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2014-02-10 13:07:48

ブルーロータス

テーマ:ブルーロータス

ブルーロータスについて少し情報をお送りします。




ツタンカーメンの秘薬


1992年に、エジプト王・ツタンカーメンのお墓が発掘された際、


王の石棺の中にブルーロータスの花弁が敷き詰められていました。


そして、ツタンカーメンにも花弁がちりばめられていたのです。

ブルーロータスは、学名:ニンフェア・カエルレア


スイレン科に属する多年生水生植物です。

海から生まれた誇大なハスは それは光を復元し闇を追放するために生ま


れ、新しい神の子を明らかにした。青蓮はイシス・オシリス・トートを呼び出す


ために使用された。

古代エジプトには睡蓮の花の登場する創世神話があります。


原初の混沌の海・泥土の中から巨大なブルーロータスが生まれました。


それは光を復元し、闇を追放するために生まれました。


その蕾から、世界を創造する新しい神の子が『美しい少年の姿で』現れた。


と記述されています。

睡蓮の花は、日の出と共に開き日没とともに閉じます。

泥土から光が生まれた原初の神話的瞬間を象徴するものとされたテーベの


墓の壁画には、葬られた死者が葦船に乗ってスイレンの咲く池を漂う光景が


しばしば描かれています。

ファラオたちが、伝承していた秘薬があったのです。


それは、冥界より蘇った時、

再生復活するための秘薬として存在していたのです。


ヒエログリフや壁画に綴られていた、神秘の『青蓮華』『ブルーロータス』。


ファラオたちが・・、恋焦がれた究極の香油があったのです。


古代医術が効能を認めている種・ブルーロータスは、古代エジプト人によって


非常に尊敬されていた花です。


天と通じるためや、神々との交信を司る幻想的な植物として崇拝されてい


ました。


クラウンチャクラを開く究極の鍵として、象徴的に語り継がれてきました。


ツタンカーメン王の胸飾りに象徴されるブルーロータス。


はるか古代からナイルの秘薬として、伝統的に継承されてきている


『ブルーロータス』は、


インドでも古代から特殊な秘薬として、医療として使用されてきました。


千手観音が右手最上段に掲げ持つ、青蓮華・ブルーロータス。


あらゆる闇を開き・あらゆる病を癒すと・・・。


古代エジプト王国末期の『ファラオの"バイアグラ"』と呼ばれ、


ブルーロータスは性欲を高めるために古代エジプト人によって使用されてい


ました。


それは、男性と女性で使用することができた、媚薬として特筆されています。


またすべての病気のための一般的な救済薬として、使用されていました。


ブルーロータスは、鎮痛剤であり、それは循環を刺激し、


筋肉のけいれんを軽減し、性欲を高める作用があるようです。


性的活力と一般的な健康を強化する、素晴らしい強壮剤として愛用されまし


た。

乾燥した花は、温かいお湯またはワインにつけて飲まれました。

古代エジプト人はブルーロータスの花には不思議な力があると考え、

ソマ」という神聖な飲み物を作る材料の一つとしていました。

古代エジプトでは、『ソマ』神聖な幻覚剤としてサンペドロサボテンと一緒に使


われていました。


そして性的などの鎮痛剤、バイアグラよりも豊富な興奮剤として・・・。


幸福、幸福感と恍惚感を誘発するものでした。


花に含まれるニンフェインやヌフェリンにリラックス効果、鎮静効果、


陶酔感をもたらす作用があるためでした。

ブルーロータスは格別素晴らしい芳香を持っています。


その芳香は、甘くフルーティーでありながら、


深く陶酔させ、鎮静されていく印象です。


優しく柔らかい香りは、とても控え目でありながら芯の強さを感じます。


古代エジプトでは、’ナイルのユリ’という名を持ち、


「神聖なハーブ」として儀式や、医療の目的で使用されていました。


ブルーロータスの花には、


治療成分があるとされ、荒れた肌に効力を発揮します。

実際、お肌を鎮静させ、しっとりさせるように働きます。


精神面では、疲れた心を休ませ、


本来ある「自分自身」を取り戻させ、再生させる働きがあります。


そして、何より、この美しい芳香は、


美しくありたいと願うすべての人の心を綺麗にし、希望の光で包みます。


身体全体で、この芳しい香りを受け止めてみましょう。


あなたの美しい魂を、この蓮の香りにゆだねてみて下さい。


ロータスの持つ神秘的な成分があなたと共鳴する時、

あなたは、その聖なる美の恩恵を受けることでしょう 。


主に、昂ぶった神経を鎮めることで知られており、


このほかに肌荒れや頭痛にもよいといわれています。


ヨガや瞑想で用いられることも多く、神秘的で深い香りが特徴的です。


古代エジプトでは貴族などが、


儀式や薬として愛用していた神聖なハーブといわれており、


当時はその効用・神秘的な働きから「生命の源」として敬われていたのです。


花は母チンキ剤を作るために使用されていました。


歴史的用法、チンキとすべての効力としては・・・。


鎮痛剤・循環刺激は、幸福、幸福感と恍惚感を現します。


青蓮華は、健康には植物ステロールやフラボノイドを与え、


ホスホジエステラーゼをロードすることが判明しています。


それはこれまでに無い、最大の健康強壮剤であることが判明したのです。


筋肉のけいれんを軽減し、性欲を高めます。


して、アルツハイマー病、片頭痛、耳鳴の治療に有効だとされています。

ブルーロータス アター香油とは?


オーガニックピュア100%の熟成アターオイルです。


化学物質 0% 天然成分100% ノンアルコールです。


この天然香油は、製造には非常に手間のかかる貴重なアターオイルです。


熟成アターオイルは、


古代から特殊な効能があり、聖なる香油として特別に扱われてきたものなの


です。


天と通じるためや、神々との交信を司るクラウンチャクラを開くものとして。


天啓を得る鍵として、蘇りの秘術として・・・。


ブルーロータスのアターオイルは、超特殊な方法で製造されるものです。


抽出された香油は大変珍しく、希少価値の高い香油です。


製法は、ブルーロータスの花・花弁を水の中で低温・低圧蒸留して製造され


ます。


その香油を含んだ水蒸気をそのまま、サンダルウッド精油の容器に回収しま


す。


サンダルウッドオイルを少し含んだ容器(甕)へ集められ、サンダルウッドオイ


ルの香りが完全に飽和するまでブレンドされます。


甕に詰めて数週間かけ、ワインのように熟成させるのです。


高級ワインと同様に、真のattar香油は月日とともに更に熟成されます。


サンダルウッド精油は、


香水を製造する調香の世界では『ベース』固定剤として使用されています。


れは、フレグランスオイルの分子と結合し


単独で使用された場合よりも長い時間、芳香が持続するようにです。


高級ワインのように、アター香油は年を重ねる毎によりより良い香油に熟成さ


れます。


まさしく、アロマの錬金術です。


本物のサンダルウッドベースの香油、


真のattar香油は、アルコールを含まない。


衛生面をしっかりしていれば、賞味期限は永遠かも知れません。


究極のアター香油なのです。

概略は大体以上です。


購入は下記のアイヌハートショップページで・・・


http://mahounokagami.net/


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2013-05-17 17:53:00

ミスティック・ツアー『真実への扉は何処に』第八章 『石神信仰の謎2』

テーマ:ミスティック・ツアー『真実への扉は何処に

ミスティック・ツアー『真実への扉は何処に』


第八章 『石神信仰の謎2』



目に見えぬ世界への畏れ・・・

それは魔界か霊界か・・・

魔物か悪霊、邪霊の類か・・・

死神、地獄からの悪魔か・・・

天界からの使者か、崇高な神か仏か・・・

過去幾多の編み出された宗教は、


あらぬ世界を畏怖の対象として恐怖の呪縛をかけてきたのか?

しかし空想では見過ごせない、


なんらかの顕れとしての不思議な現象が如実に物語っているモノもある。

心の中に芽生える、絵もいえぬ恐怖感はどこから来るのだろう?

魂の奥底から響いてくる崇高な閃きは、どこから訪れるのだろうか?

何も氣にせず、通り過ぎようとしても・・・。

通り過ぎられないトコロがある。

いや、通り過ぎさせてもらえないトキもある。

古代の人は、その見えぬ世界との連絡を模索したのでしょうか?

そしてそれ等を制御するかの、身につけるモノを創造したのでしょうか?

千葉県麻賀多神社 に伝わる勾玉の伝承から


古代の勾玉に纏わる探索の糸口が始まった。



銀河縄文人・夏至著のブログ  麻賀多神社十八社の地図


銀河縄文人・夏至著のブログ  


まずは、麻賀多神社の社伝からの引用です。


麻賀多神社は、今より約1850余年前、人皇第12代景行天皇42年6月晦日に、皇子日本建尊が、大きな杉の幹に御鏡を懸け「インバノクニタマオキツカガミと崇め祀れば五穀自ら豊穣する」とのたまわれ、この鏡を祭祀することを教えられた。


その後約三百年、人皇第15代応神天皇20年現在の成田市船形手黒の地に印旛国造伊都許利命(神武天皇の皇子神八井耳命八世の孫)によって初めて社殿が創立せられ、その御鏡を御霊代としてワカヒルメノミコトを鎮祭された。


又伊都許利命は、ワカヒルメノミコトの御神命によっておお杉の下より七つの玉(勾玉)を掘出しそれらを御霊代として、オキツミヤにワカムスビノミコトを併祀せられた。


ワカヒルメノミコト、稚産霊命をマガタマの大神と崇められ、七つの玉(勾玉)から麻賀多と幾度か改称せられたるも、御神威は古くより輝き渡っている。


なお応神天皇27年に至って伊都許利命の御子浦長多津命が病で臥せられた際、父命は、真賀多真大神の御神命によって、マガタマの二柱の大神と共に病気平癒の祈祷をなされた結果御子の病は奇跡的に神癒された。


更に人皇第23代推古天皇16年に、伊都許利命第八世の孫広鋤手黒彦命に再び御神命があり、現在の成田市台方に「真賀多真の大神」としてオキツミヤよりワカヒルメノミコトを遷宮され、この御社を大宮殿と尊称する。


その後、人皇第60代醍醐天皇延喜18年、延喜式神名帳に登載の際、御社名が三種の神器と同称なるを「真賀多大神」と改称され、更に麻の名産地に因み真を麻に替え現在の麻賀多神社と改称された。


此処で注目に値するのが、三種の神器の「八尺瓊勾玉」やさかにのまがたま)(八坂瓊曲玉とも書く)です。


大きな玉で作った勾玉であり、一説に、八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。


岩戸隠れの際に玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられたもの。


伝承に現れる勾玉の正式な名前は

「八尺の勾珠の五百津(いおつ)の美須麻流(みすまる)の珠」と記述されています。


考古学的には曲玉の出現は剣や鏡よりも古く、縄文時代からあるのです。


さて、『勾玉』についてですが・・・


文献に登場する最初の記述を、古事記からみてみます。


この時、伊邪那伎命、大(いた)く歓喜(よろこび)て、詔りたまはく、「吾は子を生み生みて、終わりに三つはしらの貴き子を得た」とのりたまう。

即ち、其の御頸珠(みくびたま)の玉の緒(お)を、母由良邇(もゆらに)取り由良迦志(ゆらかし)て、天照大御神に賜いて、詔りたまわく、

「汝命(いましみこと)の知らす所は高天原、と事よせて賜る也。

故(かれ)、其の御頸珠の名は、御倉板挙之(みくらたなノ)神と謂う。
 
現在の語義としての解釈は、次のように記述されています。

御頸珠(みくびたま) 首飾りの玉


書紀には、「瑲瑲」とあり、「ヌナトモモユラニ」と読んでいる。

ヌナトは玉の音。


御倉板挙之神(みくらたなのかみ) 倉の棚の上に安置する神。


折口信夫さんの記述には・・・。

考古学の方で、玉の歴史を調べる前に、どうしても霊魂の貯蔵所としての玉といふ事を考へてみなければ訣らぬものが、装身具の玉になつた後にもあるのです。


古代には、単なる装飾とは考へてゐず、霊的な力を自由に発動させる場合があつたに違ひないのです。


それから又、古事記・日本紀や万葉集には、玉が触れ合ふ音に対する、古人の微妙な感覚が示されています。


我々なら何でもない音だけれど、昔の人は、玉を通して霊魂の所在を考へてゐるし、たまの発動する場合の深い聯想がありますから、その音を非常に美しく神秘なものに感じてゐるのです。


それを「瓊音(ヌナト)もゆらに」という風に表現してゐます。


みすまるのが音をたてゝ触れ合ふ時、中から霊魂が出て来ると信じてゐたのです。


結局、たまの窮極の収容場所は、それに適当する人間の肉体なのです。


其所へ収まる迄に、一時、貯へて置く所として玉を考へ、又誘ひ出す為の神秘な行事が行はれました。


併しそれは、非常に神秘的な機会だから、文字に記される事が少かつたのです。


と、述べられています。


伊邪那伎命が天照大御神に賜いた『御頸珠(みくびたま)』は、『勾玉』に違いないと思うのです。


時代は下り、古事記から再び勾玉の記述です。


速須佐之男命、天照大御神の左の御角髪に纏かせる八尺の勾聰の五百箇の御統の珠を乞ひ度して、瓊音ももゆらに、天の真名井に振り滌(スス)ぎて、さ噛みに噛みて、吹き棄つる気吹のさ霧成れる神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・・・。


八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を調べると・・・。

天照大御神が天石屋戸に隠れたときに、玉祖命 が作った勾玉のこと。

と、一般的には出てくるのですが、奇妙な記一致です。


そしてこのみすまるの玉が、なんとご神紋に出てきます。


鏡に御統のご神紋を掲げる神社は、上総國一宮 玉前神社 です。


この玉前神社の御神体は、『勾玉』なのだと思いますが・・・。

何故この玉前神社のご神紋が御統(みすまる)なのか、非常に気になるところなのです。

そして、この玉前神社は『御来光の道』としても知られています。


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富士山を起点に春分線を引くと、東はこの玉前神社に至ります。


太陽の道と並ぶ「御来光の道」は、春分の日と秋分の日に、太平洋から登った曙光が富士山を貫きます。


その線上には、千葉県の「上総一の宮」、神奈川の「寒川神社」、静岡の「富士浅間神社」、「富士山頂」、日蓮宗の霊山として名高い「七面山」、琵琶湖の中に浮かぶ「竹生島」、「大山」、出雲大社の北に位置する「日御崎神社」と、名だたる聖地が並ぶといわれています。


そして、富士山を起点とした夏至ラインにあるのが二見興玉神社 です。


夫婦岩の間からは、夏至の日の出が富士山頂上から昇ります。


古代太陽祭祀との関連が、見事に浮かび上がってきました。


石神信仰の謎の一端としては、


大きな丸い石の玉石(魂石)と、勾玉が関係してきました。


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第九章につづく・・・


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2013-05-16 12:00:02

ミスティック・ツアー『真実への扉は何処に』 第七章 石神信仰の謎1

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ミスティック・ツアー『真実への扉は何処に』


第七章 『石神信仰の謎1』



幼少期の不思議な追体験、


『大きな丸い石』を発見していた記憶が甦った。

伊豆半島での衝撃的不思議体験で、


古代遺跡のキーワードから『大きな丸い石』のことを鮮明に思い出した。

しかし13歳の時、


関西から東京に家族一家で移転した為にあの探検は中断していた。

無意識で恐怖を忘れる本能的なものか?「うっかり」なのか、


大事だった話をすっかり忘れていた。

伊豆半島での衝撃的な出来事のおかげで、


尋常な意識では太刀打ち出来なかった恐怖を思い出した。

『無防備に、あの洞窟には入れそうにもない!』

物理的なことではないと、内なる直観はそう告げていた。

それと平行して、超古代の科学や技術に興味が湧き起こっていた。

幻想や神秘思想ではない、現文明とは一線を画す超科学。

幼少時の探検が、


後の研究の展開に大きく関わる重要な一つだったと気がついた。

重大なテーマとして、『大きな丸い石』が急遽浮かび上がった。

何かに付け心に留め置くべき調査の対象は、『大きな丸い石』。

そのころ言霊と超科学との接点を見いだしたのが、


カタカムナ文献 だった。

その『カタカムナ』に出会えたのは、1973年・当時20歳。

不思議なことを語る宇宙考古学 者『K』さんと、


古神道の『O』さんのご紹介で相似象学会に正式入会をした。

そして相似象学会 誌の、カタカムナ図象文字に遭遇した。

そのときの衝撃は、雷光に打たれたように身体中に電気が走った。

それは、第3首と第4首だった。


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フ ト タ マ ノ ミ ミコト フ ト マ ニ ニ

太玉の御命 布斗麻邇仁

これは、自分勝手に文字を当てはめただけのものです。

図象文字だと、その意味はまるで違ってくる。

まさに、宇宙的超科学な解釈がされている。

古事記神話では、


天の岩戸開きの時に『天太玉の命』は大麻を持って登場する。


相似象誌では、


それらとは無関係に天然自然の法則のように解説がされていた。


働きや、作用や、エネルギーや、


その状態を顕す図象文字と音だとして綴られている。


イ ハ ト ハ ニ カ ミ ナ リ テ カ タ カ ム ナ ヨ ソ ヤ コ ト ホ グ シ ウ タ

岩磐(戸) 永久に 神成りて 象神名 四十八 言解し歌

天然自然・宇宙の響きと共鳴し、


響き写し取った48音色を奏でている岩。

それはまさに・・、四十八柱の神の言霊・・・。

石や岩に、神霊が宿り懸かる・・・?。

『それは・・、あの大きな丸い石!』

頭の中で、閃光が走った。

稲妻のように、閃きが湧き起こった。

『それらの石を介在として、何かが顕れる。』

まだ深く理解はしてないものの、何かが腑に落ちた。

超古代での『大きな丸い石』の祭祀には、何か特別な意味があるはずだ。


手がかりは、縄文時代に遡る『大きな丸い石』の遺跡・・・。

古文献などから、当時の様子を窺い知ることからはじまった。

湧き起こる好奇心が、


不思議な喜びの火種にもなって楽しい探求が始まった。

あの時の探検好きの童心が、あの時同様むくむくと起きあがった。

第八章に・・・つづく・・・


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2013-05-15 21:16:52

ミスティック・ツアー『真実への扉は何処に』 第六章 幻の長塚

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ミスティック・ツアー『真実への扉は何処に』


第六章 『幻の長塚』


予行演習とはいえ、


ほんの数分で終わってしまったドタバタの初回の探検。

氣を取り直して、本来の目的『幻の長塚』を探すことにした。

その『幻の長塚』は、お寺の上の方にあるはずだといわれていた。

この天龍山安国寺は、


祖父が昭和31年4月に信行道場として開発を始めた。

そのお寺に、


本格的な探検前に腹ごしらえと情報収集のために立ち寄った。

祖父は目を細め、穏やかな笑顔で出迎えてくれた。

9人もいる孫の中では只一人、


お山に興味を示していたのが幸いしてか、


ことのほか可愛がってくれていた。

折良く昼食時、一緒に食事をしながら話を聞くことが出来た。

要約すると・・・。


銀河縄文人・夏至著のブログ お山開発当時の様子



入山当初には、


奥の院参道に朽ちかけた『倭媛命』の額が掛かった鳥居があった。

奥の院には、


大和龍王尊の石碑を中心に十数基の龍神の石碑が建ち並んでいる。

そのさらに奥の上方に、その『幻の長塚』があるはずなのだと。

千塚の古跡は、


古代に於ける大和民族の住宅遺跡として後代に伝うべき石造家屋。

一見素朴な石積みのようだが、石の配置工夫の技術、


屋内の採光、湿度の調度・調節など幾多参考になるものが多い。


世界に誇る穴居住宅で、


昔から千塚といわれた通り沢山の石塚が存在する。

千塚村や服部川村、法蔵山などがその場所にあたる。

以前に塚の中からは金環や練石、鉄の針なども出土している。

伝説には、


恙虫(つつがむし)の大きいものがやってくるのを防ぐ為だとか。


銀河縄文人・夏至著のブログ  恙虫(つつがむし)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B5%E6%9C%AC%E7%99%BE%E7%89%A9%E8%AA%9E


天から火が降って来るのを除ける為に、穴居したとも伝えられている。

一種の、外敵防衛の為のものでもあったようだ。

これらとは別に『大塚』、というものもある。

別名王塚・親塚ともいい、


神武天皇の御后「比売多多良伊須気余理比売」 の御陵だともいわれている。

『幻の長塚』は、


神武天皇 勢が攻めてきた折、


ナガスネヒコ 等が最後まで死守したものが納められている。

古代日本史の謎を解く鍵が、そこには封印されている。

もしその『幻の長塚』が発見されれば、


超古代からの多くの謎が解明される。

もしかしたら、


謎の古文献か古代の超科学の産物が埋蔵されているかも知れない。

そして驚くべき事に、3組の神道家のグループが調査に来ていた。

何れのグループも神の啓示や御神示、


霊示によるある種のメッセージを受けている。

入山探索したその神道家のグループの一つは、


教祖が錯乱し狂人化してしまった。

また別のグループの主謀者は、謎の変死を遂げている。

なんと恐るべき、驚愕の話をも聞いてしまった。

しかし怯むどころか、探検隊一同の好奇心は募る一方だった。

食事もそこそこに、はやる気持ちを抑えきれずに早速探検に出かけた。

子供の足で半日も山歩きをすれば、


ほぼ全容を見渡せる領域のはずだった。

お寺の境内を奥へと横切り、とりあえず大和龍王の石碑を目指した。

境内の最奥部には、一塔合安式霊廟が聳え立っている。



銀河縄文人・夏至著のブログ  一塔合安式霊廟


今では亡き祖父や、両親・親類・信者一同の遺骨が納められている。

この一塔合安式霊廟の建設当時には、


その下にも朽ち果てた塚が存在した。

山崩れの危険からよく調査出来ずに、


その上に一塔合安式霊廟が建設されている。

その霊廟の裏手から、


鳥居をくぐり沢沿いを登ると大和龍王の石碑がある。



銀河縄文人・夏至著のブログ  大和龍王の石碑


谷間沢底に位置するその場所は、


昼間でも薄暗く霊妙な氣が充満している。

木々は鬱蒼と茂り、行く手を阻むかのようにも感じられる。

さてここからは道無き道の探索から、


『幻の長塚』への聖なる探検が始まることに。

この地域の一連の塚は、東に向いて沢の左側に集中している。

大和龍王碑に行く途中から見上げると、


左上方に大きな岩山が見えていた。

何故かその時は、妙にその岩山が氣懸かりになった。

行く当てもない探検なので、とりあえずその岩山を目印に探索を始めた。

急な上り斜面を縫うようにして、一行は岩山を目指した。

小一時間ほど登ると、岩山の下に塚穴らしき入り口があった。

先ほどの塚とは、景観が異なる。

入り口は、子供がしゃがんでようやく入れるくらいの大きさだ。

外観は丘のような感じではなく、岩山断崖に突如として入り口がある。

その入り口の真上には、大きな岩が設えてある。

入り口の前は、猫の額ほどの小さな広場になっている。

先ほどの塚とは違い、差し込む日の光も無い。

覗いてみても、奥は真っ暗で何も見えない。

後はもう、実際に入ってみるしか探りようもない。

迂闊なことに、またしても懐中電灯を持ち忘れていた。

手元には、心もとない蝋燭があるだけ。

それでも勇気を出して、先頭を切って入るしかなくなっていた。

意を決して蝋燭を灯し、しゃがみ込んで少しずつ躙り進んだ。

入り口の羨道(せんどう)は、幾分湿った感じだった。

狭い羨道(せんどう)をしばらく進むと、少し広い場所に行き着いた。

蝋燭の薄明かりに照らし出されたその正面には、


なんとまん丸い大きな石が見えた。

当時の記憶では、直径140cm~170cm位の球形の石だった。

よく見ようと、狭い羨道(せんどう)から広い場所に出ようとした。

無造作にひょいと顔を出した途端、背筋が凍り付いた。

蝋燭の薄明かりに照らし出されたその光景は、


なんと壁一面に張り付いている竈馬の大群だった。



銀河縄文人・夏至著のブログ  竈馬(カマドウマ)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%83%89%E3%82%A6%E3%83%9E



いたる処の壁一面で、怪しく蠢く竈馬の大群にはさすがに肝を冷やした。

蝋燭の火にも敏感に反応を示す、不気味な竈馬の動きに恐れを抱いた。

とてもじゃないが、おいそれとその部屋には入れないでいた。

何か得体の知れない魔物が、まるで守ってもいるかのようだ。

とにかくこれ以上は入れないと断念して、一度外に出ることとした。

仲間には状況を伝えて、相応の装備と準備がいる旨を話した。

中には竈馬の大群がいるので、


蚊帳かなにか防御の用意がないと入れない。

中までは日の光が届かないので、照明は各人に必要だ。

ほかの塚とは違い、なにか洞窟のような雰囲気があった。

このあたりの石塚は、中は皆からっぽで何もない部屋だけなのである。

この大きな丸い石は、きっと大発見に違いない。

意気揚々と下山して、仲間達と共にお寺に戻った。

祖父にこのことを話すと、とても驚いた様子だった。

聴くところによると、祖父もその大きな丸い石の事は知らないでいた。

その当時では、まだ未発見の塚のようだった。

そういえばと祖父が漏らしたことには、


探索に来た神道家の方々が『丸い石』があるはずだと話していたと・・・。

いったいその『丸い大きな石』には、


どのような謎が秘められているのだろうか?

第七章に・・つづく・・

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2013-05-15 19:59:54

ミスティック・ツアー『真実への扉は何処に』第五章 岩屋での恐怖

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ミスティック・ツアー『真実への扉は何処に』 


第五章 岩屋での恐怖


小学校に入る頃、


天王寺区勝山の祖父の元を離れ家族で引っ越していた。

その当時住んでいたのは、東大阪市の河内小阪だった。

こぢんまりとした一軒家からは、生駒山・信貴山がよく見えていた。

祖父が建立したお寺は、信貴山の中腹あたりにある。


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毎日小学校へ通う道程では、その信貴山をみながらの登校だった。

自然と夢が膨らむのも、致し方なかった。

長塚の話をした八戸ノ里小学校の同級生4人と、


『秘宝探しの探検』に行くことが決まった。

近鉄奈良線の河内小阪駅から一端布施駅に出て、


近鉄大阪線に乗り換える。

そして河内山本駅から再び近鉄信貴線に乗り換え、


一駅目の服部川駅で降りる。

服部川駅からお寺までは、徒歩30分ほどの距離だった。

お寺入り口の橋までの途中にも、いくつかの塚があった。

まずはその崩れていない塚に、入ってみることになった。

それは古墳丘にひっそりと口を開けた、横穴式石室のことだった。

昔の人は、「塚穴」とか「岩屋」「窟」などと呼んでいた。


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「誰が先頭ではいるか、じゃんけんで決めようや」

「なんでやねん、誘た本人が隊長や」

「そやそや、隊長が先頭に入るのが当たり前や」

「・・・・・」

「そらやっぱり、隊長が先頭や」

案の定、探検隊の先頭を切って塚に入る事になってしまった。

入り口は狭く、一人ずつしか入れない状況だった。

一瞬躊躇したが、もう怯む訳にはいかない状況がそこにはあった。

意を決して、おそるおそるしゃがみ込んで入り口を奥に進んだ。

すこし下り斜面の羨道(せんどう)を抜けると、


中は8畳ほどの石室だった。

「はよ、入ってこいや」

薄気味悪さに後押しされてか、友人を急(せ)かした。

まだ奥まで行けず、入り口付近でたたずんでいた。

「あぁ~、順番に入るよ~」

しゃがみ込んだまま、心もとない足取りで順次みんなが中に入ってきた。

玄室の入り口付近で押し合いながら、まだ奥には進めないでいた。

ようやく、みんなが入り終えたかと思えた瞬間。

なにやら塚の奥でゴトリと、奇妙な物音がした。

大きな石が、ごろりと動いたような物音だ。

誰かが「ギャー」と、叫んだ。

もうそれからは、もう大変な騒ぎで・・・。

みんなは我先にと、


一人しか通れない羨道(せんどう)に向かって突進した。

出口から一番遠くに居たせいもあってか、


先に出ようとした友人をつかみ止めてしまった。

それがかえって、みんなの恐怖を煽ってしまったようだった。

「な、なにすんねん!」

「何で逃げんねん!」

羨道(せんどう)を上り出ようとする友人の足を、


つかんでも出ようと焦った。

「あ、足離してくれ~」

「ちょっとぉ~待ってくれ~」

「はよ出よ~」

「はよ出んか~」

「ちょっとぉ~待てや~、押さんといて~」

「はよぉ~、どいてくれ~」

「出られへ~ん」

「はよぉ、出してくれ~」

「あかんがな~」

「・・・・・」

どたばたしたものの、なんとか全員無事脱出に成功した。

ほんの2メートルほどの距離なのに、息絶え絶えにようやく表に出られた。

表に出られた安心感か、みんなは引きつりながらも苦笑いをしていた。

「あ~怖かった!」

「めっちゃ~怖かったわ~」

「なんで、出るのん止めたんや?」

「なんでって、なんで急に逃げだすねん」

「せやかって、なんか音がしたやん」

「ああ、石が動いたみたいやった」

「ほんまか~?」

「見てないけど、怖かってん」

「そんなん、なしや~」

「・・・・・」

「こんなんやったら反則や~、ほんまの探検なんか出けへんやん」

「すまん、すま~ん」

「ごめん、ごめ~ん」

「今度は、勝手に逃げるなよぉ~」

「わかった、わかった~」

「ほんまにもぅ~、ビックリさせんといてぇや~」

「ちょっと待って~や~」

随分と古くから、その入り口は開口していた様子だった。

この横穴式石室は住居跡なのか、


それとも死んだ人が葬られた所かもしれなかった。

この様な場所を探検することは、


罰当たりなことだとも承知の上だったようにも思う。

しかし子供心の好奇心が勝っていて、


『秘宝探しの探検』の魅力には抗えないでいた。

そして不用意にも、


誰もが懐中電灯さえ持たないで入ることとなってしまった。

お寺にまで行き着く前に、すでに探検が始まってしまった。

日の光は、塚の入り口から中に差し込んでもいた。

外から覗くと中は薄明るいものの、やはり薄気味悪い感じがした。


銀河縄文人・夏至著のブログ


「ちょっと、休憩してからにしょ~」

正直、みんなまだ動悸が高鳴っていた。

「お寺に上がって、昼飯食べてから上に行こか~」

「そうしょ~、そうしょ~」

第一回目の塚探検は、ほんの数分で終了した。

それでも5人は、もてる勇気を振り絞った結末だった。

それにしても、みんなは何に怯えてしまったのだろうか?

この時はまだ、本格的な恐怖とは対面してはいなかった。

このあと引き続き、あの幻の長塚の探索が始まったのだが・・・。

その長塚に挑む試みは、


後々の大いなる謎と神秘の幕を開けるきっかけとなったのだ。

第六章に・・つづく・

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