侵害裁判における真逆の判決 | 知財アラカルト

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平成28年(2016年)10月31日東京地裁29部判決
平成28年(ワ)15355号 特許権侵害に基づく損害賠償請求事件

原告:ヤクルト本社、デビオファーム
被告:日本化薬

 本件は、被告の製剤は原告の保有するオキサリプラチン製剤(白金製剤、抗がん剤)特許の構成要件を充足ないから、侵害しないとして被告の主張が認められ、請求棄却となった事件に関するものです。

 なお、本件とは別個に、同様な事実関係において、先に差止訴訟が東京地裁に提起され、こちらは平成28年3月3日に判決されていたのですが、本件事件の判断とは真逆で、構成要件を充足するから、侵害を構成すると判断され原告の請求が認容されています(本ブログでも平成28年3月30日にご紹介:http://ameblo.jp/nsipat/archive1-201603.html)。同じ東京地裁でありながら(担当部門は違うが)、半年ほどの間に真逆の判断が示されたことは、非常に珍しいと思います。
最高裁HP:http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail7?id=85728

(1)事件の概要
①原告の特許権(特許4430229号)
 本件特許は、発明の名称を「オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法及び使用」とするものであって、次のように分説される発明に関するものです。
1A オキサリプラチン,
1B 有効安定化量の緩衝剤および
1C 製薬上許容可能な担体を包含する
1D 安定オキサリプラチン溶液組成物であって,
1E 製薬上許容可能な担体が水であり,
1F 緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,
1G’ 1)緩衝剤の量が,以下の:
  (a)5×10(-5乗)M~1×10(-2乗)M,
  (b)5×10(-5乗)M~5×10(-3乗)M
  (c)5×10(-5乗)M~2×10(-3乗)M
  (d)1×10(-4乗)M~2×10(-3乗)M,または
  (e)1×10(-4乗)M~5×10(-4乗)M

  の範囲のモル濃度である、
<1H’ pHが3~4.5の範囲の組成物,あるいは
1I’  2)緩衝剤の量が,5×10(-5乗)M~1×10(-4乗)Mの範囲のモル濃度である,>組成物。

但し、<>内は、未確定訂正発明が含む構成要件。以下、<>内構成要件を有しない発明を本件発明1、<>内構成要件を有する発明を本件訂正発明1などという。
②被告製品
 被告各製品は,いずれもオキサリプラチン及び水を包含し、クレーム範囲のモル濃度であるシュウ酸が検出されるが,かかるシュウ酸は外部から添加されたものではなく、オキサリプラチンが溶液中で分解して生じたシュウ酸イオン(解離シュウ酸)である。また,被告製品のpHの値は,3~4.5の範囲にある。
③争点
1)構成要件充足性
  ア 被告各製品は構成要件1B,1F,1Gを充足するか
  イ 被告各製品は構成要件1Dを充足するか
2)無効理由の有無
  新規性欠如、進歩性欠如、サポート要件違反、実施可能要件違反

など。

(2)裁判所の判断
 裁判所は、被告各製品は構成要件1B,1F,1Gを充足するかにつき、概ね下記のように、被告各製品は当該構成要件を充足しないと判断しました。
1)「緩衝剤」の意義について

 a (本件明細書、特許請求の範囲、技術常識などに基づき) 本件明細書が,「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」を従来技術として開示し,これよりも,本件発明1の組成物は「生成される不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体が少ないことを意味する。」と記載していること,解離シュウ酸は,オキサリプラチンが溶液中で分解することにより,ジアクオDACHプラチンと対になって生成されるものであること,本件発明1の発明特定事項として構成要件1Gが限定する緩衝剤のモル濃度の範囲に関する具体的な技術的裏付けを伴う数値の例として,本件明細書は,添加されたシュウ酸又はシュウ酸ナトリウムの数値のみを記載し,解離シュウ酸のモル濃度を何ら記載していないこと,本件明細書には,専ら,「緩衝剤」を外部から添加する実施例のみが開示されていると解されること,請求項1は,「シュウ酸」と「そのアルカリ金属塩」とを区別して記載し,さらには「緩衝『剤』」という用語を用いていることなどをすべて整合的に説明しようとすれば,本件発明1における「緩衝剤」は,外部から添加されるものに限られるものと解釈せざるを得ない。
 すなわち,本件発明1は,専ら,オキサリプラチン水溶液に,緩衝剤として,シュウ酸又はそのアルカリ金属塩を添加(外部から付加)することにより,オキサリプラチン溶液中のシュウ酸濃度を人為的に増加させ,平衡に関係している物質の濃度が増加すると,当該物質の濃度が減少する方向に平衡が移動するという原理(ルシャトリエの原理)に従い,結果として,オキサリプラチン溶液中におけるジアクオDACHプラチン及びジアクオDACHプラチン二量体などの望ましくない不純物の量を,シュウ酸又はそのアルカリ金属塩を添加(外部から付加)しない場合よりも,減少させることを目した発明と把握するべきであり,そのように把握することにより,初めて,本件明細書の段落【0031】が「本発明の組成物は,オキサリプラチンの従来既知の水性組成物よりも製造工程中に安定であることが判明しており,このことは,オキサリプラチンの従来既知の水性組成物の場合よりも本発明の組成物中に生成される不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体が少ないことを意味する。」と記載していることや,本件明細書には,シュウ酸又はシュウ酸ナトリウムを,構成要件1Gが規定する数値のモル濃度だけ,オキサリプラチン溶液に「添加」する実施例のみが開示されていること,さらには,本件明細書に開示された実施例において,解離シュウ酸の量を明記していないことや,他の不純物の量から解離シュウ酸の量を推計することを示唆する記載すらないことなどを整合的に説明できるのである。
 また,オキサリプラチン溶液に,緩衝剤として,シュウ酸又はそのアルカリ金属塩を添加(外部から付加)して得られたオキサリプラチン溶液組成物は,これを添加しないオキサリプラチンの従来既知の水性組成物よりも,ジアクオDACHプラチン及びジアクオDACHプラチン二量体などの望ましくない不純物の量が減少するから,客観的構成において異なる(すなわち,「物」として異なる。)ことになるということもできる。
 b 他方で,仮に,本件発明1を上記のように解することなく,原告らが主張するように,解離シュウ酸であってもジアクオDACHプラチン及びジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止し又は遅延させているとみなすというのであれば,本件発明1は,本件優先日時点において公知のオキサリプラチン溶液が生来的に有している性質(すなわち,オキサリプラチン溶液が可逆反応しており,シュウ酸イオンが平衡に関係している物質であるという,当業者には自明ともいうべき事象)を単に記述するとともに,当該溶液中の解離シュウ酸濃度として,ごく通常の値を含む範囲を特定したものにすぎず,新規性及び進歩性を見いだし難い発明というべきである。すなわち,本件優先日時点において,例えば,濃度が5mg/mLのオキサリプラチン水溶液が公知であった(乙1の1)。そして,当該水溶液中のオキサリプラチンが分解して解離シュウ酸が生成されることは,その生来的な性質であり(本件明細書の段落【0013】ないし同【0016】参照),シュウ酸が平衡に関係している物質であることも同様であるところ,種々の条件下である程度の期間保存された濃度5mg/mLのオキサリプラチン水溶液中には,解離シュウ酸が存在し,その量が,5x10-5M以上となることが多いことが,乙13の3試験,甲20試験(「5x10-5M」として,有効数字を1桁とする以上,「4.86x10-5M」又は「4.94x10-5M」も,「5x10-5M」とみて差し支えない〔乙12参照〕。),乙32試験及び乙37試験の各結果から,さらには,本件特許権に係る原告デビオファームの延長登録出願の願書(乙33)の記載から認められる(なお,上記認定は,上記各試験が乙1の1実施例の追試として妥当であるか否かはともかく,少なくとも,公知の組成物である濃度5mg/mLのオキサリプラチン水溶液において,解離シュウ酸のモル濃度が5x10-5M以上となることは,ごく通常のことであると認めるのが相当であることを指摘したものである。)。そうすると,公知の組成物であるオキサリプラチン水溶液中に存在し,同水溶液の平衡に関係している物質である
シュウ酸イオン(解離シュウ酸)に,「平衡に関係している」という理由で「緩衝剤」という名を付け,上記のとおり通常存在しうる程度のモル濃度を数値範囲として規定したにとどまる発明は,公知の組成物と実質的に同一の物にすぎない新規性を欠く発明か,少なくとも当業者にとって自明の事項を発明特定事項として加えたにすぎない進歩性を欠く発明というほかはない。
 c したがって,本件発明にいう「緩衝剤」には,オキサリプラチンが溶媒中で分解して生じたシュウ酸イオン(解離シュウ酸)は含まれないと解するのが相当である。

2)小括

 被告各製品は,構成要件1B,1F及び1Gをいずれも充足しないから,構成要件1Dの充足性を検討するまでもなく,被告各製品は,本件発明1の技術的範囲に属しない(なお,付言するに,本件訂正発明1の技術的範囲にも属しないことが明らかである。)。


(3)コメント

①本判決では、本件発明のシュウ酸緩衝剤は外部から加えられたものであると解釈され、その解釈の下、被告各製剤のように、有効成分(オキサリプラチン)の自然分解物である解離シュウ酸が当該製剤中に存在しても、それは本件発明のシュウ酸緩衝剤ではないと判断され、非侵害と認定されました。個人的には妥当な判断ではないかと思います。

 一方、本事件とは別個に、同様な事実関係において、原告・被告もほぼ同じで、同じ東京地裁(こちらは民事46部)に差止請求が本件特許権者(デビオファーム社)から先に提起されていたのですが、こちらは半年ほど前の3月3日に判決が下され、解離シュウ酸も本件発明のシュウ酸緩衝剤に含まれる本判決とは真逆の解釈がなされ、被告各製剤は侵害を構成すると認定されました。

 担当部門(裁判所)ないし担当裁判官が異なれば、同じ事実関係等でも判断が異なることは、理論的にはあり得ても、現実に目にすることは殆どないだろうと思われるところ、実際にお目にかかりましたので、少し驚きました。差止請求を先に争い、差止訴訟勝訴後などに損害賠償請求が行われることはありますが、損害賠償請求でも被告の侵害が認められ勝訴する場合が多いように思われます。

②本件は当該特許権の侵害に基づく「損害賠償請求事件」であり、先の事件は当該特許権の侵害に基づく「差止請求事件」ですから、訴訟物が異なり、別個に裁判を提起することができます。

 一般には、差止と損害賠償とをセットで請求することが多いと思います。別個に請求すると二度手間になりますし、そのリスクは低いとは思いますが本件のように逆の判断がされたら困るからです。本件では時間差で別個に請求されています。先に差止請求を行い、侵害論の結着を優先させています。その理由として、差止請求のみだと訴訟費用(印紙代)を安くできること、差止請求で勝訴すれば、現実的には損害賠償請求の侵害論でも侵害と裁判官は心証を形成するだろうから、損害賠償請求でもほぼ確実に勝訴が得られうること、無効審判を請求されていれば、特許庁審判官の有効心証に有益であることなどが挙げられると思います。逆に敗訴すれば、藪蛇になりますが。

 本件が、当該特許の無効審判請求も含めて、どのような思惑(訴訟戦術)で別個に請求されたのかは分かりませんが、稀に起こりうる、差止請求での侵害判断とは異なる判断が損害賠償請求事件で示されてしまいました。

③今後、両方が知財高裁に上がれば、そこで統一された判断が示されるのではないかと思われます。なお、当該特許の無効審判も請求されており、その審決も知財高裁に上がっているようですので、それも含めて統一された判断が示されるかもしれません。

 

以上、ご参考になれば幸いです。