Sat, June 25, 2005

声の温度 【Little Birds -イラク戦火の家族たち-】 綿井健陽 [日本'05]

テーマ:映画 〔日本:21世紀〕
littlebirds0 ヴィデオジャーナリストの綿井健陽は、バグダット市内へ侵攻してくる米軍の戦車を映し出しつつ、この作品の冒頭でこう呟く。「なんということだ」 彼は“日本人”という、もはや敵国人となった属性を引きずることで幾度となく罵声と蔑視を浴びながら、それでもイラクの人々の側に立ち、ひたすらにカメラを回し続けていく。
 3歳と5歳と7歳の子供を失った父親は、自宅に隠し持つAK47を構えてこう言い放つ。「この銃は、いつかアメリカ兵を撃ち抜くためにある」
 
 もしそこに大量の油田が存在していなかったら、アメリカはそれでも“解放のため”イラクへ侵攻していたろうか。もし中央アジアからパキスタンへ抜けるパイプラインが通す計画がなかったら、アフガニスタンの大地を放射能で汚す真似をしたろうか。理不尽な襲撃により自分にとってかけがえのない人を奪われた男のいくらかは確実に、残りの人生をただ復讐のためにのみ費やすことになるだろう。それが正常な人間の反応だ。愛し愛された人を殺されてなお、仕方のない犠牲だった、よくやってくれたと拍手を送る人間などいるものか。
 映画“Little Birds”は、そのようにして己を憎む敵を自ら生んでいくことで利益を得る人間たちが好き放題に世界最強の軍隊を操ってあることの悲劇を、その悲劇を実際に背負う羽目に陥った人々の側に立って映し出した類稀な作品だ。爆発による破片を片眼に深く埋め込んだまま、カメラに向かってはにかむ少女(画像右上)。片手を失った息子を傍らに、代わってやりたいと泣き叫ぶ母親。敵国人である綿井に殴りかからんばかりで迫る激昂した若い医師を無言で取り抑える、自らもまた家族や知人のいくらかが死傷しているに違いない周囲の大人たち。これらのシークエンスには、記号化され平準化されたニュース映像からは決して伝わってくることのない種の真実が宿っている。

 戦争に苛まれるイラクの人々の表情は、メディアを通じてもう嫌というほど接してきたし、そこに一筋縄ではいかない矛盾がどれだけ潜んでいるのかということも、なんとなくそれで誰もが知った気分になっている。巷間にはそうした雰囲気が確かにある。ほんとうのところ自らが日々働いて納めている税金が、他国の国債やら思いやり予算やらを通じて“同盟国”への軍事支援に役立って、どれだけの無実の人々の命を奪い、笑顔をなくすことに費やされているのかということを、この国の大人たちのほとんどは心のどこかで知っている。“自己責任”とは、都合の悪いことに対しては目をつむってあることだ、ということすらもすでに社会的なコンセンサスをとっている。
 なんとすばらしく平和な国の、いと心地よき映画館の座席に身を沈め、私たちはこうして素朴に涙することだってできてしまう。この国に生まれ育ちこの最低に幸福な生活を享受できる運の良さを、いったい私たちはいつまで安住し噛みしめていられるだろうか。


"Little Birds" by 綿井健陽 [+撮影] / 安岡卓治 [製作/編集] / 102min / 日本 / 2005 K's cinema ☆☆☆
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Sat, May 21, 2005

自治と学 【泥ウソとテント村】 新田進 [日本'04]

テーマ:映画 〔日本:21世紀〕

  “泥ウソとテント村”は東大・山形大で起こった学生自治寮の廃寮反対闘争をテーマとしたドキュメンタリー映画。

 東大駒場寮、山形大自治寮のどちらもが結局機動隊を導入する騒乱を経て潰されてしまうのだけれど、山形大学の方はそののち自治寮の学生たちが山形大学当局を訴えた『泥棒はウソのはじまりだった』国家賠償請求裁判へと至る。


 大学当局による強制執行や山形大学によるスパイ行為露見のシーンなど、絵的にも見応えのある箇所が思いのほか多かった。
 大学側の関係者がもっぱら冷酷無情の鉄面皮で描かれるなか、元東大教官でかつて自治寮を長く支援してきた人が出演するシーンは、目先ではなく大きな視野で現在の狭量に陥った教育状況を批判する言葉が逐一説得力があり、よろしい。映画的にも静かなクライマックスの一場面として良く機能していた。


 このドキュメンタリー映画は主に二つの見方ができると思う。一つはスタンダードに学生による社会運動を追いかけた記録映画として、ことの顛末を追い事実確認の糧とする見方。もう一つは、学生たちの成長を描いたビルドゥングスロマンとしてその行く先を追う見方。

 後者の見方を採った場合、東大の学生たちが寮建物の強制排除後、同じ敷地内に自ら設営したテント村のエピソードや、山形大学の学生たちが追放後新しい寮に入れてもらえず、自分たちで共同生活を始めるエピソードなどに感動を覚えることになる。琉球新報への掲載記事に載った、「テント村の建築法は、大学当局によりバリケードを作るために介入した施工業者の技術を盗み、敷地後方のテントに行くに従い上手くなっていく」というある建築評論家(五十嵐太郎か?)による記事が紹介されたりする。

 実際に監督や映画中に登場する二人の“最後の”両学生自治寮委員長とも知り合い話した。その顛末についてはそのうち同行した主人が書くんじゃないかな。きっと書くかな。いやどうかな。



泥ウソとテント村 -東大・山形大 廃寮闘争記- ” by 新田進 / 日本 / 2004 / アテネ・フランセ 2005年5月7・14日上映 ☆☆

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Sat, May 14, 2005

見る左翼 【レフト・アローン [第二部] 】 井土紀州 [日本'04]

テーマ:映画 〔日本:21世紀〕

karatani  新左翼の展開を回顧的に描くドキュメンタリー映画“レフト・アローン”、後半の第二部は日本における60年代の学生運動の顛末を離れ、毛沢東、ゲバラ、ファノンを駆け抜けてより現代に軸足を傾けていく。

 

 絓との対談のなかで、柄谷行人は地域通貨とくじ引き制社会制度の有効性を唱え、津村喬は現下の社会におけるオウム的危うさを述べ、早稲田大学サークルスペース移転闘争を戦う花咲政之輔はスーパーフリーの若者たちへ部分的理解を示す。それらはいずれも今を焦点に置いた語りで、もっぱら回想に終始した第一部とはかなりムードの違うものになっていた。


 最後に松田政男が、みんな死んじゃったからね、とつぶやいていたのがもの悲しい。これは必ずしも寿命による死を意味せず、むしろ精神的な死を言っているのだろうと思う。

 
 

レフト・アローン [第二部]” by 井土紀州 / 絓秀実, 柄谷行人, 津村喬, 花咲政之輔, 松田政男 / 109min [第一部:93min]  / 日本 / 2004 / アテネ・フランセ 2005年5月14日上映 ☆

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Fri, May 13, 2005

語る左翼 【レフト・アローン [第一部] 】 井土紀州 [日本'04]

テーマ:映画 〔日本:21世紀〕

leftalone11

 絓秀実が中心人物として描かれる。現在進行形で語られる早稲田大学でのサークルスペース移転阻止闘争と、松田政男、西部邁、柄谷行人らを相手どり交わされる、かつての闘争。あの時代は何であったか。いまはどういう時なのか。絓秀実は本屋の評論棚で時々見る人、西部邁は朝生の常連、柄谷行人は難しいこと言うのが好きな人、くらいにしか知らなかったし関心も持ってこなかったので、彼らが自分の生きた経験を語る言葉は新鮮だったし、花田-吉本論争(花田清輝と吉本隆明による文学論争)や学生運動の離合集散のプロセスを追いかけたシークエンスなどもよく知らなかったことが多く、ためになった。たぶん。(詳しいあらすじは[作品HP] を参照のこと)

 

 だが監督の井土紀州がこの作品で何をやりたかったのか。そこがいまいち、伝わってこなかった。傲慢にもニューレフト(新左翼)正史のようなものを描く試みを意図したわけではないことは、西部邁への異様なほどの同情的視線と、それとは対照的にドライな柄谷行人への扱いからもよく分かる。ではこの映画は要するに絓秀実による“左翼運動紀行の旅”なのかと考えても、その割には絓秀実本人の思想が語られなさすぎる。彼を案内役としたルポタージュとして見ても、最もリベラルな生き証人としての松田や絓よりさらに後発の鎌田との討議を別にすれば、社会潮流の動きに即したバランス・シートをうまく維持できているようにはとても見えなかった。(つまりそのようなものとしては意図されていないらしい。)

 


レフト・アローン [第一部]”  by 井土紀州 / 絓秀実, 松田政男, 西部邁, 柄谷行人, 鎌田哲哉 / 93min [第二部:109min] / 日本 / 2004 / アテネ・フランセ 2005年5月7日上映 ☆

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