってきた。

バリーにもケニーと同仕様の新型マシンが与えられたのである。

折りしも舞台は地元イギリスGP。あの「シルバーストーンの死闘」から既に3年の月日が流れた。

まさにバリーにとって待ちに待った勝負の時が来たのだ。


ところが・・・   


バリーは転倒した前走車に乗り上げて大クラッシュ。爆発したマシンに吹き飛ばされて左手首と両足を複雑骨折し残りシーズンを棒に振ってしまいヤマハとの契約も打ち切りに。


 ←80年。非力な市販マシンに手こずるバリー


83年。

「再起不能」とまでいわれたバリーだったがやはり不死鳥のように復活。マシンは再びスズキ。だがスズキが彼に用意したマシンはワークスマシンではなくプライベーター用の市販レーサーだった。そしてもうバリーにレーサーとしての成績は期待しておらず、彼を単なる広告塔にしようと考えていたのだ。


この83年もまたGP史上に残る劇的なシーズンとなった。キング・ケニー対天才フレディーの新旧スター対決で盛り上がったシーズンは、全12戦のうちの優勝者がこの二人のみという異常事態(6勝ずつ)。僅かなポイント差でフレディーがチャンピオンを獲得。敗れたケニーは引退し後進に道を譲るというドラマでシリーズは幕を閉じた。


病み上がりの上、市販マシンに乗るバリーの成績は過去最低のランキング14位に沈んだ。そしてかつての王者スズキの低迷も目を覆うばかりで、遂にこの年を最後にスズキのワークスとしての活動にも終止符が打たれたのだった。

そして人々の口からチャンピオン候補としてバリーの名前が上ることはもう二度と無かった。


バリーは既に「過去の人」として扱われたのである。


84年。

サーキットの様相は去年までとは明らかに様変わりしていた。キングケニーは引退。フレディー・スペンサーやエディー・ローソン(米・ヤマハ)を始めとする若手レーサー達の台頭。GPの図式はホンダ対ヤマハの二大ワークスの対決に絞られ、優勝するどころか上位に食い込むためにはそのどちらかに乗る以外可能性は無いに等しかった。


つまり34歳という年齢に加え、型遅れのスズキに乗るバリー・シーンにとってレース人生最大の逆境の年がスタートしたことになる。


だが開幕戦南アGPに於いて誰もが目を疑う奇跡が起きた。


並み居る若手レーサーが操るホンダやヤマハを従えて終始アグレッシブな走りを見せ、遂に3位の表彰台をゲットしたのはバリーだったのだ。


チェッカー・フラッグが振られウイニング・ランが始まるとバリーはヘルメットを脱いでタンクの上に置いたままノーヘルで周回を続けた。

大観衆が喝采を送る中、そのスタンドに向かって大きく舌を出しながら中指を立てた「Fu●k!」のサインを出す満面笑みのバリー!


「ざまあみやがれ!」


それはサーキットに「やんちゃ坊主」が還って来た瞬間だった。




この年を最後にバリーはグランプリを引退した。

その後、四輪レースにチャレンジしたりジェットヘリの操縦をしたりと相変わらずスリルを求めた生活を送った彼の晩年は辛口のF1コメンテーターとしても知られるようになり、2003年に癌で他界。

 

レースでは誰よりも無茶で誰よりもタフだったバリー・シーン。超が付くヘビー・スモーカーで常にジダンを手放さなかった彼は担架で救急車に運ばれる間も煙草をプカプカ吸っていたという逸話を持つ。願わくば天国でも好きなだけ煙と毒を吐けることを。




さよならバリー。さよならマイ・ヒーロー


 ←2000年のクラシックレースに於けるバリー





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新しくテーマを追加した。それは「ヒーロー」。


僕が愛してやまない人々をリスペクトするコーナーである。その第一回に取り上げるのがサー・バリー・シーン。



バリー・シーンは1950年英国生まれの元GPライダー。76,77年の500ccクラスワールドチャンピオン(マシンはスズキ)。ロックスターのような風貌と歯に衣着せぬ言動で一躍若者たちのヒーローになった。ゼッケン7をこよなく愛し、チャンピオンになってもゼッケン1を付ける事を拒否。ランキングに関わらず7番のマシンに乗り続けるお墨付きを頂いた変わり者。ヘルメットにはドナルドダックのペイント。これは子供の頃に父親から初めて買ってもらったヘルメットと同じデザインのものを使い続けているそうだ。ちなみに僕もバリーレプリカヘルメットを持っている。

75~77年。
新進気鋭の若手レーサーだったバリーは75年にアメリカ・デイトナ200マイルに於いて瀕死の重症を負う。だが翌76年、不死鳥の如くカムバックした彼はスズキRG500を駆って世界グランプリを制覇。それまで無敵を誇ったジャコモ・アゴスチーニ(伊)の時代に幕を下ろし「不死身の男」と呼ばれるようになる。77年も連続チャンピオンとなり女王から「騎士」の称号を賜る。

78~79年。

2年連続でタイトルを取り、向かうところ敵なしと思われたバリーの前に現れたのがヤマハに乗るケニー・ロバーツ(米)だった。ケニーのライディングはそれまでのヨーロピアンたちとは明らかに違っていた。マシンの内側にまで身体を落としこむコーナリングフォーム(ハング・オン)や自由自在なドリフト。最初はケニーの実力を舐めていたバリーだったがレースが進むにつれ徐々にケニーの後塵を拝する機会が増えるようになり、ついにはチャンピオンの座を明け渡してしまう。


写真は「レース史に残る名勝負」といわれる79年イギリスGP「シルバーストーンの死闘」。0.03秒差でバリーは敗れる。


以後、78~80年まで3年連続チャンピオンとなったケニーは人々から「キング」と呼ばれるようになった。一方バリーはというと78,79年こそケニーに迫る走りを見せてはいたが一歩及ばず。ケニーの乗るヤマハはスズキより最高速が10km/hほど速かった。その後バリーはスズキワークスから離れ独立チームを作りスズキとは喧嘩別れ。


80~82年。

バリーは栄光を共にしてきたスズキを離れヤマハに移籍。最初の80年は市販TZ500で走ることを余儀なくされる(キャリア当初にヤマハに在籍していたバリーはヤマハとも仲違いしており現在もバリーを快く思っていないスタッフが相当数いたらしい)。




恐らくバリーの中には「同性能のマシンでケニーを負かして実力を証明したい」との思いがあったことだろう。しかしバリーの願いは叶わなかった。ヤマハがバリーに用意したマシンはケニーのお古の型落ちモデルだったのだ。ヤマハにとってエースはあくまでもケニーでありバリーはそのサポート役に過ぎなかった。これではケニーを負かすどころの話ではなく再びケニーの後ろを追いかける日々が続く(皮肉なことにバリーが離脱したスズキは再び黄金期を迎え81年マルコ・ルッキネリ(伊)、82年フランコ・ウンチーニ(伊)と連続してチャンピオン獲得)。


ところで1年間の辛抱の後、晴れてバリーにもワークスマシンが貸与されることとなったのだがその経緯とは?
80年暮れ、バリーは日本で行われるTBCビッグロードレース参戦のため来日。これはヤマハ製マシンによるイベント的レース(2ヒート制)でおまけに当日は大雨。殆どの参加ライダーが流す程度のペースで走る中、ただ一人バリーだけはこれまでの鬱憤を晴らすかのような激走で1ヒート目をぶっちぎりの優勝目前までいくもののエンジントラブルで3位。2ヒート目も再び激しい走りを続けたが転倒して負傷リタイヤ。そのまま病院に担ぎ込まれてしまう。


ところが病室のベッドで落胆していたバリーの元を意外な見舞い客が訪れた。 つづく


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