月面のトランジット
恒例のアメリカ出張で昨年出向いた都市はニューオーリンズで、僕にとっては二度目の訪問であった。
11月とはいえ、ディープサウスと呼ばれる、メキシコ湾に面した地域に位置するルイジアナ州、肌寒い日もあったが、その前の年の雪が舞い散るシカゴに比べればだいぶ過ごしやすかった。
パームツリーが並ぶミシシッピ川沿いの道は、視覚的にも体感温度を上げているようだ。
体力勝負の展示会出展、少数精鋭と言えば聞こえはいいが、要するに慣れたメンバーで仕事を回してしまおうという経費節減策が採られた結果、帰路につく頃には我々は皆疲弊していた。
アメリカの中では食べる楽しみがある街なので、連日栄養はかなり取ったはずであったにもかかわらず、だ。
帰国の日、ホテルを出てタクシーで空港に向かった。
天候も道路状況も良好だ。
空港でチェックインを済ませても尚時間に余裕があったので、ニューオーリンズの地ビールであるAbitaに別れを告げようとバーに入り、ブレックファストのオムレツをアテに一杯。
9日間程度の滞在は、長くも思えるし、終わってしまうと短くも思えるが、いずれにせよこのビールをよく飲んだことは確かだ。
2007年の滞在の時はハリケーン「カトリーナ」の爪痕がまだ残っており、バーやレストランが立ち並ぶバーボンストリートも以前ほど盛況ではなかった、と被害以前の様子を知る人から聞いた。
しかし、今回のバーボンストリートは大分活気を取り戻しているように思えた。
道の両側に続く店から聞こえてくる様々な種類の音楽が、酒精を含んだやや湿った空気の中で人々の嬌声と交じり合う。
ストリートパフォーマーの少年が逆さにしたバケツを叩いて生み出すパーカッションビートは、そうした混沌を一つの楽曲にまとめあげているようだった。
そんなことをぼんやりと思い出しながらボーディングゲートに向かった。
しかし、ここでアナウンスメントが入る。
どうやら我々の乗る便が中継地の天候不良のため遅れることになるそうだ。
飛行機の遅れは今回が初めてではない。
ラスベガスでカウンターの混雑のため便に乗れなかったこともあるし、アモイで3時間ほど飛行機の中に閉じ込められたこともある。
しかし今回はいささか問題が深刻なようだった。
ANAが最近就航したばかりの航路での旅であったため、中継地は馴染みのないコロラド州デンバー。
合衆国の中心よりやや西に位置する都市だ。
そこでブリザードが発生し、滑走路が凍結しているそうであった。
僕は往路でターミナルの窓から見たデンバーの風景を思い出した。
それは、澄み切った青空、黄土色の大地、遠くに霞んで見えるロッキー山脈、それ以外に何もない、恐ろしくスペイシャスな場所であった。
ターミナルの廊下にはモノクロームのネイティブアメリカンの写真が数多く飾られていた。
ここは元来そうした土地なのだな、と思って再度窓の外の景色に目をやると、都市ばかりを見てきた僕のアメリカという国に対する印象が少し変わったように思えた。
デンバーは、例えばサンフランシスコやロスのように日本への便が日に何本もある空港ではない。
一度コネクションを逃せば、それはスケジュールが丸1日伸びることを意味する。
いよいよ遅延が限界に迫っていたので、我々はカウンターで空港職員と交渉を始めた。
他の空港経由でも構わないので、帰ることはできないだろうか。
西海岸の都市に可能性がないわけではないが、結局到着時間的には次の日のデンバー-成田便と大差なく、さらに複雑なコネクションによるラゲージのロスも懸念された。
すでに何人もの乗客の苦情対応でやや不機嫌そうな白人の女性職員には「他にどうしてもないのなら、ファーストクラスでワイキキに3日間のストップオーバーでも我慢しますよ」という僕のジョークは通じなかった。
結局我々は遅れてデンバー入りし、次の日に帰国するという選択をせざるを得なかった。
しばらくしてようやくデンバー空港の着陸ができるようになった、というアナウンスメントが入り、飛行機に乗り込んだ。
そうして我々はマイナス10度という極寒の地に到着したのであった。
成田への便は出てしまった後なので、我々は言われていたとおりデンバーで一泊することになる。
カウンターの列に並び、翌日の航空券の手配をしてもらう。
ニューオーリンズの職員にさらに輪をかけて不機嫌そうなデンバー空港の職員は、航空券を我々に渡すと次の客を呼ぼうとした。
いや、待て。
当然宿泊施設の手配をしてもらわないといけない。
我々は疲れているし、トム・ハンクスの「ターミナル」という映画の真似事をするわけにはいかないのだ。
僕が少々強めに宿の手配を頼むと、職員は短くため息を吐いて食事のバウチャーと共に宿泊券を発券してくれた。
主張することが前提の海外のサービスは日本人には面倒であるが、致し方あるまい。
ひと通り流れが決まってしまえば、後は腹を括って積極的にデンバーという場所に接するのみである。
とりあえず、もらった食事のバウチャーを使って空港内で腹ごしらえをし、ホテルに向かうことにした。
ラゲージは空港に預けたままなので、大した防寒具がないまま外にでることになった。
まだ夕刻までは時間があったが、タクシー乗り場でホテルのシャトルバスを待つ間だけとはいえ、これはなかなかにハードな寒さだ。
最寄りのホテルと説明されたのだが、距離にして20キロ程はあったかと思う。
やはりアメリカは広いのである。
何もない、本当に何もない一本道をバスが走る。
往路で見ただだっ広い土地に放り出されたわけだ。
しかも空や大地の色は消え失せ、抽象的なまでに世界は灰色になっていた。
吹き抜けるような寂寥を感じる。
バスの窓から奇妙な青い馬のモニュメントが見えた。
距離感が掴みづらいが、近づいてみれば相当に大きいだろう。
前足を高く空中に上げいて、たてがみは何かを威嚇するかのように逆立っている。
赤く蘭々と光る目、体中に浮き上がる血管、一言で言うと、邪悪な印象である。
インターネットの情報によればこの馬はルイス・ヒメネスという彫刻家の手によるものでこの作家が作業場で制作している最中、この馬が落ちてきたことが原因で亡くなっている、といういわくつきの作品なのであった。
荒涼とした大地でひときわ鮮やかに雄叫びのポーズを取るこの馬は、まるで夢の中のように非現実的であり、かつ象徴的であった。
ホテルは大きくはなかったが暖かく清潔で、空港で夜を明かすことを思えば天国であった。
仮眠をとった後、せっかくなのでダウンタウンに出よう、という話になった。
有名なビールのブルーパブ(醸造パブ)があるとの情報を手に入れたのだ。
ちなみに有名なCoorsもデンバーに拠点を置くビールブランドで、ロッキー山脈から流れてくる水が良い酒を作る、という触れ込みである。
ダウンタウンまではおよそ50キロ程離れているようでタクシー移動が必須だ。
タクシーの手配をしようと電話をかけるも、なぜかどのタクシー会社も「明日が早い」、「今日はもう店じまいだ」などと口実を言ってはホテルまで来てくれない。
仕方がないのでレセプショニストのアドバイスに従って、一度シャトルバスで空港に戻り、そこでタクシーを拾うことにした。
辺りはすっかり暗くなっていた。
空気は相変わらず肌を刺す冷たさだ。
空港への道すがら、例の青い馬はライトアップされ、より一層の不気味さを湛えていた。
それにしても静かである。
時折すれ違う対向車が砂利を踏む音が聞こえるほどだ。
一体自分がどこにいて何をしているのか、一瞬わからなくなるような感覚である。
次第に前方が明るくなり、空港の建物が見えてきた。
青い馬に限らずデンバーの空港には様々な噂があるようで、曰く、政府の核シェルターが密かに埋まっている、であるとか、UFOの研究施設がある、であるとか、様々な憶測がなされているようだ。
空港を作るのにあたって掘り返した土の量が尋常ではなく、明らかに地下施設がある、というなにやら信憑性がありそうな話まである。
そんな噂話なくしても、目の前の光景はまるで月面のそれのようであった。
当然そのイメージはフィクションが元になっているわけだが、ターミナルの拡張工事で広範囲に渡り土が掘り起こされている様子や、恐ろしく拓けた闇の中に白く浮かび上がる建造物は、僕の感覚からすると地球上のものには思えない、フォトジェニックさが際立っていた。
もしかすると、たった1日とはいえ帰国が伸びたことが、宇宙における地球への望郷の念を彷彿とさせたのかもしれない。
短い滞在というのは不思議だ。
確実にその場所に行きながら、滞在の目的、精神や体の状態、気候などの条件によってその印象は極めて限定的になる。
僕が始めてドイツのベルリンを短い観光で訪れた時、曇り空と威圧的な雰囲気から、正直なんだかつまらない街だな、という印象を持った。
しかし、友人が現地の知人とともに遊び歩いた際にはベルリンは非常にエキサイティングな街であったようだし、僕が2度目に少し長く滞在した際にはまるで別の好印象に転じた、という経験がある。
たしかに土地を知る者の案内があったり、ゆっくりと時間を掛けて探訪した方がより正当な印象に近づくことができるのであろう。
しかし突き詰めると人の印象などというのは結局主観でしかない。
「正当な」印象などというものははじめから存在しないのかもしれない。
今回のデンバーは時間もない予期せぬ滞在であっただけに、土地に対する印象が純然たる主観になることがわかっていた。
それによってこの場所がどのように僕の目に映るのかをある種の冷静さを持って楽しむことができたのだと思う。
それが現実感を欠いた、シュールでやや不気味なものであったとしても、だ。
現にマラソン選手の高橋尚子は現役時代に1年の半分をデンバーでの高地トレーニングに費やしたそうで、第二の故郷のように感じているとのこと。
彼女にとってのデンバーはきっと美しく、郷愁を感じる場所であるに違いない。
しかし僕にとってのデンバーはまず「月面」として固定した。
そしてその主観には誰も口を出すことができない。
タクシーの運転手は若かったが、律儀にパブの出口でほろ酔いの我々を待っていてくれた。
帰りにタクシーが捕まらないと本当に凍死してしまうかもしれないので、パブに向かう途中、あらかじめ時間を決めて戻ってきてくれるようお願いをしていたのである。
様々な出来たての地ビールをテイスティングし、温かな料理で腹を満たした我々は大いに満足していた。
ダウンタウンの中心にあるパブなので、店を出て道に立ち、辺りを見回すと景色は完全に都市のものであり、ついさっきまでいつまでも続くかに思われた荒野はその片鱗も感じられない。
どうやら大きくはなさそうだが、こじんまりとして住みやすそうな街に思えた。
スペシャリティのひとつであった絹のように柔らかなスタウトの酔いも手伝ったのだろう。
すでに不気味な印象は少し薄らいだように思われた。
しかしこのデンバーという街、仕事でもプライベートでも余程のことがない限り再訪はしないであろう。
当然ゆっくり時間を掛けて滞在することで、印象が変わるということもないと思われる。
そうした状況が続く限り、僕の中でこの土地はトランジットで立ち寄った「月面」であり続けるのだ。
<絵:月面>