Wed, October 26, 2005 posted by obaragoroku

■男が死ぬとき

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最近多忙につき久々の更新、悪しからず。

今日のテーマは「死」。

色恋沙汰が原因で自ら命を絶つ人がいる。
往々にして男に多い。
オレの周りにも何人かいる。
現代の男はその点において女性より弱い生き物だ、と思う。

先日、品川駅近くの酒場で友人と飲みながらそんな話になった。
彼(友人)は某大手新聞社のベテラン記者。年はオレより丁度一回り上だ。

オレが、「自殺といえば、伊丹十三の最後が強烈な印象として残っている。真相は何だったんだろう」と問うと、彼曰く「あれはヤクザだね」と一言。
そういえば伊丹は『ミンボーの女』公開以降、その筋から執拗な嫌がらせを受けていた。

「遺作となった『マルタイの女』の中に、伊丹が自ら命を絶つことの予告というか、家族に対する遺言が残されているんだよ。ある登場人物の男が自ら命を絶つシーンがあるんだが、最後にその男はこう言うんだ。『人生は中途半端に、道端のドブのような所で突然終わるもんなんだ』。あれは伊丹の遺言なんだよ」と友人。

その日家に帰る途中、『ミンボーの女』と『マルタイの女』のDVDを借りて、2本一挙に観た。
『マルタイの女』は以前観たことがあるのだが、そんなシーンあったかなー? と思いつつ観ていると、あった。

宮本信子演じる大物女優。彼女と愛人関係にある男(津川雅彦)。
ある事件に巻き込まれたその女に執拗な嫌がらせを繰り返すカルト宗教集団の男たち。
男は愛する女を守るため、カルト集団の男たちを銃で撃ち殺し、自らも命を絶つ。

男は恐喝しにきた連中を一人、また一人撃ち殺しながら淡々と言う、
「お前らはバカだから知らないだろう。年寄りには2種類あるんだ。いつまでも生きていたい年寄りと、いつ死んでもいいと思ってる年寄り。人生は実に中途半端な・・・、そう、道端のドブのような所で・・・突然、終わるもんだよ」。
そう言うと男は自分の頭を拳銃で打ち抜き息絶える。

道端のドブか・・・、人生そんなもんかも知れない。

まあドブで死にたくはないが、
何か事を成すために命をもなげうつ、っていうのは、それは、時に男のひとりよがりなダンディズムってやつかもしれないが、でも、そうした純粋な行動は美しいと思う。

ラストシーンの女の台詞も良かった。
殺人事件の目撃者として今から法廷の証言台に向かわんとする女は記者たちに向かってこう言う。

「これは私の花道なの。だから絶対に怖いとは言いません。あたし、殺人を目撃したことによって思いもかけない責任がのしかかったわ。正直つらかった・・・。でもあたし、その責任を引き受けます。だって、世の中はあたしにやりたいことをやらせてくれたんですもの。だからたまには・・・、やらなくちゃいけないことをやらなくちゃね」

これも伊丹の遺言なのかも知れない。

オレも、たまにはやらなくちゃいけないことをやらんとな。
そんな事をしみじみ思った秋の夜でした。

★今日の格言:「人間のいのちなんざ、使うときに使わねば意味がない」(司馬遼太郎「峠 上」より)
Thu, October 13, 2005 posted by obaragoroku

■酔っぱらって

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酔っぱらって今家に帰った。

時計の針は深夜一時半を指している。

知り合いがマスターをやってる西麻布のバーで友人と二人で飲んできたのだ。
(ちなみに過去記事で紹介したバーとは別の店)

ビール2杯、ペルノーのロック3杯、ウーロンハイ1杯飲んでしまいましたー(最近弱くなったなー・・・)

ちなみに友人Hはビール一杯で気分が悪くなってしまうという下戸なのだが、朝までウーロン茶だけでトコトン酔っ払いの相手ができるタフな男だ。

Hはオレより10才近く若いがいい意味で老成している大人な人間で、どんな話題でも忌憚なく対等に会話のできる数少ない友人の一人。

ちなみにこの男、近頃あまり見かけない天然記念物的な稀少なタイプの人間だ。前時代的というか何というか、簡単に言うと“インテリヤクザ”ってやつですな。
時々、こいつまた何変なこと言ってるんだ? と思うこともあるし、前言ってたことと今言ってることが違うだろ! と思うことも多々あるがそこはご愛嬌。根本的な思想というか人生哲学にブレがない。そこがいい。

今日の会話で印象に残ったのは、オレとHの共通の知人の話題になった時。
その共通の知人は最近重病に冒されてしまったのだが・・・、

H曰く「この間あいつと電話で話してたらすごい弱気な事言ってやがってさ。『お前なにそんな弱気なこと言ってやがんだよ! 明日死んじまうわけじゃあるまいし』 って言ってやったら、あいつ、『何でそんな冷たい言い方するんですか?』みたいな感じで落ち込んでんのよ。困ったねー・・・」

そこでオレ、「大方の人間は弱いんだ。みんなお前みたいに強くはないんだよ」

するとH、「それは分かるけど、でも、人間明日死ぬかもしれんし誰に甘えることも頼ることもできないし、それが真実じゃん。そのへんの事をしっかりと認識しないとダメなんじゃないかな」

オレ 「そりゃそうだけどさ。でもオレも含めて人間みんなそれを頭では分かってても感情はまた別物だからね」

H 「うん、それは分かるけど、でも、オレはオレの考えでしか物を言えないから」

オレ 「まあ・・・確かに、『だいじょうぶ、頑張って!』とかって誰でも言えるからな」

H 「そうなんだよ! 誰かがオレに何か相談したり回答を求めたりしてきた時点で、そいつはオレの意見なり感想を求めてきてるワケだから、当然オレなりの考えを返してやるしかないんだ」

Hは決して冷たい人間ではないし、むしろオレよりも人情深い人間だと思う。
しかも、彼の言動はすべて彼自身のゆるぎない自己哲学に基づいているという意味で“正しい”し、誰も批判否定などできない。

しかし、オレがもし病気になったら人から優しい言葉をかけてほしいし、
どこかが弱っている人間に対してHのような言葉はなかなか発せられない。

オレはそんな自分を、やっぱり甘いなー、などど思いつつ、
そろそろ酔いも冷めてきたのでこの辺で筆を置くことにするが、人の優しさ、冷たさ、甘さ、等々って定義づけというか線引きするのが難しいよね。
結局、「オレはオレ、お前はお前。生まれ持った感覚や感性特性が人それぞれ根本的に違うってことだね」
なーんて有り体な言葉で片づけようとしてしまったりするオレだが、それこそ「おいちゃん、それを言っちゃーお終いよー」の世界だな。

そうそう、こんな会話を繰り広げていたバーのスピーカーからは、オレらのリクエストでマスターがかけてくれた吉田拓郎の昔のレコードの曲がずっと流れていた。

「♪越えて行けそこをー 越えていけそれをー 
今はまだ人生をー 語らずー」

うん、ほんと、人生を語るにはまだ早すぎるよな・・・。

本日、論旨不明瞭&脈絡ない文章であいすみません。寝ます。

★今日の格言: ネンネは家で飴でもしゃぶってな!
Tue, October 11, 2005 posted by obaragoroku

■ささやかな幸せ

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「食」は人を幸せにする、と思う。

休日の午後、いつものようにジムで汗を流した帰り道、家の近くの大型スーパーへ。
久々に家で料理でもしようと思い、ゆっくり時間をかけてカートを転がしながら店内を物色。

ちなみにオレは傍から見るといわゆる“生活感のない人”らしく、たまにスーパーなどで知り合いにバッタリ会ったりすると、「えー、小原さんも買い物なんてするんですか!? それにしても買い物カゴが似合いませんねー(笑)」などと言われる。

いちおうオレもフツーに買い物します。
というか、スーパーでの買い物って、けっこう好きな方だと思う。

今日は何食べようかなー? と考えながら、適当にカゴの中に食材を放り込んでいく。 セロリ、ほうれん草、オクラ、アボカド、納豆、豆腐、ワカメ、冷凍カジキマグロ(広告の品)、ハマチの切り身、生かき、黒豚の細切れ、豆乳、瓶詰めバジル・・・。

それからもちろん、ビールとワイン!
あと、家に帰ってすぐに喰えるつまみとして、惣菜コーナーでコロッケとチキンの唐揚げ。

しかし、スーパーで一人買い物してる時って、生活の中で感じる侘びしさランキングのナンバー3位に入るな・・・、などと思う。

家に帰って、まずは空っぽの冷蔵庫に買ってきた食材を詰め込む。

食材で満たされた冷蔵庫を眺める瞬間は、日常生活の中の幸せランキングのかなり上位に入る。 なんとなく、パァーっと家の中が明るくなったような、暮らしが豊かになったような気がするのだ。

早速ビールを開けて、コロッケをつまみに一杯。
これまた至福のひと時・・・。

次にワインを開けて、チビチビ飲みながら本格つまみの制作開始。
最近家で料理をするときは、食事と言うよりほとんど“つまみ”になってしまうのだが、一人で飲みながら自分の食べたい物をサクッと調理して食べるのって、けっこうハッピーランキング上位に入る。

テレビをつけると、太宰治の生活を描いたドラマ(トヨエツが太宰役)をやっている。
(どうでもいいことだが、豊川悦司演じる太宰はちょっと太宰っぽくない気がした。実際の太宰はもう少し甘ったるい男だったと思う。この太宰はややトゲトゲし過ぎる)
テレビの中のトヨエツ太宰が知人に向かって言う。「侘びしいときは、いつでも訪ねてき給え」。

一人でいても、恋人と一緒にいても、家庭を持っても、人の人生の大半はやはり“侘びしい”のだろうか。人生は、侘びしさを埋めるための刹那の幸福感の積み重ねなのだろうか。

そんなことを思いながら、一週間で最もメランコリックな時間帯である休日最後の夜は更けていくのだった。

★今日の格言: 食は大抵の人間を幸せにする。女は確実に男を幸せにするが不幸にもする。



▲空っぽの冷蔵庫は気持ちを侘びしくさせる。

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▲冷蔵庫が食材で満たされると部屋の空気も変わる・・・。
Thu, October 06, 2005 posted by obaragoroku

■京都で無の境地

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この間の日曜日、京都へ行ってきた。

前日の土曜日、最近コンサート・プロデュースの手伝いをしているシャンソン歌手Kの名古屋公演があり、コンサート運営の手伝いに名古屋まで行ったついでに、土曜の夜名古屋から京都まで足を伸ばしたのだった。

ここ数年、京都へは毎年1回のペースで遊びに行っているが、毎回新たな発見がある。

今回印象に残ったのは、世界文化遺産にも登録されている「龍安寺」の石庭。
禅の世界を体現したというこの有名な石庭を眺め、しばし無の境地とやらにに浸る。
というか、正確には、浸った気分になった(笑)。

“無の境地”なんて、そう簡単に到達できるものではない。

一緒に行った友人Hと二人で庭を眺めながら、こんな会話。

H「この庭のどこがいいんだろー? オレにはよく分からん」

オレ「この庭に、いいとか悪いとかの価値基準自体を持ち込んではいかんのでは?」

H「いい悪いの評価が無意味だったら、じゃあ何も見ないで眼つぶってればいいじゃん」

オレ「それじゃ意味ないじゃん」

H「この庭も、意味不明ってとこがスゴイのかなー?」・・・・

これぞまさに禅問答?

森羅万象、その物事の“意味”を考えてみると、よく分からない事が多い。
人生の意味、生きることの意味、自分が存在することの意味とは?・・・。
結局そんなこと考えたって意味はないのだ。きっと。

話変わるが、祇園の一角に「たんぽぽ」という小さな喫茶店がある。
なんと御年100才!になる女将さんが一人でやっている店で、一杯300円のすっごく美味しいコーヒーを淹れてくれる。開業は昭和22年だとか。

このおばあちゃんに、もし「なんで儲けにもならない一杯300円のコーヒーを60年近くもの間出し続けているのか?」と、その意味を訊ねても、おそらく「意味なんてあらしまへん」と笑って答えるんじゃないかなー?

たんぽぽ。京都へ行った折にはぜひ一度お立ち寄りを。

★今日の格言: 「世界の一切は空。一切は意味的諸関係によって存在している」(大乗仏教の根本思想より)



▲龍安寺の石庭。人によって見える石の数が違うという。



▲「吉兆」で豪華会席を食す。相反するようだがストイックかつエピキュリアン(享楽主義者)的な生き方がオレの信条。

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