明日の私 -2ページ目

明日の私

愚痴の多いナースです。

ちょっとここで愚痴こぼしたら

明日はまた笑顔になります・・・・。

きっと。たぶん。おそらく。

(;´Д`) どうだろ?

心臓の手術の時は
術者が3人ぐらいいるので
スクラブナース(器械出しナース)他
同じ部屋のスタッフらには術野が見えにくい

室内の天井に設置したカメラで術野を写し
その画像はテレビモニターに映される

人工心肺離脱直前の
今まで動きを止めていた心臓が
徐々に動き始める瞬間を見るのが好きだ

再生し、力強く拍動し始める心臓を見ると
未だ見たことがない自分の心臓の事を思う

生まれて今まで
ずっとずっと休むことなく働き続けてきた自分の心臓にも
愛おしさと感謝の念が湧いてくる



私が産科病棟の新生児室にいた頃
コット(新生児用ベッド)に寝かされた
授乳もオムツ交換も終わった新生児達のうち
ひとりが泣き始めると
まるで伝播するように次々に新生児達は泣き出した

それはまるで
(・・、)(これから辛い人生が始まると思うと泣けてくるよ~)
と言っているかのようにも思えた

そんな時は
新生児室に設置してある羊のぬいぐるみの胸のスイッチを押す
そうすると
そのぬいぐるみから聞こえてくるのは
“ザー!ザー!ザー!”という音
深夜にテレビ放送が終わって
画面が「砂の嵐」になった際に聞こえてくる
ザーザーした音が断続的に聞こえるような音

これは
新生児がまだ母胎にいる頃
羊水に浮かびながら聞いた
母の腹大動脈の音だ
それを聞くと
さっきまで大泣きしていた新生児達は
泣きやんでスヤスヤと眠り始める

きっと母の胎内では
この音から(生まれてきなさい そして生きていきなさい)という
母からのメッセージを受けていたのではないかと
私は勝手にそう解釈している
胎内で受け取ったメッセージに応じて
しっかり生きる覚悟をしてこの世に生まれてきたことを
思い出して腹をくくって
(。・・。)(。. .。)(とりあえず今は眠って体力を温存しようぜ!)
新生児同士がテレパシーを送りあってる図を想像したりした( ̄m ̄〃)



数年前から 年に数回であるが
朝 目覚めると
どうしようもない虚無感を感じ
動揺してオドオドしてしまう日がある
夢見が悪かったのか
それともホルモンのバランスが崩れているのか
その理由はわからない
そんな時
私はいつも聴診器で(私の私物はドイツのリットマン社のパープル♪)
自分の心臓の音を聴く
いつもより少し早めの心音を確認すると
深いゆっくりした呼吸をしながらまず息を整え
メトロノームの錘を調節するように
心拍数を整える
(ちなみに呼吸数:心拍数の比は1:4)そうすると
不思議と気持ちが落ち着いてくる
“ドクッ ドクッ ドクッ”という音に
生きてる自分 生きようとしている自分を
イメージさせられる

ヒトと抱き合っている時も
私はそのヒトの
胸壁に耳をあてて心音を確認したり
頚動脈やソ径動脈の拍動を
指で感じたりする
きっと
相手に知られたら嫌がられる妙なクセだ
(._.;)

血の通いあうヒトと
いつか私の心臓がその動きを止める日まで
力強く生きていきたいなと思う今日この頃・・・

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壁|ヽ(* ̄・ ̄)y-゚゚゚ナースらしくナイチンゲールの話をします。

フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820年5月12日 - 1910年8月13日)は
イタリアのフィレンツェ(英語名フローレンス)生まれのイギリスの看護婦、
統計学者、看護教育学者。近代看護教育の生みの親。
あまり知られていないが病院建築でも、非凡な才能を発揮した・・・。


なにせ両親の3年間の新婚旅行中にイタリアで生まれたというナイチンゲール
(; ̄ー ̄A どんなお嬢様やねん!
でも、このお嬢様の存在がなければ、今日の私たちは存在しなかったのかも・・( ̄ヘ ̄;)

そしてそして看護師なら誰でも一度は必ず!!
卒業式なり戴帽式なりで「ナイチンゲール誓詞」を暗唱した経験があるはず。

「ナイチンゲール誓詞」

われは ここに集いたる人々の前に 厳かに神に誓わん
わが生涯を清く過ごし
わが任務を忠実に尽くさんことを
われは すべて毒あるもの
害あるものをたち
悪しき薬を用いることなく
また知りつつこれをすすめざるべし
われは わが力の限り わが任務の標準を
高くせんことを努むべし
わが任務にあたりて
取り扱える人々の私事のすべて
わが知り得たる一家の内事のすべて
われは人にもらさざるべし
われは 心より医師を助け
わが手に託されたる人々の幸のために 身を捧げん


(゚ーÅ) ホロリ いい誓詞だねぇ・・・!
(* ̄- ̄)でも今、暗唱しろったって無理!

壁|ヽ(* ̄・ ̄)y-゚゚゚・・でも、これって別にナイチンゲールが作ったんじゃないの
誰が作ったかっていうと・・

ナイチンゲール誓詞は、1893年(ナイチンゲール73歳の時)
アメリカ合衆国デトロイト州のハーパー病院のファランド看護学校の校長
リストラ・グレッター夫人を委員長とする委員会で
ナイチンゲールの偉業を称え、
その精神を基として看護の専門職業人としての必要な考え方、
心構えを示したものを基にして「ヒポクラテスの誓い」にならって作成されたものである。
看護学校の卒業式ではこれにより誓いをたてる。


(* ̄- ̄)ふ~ん 作ってもらって得したねぇ、ナイチンゲールぅ(←友達ちゃうけど)
(´ρ`)こうなったら「ヒポクラテスの誓い」ってのが気になりますね。
直訳ですが、なんかすごいです。

医の神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイア、および全ての神々よ。
私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。
この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、
自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。
師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、
また医の規則に則り誓約で結ばれている弟子たちに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、
害と知る治療法を決して選択しない。
依頼されても人を殺す薬を与えない。
同様に婦人を流産させる道具を与えない。
生涯を純粋と神聖とで貫き、医術を行う。、
膀胱結石に截石術を施行はせず、それを生業とする者に委せる。
どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、女または男と情交を結ばない。
医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。
この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう!
しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう



(* ̄- ̄)ふ~ん 外科否定 内科重視ってのがわかりますねぇ・・。
「どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、女または男と情交を結ばない」が
わざわざ誓約されてるところが、ヒジョーに怖いですが、なにせ時代が時代です。
ヒポクラテスっていつ頃の人かって言うと・・

ヒポクラテス (Hippocrates, 紀元前460年 - 紀元前377年) は古代ギリシャの医者。
エーゲ海のコス島に世襲制の医者の子として生まれた。
各地で医学を学んだ後、コス島の医学校の指導者となり、多くの著書を残す。
彼の功績で最も重要なことは、原始的な医学から迷信や呪術を切り離し
科学的な医学を発展させたことである。
この業績から「医学の父」と呼ばれる。
また医師の倫理性と客観性を重んじ
これは「ヒポクラテスの誓い」として現在まで受け継がれている。


(; ̄ー ̄A 紀元前・・・・。

医学の父と看護の母は、なんて年が離れているんでしょう!!( ゜Д゜)


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今日は、夜8時から明朝までの夜勤なのですが
健康診断を受けに朝から勤め先に行ってきました。

病院で行う病院職員の健康診断なのに
ちゃんと検診のための業者が入ります。(不思議でしょ?)(^_^;)

今朝、検診受付を行っていると
「あ、今日は全て女医さんになってますから」と
当院の専任リスクマネージャーさんに言われました。

なぜ、こんなことを言われるのかというと・・
話は昨年、夏の検診の時に遡ります。

検診は通常、
体重測定⇒検尿⇒採血⇒血圧測定⇒内科検診という運び。
その最後の内科検診は、会議室の隅っこに
カーテンで仕切られた小部屋を作って行われます。

私の時の検診医は、中年男性
明らかにズラ・・・。('〇';)しかもズレてる!
唖然としていると
「はい。上全部脱いで。ブラジャーもとって」
と言い、ぐいぐいと自分のイスを近づけてきて
私の両膝は、その医師の股間にしっかり挟まれました。
∑(⌒◇⌒;) (ひぃぃぃ!膝先になんか当ってる~!!)
オマケに聴診器の当て方が変で、右手首を妙な曲げ方しています。
胸のどこに当てても、なぜか医師の右手小指側の側面は
私の乳首にあたっています。
ΣΣ┗(|||`□´|||;;)┛(なんじゃ!こりゃぁぁぁ!!)

・・・・・Σ( ̄⊥ ̄lll)コレってやっぱりセクハラ?
慌てて衣服を身につけカーテン部屋を出ました。

次に控えていたのは、普段から仲良しのS医師
外で見ていて、カーテンの下から見える足の位置が
あまりにも近いからと不審に思っていたようでした。
「オレが終わるまで、ちょっと待ってて」
と、彼はカーテン室に入りました。すると・・・。
あっという間に出てきました。
「あれ?どしたん?」
「オレには聴診器も当てなかった。なんかアイツ変じゃなかったか?」
「う・・ん。実はね。カクカクシカジカで・・・。」

S医師は、時々妙に熱血漢になるヤツで、その後
しばらくカーテン室のソバに張って
検診後の女性職員から話を聞いていた模様。
((-。-;)自分の仕事はいいのか?Sよ・・。)

その日の午後、ワタシは突然事務長室からお呼び出しがかかり
行ってみると、事務長・庶務課長・専任リスクマネージャーが揃ってました。
「S医師から報告を受けました。あなたが今日の検診医から受けた
セクハラ行為を具体的に教えてください」
Σ(- -ノ)ノ エェ!?
「(゚o゚;;いや、えっと、私じゃなくって他のもっと若い人に聞いください・・
だってぇ・・40過ぎのオバちゃんがセクハラだって騒ぐのは、なんか恥かしいじゃないですか!
しかも、騒いでないしぃ!」
そしたら事務長ったら
「いえ、若い子は、そういう話するのも恥かしいでしょ?」
(((((¬_¬) なにっ?

そんなこんながあり
本日の検診医は全て女医さんだったのです・・。

(-。-;)女医さんになったのは嬉しいけど、気分は微妙ーー・・。
きっと、セクハラされたと大げさに騒いだ張本人って思われてるんだろうなぁ・・。

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「愛の選択」
 白血病患者の看護人として雇われたヒラリー(ジュリア・ロバーツ)と
 富豪の息子で10年の闘病生活を送るヴィクター(キャンベル・スコット)の物語です。
 
 これ以上苦しい治療をしたくない、ヴィクターは、人間らしい愛ある暮らしを求めて
 治療を中止したことを告げずに、ヒラリーと田舎で暮らし始める。
 雇い主と看護人という関係を超えて、愛し合った二人だが
 愛する人に看取られて、病院以外で死にたいと願う男と 
 延命治療をせずに愛する人が死にゆく姿を見たくないと思う女

 人が病気で亡くなるストーリーを観ると、私は無条件で泣けてしまう。
 ストーリーにのめり込むというわけではなく、私が実際に、最期を看取った人々を思い出して泣けてしまう。
 「眠りにつくまで足を摩ってほしい」と言って、私が足を摩り始めると「夜になると昔のことをたくさん思い出すのだよ」と話しながら、確かに自分の最期が近づいているのを予感していたOさん。
 長いこと嘔気が続いて食事が取れなかったのに、「今日は、ご飯が美味しいよ!」と、体調が少し良いことを喜んで話した翌朝、息を引き取ったMさん。
 あまりにも大勢の人の名前や顔が次々にフラッシュバックしてきて、映画の筋も何もなくなって、涙が止まらない。

 辛かった人たち。辛いのに弱音吐かずに最期まで頑張った人たち。
 もっと早い時期に、病院の外で、自由な日々を楽しまなくて良かったのですか?

 「愛と死を見つめて」のミコも、『もしも願いがかなうなら、病院の外に、自由な日を3日間だけください』という文章を書いた。健康だと何気ない自由な日々が、ミコの切望だった。

 闘病生活を送る人を、看ている側はたしかに辛い。家族で、血のつながりがあるからこそ、辛くて悲しくて看ていられないし、出来る限りの延命治療をしたいと思うだろう。
 でも、自分に残された日々があとわずかだったら、病院で一日でも長く生きることと、少しその時が早まるかもしれないが、家で過ごすことと、どちらを選ぶだろうか。
 家族は、普段からこのような事柄を、もっと話し合って、お互いの望みを承諾しあっておくべきではないかな?
 どうかな?

タイトル: 愛の選択


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私のナース歴は、かれこれ20年近くになる。
その歴史は、関西の、とある市立病院の産婦人科病棟から始まった。

それは卒後2年目か3年目の頃のこと。
ある日、三人目の出産を明日に控えた産婦さんを担当した。
偶然にも、私と同じ苗字であったので、初対面からとても話も気も合った。

「私ね、上の2人が女の子だったから、子供は2人までが精一杯だと思っていたけど、どうしても男の子が欲しくてね。それで3人目頑張ったの。」
と明るく話す快活な女性。 でも何となく3人目の性別は判っている様子。 無事に生まれたのは、とても可愛らしい女の子。でも、お母さんは落胆してはないだろうか。。

私の心配をよそに、三女を抱っこしたお母さんは、「この子が一番顔立ちがいい」とニコニコ顔。
当時はまだ、「跡取りの男児」を産まなければ、嫁としての立場がないだのと、おっしゃる方もおられたので、そんな人たちのように、せっかく授かって、辛いお産にも耐えたのに、自分を責めて暗くなる事がありやしないかと心配したのだが、そんな心配は無用だった。
精一杯、愛され育まれる子供になるであろう、その新生児を、私も7日間の入院中に、幾度も幾度も抱かせてもらった。

産後5日目の日に交わした会話である。
「看護婦さん、お名前聞かせてくれる?」
「私ですか?チカです。」
「漢字でどう書くの?ご両親は、どんな願いを込めたの?」
 
私は、伊藤博文の千円札が発行された2日後に生まれ、やはり男の子を期待されていたから、両親は「博文」という名前しか用意してなくて、危うく、まんま「博文」にされそうだったことをお話した。
「まぁ、この子と同じような状況やったんねぇ。この子も、生まれる前は、男名しか用意されてなかったんよ。」
「やっぱり。私、このベビーちゃんとは、初めてあった日からシンパシー感じてたんですよ。」
なんて調子よく話していた。

退院の日、上2人のお嬢さんやご主人と共に、私の元へ挨拶にきてくれた時に、見せられた母子手帳の『児の名前』欄には、私と同じ名前が。苗字も一緒だったので、まったくの同姓同名が書かれていた。
 「承諾なしで、ごめんね。あなたのような子に育てるわ。入院中、よくしてくれてありがとう。」と最後まで明るい笑顔を残して退院された (私の方こそありがとう。。)と、声に出したかったのに、なぜか言葉が詰まってしまった。

あれから十数年経った今でも
嫌なことがあって仕事を投げ出したくなる時
人に対して投げやりな態度をとりそうになる時
怠けたいとか、サボりたいとか、楽して儲けたいとか考える時
どこかで健やかに美しく育っているであろう、同姓同名ちゃんの事を思い出し、『この子の名を汚さぬよう生きよう』と思い直すことができる。
いつかどこかでお会いできたら、私の心の支えになってくれてありがとうと、お礼を言いたいな。

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「誇りを持ちたい」と願いながらも
これが結構難しいものです。

看護師という仕事は傍から見れば
「人の役に立つ仕事」と見えるようですが
本当にそうだろうかと思うことばかりです。

看護の役割とは
健康の保持・増進、機能の維持・向上、
そして安らかな死を迎えるための援助など

とくにまだ年若い看護師たちは、
人生のターミナル期の患者を受け持つと
その患者の死によって大きなショックを受け
自分の無力さにぶち当たることが多いようです。

もう20年近く看護師をやっている私でも
時々、「医療」を受けるということが
本当にこの人の為になるのだろうか?
と疑問に思うことがあるのです。
私は現在オペナースですし
病院という箱の中で看護師をするには
必ず「医療」とセットになるため
私のやってることって・・・と思うことも度々なのです。

特に、手術をする決心をようやくして
開腹してみたものの
癌の進行が思ったよりも進みすぎていて
手の施しようがなかったために閉じてしまう手術。
だったら・・。わざわざ麻酔や身体にメスを入れるなどの
侵襲は避けた方がよかっただろうに・・と思ったりします。
ですが、「家族」の強い希望とやらで
(おそらく手術すらしなかったと後に後悔したくないのではないでしょうか?)
わざわざ開けて、閉じての手術となった場合、
その患者さんが退室した後の、血で汚れた手術台や床を掃除する時
役に立たなかった手術器械を洗浄する時
とてつもなく虚しい気持ちになります。
また、自らが強く「告知」を望んだという患者さんが
手術後に「告知」を受けた後
自殺されたりすると・・・。
なぜ死に急いだんだろう?
なぜ?と考えずにいられません。

人の生き死にを見るたびに
生きることを意味を考えます。

私はどんな生き方を望んでいるのか
どんな最期を迎えたいのか
この仕事を続けていいのだろうか
なんて・・・・。

ε- (´ー`*) フッ

ちょっと疲れているみたいなので
早めに寝ます・・。

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