2012-01-07

江戸中期の日本の姿/辻原登作・『花はさくら木』

テーマ:ダイアローグ@story

辻原登は、20年ほど前に芥川賞を受賞して以来現在まで、多様な作品群を世に問い続けている日本を代表する小説家だ。というより、文学者といった方が正確かもしれない。というのも、その文学的博学は極めて深く、東大の特任教授として世界文学の連続講義を行うほどだからだ。(その講義録は、『東京大学で世界文学を学ぶ』という名で出版されている。)


その辻原が比較的最近手がけた時代小説『花はさくら木』(朝日文庫刊)を読んでみた。
極めて簡潔平易ながらも、一貫して艶やかで美しい文章で描かれた、素晴らしい作品だった。



ダイアローグ・ドキュメント



■登場人物


舞台は江戸時代中期、18世紀中頃。元禄時代を経て、江戸文化も爛熟期を迎えようとする頃だ。
4人の主人公を軸に物語は展開する。


ひとりは、徳川将軍2代に渡って権勢を誇った老中・田沼意次。最後の女性天皇・後桜町天皇が即位する前の智子内親王。智子内親王の「親友」として登場する京都の豪商の娘・菊姫(※おそらく架空の人物)。さらにもう一人は、田沼の腹心で剣の達人・青木三保という武士だ(※これは架空の人物かどうか不明)。


田沼意次というと、我々世代の高校日本史では、汚職にまみれた悪政を展開した悪者と教えられた記憶があるが、現代では政治経済両面にわたって大胆に幕政を率いた有能な政治家との評価がむしろ一般的だろう。また本作を読むとわかるが、そればかりでなく、武士としての品格においても超一流の人だったようだ。
下級武士の子息から身を立て、最後は5万石の大名にまで上り詰める、まさに立身出世譚中の人物だ。


智子内親王は、最後の女性天皇ということからも分かるように、数奇な運命に翻弄された人だ。しかし、ピュアで人格聡明な女性で、その運命を真直ぐに受け止めていく姿が印象的だ。

菊姫は、京都の経済界を仕切っていたという設定の北風家の娘。姿が智子内親王と瓜二つという設定だが、北風家が雇っていた武闘団と共に育ったので、文化的教養と合わせて武術・忍術にも通じている。


青木三保は柳生流剣術を遣う若い武士で、田沼の信頼厚く、田沼が展開する策略を中心となって推進していく。
菊姫とは恋人同士だ。


このほかにも、智子内親王の母君である青綺門院や、当時の大阪経済のドンである鴻池善右衛門など、魅力的な人物が綺羅星のように登場して物語を彩る。



■物 語


当時の日本社会は、江戸幕府が支配する武家社会でありながら、その内実は巨万の富が集積する大阪商人の力によって動かされるようになりつつあった。当時の大阪の隆盛振りは、単に物質だけではない。堂島の米市場は既に先物取引が行われていた。そのコントロールには、西洋数学でいうところの微分積分、対数・指数関数レベルの技術が駆使されていたというから、文明の水準としての圧倒的な高さが分かる。


田沼意次は、この事実(大阪中心、商人の隆盛)に重大な危機感を持っている。しかし、優秀な田沼は商業の重要性はもちろん認識しているので、これを活かしつつ幕府支配の復権を図ろうと目論んでいる。


そこで発案された一大プロジェクトが、当時大阪・江戸で分かれていた通貨の統合だ。要するに、現代版の「ユーロ」をやろうとしていたわけで、その構想力の偉大さがここからも分かる。構想が偉大なだけに、その実現は極めて困難、大阪・京都商人達の猛烈な反発も見込まれた。

その商人たちの取り込みにあたって、田沼は巧妙に硬軟を使い分ける。最強商人の鴻池とは対話路線を貫く一方、膨大な不正取引に手を染めていた京都の北原に対しては断固たる武闘路線で臨み、最後は一族滅亡に追い込む。


単に経済改革であるのみならず、文字通りの権力闘争なので、必然的にそこには京都御所(天皇家)も絡んでく

る。当時の桃園天皇は幼少であるのみならず、不治の病の床にあり行く末が見えていた。そのため、御所を実質的に動かしていたのはその母である青綺門院だった。田沼は高い品格とコミュニケーション術を駆使して、たちまち青綺門院を取り込んでしまう。


一方で、腹心の青木三保らの武闘団を使って北原家の不正取引の実態や支配構造を探らせ、周到に敵を追い詰めていく。


以上のような権力闘争劇を縦糸にして、さらに横糸に青木と菊姫の恋物語等をふんだんに取り入れているところ

が、作者辻原の見事なところだ。


■印象の焦点


この小説の最も印象的なところは、当時の京都や大阪の風景、そしてそのにぎわいがまるで手に取るように鮮やかに見えてくるところだ。
最後のクライマックス、北原の武闘団との対決を進める一方で、即位を控えた智子内親王の大阪見物を田沼が護衛する一連のシーンは素晴らしい。
はじめて大阪の地を踏んだ内親王が、巨大な倉庫群が林立する運河を船で巡って、これも初めて大阪湾の海を眼にする。今の難波あたりで田沼達とふぐ料理の店でたらふく食事をする。また、一行からはぐれたことにする田沼の粋な計らいで人形浄瑠璃見物までしてしまう。
その内親王が新鮮な眼差しの見つめる街の賑わい、息遣いのひとつひとつが、まさに私たちの故国日本とそこで生きる人々のありのままの姿なのだった。
そして、そうした庶民の姿を、限られた僅かな時間の中で温かく見つめながら、内親王は来るべき即位への決意を固めていく。しかも、その確固たる決意の裏側には、武士田沼へのほのかな恋心さえ芽生えているというのに…。



そうした次第で、江戸の日本の風俗を生き生きと描きながらも、その社会的基盤をより強固なものにすべく奮闘

した武士達の活躍がダイナミックに展開する。一方では、絢爛豪華な皇族方の生身の心情が迫ってくる。
そのような物語にめぐり合えた幸福を、読み終わって感じないわけにはいかない作品だった。



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コメント

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2 ■katouさん

「年を取ると江戸時代が近く感じるようになる」、「若い頃過激な考えだった人間ほど早いうちに江戸思想に転向する」と言われます。
しかし、江戸時代に生み出された多くの文化や知恵は、日本の優位性を示してあまりあります。

1 ■無題

みたこともない時代の風景を自在に操る。
さすがプロの物書きです。
江戸時代、近いような遠いような世界です

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