タイミング負けだよ、ハニー。何よしま♪さんいきなり不思議な言葉を作ったりなんかして。いえね、二日ほど開きましたんで、まぁ、何かコウもっともらしい事をいっておかないと、ただでさえ信用失墜してますからね。でもね、ちょっと二日ばかし、考える事があって。最初に言っておきますけど、長くなるよ。
そもそも、日曜日、眠くてね(笑)。ちょうど日付が替わるぐらいで、F1もないし、PGAの中継は5時からだし、それぐらいの時間なら寝て起きるのは簡単さ、なんて。で、ベッドに飛び込んで、ぐ~。が、目覚ましが5時にビリリと鳴っても、再放送があるから寝よ寝よ、で、すっかりすっ飛ばしちゃいまして。思惑的には、PGAを見てブログ更新して、なんて思ってたんですけど、起きたらなんか昼前で。
別にね、ブログなんて、こんな生活しているんだからいつ更新したってイイわけだし、ネタに困っているわけでもないし。でもなんとなく、ブログ書くのは日付が替わる前後、でアップするのが日付が替わってから、という漠然とした日課のようなモノが出来てまして。なぜかそれを過ぎると、更新する意欲がカラッキシなのね。ある種の依存的な事も感じてて、なんかこうしてウダウダ言っているのを一日一回寝る前にぶるっと吐き出さないと、大袈裟に言ってしまえば自分が自分でなくなりそうな感じがして。
何でかなぁ、なんかおかしいよなぁ、と月曜日顔を洗いながらふと思ったのね。で、その時に、タイミング負け、という言葉が思い浮かんだのね。タイミングを外すと途端にやる気がなくなっちゃう感じ。見たいテレビとか、やりたい事の兼ね合いとかでつい後回しにして、結局おざなりになってしまうような感じだよ。
さっき言ったように、別にいつ更新してもいいんだけど、でもなんとなくスケジュール的な事に縛られている。最近は、こういう生活をしていても、自由という事に思いをはせる事が多いのね。
こうしてウダウダ言っている私も、そして運悪くこんなブログに当たっちゃって今半泣きで読んでいるあなたも、総理大臣も、ホームレスも、沖縄の人も、北海道の人も、みんなこれだけは絶対に平等、という事がひとつだけある。それは時間の概念。時間に関わるモノは、みんな一秒は一秒で、一日は一日。誰にも平等に与えられているモノなのよ。
で、それは誰の元にも平等が故に、みんなそれからは逃れられないのね。昔、遙か昔、ビッグバンが怒ってこの宇宙が産まれた時に、タテ横タカサ、という三次元の空間と同時に、時間というモノが産まれた。それ以来ずっと、この宇宙というシステム自体が、時間というモノに縛られているのよ。そう考えると不思議だよね、物差しも何もなくて、でも確実に後戻りすることなく前に進み続けているんだからね。まぁ、宇宙論に詳しいとそこら辺グニャグニャしているのかも知れないけど。
でもね、時間というモノが少なくともこの地球上で均等に流れているとしても、その使い方に人間が縛られる事はないと思うのよ。なぜそんな事をふと思ったかというと、人の感じるストレスって、そのほとんどが他人と関わる事によって起こるんだよな、っていうか人に限らず、自分以外のモノが引き起こすんだよな。つまりストレスっていうモノの一番の敵は、自分以外のモノかな?と。
ではそこから逃れるためにはどうしたらいいだろう?で、先程のわりとストレスから解放されているだろう自分が、感じる漠然とした感じの悪さを鑑みるワケね。自分が感じるストレスは、たぶんとても常識的な時間の使い方によっているんじゃないかと、思ったわけよ。
例えば、最近午前中に本を読むと言う事が定着していて、時々は寝坊して昼近くになって読むのは一時間ぐらい、という時もあれば、今日は早起きだからなんだ一冊読み終える勢いだぜ、っていう時もある。つまり漠然と午前中、起きて新聞を読んで、一段落したらおもむろに、で、昼ご飯を食べるまでが読書の時間、という一応の決め事なのね。その幅を大きく獲ってあるから、わりと縛られた感じもなく、毎日なにがしかの本を読むという動作をこなしているわけ。
たぶんコレを読んでいる人の多くが、明日起きる時間が決まっていると思う。仕事に出掛ける時間、家に帰ってくる時間はまちまちでも、寝る時間はだいたい毎日同じで。それを決めているのは果たして自分が主体的に決めたんだろうか?だいたいの人が、仕事の始まる時間が何時だから、この時間までに家を出ないと遅刻しちゃう、みたいな縛りの中に暮らしていると思うのよ。
あぁ、先に行って置くけど、私はそれを批判していたりとか、拒絶しているワケじゃないのよ。それはオイオイ話すからね。
とにかく、それでは自由っていうモノを体現する生活、ってなんだろう?それはネたぶん、24時間という事に拘らない事だと思うのよ。ちょっと考え方を変えるとね、明日本を読む、読みたい、という事だけ考えるわけ。でも今は眠い、と。だったら寝て起きたら本を読もう。本を読んだら、今度ブログを更新しよう。ブログを更新し終えたら見たい映画があるからそれを見よう。お腹が空いたらご飯を食べよう、眠くなったら寝て、目が覚めたら起きる。つまり何時から何を、という風ではなく、何の次に何を、という風にただ予定を追っていく。
それは突き詰めると、一日という定義を変えるのね。目が覚めてから次に目が覚めるまでを一日とするのよ。そうするとね、一日が20時間であったり、30時間であったりする。夜目が覚める時もあれば、朝目が覚める時もある。ただ、次に何をやりたいかを考える。
それを大袈裟に言えば、時間の流れを人間がコントロールするって事で、名付けて「じぶん時間」だと。
もちろんコレは理想です。人は働いて食べていかないといけませんから、当然仕事というモノが基準になって、それは一人でやっているんならまぁイイですけど、二人以上でやっていたり、他の会社との付き合いもあったりすると、共通の時間で行動した方が断然効率的。それは他人との付き合いがある限り、待ち合わせとか、そういうのも共通の時間割があった方が全然合理的なんです。
そうなのね。つまりは効率的とか、合理的とか、実は近代社会っていうモノがその時間というモノを、うまくルールとして利用した、とも言えるわけよ。
と、偉そうな事を言ってみても、結局何を絵空事を、という感じ。かくいう私も、そういうならそうすればいいじゃない、といわれそうで出来ないって分かっているの。だって、松下さん見てデレッとしようと思うとさ、日に三回機会はあるとはいえ、やっぱりその時間には起きていないとデレッと出来ないわけ。世の中にはビデオに録って、という便利なモノもあるけど、では果たしてビデオに録ってまでデレッとしたいか、というとこれがまた微妙で。少なくとも、先日の大相撲の千秋楽最後の一番の仕切が始まって、お腹が痛くなってトイレに行こうかどうしようか迷って、たまらなくなって録画ボタンは押したけど、それに較べてまぁ明日もあるし、的な事で・・・。
あんたテレビに生活牛耳られているなんて、と鼻で笑われそうだが、事実だから仕方がない。でもね、人間本来の生き方ってなんだろう、って事を最近スゴク考えるのよ。出来ればとても人間らしく生きたいとは思っても、出来ないとは分かっていても、知っていて諦めるのと知らずに惑わされたままストレスを貯めるのとどっちがいいか、って事なのよ。
で、やっと前置きが長くなったけど本題へ。お休み前の話とも繋がるし、この二日間の間にJMMを読んでインスピレーションを得た話をして、がざっと次の話に写りたいんだけど、もうこんな時間(笑)。寝ないとね。
なんてね、毎週クリミナルマインドを欠かさずコレも生で見ているんだけどキッカケは些細な事なんだよね、って言ってみました。元犯罪者の私がなんでこういう刑事モンなんか見ているんだろう、なんて思うんだけど、話だってそう飛び抜けておもしろとも思えないし。それはね、ただ、私がたまたま見た時のがシリーズ2で、そこにはギデオンっていう役名の人が出ていたんだけど、放送が終わってシーズン4近日放送開始っていう番宣にはその人はいなくて、替わりにひげ面のロッシ、とかいう人が出てて、何で変わったんだろうか?何をしでかして変わったんだろうか?っていうのが気になってずっと見ていたら、いつの間にか嵌っていただけなのね。ドラマって怖い、流れに乗ると病みつきになる。でも、どうも見方がちょっとずれているよな、と自分でも思う。それが明日の話の予告、って事で。
それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。