2010-11-22

戦いの真実を突き詰める/『永遠の0(ゼロ)』(その1)

テーマ:ダイアローグ@story


百田尚樹の処女作、文庫本で600頁の大作だが、一気に2回読んだ。



ダイアローグ・ドキュメント


「宮部久蔵少尉」というゼロ戦のパイロットが、この小説の主人公だ。
小説なので、全部が実在の人物のエピソードではないだろうが、その最期の瞬間(※そのモデルと思われる人の最期の様子)を、以前NHKの特集で見たことがある。



■主人公・宮部少尉の最期


大東亜戦争も本当に末期の最期の1週間、とうに沖縄は米軍の手に陥ちていたので、南西諸島方面の海は、米艦船に埋め尽くされていたことだろう。
それでも、九州の鹿屋や知覧から、数少ない戦闘機をかき集め、技量未熟なパイロットを乗せて、日本軍は最後まで特攻攻撃をやめなかった。
米艦隊が海を埋め尽くしているからと言って、誰が攻撃しても弾が当たる、というようなことはもちろんない。
特攻隊が狙う空母の周りは、何重にも駆逐艦等の護衛艦が輪陣型に取り囲んでいる。それどころか、ほとんどの特攻機は、その護衛艦にも近づけない。その手前では、レーダーで特攻隊の接近を探知して、迎撃戦闘機部隊が2段3段構えで待ち構えていたからだ。
重い爆弾を抱え、すでに米戦闘機に大きく性能で劣っていたゼロ戦は、まるで蝿たたきのように撃墜されていった。

仮に戦闘機の迎撃潜り抜けたとしても、今度は艦隊の対空砲火が弾幕を張っている。すでに米軍は「近接信管」を開発済みで、弾が飛行機に命中しなくても近くに来るだけで爆発して飛行機は破壊された。
ところが、そんな中、1機の特攻機が米空母への体当たりを成功させる。
レーダーに補足されず、迎撃戦闘機部隊を回避し、さらに艦隊の弾幕を避けるため、その機は、何百キロの航路を危険を冒して海面すれすれに飛んできたと思われた。
空母のヨコ腹目掛けてまっしぐらに突っ込んでくる。
空母からは、何十門という砲や機銃から防戦の掃射が掛けられる。ところが、海面すれすれに飛ぶ飛行機には、近接信管が機能しない。海面を探知すると弾が破裂してしまうからだ。それでも、弾幕のように打ち込まれれば、近づくにつれて、やがては何発も命中し始める。弾は燃料タンクにも当たり、遂に特攻機からは炎が噴き出す。その命運も尽きたかと思われた瞬間、一転特攻機はふわっと海面から上昇し一気に反転する。そして、そのままの姿勢で空母上空に達すると、何と逆さ落としに空母飛行甲板に落下してきたのだった。
小説の全体を読むと分かるが、その旋回からの反転上昇運動の技こそ、中国での戦闘にはじまり、空母艦載機での戦い、ラバウル基地等南方での悲惨な戦いを生き抜いた歴戦のゼロ戦パイロットだけが身に付けた、日本航空隊の「秘術」だったのだ。
「宮部少尉」のモデルとなったパイロットは、特攻という必死の戦いの最期の瞬間に、しかも被弾し炎を吹き上げるゼロ戦を操縦して、冷静にもその秘術を駆使したのだった。


ダイアローグ・ドキュメント
 ※米艦船に肉薄するゼロ戦


この様子を目撃した空母搭乗員の誰もが自らの眼を疑い、これは人間技ではなく悪魔の仕業と信じたという。
ところが、運命は特攻機に残酷で、命懸けで運んできた250キロ爆弾は不発に終わり、空母は事なきを得る。
米空母の艦長は、日本軍パイロットの勇気に敬意を表して、翌日亡骸を水葬に付したという。

では、なぜその歴戦のパイロットは、かくも凄惨でしかも孤独な最期を迎えなければならなかったのか?
主人公の宮部少尉が、若くして海軍に入隊し、なぜかくも高度な操縦と戦闘の技量を磨き上げ、またいくつも過酷な戦いを生き抜き、そして最後の最後に南西諸島近海に散らなければならなかったのか?
彼の高潔な生き様を、さらにそこに分かちがたく絡みつく戦争という歴史的事実と並行して描くことで、その謎に挑むことがこの小説のテーマだ。



■主人公の高潔さ


宮部少尉という人物、簡単に言うと、「男として生まれたからには、このように生きたい!」と思わせる高潔さを持

っている。
生まれ持った高い知性、冷静で穏やかな人柄、「家族のために生き残る!」という単純で崇高な信念、仲間や部下への配慮と思いやり・面倒見のよさ、ゼロ戦パイロットとしての鍛錬を怠らず武人としても最強であろうとする姿勢、努力を決して他人にひけらかさない矜持、戦いに勝つため仲間を守るために時に垣間見せる一片の残酷さ、軽薄な噂話に動じない揺ぎ無さ……。
彼と深く接した誰もが、「この人のためなら死んでも構わない」と最後には思うようになる。
物語が進むにつれ、まるでたまねぎの皮がむけるように、宮部少尉の底知れなぬ魅力的な人物像が、だんだんど全貌を現してくる。しかも、ストーリーには細かい伏線が重層的に張り巡らされ、まるで実在の人格であるかのような説得性がある。



■小説の形式(※以下、徐々に「ネタばれ」あり。)


その孫である26歳の青年・健太郎の目を通して、小説は、絡んだ糸を解きほぐすように、あるいは複雑な立体に様々な角度から光を当てるようにして、宮部少尉の人生をひとつひとつ丁寧に探っていく。

主人公の末裔達がその祖先の人物像や生き様を探るという展開自体は、これまでいくつもの物語で採用されてきた手法だ。例えば、最近では、『プライベートライアン』や『硫黄島からの手紙』が、似た作りではあった。
ただ本作は、幾重にも織り込まれたテーマの重層性と奥深さ、そして主人公である宮部少尉という人物像の崇高なまでの高潔さにおいて、過去の同類の小説をまったく寄せ付けない水準に達している印象を持った。


一言で言って、見事な小説だ。


小説は、宮部少尉の孫である姉弟が、祖母の死をきっかけに健在の祖父が実の祖父ではないことを知り、ゼロ戦パイロットだったという実の祖父の消息を探るべく、旧軍関係者の生き証人達を訪ねインタビューしていく形式をとる。
関係者は、パイロット仲間だけでなく、整備兵、そして飛行訓練学校での教官時の生徒達にまで及ぶ。
「インタビュー」対象は計9名、そのひとつひとつが(小説なので)実に長い。
この小説の単行本での刊行は2006年だから、単純に考えてインタビューはその前年の2005年前後に行われたことになる。ちょうど戦後60年に当たる年。宮部少尉と共に戦った兵士達が80歳代中盤に差し掛かる時期だ。
中には、がんに侵された病床でインタビューに応じる形になっている人も登場する。
後5年構想・執筆がずれていたら、この物語はあるいは完結しなかったかもしれない。そのことからも、まさに書かれるべき時期に書かれた作品だ。


序盤真珠湾攻撃の歴史的事情に関する説明が始まったあたりでは、「要するにこれは、様々な参考資料から史実をかき集めた説明では?」とさえ感じたものだ。
だが、それは筆者の意図を実現するためのやむを得ない事情であることが、だんだんと分かってくる。
本作には、その裏のテーマとして、現代の若者世代と戦争世代とを何とかして切り結びたいという意図がある。姉弟が祖父の足跡を捜し求めるということそのものが、そのための設定でもある。さらには、宮部少尉、その人生の真実を描ききるためには、諸々の政治的社会的事情から現代史の真実を知らないことの多い若者世代と、まずは現実の情報を共有しなければならない。そのため、作者はインタビューを通じて証言者達に、自分が直接体験した事実(いわばミクロ情報)に加えて、背景にある国家レベルでの歴史的事実(いわばマクロ情報)をしつこいくらいに語らせている。
しかし、章が進むにつれてその冗長さはだんだんどフェードアウトし、作品のテーマそのものに焦点が絞られるような配慮を、明らかに作者は行っている。中盤、レイテ戦(かの有名な「栗田艦隊レイテ湾沖反転の謎」等)の説明が始まったあたりでは、読む側は「これは長いぞ」と一瞬構えたものだ。それが、ここでは、マクロ情勢はかなりあっさりして、むしろ全体の戦いを支援した基地航空機部隊の描写等に焦点が絞られていく。処女作とはいえ、放送作家出身の小説家ならではの構成力かもしれない。



■「個人と国家(または社会)」の扱い方


自分(個人)またはその周辺の家族に関わることと、自分からはかなり離れた国家や社会が直面する問題と、そのいずれが重要なのか。これは、古今東西普遍的な問題で、およそあらゆる文学作品のテーマになっている。
日々個人的な事柄だけに埋没していれば、もちろんこうしたことは考える必要はない。だた、多かれ少なかれ、一生のうちで何度かは、だれもがこの「個人と国家」に関わる“悩み”に行き当たるのも事実だろう。
多くの文学作品は、これを扱うとき、どちからに(多くは個人の心情に)に比重を置いた書き方になる。
例えば、『プライベートライアン』等はその典型で、結局その表題の通り、国家のために戦う者達であっても逃れることのできない個人的事情、個人的心情を中心に描いていて、その先に「反戦思想」を示唆してもいる。
純文学をはじめとする多くの文学作品の構成も、個人の悩みや葛藤の延長線上に国家や社会の矛盾を示唆する、大体においてこのパターンだ。


ところが、この「永遠の0」はちょっと趣向がちがう。
普通の小説が、「個人⇒社会」のいわば一方通行で終わるのに、この作品は、「個人⇒社会・国家⇒個人」というように、最後にもう一度個人に戻ってくる。
そのことで、家族への愛情や、仲間を思い信じる気持ちが、決して戦士として技量を高め、戦いを生き抜くことと別ものではないということ。さらには、個人の意思に反して愛する者と死別しなければならない運命や、それでも家族を思い続ける気持ちが、軍人としての使命を全うすることと決して同じではないまでも、一定の歴史的背景の中で時に大きく重なり合うこともありうるということが、その複雑な物語を通じて示されているように思える。
この社会・国家を経由して個人に戻ってくる筋立てがこの小説の実に見事なところで、そのドラマ性は読むものの魂を根底から揺り動かす力があった。


以下、ブログの制約が許す限りで、本作に積み重ねられたテーマのひとつひとつを拾っておきたい。



■登場人物達の揺れ動く心理、深まる謎


「祖父の足跡を辿る」インタビューを通じて、登場人物達の心理も激しく揺れ動く。
「祖父とは、一体どんな人だったのか」、最初はそれがまったく分からない。
最初に出会った片腕のない元パイロットの老農夫は、「やつはいつも敵から逃げてばかりいた。臆病者だ!」と罵る。姉弟は、自然の心情として祖父が残虐なコマンドではなかったとことを願っていたものの、逆に「勇士ではなかった」という証言に傷つく。

ところが、次に出会った日米開戦時の戦友は、「勇敢ではなかったが、極めて優秀なパイロットだった」ことを、詳

しい実体験と共に証言する。そして、何のために彼が「優秀」だったかというと、それは家族の元に生きて帰るという、当時の軍人としてはおよそ「非常識な」個人的目的のためだったのだ、と。
そこからは、臆病者とは180度異なる祖父の実像が垣間見えた。


そして、遥か南洋、ラバウル基地航空隊時代の「部下」に出会うことになる。
その元パイロットは、がんに侵され余命幾ばくも無い病床で、娘と孫までも同席させながら、渾身の力を振り絞って記憶の全てを伝えようとする。そして、宮部少尉は「優秀なパイロットであり、尊敬する上官であっただけでなく、自分の真の命の恩人だ」と言い切る。
すでにインタビューの途中で、姉・慶子の涙は止まらなくなる。それどころか同席していた証言者のちょっとひねくれた孫までもが、その物語のあまりの純潔さに最後には号泣してしまう。
これを契機に、姉弟は祖父の人生の全てを知り尽くそうと決意し、もともと姉からの頼まれ仕事に過ぎなかったインタビューを、弟の健太郎は主体的に進めるようになる。

だが、それにつれて、逆に宮部少尉にまつわる謎はどんどん深まっていく。
「なぜ、そんなに優秀なパイロットだったのに、(当時の軍人としては珍しい)家族のために死にたくないという考

えを持っていたのか」「そもそも、なぜ海軍に自ら進んで入隊したのか?」「絶対生きて帰ると妻に約束していたにも関わらず、そのために勇敢に戦い抜いたのに、最後の最後にどうして特攻隊を志願したのか?」
そして、特攻に5機の編隊で出撃するその時、宮部少尉は自分の教え子でもあった大石に、搭乗する機体を交換するように要求する。もともとの予定機はゼロ戦52型という新型、それに対して大石は21型という旧型に搭乗することになっていた。なぜ、わざわざ古い機種を選ぼうとしたのか?
そこには、「妻への約束」と命の恩人でもある大石への深い想い、さらには教官として死地に送り出した何人もの「教え子」達への贖罪の気持ちが、複雑に交錯していたのだった。

これが、作者が用意した本作最大で最重要の謎となっている。



■「妻のため、死にたくない」「家族のために、私は生き残る!」


真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦時の戦友のインタビューの最後に、健太郎は訊く。
2人は、ミッドウェー海戦で乗船していた空母赤城を、敵の急降下爆撃隊により目前で撃破され、甲板から飛び立たないまま無念の敗戦を喫したのだった。
「祖父は、祖母を愛していると言っていましたか?」
「愛している、とは言いませんでした。我々の世代は愛などという言葉を使うことはありません。それは宮部も同様です。彼は妻のために死にたくない、と言ったのです。…(中略)…、それは私たちの世代では、愛しているという言葉と同じでしょう」



■「絶対に生き延びろ!」「生き延びてまたチャンスを掴み、敵を倒すことが俺達の使命だ」


ラバウル時代の部下井崎は、宮部少尉に2度命を救われたという。


2度目は、ガダルカナル島付近に遠征した時の米軍戦闘機部隊との空戦時。宮部少尉は小隊長で、井崎はその2番機として従っていた。その時井崎は、宮部隊長から「やってはいけない」と釘を刺されていたにも関わらず、空戦中に敵機を深追いしてしまう。ターゲットを撃墜したものの、すぐに後方から狙われ、絶体絶命の危機を迎える。その時、さらに後ろから宮部少尉の援護に助けられ、九死に一生を得たのだった。
基地帰還後に礼を言うと、宮部少尉は語りかけた。
「いいか、井崎。敵を墜とすより、敵に墜とされないことの方がずっと大事だ。」
「はい」
「それともアメリカ人一人の命と自分の命を交換するか?」
「いいえ」
「では、何人くらいの敵の命となら、交換してもいい?」
「(ちょっと考えて)十人くらいならいいでしょうか」
「馬鹿。(笑って)てめえの命はそんなに安いのか…」
※すぐに真顔に戻って。
「たとえ敵機を討ちもらしても、生き残ることが出来れば、また敵機を撃墜する機会はある。しかし…、一度でも墜

とされれば、それでもうおしまいだ。」
「はい」
「だから、とにかく生き延びることを第1に考えろ」
死を覚悟した直後に言われたこの言葉は、井崎の心の底に、ずしりと響いたという。


「(妻子の写真を取り出し)辛い、もう辞めようと思った時、これを見るのです。これを見ると勇気が湧いてきます

。…(中略点)…。(※戦闘の連続で、まだ一度も顔を見たことがない)娘に会うためには、何としても死ねない」
そのときの宮部少尉の表情は、見たこともないほど恐ろしい顔だったという。


だが、井崎が宮部少尉の言葉の真意を本当に知るには、さらに次の機会が必要だった。
それは、小隊がガダルカナルでの長い戦いを終えて帰還する途中、不幸にも3番機の同僚の燃料が底をつき、不時着水の末死亡する事故が起こった。
その事故を悲観した井崎は、小隊長の宮部に対して、自分が同じ状況になったら敵に突っ込んで死なせてれるよう懇願してしまう。それを聞いた宮部少尉は、ただ一度井崎を怒鳴りつける。
「井崎!馬鹿なことを言うな。命は一つしかない。…、貴様には家族がいないのか。貴様が死ぬことで悲しむ人間がいないのか。それとも貴様は天涯孤独の身の上か。…、答えろ、井崎!」
「田舎に父と母がいます」
「それだけか!」
「弟がいます」
※その弟とは、10歳以上も離れた幼子だった。
「家族は貴様が死んで悲しんでくれないのか!」
「いいえ」
そう言った井崎の脳裏に弟の泣き顔が浮かび、その瞬間涙が溢れ出す。
「それなら死ぬな。どんなに苦しくても生き延びる努力をしろ」


そうして心に染みこんだ宮部少尉の「教え」は、その1年後、ラバウル基地から転属になった空母艦載機での戦いで生きることになる。
日本軍の圧倒的な劣勢の中戦われたマリアナ海戦で、井崎の搭乗機は燃料タンクを打ち抜かれ、絶体絶命に陥る。最早これまでと覚悟し敵機に体当たりしようとしたその瞬間、宮部少尉の言葉が頭の中に響き渡る。
「井崎! 貴様はまだ分からないのか」、と。
一転気を取り直した井崎は、追撃してくる米軍グラマン機から海面すれすれの飛行で逃れ、さらには燃料切れで不時着するも、グアム島まで自力で泳ぎ着いて九死に一生を得たのだった。


ダイアローグ・ドキュメント

 ※空母・翔鶴甲板上の零戦・21型機



■碁の達人/「一番の夢は、生きて家族の元へ帰ること」


戦闘と戦闘のつかの間、航空隊の飛行場の片隅で、整備兵達が暇つぶしに指すザル碁。
その中に、場違いにも、参謀の少佐が時々やってきていた。
ものすごい強さで、整備兵の中の一番強い者でも簡単に負けてしまうほどだ。
ある時、そこへ宮部少尉も見学していたことがあって、二人は一局指そうということになる。
この対局の行も、非常に印象的なシーンだ。


自信満々の少佐は、早指しで指し進める。
それに対して宮部少尉は、ゆっくり静かに碁石を置いてゆく。
ところが、中盤以降は少佐が苦戦のため長考に沈むようになる。
対局が終了し石を整理してみると、わずかに少佐の一目勝ちだった。
だが、それは宮部少尉がわざと負けたのだった。
そのことを悟った少佐は、もう1局所望する。
今度は自ら下手の黒石を引き寄せ、さらに盤上に2つ石をおいて、「これでお願いしたい」と言って。
結果は、中盤あたりで、少佐の突然の投了。まったく歯が立たないのだった。


対局が終わり、懇意にしている整備兵と二人きりになった宮部少尉は、自分の過去を語り始める。
15の時に父親の事業が破産し、自殺したこと。それから間もなくして母親も病死し、天涯孤独の身になったこと。そのためやむを得ず、海軍に志願入隊したこと。そうなるまでは、囲碁棋士の道に進むか一高に進学するかで悩んでいたこと。
そう、宮部少尉は、抜群の秀才だったのだ。
そして、次の一言を聞いて、整備兵は驚く。日本軍の軍人であれば、決して口にするはずのない言葉だったからだ。
「今の私の一番の夢が何かわかりますか」
「何ですか」
「生きて家族の元に帰ることです」
しかし、その時は軽蔑したその言葉の本当の重みを、整備兵は戦後自らが家族を持って初めて知ったのだという。



※長くなったので、つづきはまたの機会に。


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コメント

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1 ■無題

一度 読みたいと思っていた本です
極限の環境では、混沌の中に結晶のような、輝く はかないものが出るんでしょうね。
生ぬるい平和な世には、見られないような

2 ■katouさん

ぜひお読みください。
このように見事に伏線を張り巡らせた長編が書けるのは、日本ではホラーの貴志佑介くらいだと思います。最後まで魂を揺さぶられます。
芥川賞・直木賞受賞作が売れないのが、よく理解できます。

3 ■読みました。

昨年の年末、仕事仲間に薦められて読みました。
電車の中で、涙、涙 でした。
文庫化から1年以上も書店で仕掛けている商品で、書店員の熱意も感じますね。
もう一年になりますが、この作品を越える小説にお目にかかっていません。
nozomipapaさんの熱いブログに感動です。

4 ■naoさん

ありがとうございます。
naoさんも読まれたのですね。そうですよね。涙なしでは読めないですよね。
百田氏の作品は、その完成度も高いですが、登場人物がとても魅力的です。
戦記ものも、ぜひまた書いて欲しいです。

5 ■読みました。

先の戦争のとらえかたは、軍部主導の侵略戦争であり、戦闘員は被害者だったというものと、逆に指導部を含む全員を英雄視するか、極端なものが多いですね。この作品は、具体的な人物に焦点を当てることにより、それらの見方とは一線を画している点が新しく感じました。宮部氏の人格的な魅力に終始引き付けられ、ときに涙さえ浮かびました。素晴らしい小説を紹介頂き、ありがとうございました。

6 ■マギー大島さん

ついに読まれましたか。
「極端」は回避すべきですが、「絶対」は放棄すべきではないでしょうね。人生でも、仕事でも、恋愛でも。「あなたはあなた、わたしはわたし」、「人に迷惑をかけなければ、基本的に個人の自由」、「まあ、何ごともほどほどに」、「そんなに力まないで」……、このような思考を長年続けた挙句に結局はむなしくなる、これが今の日本の姿ですから。
百田氏の新作『錨をあげよ』は超大作ですが、「ゼロを越える感動」というのはどうなんでしょうか。

7 ■大感動

12歳のぼくでも涙を止めることができませんでした。「生きて帰りたい。」という思い。 彼こそが次世代に本当に必要なひとでは。 世界中の人に読んでもらいたい。                   2013年12月映画化

8 ■モデル

この小説に特定のモデルがあるとすれば、宮野善次郎大尉でしょう。
しかし、この人物は特攻ではなく、別の場所で戦死されています。
部下思いの人格者であったそうです。
特攻についてのモデルは、明らかにミズーリに突入した人物ですが、現在特定はされておりません。
皆さん特攻や戦争について絡めたご意見が多いですが、私は戦時中の極限状態で実在・行動された人たちの行動をヒントにした、ヒューマンドラマだと理解しております。

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