2011-05-23

学者の存在価値/原発対応に見るその精神構造

テーマ:ダイアローグ@society

昨日(5/22)の朝は暑く、30度近くになっていた。
それでも、前日の土曜日も走っていないからと思い、暑い中をヘロヘロになりながら少々長めに走った。
その途端午後からにわか雨になり、見る見る気温が降下し、まさか15度にまでなるとは。
そんなことならもう少し待ってから走るんだった。


「もう少し待ってから」……といえば、待ったために注水不十分になった、地震直後の原発オペレーションがここ

数日盛んに指摘されている。
素人目にはこの議論自体さして重要とは思えないが、それ以上に気になるのが、菅政権に関わる多くの学者達の言動だ。



■学者的言動の特徴


今回「海水注入中止」を首相に進言したとして、原子力安全委員会の斑目春樹委員長が槍玉に上がっている。
斑目氏は、長年東大教授を務めた原子力工学の文字通り権威だ。


本人はTVインタビューに対して、「海水注入したからといって、それが臨界に至るなどと、原子力専門家である

自分が(そんな考えを毛頭持っていないのだから)言うはずがない」と述べていた。
ところが、震災直後の政府の議論の場に同席していた細野首相補佐官等は、テレビ番組の中で、「そのような発言をされたと自分は記憶している」と述べている。若い細野補佐官がそう記憶しているのだから、大筋で間違いはないだろう。しかも、今日になって当人も、「臨界に至る可能性がゼロではない」という発言をしたことを了承したという。
率直に言って、いいかげんな人だ。


ただ、それ以上に、彼の発言には、いかにも学者風の嫌味なスタンスが滲み出ている。
それは、発言の中に、自分が「専門家だ」、「その道の権威だ」という趣旨を、必ず交えるところだ。

これは、先日内閣官房参与を「抗議」の退任ということで一騒動起こした小佐古敏荘東大大学院教授にも、同じことが言える。
その「抗議」の内容は、たしか、「政府が避難基準に定めている放射線量(※年間20mmシーベルト?)の値が高

すぎる」、「自分がこれを認めたら学者生命は終わりだ」というようなものだった。しかも、彼はそれを言いながら、何を思ったか涙を流していた。
その時、見ているほうは感じたものだ。この人は、自分のこと(※学者としての立場)しか考えていないのだなと。


■では、一体何をやっているのか


まあ仮に、長年「象牙の塔」で暮らした人々が、その中での自分の立場に拘るのも、百歩譲ってやむを得ないとしよう。

そう、政権内での役割をきちんと果たしてくれるのなら、それでいいのだ。
では、斑目氏や小佐古氏は、政権のアドバイザーとして、今回の原子力危機に際して、一体何をやってくれたというのか。


まずは、斑目氏の場合。
震災直後の3/12午前中、福島第一原発を急遽視察した菅首相の乗ったヘリに、彼は同乗していた。
その中で、「総理、原発は大丈夫なんです。(原子炉は)構造上爆発しません」としきりに強調していたという。と

ころが、その直後の1号機建屋の水素爆発を皮切りに、3つの原子炉建屋はものの見事に爆発して吹き飛んだのだった。
仮にも国の原子力安全委員長である。
瑣末な発言の信憑性を巡って一々反論している暇があるなら、この危機をどう乗り切るべきなのか、そろそろまともな対策を提言してほしいものだ。


次に小佐古氏。
彼が涙の辞任表明をしたのは、震災からわずか1ヵ月半。福島危機がまさに正念場を迎えているそのときだった。

内閣官房参与である。しかも、彼が参与に就任したのは、震災後の3/16なのだ。何のことはない。これでは、就職した職場がいやになり、すぐに仕事を放り出す新入社員と同じではないか。
長年原子力工学や原子力の安全基準に関する研究をしてきたのなら、ここでその成果を社会に活かさなくて、いつ使うつもりなのだろう。

少々のことで受け入れられなければ、さらにデータや資料を工夫して、より説得的な提言を行うのが専門家の役目ではないのか。他に見解の異なる専門家が居れば、現実の危機克服という大目標を共有しながら、より適切な合意点を粘り強く探るのが一人前の社会人としての常識的態度ではないのか。
どうやら、そのようなことは、学者としての立場への固執の前には、たちまち霞んで見えなくなってしまうものらしい。


昔から「専門バカ」とか「机上の論理」とか、とかく揶揄されるのが学者で、一部にはそういう人は居ても、大半の学者は見識ある立派な人たちなのだろうと、昔は思っていた。
ところが、今回の原子力専門家達に限らず、工学とか経営学とか、現実に関与するいわば「実学」に携わる学者ほど、現実感覚の備わった気概溢れる人物にお目にかからないのは一体なぜなのか。

実学を学ぶうち、現実感覚のある人達は、実業分野に出て行ってしまうのか。残され専門家志望者は、現実逃避の中での保身を習慣にしてしまうのか。それを習慣にした者達が、その習慣に異を唱える志ある若者を排除しつづけているのか……。


そういえば、最近出版された藤原正彦の新刊・『日本人の誇り』によれば、米国が戦後日本に植えつけた「罪悪史観」、「自虐史観」(※「日本は中国、韓国を不法に侵略した悪い国だ」とか、「原爆で一般市民30万人を一瞬で虐殺した行為は、戦争の早期終結を目指したやむを得ない措置だった」とか)に異を唱える歴史学者は、戦後65年を経た現代でも決して大学の中で教授に任用されることはないのだそうだ。


ダイアローグ・ドキュメント


このようなおぞましい世界、どうか大学方面だけであって欲しいものだ。
(……というのは、きっと儚い願いだろうな)



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コメント

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4 ■ぼんびんぼうさん

ありがとうございます。
そうですか。でも、芸術方面の先生は、それでよいのでは? 問題は下手に「実学」とか社会貢献を気取っている人々でしょう。

3 ■無題

大学の常識、世間の非常識を痛感する今日この頃ですネ。

2 ■katouさん

ありがとうございます。
そう言えば、エイズ問題で名を馳せた血友病権威のA教授という人もいましたね。もうお亡くなりになったので悪口はいえませんが、あちらは学者ぼけに老人ボケも加わって、もはや手の施しようのない「症状」でした。
ご指摘の「自分の知っていることが、すべてで、正である。」というのもその通りなのですが、彼らの「習性」としては、現実問題に触れない、純粋理論だけを取り扱うというスタイルが、一種の「掟」のようになっているところがありますね。恐ろしいことです。

1 ■無題

原発事故への 学者の醜態 新しい切り口で興味深いです。
エイズ問題で、テレビでよく見た年老いた教授を思い出します
自分の知っていることが、すべてで、正である。原発事故は人災で、自分が関わっている責任感はないのでしょうか。かなしく情けないことです

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