lostintrans ソフィア・コッポラの映画はどこか捉えどころに欠けてみえる。その捉えどころのなさはときに、ガーリッシュとか癒し系などという、いかにも無粋な言葉たちにより彼女の作品が掬い上げられてしまう原因になっているようにも思うのだけど、あたしが彼女の映画を好む理由もまたしかとそこにある。

 この作品はタイトルの示す通り、周囲の人や環境と主人公たちとの文化の差異や距離の開きが引き起こす内面の葛藤に焦点が当てられているのだけれど、そこで扱われているのが飽くまで“communication gap”であって、“disscommunication”ではないところはこの映画のミソになっている。
 沢木耕太郎が劇場での公開時前後に朝日新聞で、この映画を「日本人への視線にいやな感じを持った」としてどちらかといえば酷評していて、それはこの映画への一般的な評価においておそらく一方の側を代表するものではないかと思うのだけど、おそらくこのミソの部分を彼(と彼ら)は取り違えて観てしまったんじゃなかろうか。

 孤独感にまみれた主人公の視点を通して映し出される新宿や銀座の夜景のもつ温度はたとえばウィンターボトムのそれを想起させる巧さがあるし、ここで描かれる日本人たちの醸す可笑しさに感じるものはハリウッド映画一般にありがちな無意識的蔑視のそれではなく、むしろピーター・チャンによる傑作映画“甜蜜蜜”(邦題『ラヴソング』, 香港, 1996)に描き出される、ニューヨークの‘オラが天下’的な白人たちを映しだす眼差しの優しさに近い。
 そこにしっかりと温度や優しさが感じられるのはたぶん、それらギャップの存在などほんとうはどうでもよいことで、表現の質を決める要素になどなりえないという制作者の思惟が作品の基底に流れているからで、この映画ではラストのワンシーンがそれまでのストーリー展開すべてに確とした輪郭を与える鍵として仕掛けられているのだけれど、捉えどころもないままに、その仕掛けのみがすんなりと功を奏してしまうように全体を配するソフィア・コッポラの技量はやはり、しばらく目が話離せない。


Lost in Translation” by Sofia Coppola / Bill Murray, Scarlett Johansson / USA+日本 / 2003 シネマライズ 2004年セザール賞外国語映画賞 [過去blogより移行] ☆☆
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