故郷~Pサイド~ | 大神Blog

故郷~Pサイド~

ども。
稲葉です。

やっと『神木村ライフ』書き終わりました。
ちょっと一安心。でも、次はメルマガの原稿締め切りが・・・(笑)

さて。
昨日の神谷のネタをパクって、僕も自然と故郷について書いてみたいと思います。

僕の故郷は石川県金沢市。
日本海にフックのように飛び出ているタテ長の県で生まれ育ちました。
金沢市は県の中心地ではありますが、僕が生まれ育った場所は街の中心部から
外れており、ちょっと自転車をこげばすぐ海に行けるような場所でした。
まあ、漁師町のようなところではありませんが。

僕にとっての『自然』というのは、まず海をさします。
砂浜と海。それが僕が幼い頃から慣れ親しんだ自然です。
夏の爽やかな波打ち際の音色や、冬の厳しい白波の音色。
春は穏やかな明るい青色にそまり、秋はくすんだ鈍色にそまる。
朝焼けにそまる海辺は宝石よりも綺麗ですし、
夜に見る海とは、暗闇の中の波音でしかありません。
日本海は、実に表情豊かな海です。

食卓に上るのも日本海で捕れた魚で、本当に本当に美味しい魚を食べてきました。
そのせいか、僕は都会(東京や大阪)で食べる魚を美味しいと思えません。
どれだけ良いものであっても、金沢で食べる魚に劣ります。値段だけは高いくせに。
(大阪に出てきてどうしても我慢できないのはこの点です)
それは、思い入れもあるのでしょうが…やはりとれたての地の物に敵うものなど
ないということなのでしょう。

僕の自宅から、海の反対方向へと進むと中心街にでます。
海へ行くのも、中心街へ行くのもちょうど同じくらいの時間です。
なので、『子供の頃は田舎町で育った』という思いは今でもありません。
まわりは田んぼだらけではありましたが、溢れるばかりの大自然を感じながら
育ったわけでは無いのです。

でも、金沢という街には歴史と自然が確かにありました。
爆撃にさらされず、大規模な街区整理が為されてないため
小路地と起伏のかたまりのような街です。
古い物は古いまま残っている、自然に人の手と心がほどよく入れられた空気感が
そこには確かにあったのです。

それが様変わりしたのは、数年前。
神谷の故郷のように開発が進んで…というわけではありません。
NHK大河ドラマ「利家とまつ」が放映されて注目を浴びたころに観光客が
急増しました。
それに伴い、風俗業者が大量に流入してきたのです。
金沢という街は繁華街ではあっても歓楽街では無く、街が良識をもって
自主規制をしてきたのです。
それが、いまは見る影もなく汚れてしまいました。
便利になったわけではなく、単に汚れているのです。

僕は街に帰るたびに、魂の変質を感じます。
そこに僕が感じていた『土地の空気と共存していた感覚』は
どんどん薄れていってます。非常にさみしいことです。
自然が少なくなってゆくよりも、怖いと思います。
魂が汚れてしまった土地の自然に、人が癒されるのでしょうか?
少なくとも、僕は新宿の緑には癒しも憩いも全く感じません。
3Dの映像となんら変わらないと思ってます。

僕が故郷に帰るのは、年に1回あるかないかです。
でも、帰りの道中は高速道路から必ず海辺に立ち寄ります。
そういう、自分の原点を確かめるような行為を何故かしてしまうのです。

汚れつつある金沢の中心街とは対照的に、日本海の存在感は全く変わりません。
四季と時間によっていろいろな角度から見えるその表情は、自分の原点です。
それを感じたときに、故郷があって良かったなあ…と思います。
自然がある故郷で良かったなあ、と。

僕が大都会で育っていたら『大神』の草案に魅力を感じなかったかもしれませんし、
神谷が山に囲まれた土地で育っていなければ『大神』の表現もまた変わったものに
なっていたかもしれません。
そんなのも、また作品にとっての巡り合わせなのでしょう。

では、また!