悪口を言うことは、「自分が低い」ということなのです。自分のほうが低いのであれば、相手に対して悪口を言うどころか、お詑びをすべきです。
だれかを「きらいだ」と感じることは、自分が低いからです。すなわち、罪が深いからです。相手に責任があるのではありません。自分に責任があるのです。相手が悪いのではなく、自分の低さが問題なのです。低いことが罪なのです。弱いこと、誤ることが罪なのです。それを、詑ぴるべきなのです。

 

『生きている教育』より
 

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人に愛されるには

テーマ:

人は、どのような人を好きになり、どのような人を愛するのでしょうか。それは、自分に利益を与え、自分に喜びを与えてくれるものに対してです。
ですから、人から愛されたかったら、人から好きになってもらいたかったら、自分を他のために生かすことを考えればよいのです。自分を他に捧げることを考えるべきです。私たちの修養、修行、訓練、教育など、すべての目的は、他に協力し得る、他に捧げ得る自分というものをつくることにあります。

 

『生きている教育』より
 

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真の栄養力

テーマ:

真の栄養力は少し食べて、それを完全に消化吸収することのできる体の働きであって、生体は適応作用によって、常に多食していると多食しなければならなくなり、美食していると美食しなければ間に合わないような身体ができあがってしまうのである。そしてたとえ同じ物であっても、体の働きの整っている場合は栄養となり、乱れている場合は毒になる場合もあるのである。消化し易い物ばかり食している場合は、消化し易い物ばかりを消化する胃腸となってしまう。また身体自身が造り出すようをものを薬物で補給していると身体自身は造り出すことを怠けて、造り出さないようになってしまう。
 

『人間を改造するヨガ行法と哲学』より

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皮膚の異常を正す

テーマ:

皮フの異常を正し、美しくするコツは心の平静、血の浄化、排他、血行の四点を完全にすることです。
食生活は酸性食と過食、偏食を徹底してやめることです。食物の種類は、中和力、排泄力を高めるために、ビタミン、ミネラル(カルシウム、ナトリウム、ヨードなど)の多いものや、低脂肪、低デンプン質のものを食べることです。皮フ病のとき一番早く根本的に治す方法は断食することですが、それができなければ、玄米と野菜食を中心とした自然食を実行することが必要です。
生活は、普段から、薄着、水浴または温冷交互浴(湯には塩、イオウ、酵素、ぬか、果汁、野菜汁を入れるとよい〉、日光浴などにより、皮フを丈夫にすると共に、運動を怠ってはいけません。汗も積極的に出します。
動きの面では、後述の皮フを美しくする修正法を行って、歪みを正します。
また、生活がすさむと肌はあれてしまいます。化粧は、皮フを本当に内側から美しくしてからするのが、健康的方法です。
肌は、寝ている聞に浄化されますから、眠る前には、排泄をすませ、リラックスして楽しい気持ちで眠ることが必要です。
精神的に美しい人は、肌もきれいになります。

 

『やせるヨガ美療』より

皮膚の異常の原因

テーマ:

皮フの異常は、血液が酸性化し濁ることと、有毒物、不要物に対する中和力、排泄力の低下が原因になります。うっ血して血液成分中の水液が血管の外ににじみでて、できもの発疹の形をとったり、さらにパイ菌がついて化膿したものは皮フ病になります。その原因としては、食生活の誤り、姿勢の歪み、心の異常などが考えられます。
・・・

栄養素の過不足、腐敗食物の残留、過食、偏食による肝臓、腎臓、胃、腸の働きの低下している人は皮フの異常を起こしやすいのです。
特に、便秘は皮フの異常に限らず、万病の原因となっています。またビタミンやミネラル不足も原因となります。ビタミンは皮フと何らかの関係を持ち、ミネラルには毒物中和の働きがあり、特にカルシウムには皮フの抵抗力を高め、水液が血管の外ににじみ出るのを防ぐ働きもあります。
したがって、皮フを美しくするには、内臓から正し、中和力、排池力を高めることが大変重要です。皮フ病は内臓病、血液病、神経病のいずれかであると考えるべきです。

 

『やせるヨガ美療』より


 

栄養

テーマ:

栄養ということをたべ物それ自体と誤って考えている人が多いが、栄養は食べた物を吸収し、消化し、中和し、排泄する働きの中にあるのであって、いくら食卓に並べた食物その物にカロリーを含んでいても、それを自己化する力を持っていなければ、いたずらに食物を糞便化するのみで、そういう人は排泄までの中間過程で、その分解物が有毒化して障害を起こすことが多いのである。世の多くの人は食べることを栄養だと思っているようであるが、生体は必要以上には吸収できないようになっていて、いたずらな過食は老廃物をつくるのみである。しかもそれを中和する力を充分に持っていないときは自家中毒になって、神経と分泌腺の働きを阻害し、排他力が低下している場合は、排泄すべき物でも体内に蓄えておく秘結症を起して色々な障害を起す原因となるのである。
 

『人間を改造するヨガ行法と哲学』より

カルマ

テーマ:

習慣(癖)というのは無意識に一方に歪んで働く傾向である。われわれは意識してアンバランスをつくり出すのではなく、自己のうちに無意識に歪ませて働く傾向(条件反射)があるからアンバランスができてしまうのである。この意識的に気付くことのできない癖をヨガでは「業」〈カルマ)と呼んでいる。
この業は一方的刺戟のみを連続して加えるから条件反射としてできあがってくるものであるから、この癖をとるためには反対の条件、つまり、刺戟を与えなければならない。また、この癖をつくらぬためには常時リズミカルな交互刺戟を与えるように心掛けねばならない。ヨガではこの業癖のない状態をアカルマの状態、解脱というのであって、ヨガ行法ではこのアカルマの状態になる方法を心理・生理・解剖・環境の立場から八段階にわけて説いている。

 

『人間を改造するヨガ行法と哲学』より

健康法とは

テーマ:

健康法には、せまい意味と広い意味、および消極的方法と積極的方法とがある。せまい意味の健康カとは自然健康力であり、広い意味の健康力とは生活健康力である。
せまい意味の健康力、すなわち自然健康力とは、自然性維持能力が高いことである。それは、感じ、要求し、行動する能力が正しくて、良いものは良いものとして、悪いものは悪いものとして感じ、即座に反応し、常時自然性を維持回復する能力の高い状態のことである。
生活健康力はこの能力以外に、治病能力、体力、記録能力、精神力、技能力、生活力、人格力の全部を合わせたものである。同一の訓練法をどういう方法で行なうかということによって、各能力の高まり方が違う。たとえば自然性維持の健康能力を高めるには、全身を平等に発達させて、体の各部分が相互に協力統一しあえる状態にする訓練が必要である。この観点からいって、健康法の本がたくさん出ているのに、なぜそれが健康法にならないかというと、それは部分的なものだからである。

 

『ヨガ総合健康法(上)』より

人間的健康生活

テーマ:

毎年発表される日本人の平均寿命が、年を追うごとに伸びる一方であるのは周知のとおりで、これを医学の進歩、保健衛生の向上の所産と考えれば、まことに喜ばしいかぎりである。しかし、これを人類の夢の実現への着実な歩みととるのは、いささか早計にすぎはしまいか。長生きをするにしても、ボケてしまった死にそこないの長生きであっては、全く意味がない。知性と人間性の啓発された長生きだけが、人間として価値のある長生きなのである。「健康」の問題にしても、やはり同じように、本能のみに頼った動物的生存、いいかえれば機械的生存としての健全さでは無意味であろう。創造進化を旨とした生き方ができてこそ、人間的な健康生活といえるのである。
 

『ヨガによる生きる喜びの発見』より

会社は、売り上げ成績至上主義という金銭中心の思想に則って動いている。社員はそれぞれ、賃上げ至上主義という金銭中心の思想に則って働いている。何もかもが、欲望と勘定に従って動いているではないか。これが、一言でいえば、西欧流の唯物思想である。そして現代の社会機構は、この唯物思想を土台に築かれたものにほかならない。
社会全般が、いかに唯物思想に貫かれているかを示すために、他の例を挙げてみよう。
教育といえば、おそらくほとんどの人が唯物思想から最も遠いものと思っているにちがいない。しかし、世の多くの母親たちが、子供の教育に何を求めているかを考えてみるとよい。「よい高校、よい大学に入って、よい職場に就職をしてほしい」と、すべての母親たちが口を酸っばくして子供を口説いているではないか。「よい職場」と彼女たちがいっているのは、要するに「よい給料をもらう」ことではないのか。ここでも、けっきょくは金銭中心の思想が根本にある。
もう一つ、この社会を動かしているのが心でも精神でもないことの証拠を挙げよう。さきに会社を動かしているのは売り上げ至上主義という金銭中心の思想であるといった。それでは、役所や官庁はどうか。確かに、役所や官庁には売り上げはない。したがって、官庁を動かしているのは金銭ではないが、ここもやはり物を中心に動いている。すなわち、役所や官庁を動かしているのは、書類以外の何ものでもなく、そこには書類中心の世界がある。Aの発言も、Bのアイディアも、すベては書類化されて、はじめて力をもつのが、役所や官庁なのであり、ここも一般の企業と同様、唯物思想に貫かれた人間不在の世界なのである。

 

『ヨガによる生きる喜びの発見』より