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テーマ:

先人の史実の書の表現は

どうしてもデフォルメされた部分が

あるのではないかと

感じてしまうのは

その時代その時代を生きる

その時の「現代人」の考察

ではなかろうか。


過去の数々の書物に

津波の恐怖が描かれているが

どこかで年月が経つにつれて

多少大きな表現があるのではないか

と誰もが思い始めるのは

仕方ないことである。


しかし

311の津波を目の当たりにして

それらが当時の体験者たちが

本気で未来人に向けて書き

できるだけリアルに伝えようとしているかが

今になればわかる。


だが

どこかで

我々はその津波の恐怖を描いた

先人の書物に対し

多少のデフォルメ感を

勝手ながら上乗せしていた部分が

あるのではないだろうか。


あらゆる場所で

収められた

その瞬間の津波の映像を観ていると

過去の書物は何ら大袈裟な表現でもなく

そのままを伝えていたことがわかる。


高台から

自分の店を撮影して

そこに津波がやって来る

被災された店主の方が

「何が防波堤だ!」

と叫んでいる映像があった。


本当だ。


その字の如く

防波堤は

波を防ぐ堤であり

それが全く意味をなしていなかった。


あの人間の感情や生活など

眼中になく

冷酷なまでに

前へ前へと進む津波の姿を


先人の体験者は

何とか伝えようと

書物や石碑に残していたのだ。


そして

今2012年である。


もちろん

昔とは違い

映像があるのは強みだが

果たしてこの現実を

100年後の

2112年の未来人に

これはデフォルメでなく

そのままに表現した驚異なのだ

ということを

どうやったら伝えられるのだろうか。


それは

ただひとつ


『忘れないこと』


ということではないだろうか。


忘れないことには


『憶えていくこと』



『伝えていくこと』


など

様々な要素が含まれている。


その為に

僕らがまずは

できることは


東日本大震災を

311を

今はまだ


『想い出に変えないこと』



『感動に変えないこと』


ではないだろうか。


東日本大震災は

まだ始まったばかりである。


それは

2011年3月11日に

スイッチが入ったばかりの

巨大な装置であり


その装置の電源は

一体いつ切ることが

できるかもわからないのだ。


被災者がいる。


それも

亡くなられた方と行方不明者を合わせて

19000人以上。


そこには

一つ一つの家族がいる。


一年が経ち

家族の死亡届を出すことを

まだ躊躇う被災者がいることも

報道で観た。


何気ない

普段の生活で

コンビニの棚から

行方不明の子供が

パッと現れるような気がしてしまう

という親御さんの話を読んだ。


あの忌まわしい時間の一秒前まで

当たり前だと思っていた

何気ない幸せな日常の残像は

そう簡単に消せるわけがない。


それは

被災者にとっては

これからもずっと続いていく

現実である。


またその瞬間までの日常から

いきなりの避難所から仮設住宅と

非日常で暮らす被災者の方々の

体と気持ちを引き裂かれてしまうような

現実は今この時間もそこにあり

感動や想い出などとは

遙か遠い存在であるのではないだろうか。


僕は

多くのマラソン大会に出場している。


そんなマラソン大会をスタートし

例えばそれがフルマラソンだとしたら

10kmぐらいを通過した頃に

どうしてもゴール後のことを

想像してしまう瞬間がある。


ゴール後

温かいご飯を食べている自分

大会は早朝なので

もう一度自分の家の

暖かいベッドで

ゆっくりと眠るイメージ・・・。


しかし

それを考えてしまった瞬間


「まだ30kmもあるじゃねーか」


ととても苦痛になる。


だから

できるだけ

ゴールした後の

至福のイメージは封印しようと

心掛ける。


それは

あまりにも

残り30km残っている

現実が酷だからだ。


被災者にとって

今日は

まだフルマラソンで言えば

10kmいやまだまだ

スタートして1kmぐらいでは

ないだろうか。


それが

被災者でもない人間が

感動や想い出に変えてしまっては

現場で生きている被災者の方々からすれば

酷ではないだろうか。


それは

フルマラソンを出発して

10km地点で

レポーターが近づき

「ゴールしてあたたかいベッドに

入る気持ちを一言!」

と聞かれて

こっちはそれどこでなく

まだ30kmも走らなければ

ならないんだ

と思っていた瞬間に


「以上、現場からでした」


とそのレポーターが

歩道にそれて足を止めたら

どれだけそのレース辛いものか。


しかも

歩道で止まった後

「がんばって!」

などと言われたら

「これ以上どうがんばるのだ」

と余計キツクなってしまう。

だから「がんばれ」という言葉も

慎重に使わなければならない

気がする。


被災者以外が

311を感動や想い出に

変えてしまうということは

当事者である被災者の方々にとって

それぐらい辛いことなのではないだろうか。


まだまだ


311を感動や想い出に変えるのは

早すぎるのではないだろうか。


しかも

感動や想い出に変えられてしまっては

過去の事として

忘れ去られてしまいそうで

被災者の方々からすれば

不安なことこの上ないはずだ。


人間にとって

不安こそ最大の敵である。


「彼らにとっては今」で

「彼ら以外にとっては過去」


これが

最もよくない。


東日本大震災は現在進行形なのだ。


それも

登山で言えば

たかだか一合目。


山頂も見ていなければ

下山もしていない。


さらに

今回は

過去の大震災とは

大きく違う点が


『放射性物質汚染問題』


である。


したり顔で


「東京は影響少ないよ」


という輩がいる。


それがどうしたというのだろうか。


少なからず

日本をはじめ

世界各国に影響を与えている

福島第一原発事故における

放射性物質汚染問題。


先人が残してくれた書物に

全くない近代文明の新たなる史実。


そして巨大かつ姿なき脅威が

この放射性物質汚染問題である。


これこそ

我々現代を生きる人間が

潤滑に生きるために生みだした

残骸であり


いくらどうあがいても

感動にも想い出にも

絶対に変えられない現実であり


自分の子供達を始め

数万年後の未来人にまで

与えてしまったリスクである。


だからこそ

311をたかだか一年で

感動や想い出に変えるなど

以ての外であり

我々がやらなければならないのは


「日々覚え続けていくこと」


なのではないだろうか。


それができなければ

いくら強烈な映像があろうとも

また未来人に

「デフォルメ」しているという

思いをさせてしまい

同じ繰り返しをさせてしまいかねない。


だから

311は

今日一年たったから

どうこうという話ではない。


だからあまりに記念日的にするのも

思い出すのが一年に一回になりかねず

どうかと思うぐらいな気がする。


記念日とかにすると

311だけが象徴的になり

311以外の日は忘れてしまいかねない

のではないだろうか。


もちろん

毎年311はそれぞれが

儀式としてもやらなければならないのだが

あまりにそこだけが際立つのは危険な気がする。


毎日が311であり


その現実は

どこから

どの方向から

ある種メルトダウンするかわからない。


その象徴的なことが

あの311直後

突然ツイッターやブログで

感情の赴くまま叫び

駅前に募金で立った人間は

すでに一ヶ月後の4月以降

もう何も発信していなかったりするように

見受けられる。


そんな

鋭角に上がる感情など

鋭角に落ちるということは

自然の摂理が証明している。


瞬間的でなく

習慣的になり


持病と付き合っていくように

日本人はどこにいようが

311と日々付き合っていかなければ

ならないのではないだろうか。


何度も言うが


東日本大震災は現在進行形であり


それは

半永久的に続く

未だかつてない天災であり人災なのだ。


だからこそ日本に生きる人間は

そんな点で感情の赴くままに

その瞬間だけ盛り上がるなど

全く不要で

もはや生活の一部として

生きて行くしかないのでは

ないだろうか。


その為には

それぞれが

常にフラットに今の日本の現状を捉え

それぞれが

それぞれの役割を貫いていくしかない。


特に

世の中に発信することを生業に

している人間は

フラットに

本当のことを

日々忘れずに

感動にも想い出にもせず

発信していくしかない。


しかし

今となっては

ツイッターやブログなど

誰もがSNSで世の中に発信できる。


ということは

誰もが

ただただ

311を過去のものにせず

今現在進行形の危機として

発信していくことしか

我々に残された解決の糸口は

ないのではないだろうか。


さらにそれは

ある日僕らが先人と呼ばれる

未来を生きる

今の子供達や日本に住む

未来人の為に

我々がいかに

デフォルメしていない現実なのだ

ということを伝える方法

なのではないだろうか。


もし

今日一年ということで

何かを語るのであれば


この日本という国

そして日本人は

あの311から一年で

何が変われたのであろうか

ということである。


今日

311を振り返る映像を

テレビが流していたが

僕は311の時

これから最低でも一年とか

暫くはずっと

東日本大震災のことだけを

やりつづけるのかと思っていた。


チェルノブイリと同じことが

起きた国なのだから

かなりのシフトチェンジが

起きるだろうと思っていたが


世の中は

すっかり311前に戻っている。


今日現在

全てをなかったことに

しすぎではないだろうか。


全てを

感動と想い出に

しすぎではないだろうか。


子供を失くしてしまった

被災者の方が

コンビニの棚から

ふと子供が笑いながら出て来るという

残像と闘っている。


親を亡くした

多くの子供達が

現実と闘っている。


買ったばかりの家が

放射性物質汚染危険区域になり

帰れないで闘っている。


仮設住宅で

目の前の寒さと闘っている。


そして

内部被爆を恐れ

日々食に気を遣い

雨や水溜りを気にし

公園で子供を遊ばせることを

ずっと気がかりにして

流石に疲れている

全国の親がいる。


それが今なのだ。


これが

現在進行形でなく

何なのだろうか。


全く関係のない情報が

垂れ流され

一年に一回思い出せばいいという

問題ではない。


今も

放射性物質汚染は

どうでもいい情報と同じように

垂れ流されている。


放射性物質汚染された瓦礫の

処理方法を24時間語り続けても

足りないぐらいなのに

何をしているのだろうか。


なぜ日本は日本人は

変われない

変わらないのだろうか。


じゃあお前が今すぐ

被災地に行って

瓦礫処理を手伝い

炊き出しをしろという

そういうことでは

何も解決されない。


駅前に

突然立つ必要もなければ

ブログで感情的な

インスタントな正義を

叫ぶ必要もないと思っている。


それぞれが

それぞれの役目を

貫いていくしかない。


僕の役目は

去年の東日本大震災から

今日まで事あるごとに

ブログや書籍で書いているように

ただただフラットに震災について

ブログや書籍などで

書いていくこと


世界を駆け巡り

国境もなければ

仕事と休みの境界線もないが

働いて働いて

遊んで遊んで

経済を回し

結果として

被災地復興のスピードを上げる事


走って泳いで

体力の限界を見て

自分と向き合い

命の尊さに改めて気づき


さらに

家族を守り続けていくこと


などが役目であり

それは何かに


連鎖する


と信じている。


世の中が

貫いていく


そのまず第一歩が


感動に変えるのは

まだ早い


想い出に変えるのは

まだ早い


忘れてはならない


ということではないだろうか。


東日本大震災で

犠牲になられた

多くの方々の

御冥福をお祈りします。


おちまさと


一年という日は

とても重い。


しかし

一年など

被災者の方々にとっては

一秒いや0秒に等しい

のではないだろうか。


人生はレコード針のようで

年々回転が速くなると

いろんなところで

書いて来ているが

この一年は

仕事という面では

あっという間の一年だったが

あの311からと考えると

人生で初めて長く感じている。


まだ

一年なのだ。


娘がまだあの時0歳で

今1歳9ヶ月という

子育ての時期ということも

あったかも知れないが

長くないかこの一年。


思えば

東京は乳児に水制限も出た。


スーパーやコンビニから

何もなくなり


ガソリンスタンドは

全て閉鎖したなぁ。


忘れようったって忘れられない。


しかし

被災地の方々は

今もあの日々が続いていると

変わらない。


さらに

支援されることに慣れてしまい

という現場での新たな問題も

あるという報道も見た。


現在進行形は

新たな問題を

残された瓦礫の如く

山積させていく。


時計は

さらにゆっくりとした

重い秒針を進ませることとなる

かもしれない。

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