脳血管撮影誕生の話 エガス・モニスを知っていますか?? | ある脳外科医のぼやき

ある脳外科医のぼやき

脳や脳外科にまつわる話や、内側から見た日本の医療の現状をぼやきます。独断と偏見に満ちているかもしれませんが、病院に通っている人、これから医療の世界に入る人、ここに書いてある知識が多少なりと参考になればと思います。
*旧題「ある脳外科医のダークなぼやき」

前回、脳血管撮影についての記事を書きました。




その後、


実際に検査を体験されたことのある皆様から、




多くの実体験のコメントをいただき、ありがとうございました。




確かに、脳血管撮影は決して楽な検査ではなく、


患者さん本人にかなりの負担を強いる検査です。




術中は造影剤が流れるたびに、造影剤の流れるサイドに灼熱感を感じますし、


ずっと同じ体制のまま検査中動けません。




しかも、術後も止血のために4-6時間は検査をした四肢を伸ばしたままの体勢でいなければいけません。




止血のための圧迫は通常翌日まで続きますし、


これら全て含めると、かなり大変な検査です。




今では3DCTAという検査で、CTを使って脳の血管の情報が十分に得られるため、


この血管撮影が検査として行われることは減っていくと思います。




しかし、それでも、


血流がダイナミックに見えるというメリットと、




選択的に血管を選んで造影できるというメリットがあることは事実なので、




脳外科の一部の病気では今後も必要な検査として残り続けるでしょう。




それでは、本題ですが、


今回はこの脳血管撮影誕生の話を書こうと思います。








脳血管撮影創始者、エガス・モニスの壮絶な話です。




エガス・モニスはポルトガル人で初めての神経学教授となった人ですが、




教授としての仕事以外にも、国会議員として、外務大臣として、駐スペイン大司、


ヴェルサイユ条約特命全権大使、などなど政治家としての顔もあり、




まさに異能の人物です。




彼が脳血管撮影を開発したのは政界から足を洗って、


神経学に専念してからです。




しかし、


この人が有名なのは、




脳血管撮影によるものではありません。




脳血管撮影の創始者であるのに、


それを上回るインパクトの業績があったためです。




それは、


前頭葉白質切截術の開発です。




通称、ロボトミーと呼ばれ、後には悪魔の手術と呼ばれる手術です。




主に統合失調症などの精神科疾患の患者にたいして行われ、


具体的には前頭葉を破壊し、患者を安静化させるというものです。




以前に当ブログ上でもロボトミーに関して、取り上げているので、


興味のある方は↓をどうぞ。




http://ameblo.jp/nsdr-rookie/entry-10602844719.html




ちなみに、この開発でエガス・モニスは、


ノーベル賞まで受賞しています。




すっかりエガス・モニスと言えば、ロボトミーで有名になっているのです。




しかし、


今回紹介する通り、エガス・モニスは脳血管撮影の生みの親でもあります。






脳血管撮影成功までの道のりも決して楽なものではありませんでした。




元は脊髄髄液腔内造影という検査からヒントを得て、


X線装置で脳血管を造影する方法に着手したモニス博士ですが、




最初の4例はどれも失敗しています。




これはうまく血管内に造影剤を注入できなかったためと言われています。




現代の造影剤ですら皮下に漏れてしまうと、


炎症が起き、最悪皮膚に潰瘍ができます。




1920年代の当時、


造影剤の皮下漏れはおそらく、現代よりも重篤な症状を残したと思いますが、




その詳細は分かりません。




そして次の5例目は直接頸動脈に造影剤を打ち込むことにしました。




これは当時もちろん初の試みであったため、


放射線科医が全て帰ったあとにこっそりと行われたそうです。




弟子の脳外科医リマにやらせたと伝えられています。




頸動脈を露出させたということは、


首の皮膚を切ったということなので、患者にしたら相当な侵襲です。




直達法と言いますが、


現代のカテーテル法の比ではありません。




しかし、


これも失敗しました。




こんなことを現代でやって失敗したら、


大問題どころではすまないでしょうね。。




それでもモニス博士はあきらめません。




続けて6例目も同様の方法で行ったようです。


このとき、初めてモニス博士は脳血管の造影に成功します。




世界で初めて脳の血管がX線フィルムに写し出されたのです。




このときモニス博士が喜びに狂喜乱舞したかは知りませんが、


その喜びは相当なものだったでしょう。




しかし、




この患者さんはその8時間後に亡くなってしまいます。




何が原因かは分かりませんが、


そのとき使われていた 22% lithium carbonate という造影剤が原因だったのかもしれません。




この事故の後、


さすがにモニス博士も精神を病み、リカバリーするまでに2週間近くの時間を要したといいます。




それでも、


不屈の魂で自らを励まし続け、再チャレンジを行いました。




自分が脳血管撮影に成功すれば、


腫瘍の場所をよりはっきりさせることが出来、手術の成功率を飛躍的に上げられると信じていたからです。




CTのなかった時代なので、


脳腫瘍の場所を診断するには症状からの推察しかなかった時代です。




脳血管撮影が実現すれば、


唯一の画像診断ツールとなりえた時代なのです。




そして造影剤を 22% iodide sodiumに変えて行った脳血管撮影で、


ついにモニス博士は成功します。




1927年6月28日のことでした。




患者は脳腫瘍の20歳の若い患者さんだったと言われています。




そしてその後の7月7日に彼は脳血管撮影を発表し、


絶賛されるのです。




以後、1933年には世界最初の脳動脈瘤がNorman dottの手で撮影されるなど、


脳血管撮影は全世界に広がります。




モニス博士の不屈の信念が、


尊い犠牲を払いながらも、脳血管撮影を生みました。




新しい事を実現させるというのは、


かくも大変なことですね。




しかし、


この時代だからこそ許されたということもあるでしょう。




現代の日本では、新しいことをやろうとして、


犠牲者を出してしまった場合、




その医者は二度と同じチャレンジはできないかもしれませんし、


方法が正しかったとしても二度と誰も行えなくなってしまうかもしれません。




そういった意味で、


昔と比べると進歩のスピードは遅くなっているのかもしれません。




さて、


このモニス博士、80代まで生きるのですが、




晩年の生涯も壮絶です。




60代の頃に自分の患者に拳銃で撃たれ、


脊髄損傷となってしまいます。




患者に拳銃で撃たれる、


想像したくもないですが、現実に起こった事件です。




そして、その後は麻痺をわずらいながらも、1955年に大往生されます。




エガス・モニスという異能の医者がロボトミーと脳血管撮影の二つを開発し、




後の医学に多大な影響を及ばした事は疑いようがありません。




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