【1】〈影響〉は根源的な関係性である。〈影響〉を通して、〈非在〉は〈不在〉を支配し、そこに充満する。両者は切り離すことのできない癒合状態にある。この関係性は関連性(reference)である。
 〈不在〉は己れを〈非在〉に関連のあるものとしてのみ示す。すなわち〈不在〉は、己れを〈非在〉に帰着するべきものとして、〈非在〉の〈影の響き〉としてのみ広がるのである。

【2】〈影響〉は起源の問題を提起している。
 〈不在〉は、必ず不在である〈誰か〉や〈何か〉の不在であり、それへの導き、誘導、注意、指示にして言及だからである。
 〈不在〉は必ず否認され〈非在〉となった何者かの忘却的な回帰である。
 〈原存在忘却〉は、〈非在を想起せよ〉という虚ろな谺〔エコー〕となって不在に反響〔レゾナンス〕する。
 〈影響〉とは、〈影〉にしてその〈響き〉である。
 〈影響〉は、不可視のものの〈ある〉を、それが不可視であるにもかかわらず立ち戻らせ、何か迫り来るものの気配を無気味に充満させる。〈影響〉とは、背後への言及であり、背後への誘惑である。それは背後への促しとしてのみある。

【3】〈非在〉における直接的他者は、〈影響〉にあって間接化されている。〈影響〉は〈非在〉からの影響として、間接的に〈非在〉を〈不在〉において代弁している。

【4】〈影響〉は〈非在〉からの〈流出(emanatio)〉である。この〈流出〉は〈非在〉からの問いかけとしてやってくる。
 〈影響〉は、最初の問いを発する。

【5】非在する不可能性自体の問いかけ、すなわち〈非在するというそのわたしは誰か〉は、〈影響〉を通して思考に反問するが、決してそのあるがままには届かない。
 〈影響〉とは間接話法(indirect discourse, indirect narration)だからである。間接話法からこそ、むしろ思考に対する最初の問いは思考に聴こえる響き=語調〔トン〕となりうる。
 しかし、このとき反問にはありえたであろう他者の詰問口調は還元=削減されている。〈影響〉とは〈還元(reduction)〉だからである。この還元は、現象学的還元に先行する還元にしてエポケーである。

【6】矛盾律(principium contradictionis)は不可能性の還元、〈ありえないが故に〉つまり不可能性を虚偽の根拠として、不可能性に基づいてなされる矛盾(antiphasis)の還元である。
 背理法(帰謬法 reductio ad absurdum)は、その別名を不可能性への還元ないしは不可能性に従っての還元(reductio ad impossibile)という。
 背理法は間接証明ないし間接還元法とも呼ばれる。証明しようとする命題の反立、つまりそれと矛盾する命題を真と仮定すると、矛盾が生じてくることを示すことによって、原命題が真であるということを証明する方法である。
 これは原命題には触れることなく、それを全く無傷のままに真ならしめるやり方なのだが、要するに、矛盾律の応用である。
 矛盾律とは、背理法の根拠にしてその最も基礎的なもの、つまり本来の意味における背理法なのである。

【7】〈影響〉は間接的他者として間接話法でのみ語る。この間接性は、矛盾律=背理法の本質である不可能性の還元、すなわち、不可能性自体の還元がもたらす原残余である。

【8】不可能性自体は虚偽の根拠として虚偽の論理学である背理法を基礎づけている。

【9】間接的他者である〈影響〉は、大前提である不可能性自体の撤退によって開かれる〈不在〉に残余する虚偽のための小前提=仮定(assumption)となる。

【10】背理法による推理を実質的に可能ならしめるのは、この仮定の他者、〈影響〉の機能的な間接性による。

【11】背理法は間接的命題の虚偽なることの証明が必然的に原命題の真理なることの証明の代理になるという信念に基づく。
 しかし、実はこれはいかがわしいすりかえであり、根本的な論点窃取(assumptio non probata)の原虚偽である。

【12】〈非在〉とされた不可能性自体は〈語りえぬもの〉である以前に、言葉を剥奪されたもの、沈黙させられたものである。

【13】《語りえぬものについては沈黙せねばならない》(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』七)について言えることは、それこそが愚劣であるということだけである。
 したがって、この反論考的考究は、思考の表現に対してではなく、思考に対してこそ限界を引こうとする。こう言い換えたのは、もし思考に対して限界を引くのだとすれば、このためには、われわれがこの限界の両側を思考しなければならなくなる(したがって思考不可能なことも思考しなければならなくなる)からである。
 したがって、思考の限界といわれているものは言語のなかでこそ引き裂くことができる。そして限界の此岸にあることはそれこそが全くの無知蒙昧かつ無価値であることが明白になるであろう。確かにおよそ語られ得ることは明晰(clara)に語られ得るが、それが何だというのである。
 むしろ語られねばならないことは、それが曖昧(obscura)にされていることであっても、判明(distincta)に語られねばならない。逆に《cogito ergo sum》と自己表明する意識こそあらゆる紛糾(confusa)の種だからである。真に判明なものにとっては、明晰な意識の内なる紛糾の根底にはその明晰さそれ自体の曖昧さが洞察せられているからである。

【14】〈不在〉は〈非在〉の間接化(indirection)であり、副次的なもの、遠回しである。それは不正で曲がった空間であり、根本的に詐欺的である。

【15】〈影響〉は不可能性自体の間接的影響=効果(indirect effect)にして、間接的証拠(indirect evidence)である。
 〈影響〉は、不可能性自体のことを遠回しに迂回的に言う(make an indirect reference to the Impossible in itself)。

【16】〈影響〉は、主語=主体(subjet)としては否認ないし面会謝絶されてしまった不可能性自体の目的格にされてしまった代理人(agent)である。あるいは間接目的語に、動作主補語(complément d'agent)として、不可能性自体の、しかしそれを名指すことを禁じられた主、主格なき代名詞である。或る意味では、それこそが最初の代名詞である。

【17】〈不在〉の間接性(indirectness)は、〈非在〉の直接性(directness)から引き出されているが、それはまだ直接性の内(in directness)にあると看做さねばならない。それは〈非在〉へと方向づけられ、そこに宛先をもつ。ここに〈非在〉のdirection(指揮命令、方向、傾向、監督 /cf.Latin directum, dirigere)が働いている。

【18】〈不在〉の間接性は、もはや直接性であるとはいえないが媒介的であるともいえない。それは何者によっても媒介されていないからである。
 〈不在〉の間接性は、無媒介的に直ちに〈非在〉の直接性に差し向けられつつそこに癒着している。
AD

VII.不在

テーマ:
【1】思考がさしあたって目前にするのは、〈非在とは違って〉とか〈非在とは別様に〉とか〈非在以外の〉とかいうような漠然たるものである。〈存在〉と〈非在〉の差異は、このような曖昧模糊とした差異としてしかまだありえない。
 原存在論的差異であるアポスターズが最初に手にする原空間は、もはや〈非在〉ではないが、未だ〈存在〉ではないような空虚な場である。それは〈中間的なもの〉である。
 これを〈不在〉と名づける。〈不在〉は〈無〉にもそして〈存在〉にも先行するが、〈非在〉からは後のものである。

【2】〈非在〉は背後に退きつつ〈不在〉を形成する。〈不在〉とは、〈非在〉が不在な原空間としての〈空虚〉である。それは背後に誰かがいるような気配に満ちた空間である。

【3】〈不在〉は〈非在〉の影である。この影は〈そこ〉を作り出しつつ、〈そこ〉に響く。

【4】〈不在〉という〈そこ〉は空虚でありながら、この〈非在〉の〈影響〉に満たされている。

【5】〈影響〉は、〈そこ〉である〈不在〉の根底〔そこ〕に〈非在〉の〈ここ〉が癒着していることを暗示的に言及している。〈そこ〉はつまり〈ここ〉なのである。
 この関係は、延長であると共に、言及・参照・問合せ(reference)である。〈不在〉は〈非在〉への問合せにして呼び声、そして〈非在〉へと注意を向けることである。
AD
【1】不可能性自体は存在を否認された全き他者として実在する。しかし、思考はそれに背を向けて立っている。背を向けて立つことは背教の定位であるアポスターズ(apostase)の定位の様式であるが、それは背後の実在である不可能性自体を虚偽の根拠として隔てて置くこと、離れようとすること、距離化の運動である。
 この距=離(apostase)は未だに動詞的な動態にあって「距離すること」としてある。それはただ離れつつあることとしてしかありえない。つまりまだ離れ切ってもいなければ離れ去ってもいない。
 故に、この距離性は近接性であり切迫性であるというその裏面を密着的に密接に抱え込んでいる。アポスターズは不可能性の距離であり、緊迫であり、接近であり、密着である。そこではまだ分離や切断や離隔は空けられていない。
 これは思考にとっての根本的な危機である。それは隔絶の不可能性だからである。

【2】不可能性自体は思考の背後に密着的に立つ実在である。思考にとって、それは己れの根源的他者性を意味する。この実在は否認されているが無化しえていない。実在の影は思考の手前へと延長してそこに響く。
 この根源的延長である実在の影を〈影響〉(influence)と名づける。

【3】不可能性自体は、それ自体としては(καθ’ αυτο)根本的に実在する。
 しかし、それを思考は背後に置き、己れの虚偽の根拠たらしめている。不可能性の実在は非在である。非在とは、全き他者である不可能性自体の存在様式である。
 しかし、この非在は未だ無化されていない〈無い〉である。非在は単に否認された根本実在であるだけである。だから非在は〈考えられないにもかかわらず全く在る〉ところのものである。それは〈虚偽自体〉であるが、虚偽は真理に先行して根本的に実在してしまっている。むしろ〈虚偽〉とは〈非在〉と共に汚名であって、〈非在〉こそが存在し、そして〈虚偽〉こそが真の真実なのである。

【4】思考は非在に背を向けながら未だ非在から切り離された自己固有の場を持たない。〈場〉ではなく、背教の定位が創り出した原距離であるアポスターズ(apostase)の距離をしか持ち得ないでいる。思考が己れの自己固有の場としなければならないのは、その存在様式である〈存在〉である。しかし、〈存在〉は未だ実在しえていない。〈非在〉が実在するだけである。
 〈存在〉とは〈非在ではないところのもの〉である。
 〈存在〉と〈非在〉のこの区別は、しかし、〈非在とは違って〉とか〈非在とは別様に〉とか〈非在以外の〉とかいうような弱いものであってはならない。〈非在〉が一方に「在る」かぎり、〈存在〉はそれこそがありえない〈不可能なもの〉にされてしまうからである。
 〈存在〉を実在させるためには、〈存在〉は、〈非在などというものは無い〉ところのものであるような〈存在〉でなければならない。それを可能にするのは〈無〉である。したがって、〈非在〉は〈無〉に置き換えねばならない。
 だが、〈無〉は未だ存在していない。
AD
Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 2-6 冒涜の蛮声

 「ディオニュソスの宗教の偉大な預言者だったオルフェウスも
 トラキアの信女たちに引き裂かれて死んだ。
 何故なら、神を、救世主を、
 聖なる王を殺してその肉を喰い、その血を啜ることは、
 この熱狂的な興奮のなかで、神の永遠の生命に合一することだからだ!

 神の化身が再生するなら、その肉を喰ったものも、
 必ず復活することができると古代人は信じたのさ。
 この呪術的人肉嗜喰は最も重要で最も根源的な宗教儀礼だ。

 お嬢さんの言ったソーマにせよ、
 また別のインドの霊薬であったアムリタにせよ、
 後にローマに大きな影響を及ぼしたゾロアスター=ミトラ教のハオマにせよ、
 このディオニュソスの赤葡萄酒にせよ、
 元を質せば《人間の生血》のことだ。

 これらの聖なる液体は皆、興奮性の幻覚作用を持っていた。
 これは重要なことだよ。
 人間の血を啜るような興奮がどうしても必要だったのだから。

 皮肉にも《ソーマ》はギリシャ語では
 人間の肉体を意味する語だと知っているかね。
 これらはどれも《人間の生血》の代用物に過ぎないのだ。
 動物の犠牲が、人身御供の代用物だったようにな。

 だから、食人鬼〔オーグル〕や吸血鬼〔ヴァンパイア〕の伝説は、
 たんに下らぬ恐怖物語ではなく、深い真実を語っているのだ。

 そこには小賢しい誤魔化しのないストレートな真実が露呈されている。
 連中は馬鹿げたことをしているのでもなければ、
 罪深いことをしているのでもない。
 より敬虔で真摯な宗教的情熱をそこに感じなければならんのだよ。

 ふん、グノーシスの信仰告白をもじって言うなら、
 《殺すことはこれ喰うこと、即ち神を愛することなり》って訳だ!」

 黒人の台詞に、金髪の娘は眉を顰め、すっかり着替えの済んだ男の子をまるでその穢らわしい毒舌から庇うように抱きかかえる。男の子は派手な白虎の毛皮の柄のシャツにインドの小さな王子様のような可愛いターバンを巻いていた。
 女子供を怯えさせ、そのその加虐的〔サディスティック〕な快楽の甘美な汁に舌鼓を打つように、黒人は卑猥な嗤いに身を揺すった。 

 「ディオニュソスの野蛮な祭儀で用いられた赤葡萄酒は、
 そのままキリスト教の最も重要な秘儀である聖餐に取り入れられた。
 パンと葡萄酒がそれだ。

 パンつまり聖体の拝領というのは、キリストの肉体を喰うことを意味する。
 ふん、
 《Accipite,comedite :hoc est corpus meum.
   Bibite ex hoc omnes: hic est enim sanguis meus novi testamenti
  ――取りて食せよ、これ我が身体〔からだ〕なり。
  汝ら皆この酒盃より飲め、これわが契約の血なり》。

 キリストの血と肉を喰わして貰っているから、
 クリスチャンどもは死後復活することができると信じているのだ。
 聖餐とは口当たりよく毒気を抜かれ、
 ソフィスティケートされた人肉嗜喰に過ぎない。

 キリストが罪の贖いのため身代わりに死んだというのは
 宗教的真実を歪める美辞麗句に過ぎない。

 それは違う。
 その目的は罪だの贖いだの何だのというセンチメンタルなものではなく、
 露骨に血生臭い《永遠の生命》への貪婪な欲望にあったのだ! 

 キリストの死は信者どもの意志だ。
 イエスが神の子だと信じ、その復活を既に信じていたからこそ、
 彼を殺さなければならなかったのだ。

 イエスは殺され食われることに同意した。
 たとえ最後の晩餐がその死以前になされたからといっても、
 真実は変わらない。
 さもなければパンと葡萄酒の約束は宙に浮くことになるだろう。

 わたしの考えでは
 十二人の使徒のなかには一人も裏切者などいなかったのだ!
 全員が共犯者なのだよ。彼らは皆、キリストの死に同意したのだ。
 その証拠にイスカリオテのユダも聖体を喰っているのだからな。
 ユダも終わりの時に復活を許されているのだ。

 もともとセム系の宗教が頻繁に人身御供を行い、
 生贄にされた者の肉を喰う野蛮な風習をもつものだったことは知られている。
 原始ユダヤ教も例外ではない。

 アブラハムがイサクを神に捧げようとしたとき羊を身代わりにしただの、
 人間どもの罪を着せた贖罪の山羊をアザゼルという砂漠の魔神に捧げただのという
 話ばかりが吹聴されて、
 まるでいつも動物が代理として捧げられ、
 人身御供は実際には一度も行われなかったかのようにいわれているが、
 旧約聖書を読めば、実にしばしば人間が実際に全焼の生贄として
 野蛮な神に捧げられていたことが分かる。

 不運なエフタの娘もそうなった。
 この哀れな生娘は神殿で丸焼けのバーベキューにされ、
 その後どうなったと思うかね?

 古代ユダヤ教の祭式を定める『レヴィ記』によれば、
 ヤハウェは生贄の脂肪と燔祭の煙だけを食した。
 犠牲の肉は聖なるものとして
 祭官どもがこれを分けて喰わなければならないしきたりになっていたのだ。
 ハッハ、つまり奴らは彼女を喰っちまったに違いないのさ!」

 黒人は今度は娘へと白い歯並びをこぼしながらその威嚇的な薄ら笑いを振り向ける。
 だが、金髪の娘が不快の表情をあらわに示しながら憮然と口を閉ざして取り合わぬとみるや、くるりと背を向け、百目鬼たちから離れて、波の汀〔みぎわ〕へと近づいた。

 男はそこで立ち止まり、再びこちらへと向き直ると、やや声の調子を低くし、しかし低くから響きあがってくるような演説口調で話し始めた。
 顔付きは生真面目な学者のそれに変わり、まるで大勢の聴衆に向かって講義するかのように。皮肉な話の調子こそ変わりはしなかったが、声の奥底には断乎として譲らず、有無を言わさず、他を圧してつよく轟きわたろうとする雄渾な力がこもっていた。
Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 2-5 車輪の下に

ROTA TARO ORAT ATOR

 「……タロットの車輪はアトール、つまりエジプトの母なる天の女神ハトホルを語る。
 ハトホルは月の白い牝牛。エジプトのイオよ。その乳でファラオを養うとされる。
 彼女はまた《フト-ホル》、つまり《ホルスの家》とも言われた。
 エジプトの言葉では《フト》は『家』ないし『神殿』を意味する。
 神殿である彼女の場処でホルスは即位するのよ。
 エジプトの《ルズ》つまり《神の家〔ベテル〕》に当たる言葉ね」

 「ふん、《運命の輪》に纏わる存在は何もホルスだけじゃないさ」
 黒人は言った。
 「車輪は昼と夜、夏と冬の交替も示しているのさ。
 太陽のホルスもいずれ沈む。すると夜のセトが昇ってくる。
 セトはよく《驢馬》で表された。
 ミダス王の驢馬の耳の話もセトに関係がある。
 《王様の耳は驢馬の耳》というのは、セトが王であるという意味なのさ。
 それから、ユダヤ人はエジプトのこの邪悪な神セトを象徴する
 《驢馬》を神聖視した。
 イエス・キリストもそうだ。
 彼は驢馬に乗ってイェルサレムに入城している。
 セトは旧約聖書のセツだ。
 いいかい、マドモアゼル、あんたが言ってるそのハトホルっていうのは、
 ユダヤ=キリスト教にとっちゃ、実にけったくそ悪い神なんだぜ。
 セトは驢馬に乗ってホルスの家から逃れ、
 ヘブライ人の先祖になり、神様にまでなったんだ。
 ハッハ、ハトホルが《ホルスの家》なら、
 セトの民にとってそれは脱出するべき《奴隷の家》だった筈だ! 
 ヤハウェ、ヤコブ、イエスは皆、
 《ヤー》という驢馬の鳴き声から生まれたのだ。
 仲の悪い双子イサクとエサウのように、セトとホルスは不倶戴天の敵なのだ。
 ヤハウェはエジプトの死神なのだ! 
 奴がエジプト人にしたことを見れば明らかだ。
 過越のとき、ヤハウェは誠にセトの如く振舞ったんだからな」

 男は不敵な笑みを浮かべた。

 「ヴィスコンティ家のタロットの《運命の輪》のカードには、
 セトを象徴する驢馬耳の男が《レグノ》つまり
 《わたしは支配する》という意味のラテン語の書かれた旗を持って、
 車輪の上にどっしり座っている。
 これから昇ろうとする男は《レグナボ》つまり
 《わたしは支配するだろう》という旗を持っていて驢馬の耳が生え始めている。
 《レグナヴィ》、《わたしは支配した》という旗の男は、
 驢馬の尻尾を生やして落ちぶれてゆく。
 最後の男は、車輪の下だ。
 四つん這いになって重い《運命の輪》を肩に乗せる
 この哀れな四人目の男の旗には
 《サム・シイネ・レグノ》つまり《わたしには法がない》と書かれている。
 このようにセトの驢馬耳は王権の象徴、
 ハッハ、王様の耳は驢馬の耳、という訳さ!」
 
 「そうか、驢馬のミダスはアポロンに対立している存在だ……」
 百目鬼は拳で掌を打った。
 「それで驢馬を聖獣としたキリスト教の黙示録の著者は、アポロンを《底知れぬ穴の天使アバドン》に貶めたのか!」

 「いいことに気付いたな、お若いの」
 黒人はにたりと笑って百目鬼と女を見比べながら言った。

 「触れるものを黄金に変える魔法の指をもったプリギュアの王ミダスは、
 オヴィディウス等には滑稽な人物として描かれているが、
 ふん、もっと後代の練金術師たちのために
 名誉回復してやらねばならん存在だよ。
 黄金というのは俗悪な《金》のことなどではなく、
 《永遠の生命》のことだろう。

 ミダスはトラキアのオルフェウスとアテナイのエウモルポスという
 二人もの大立者からディオニュソスの秘儀を受けていたんだ。

 ディオニュソスの異名には
 よく知られたバッカスの他にもザグレウスというのがある。
 ザグレウスは元々は別の神で
 ミノタウロスで有名なクレタ島で牡牛神として崇拝された。
 ピュタゴラスやプラトン、更にキリスト教にも
 深い影響を与えたオルフェウス教は、
 このザグレウスをディオニュソスと同一視した。

 オルフェウス教の神話では、
 ザグレウスは蛇に化けたゼウスとペルセポネーの子供で、
 ゼウスは世界の支配権をこの世継ザグレウスに委ねようと考えていたという。
 だがギリシャ神話ではお馴染みの嫉妬役ヘラ女神がまたぞろ登場して、
 巨人族タイタンを唆し、ザグレウスを襲わせる。
 ザグレウスはちょうど牡牛に化けていたところをタイタンにとっつかまり、
 その躯を八裂きにされて喰い殺されてしまう。
 ゼウスの怒りは雷となってタイタンを焼き打ちにする。
 その灰から人間は生まれた。
 灰のなかはザグレウス起源のものも混じっていた訳だから、
 人間には神に等しい部分もあるのだと説明される。

 アテナがザグレウスの心臓を救ったのでゼウスがそれを嚥み下す。
 テーバイ王カドモスの娘であったセメレーによって、
 ザグレウスの生まれ変わりであるディオニュソスが生まれたという。
 ディオニュソスの名前は《二度生まれた者》を意味し、
 この死と復活の神話が、
 後代のイエス・キリストの復活物語に影響していったといわれるのさ。

 オーソドックスな神話では、ゼウスの情婦になったセメレーが、
 ヘラを嫉妬して、ヘラを抱くときの姿で抱いてくれと
 ゼウスに馬鹿なお願いをする。
 ゼウスは仕方なく願いを聞き入れるが、
 それは雷霆の姿だったので、セメレーは感電死してしまった。
 とんだ電撃結婚もあったものだ! 

 セメレーは身籠っており、
 ゼウスは母親の焼死体から未熟児ディオニュソスを取り出し、
 自分の太腿を切ってそのなかで彼を養い、産んでやったのだと伝えられる。

 ディオニュソスはこのようにテーバイ王家の血を受け継ぐ神人、
 建設者カドモスの孫で、アクタイオーンやペンテウスの従兄弟に当たる。

 ところが遠い異国の地から、
 この少年ディオニュソスは招かれざる客として帰ってくる。

 ふん、ディオニュソスは恐ろしい奴だよ。
 テーバイ王ペンテウスが嘆いた通り、
 剣にも、槍にも、軍馬にもびくともしなかった
 軍神アレスの子孫たちの偉大な都市テーバイは、
 この素手の少年によって陥落してしまったのだから。

 無論ペンテウスも強情者だ。
 偉大な予言者としてギリシャ全土に名を響かせていた
 全盲の賢者テイレシアスの警告に耳を傾けず、
 テイレシアスを追放、更にこのテイレシアスが予言していた
 《後からくるもっと偉大な預言者》であるディオニュソスをも
 必死で締め出そうとしたのだからな。
 ふん、イエスの場合と同じく、《預言者故郷に入れられず》って訳だ。
 テイレシアスはいってみれば、
 バプテスマのヨハネ役だったという訳かね……。

 だが、ディオニュソスはイエスよりもずっと強引だった。
 テーバイはペンテウスの叫びも空しく、
 ディオニュソスの信者どもの熱狂に飲み干されていった。
 宛ら酒樽をペロリと平らげてしまう酒豪の如く、
 ディオニュソスはテーバイを己れの血の狂宴の赤葡萄酒に変えて嗜み、
 己れの血族の破滅をその酒の肴にしてしまったのだよ。

 ディオニュソスの宗教の感染力は強く、
 王家のなかにまで瞬く間にそのウィルスは侵入した。
 ペンテウスの叔母でアクタイオーンの母であったアウトノエも、
 ペンテウスの妹たちも、また他ならぬ母親アガウェですらも、
 ペンテウスの禁令に従わず、
 キタイロン山のおぞましくも卑猥な祭儀に出掛けて行く。

 祭儀を覗き見していたペンテウスは捕らえられ、
 当時は麻薬と同じ位危険な飲料だった赤葡萄酒にラリったこの女達は、
 わが子、わが兄、わが甥とはもう訳が分からずに、
 恰もその主人を喰い殺したアクタイオーンの猟犬のように、
 ペンテウスに踊りかかり、その躯を素手で八裂きに引き千切って殺した。

 彼らが我に返ったときにはもう遅い。
 この罪に穢れた一族は、建設者カドモス共々、
 テーバイを追放されてしまったのさ! 

 ところで、このようにバッコスの信女たちは、
 当時まだ劇薬でもあった葡萄酒に酔い痴れ、
 裸になり踊り騒ぐこの狂宴のなかで、
 犠牲者の肉体をばらばらに引き千切ったが、
 これは、丁度セトがオシリスを殺して
 その躯をずたずたに寸断したことに対応するものだった。

 引き千切られた犠牲者の肉は、
 血のように赤い葡萄酒と一緒に、
 この祭儀で食用に供されたともいう。
 つまり、ハッハ、人肉嗜喰〔カニバリズム〕さ!」

 黒人は、滔々朗々とうち続いた長口舌の果てに、遂このとき大きな白い歯を百目鬼に剥き出して叫びを上げ、思わず百目鬼がのけ反るとゲラゲラ笑った。

Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 2-4 タラの女神

 さて、女はその美しい緑色の瞳を百目鬼に向けた。

 「……あなたの国、日本は古くからの仏教国でしょう? 王子シッダールタが出た一族が月氏と呼ばれていることはご存じかしら?」

 百目鬼は首を横に振った。

 「そう」
 金髪の娘はにこりと笑った。
 「……インドには太陽の種族といわれたスーリヤヴァンシャに対して、月の種族であるチャンドラヴァンシャという一族がいたのよ。
 シッダールタは悟りを開いて、賢者、つまりインドの言葉でブッダと呼ばれるようになった。
 ブッダの教えから仏教(ブッディズム)が生まれたのだけれど、
 実は《ブッダ》というのはシッダールタの出た月種族〔チャンドラヴァンシャ〕の祖先
 《ブダ》から来た名前であるという言い伝えがあるの。

 ブダの父親はソーマで、そこから月種族チャンドラヴァンシャと呼ばれるようになった。
 母親の名前は《タラ》、実は《ブリハスパティ》、
 祈祷の主・神々の祭官といわれた別の偉い神の妻だった。
 ソーマはラージャスーヤという王者の供犠の祭祀を盛大に執り行ったと伝えられている。
 これは古代インドで王様の即位の式典を意味したというから、
 ソーマは自ら神々の王者となったということよ。

 神話では、こうして慢心したソーマがタラの女神を誘惑し、
 ブリハスパティから略奪したことになっている。

 そこでブリハスパティはブラフマーに哀訴し、
 インドラ神率いるディーヴァの神々がブリハスパティの味方についてソーマに宣戦布告する。

 ソーマは負けじと魔族アスラの軍勢を率い、
 両軍の力は互角となり戦線は膠着する。

 事態が大きくなったことを恐れたタラは、
 ブラフマーの調停を仰ぎ、談判の末、
 ソーマはタラをブリハスパティに返すことを承諾して和平となるのよ。

 ところがタラは既にソーマの子供を宿していた。
 これを察したブリハスパティはタラを家に入れてやらず、冷たくあしらった。

 タラは仕方なく家の外に締め出されたまま、ひとりの男の子を産み落とす。
 その子は……そう、ちょうどこの子のように(女は男の子の頭を撫でた)、
 とても綺麗で賢い子供だった。

 すると、今まで妻にひどい仕打ちをしていたブリハスパティが欲を出して、
 掌を返したように愛想を振り撒き、その子を自分の子供だと主張し出したのよ。

 ところがソーマがそこでまた父親の名乗りを上げたので、
 事態はまたややこしくなったの。

 今度は子供の取り合いで争いになった。

 ソーマとブリハスパティはついにタラに詰め寄り、
 どちらの子供かを問い質すの。

 ところがタラは恥じらって答えようとしない。
 するとタラの息子が口を開いてこう言うの
 ――《お母さん、あなたは罪深い女だ。もしぼくの父親が誰か言わないのなら、
    あなたに呪いをかけてやる》と。」

 「ほう、それは大したもんだ。母親を呪うというのは凄い餓鬼だな」
 黒人が妙なことに感心したように、嘆息を漏らした。
 「で、どうなるんだい?」

 「そこでブラフマーが仲裁役を買って出る。脅しをかけた子供を宥め、怯える女神をいたわるように、本当のことを言うように促すと、やっとタラは子供がソーマの息子であることを白状する。するとソーマは喜んで、息子を抱き締め、《おまえは本当に賢い子だ》と褒めるのよ。こうして母親に呪いの脅しをかけたソーマの息子は《賢者》を意味する《ブダ》の名で呼ばれるようになった」

 「その話は、《ズー》の話に似ているな」黒人が顎を撫でながら言った。

 「《ズー》?」百目鬼が聞き返した。

 「ふん、ズーの外にも、キングーという神の話もそれに似ているな。お嬢さん、不本意ながら、あんたに助け舟を出すことになるが、その思い上がったソーマって奴が、ブリハスパティから奪取した女神《タラ》っていうのは、インド・アーリア語族のとても古い古い女神で、アイルランドにまでその信仰は広がっていたんだ。《タラ(TARA)》はタロット(TAROT)の語源にも関係している。そのタロットには有名な回文があるのを知っているかね? まあ、ちょいとしたアナグラムの言葉遊びで、ローマ(ROMA)が愛(AMOR)の転倒だというような類いのもんだがねえ?」

 男は試すような目で女を促した。

 「これね……」女は枝を取った。
 「第十番目の札《運命の輪》に出てくるという文章、タロットのエジプト起源を暗示しているものよ。ロタ・タロ・オラト・アトール……」
Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 2-3 アルゴスの星の涙

 「《Argha》という梵語のことなら、ぼくも知っている」
 百目鬼は言った。
 「それは《水》を意味するAquaという、きみたち西欧人の言葉の語源になった語じゃないのかい? 同じ言葉は仏教に入って、《閼伽〔あか〕》と訛って使われた。それは《水》を元々意味したが、仏教では転じて、仏前に供える水を、ときには飯や花をも意味するようになった。更にそれらを容れる容器も《閼伽》と呼ばれる。この水は功徳水ともいわれ、更に《閼伽》には《功徳》とか《供養》とかいう意味も付け加わった……」

 後に百目鬼は『邪馬台』に書く或る記事のために、アレイスター・クロウリーの魔術結社名《A∴A∴》の意味について文献にあたって調査しているとき、この不思議なサンスクリット語に再会して奇妙な感慨を覚えることになる。その書物には次のように書かれていた――

 クロウリーの著作の中で、A∴A∴という頭文字の意味を明らかにしている唯一の箇所は彼の〈魔術録〉(セファルー、一九二一年)に収められているが、それによるとA∴A∴はACTHP APΓOC〔アステール・アルゴス〕となっている。これは Argenteum Astrum (〈銀星〉)のギリシャ=コプト語形のくずれた形ではあるが、〈団〉の性質を握る本当の隠秘学的な鍵であり、正しいラテン語形を用いては表しきれない内容をもっているのである。〈アルゴス(Argos)〉は〈アルグ(Arg)〉または〈アルカ(Arca)〉すなわち月に象徴される女性の産出力と、〈秘儀〉で使用される子宮型の〈アルガ〉という言葉から派生した語で〈天界の女王〉という意味である。〈アルグヤ〉(サンスクリット語)とは月の星、あるいは「銀の」星という意味になる。また月は〈イシス〉の目をその象徴としており、イシスの星は〈シリウス〉すなわち〈犬星〉(〈セト〉)とされている。したがって〈銀星団〉は〈セトの目の結社〉、「〈太陽〔サン〕〉の蔭に隠れている〈息子〔サン〕〉、ということになり、天文学上は〈イシスの星〉つまり〈ソティス〉(〈シリウス〉)を示すことになる。
 (ケネス・グラント『アレイスター・クロウリーと甦る秘神』植松靖夫訳 国書刊行会「クロウリー著作集別巻3」1987所収 P75-76)

 ケネス・グラントのこのクロウリー研究書を金髪の娘(モードリン)は読んでいたのだろうか。
 百目鬼には分からない。だが、おそらくその可能性はかなり低い。
 黄金黎明団の魔術書をモードリンの書棚に見た事はあるが、黄金黎明団で諍いを起こし、そこを脱退離脱したクロウリーにモードリンは余り興味をもっていなかった。性魔術的などぎつい色彩が強く、また山師的でいかがわしいエピソードの多かったクロウリーは、学究的でまた上品な彼女の真面目な考察の対象から外されていただろうし、それどころかむしろ眉を顰めさせるような代物でもあっただろうから。
 また、彼女がグラントと同様の語源学の知識をもっていたという確証もない。
 
 だが、同様の類推がモードリンの頭のどこかで働いたものだろうか、後に百目鬼と恋仲になったモードリンは、彼を《わたしのアルゴス》という愛称で呼ぶようになった。

 《わたしのアルゴス、いつもわたしを見つめていてね》

 アルゴスとはギリシア神話に出てくる巨人で全身に目があったという。それは牝牛に変えられたイオを見守る星空を象徴する存在で、決して眠らない者だったという。

 モードリンは百目鬼の姓からこの渾名を思いついたのに違いなかった。モードリンは実際に牝牛のイオ――つまり牡牛座の女性だった。百目鬼をアルゴスと呼んだのには、好意と共にちょっとした揶揄と意地悪も含まれていたに相違ない。

 モードリンは百目鬼の好意を嬉しいと思う反面、少々うるさがっていたのかもしれない。実際に百目鬼は恋する男の常か、やや嫉妬深く、いつもモードリンを見張って、他の男と少しでも話をしようものなら不機嫌に塞いだ顔を隠せないでいた。もちろん、自分でも馬鹿げた嫉妬だとは思うのだが、頭の中に色々な邪推が起こるのを抑えられないところがあり、モードリンはこれにいささか呆れていたのに違いない。
 アルゴス、あなたはいつも色々考えすぎるのよ、悪い癖だわ、とモードリンは言った。ヘルメスがあなたの命取りになりませんように。
 ――全くその通りだった。

 盗人と隠秘学の神ヘルメスはまた〈解釈(エルメヌーティック)〉の語源でもある。他の男に取られるのではいかという不安から、百目鬼は実際に、モードリンの言動をあれこれ大袈裟に解釈しては馬鹿みたいによく悩み、悶々としていた。穏やかなモードリンは、そこまで自分の事を想ってくれる百目鬼に感動してくれることが多くはあったが、それでも、これではどちらが嫉妬深い牡牛座なのか分からないと笑った。

 実に百目鬼はモードリンの前では全然射手座らしくなかった。彼女のハートをうまく射当てているとはとてもいえず、よく的を外した。寛大なモードリンはいつも笑って許してくれたが、外れた矢で我と我が身を射抜く者のように、百目鬼は一人ひそかに忸怩たる思いに傷つくことが多かった。

 不思議な運命の巡り合わせで、百目鬼は、やがて自分自身が月の方舟の住人となっていた。
 その月の方舟のなかでこの書物を閉じ、涙が溢れそうになる目を閉じながら、百目鬼は、昔日《アルゴス》と呼ばれた日々を懐かしみ、 Argha―Ark―Arc―Arcane―Arg―Arca―Argosという、まさに彼の目頭を熱くし胸に舌に苦くしみとおる水の語彙を、彼の運命を弄んだこれらの美しい語を噛み締めることになるのだった。
 噛み締める語の間から滲みだす、モードリンの懐かしい思い出。
 何もかもがあの出会いのときにすっかり予言されていたのかもしれない。だが、そのときは二人は何も――何一つとして悟ることができなかったのだ。
Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 2-2 月の方舟

 「あなたも《啓典の民》の端くれなら」
 女は更に挑発的に言った。
 「もっとご自分の宗教の偉大なご先祖様に敬意を払うことをお薦めするわ。
 いいこと、ユダヤの賢者たちにとっては、
 神様は十個のセフィロートごとに十の異なる神名をお顕わしになるのよ。
 ヤハウェの御名は確かに有名だけど、
 そこでは二番目のセフィラ、
 《叡智》を意味するホクマーに対応するものでしかないわ。
 第一のセフィラ、ケテルの王冠に相応しい神名は、エヘイエーよ。
 もう一つのテトラグラマトンよ。
 別の説では、イスラエルの民をエジプトから脱出させられた時、
 主は七十二の神秘なお名前を用いられたと言われる。
 それにヘブライ語の聖書の全体が
 偉大な神の長い長いお名前を表しているとも言われているわ」

 「ふん、カバラに逃げるか」
 男は皮肉っぽく言った。
 「そいつは正統なユダヤ教じゃないぞ。この如何わしいグノーシスの神秘主義者め!」
 
 「じゃあ、別の証拠を挙げてご覧にいれましょうか」
 女は冷ややかに言った。
 「主は、モーシェに《在りて在るもの》を意味する
 そのヤハウェという名前を告げるときに、
 ご自分から、アブラハムには別の名前で呼ばれていたとおっしゃっているわよ。
 ところで、アブラハムは元々アブラムという名前だったのが、
 どうして神に言われてアブラハムになったかご存じ? 
 ……そう、ちょうどさっきこの方が(女は百目鬼を示した)、
 この子の名前の《SIN》の綴りに《H》を割り込ませたのと同じように、
 主も《H》を表す《ヘー》の1文字をこんな具合に割り込ませたのだけれど……ほら、こんな具合に」

 女は、足元の枝を取って砂の上に文字を書いた。

 ABRM  Abram
 ABRHM Abraham

 「……アブラハムというこの改名行為には隠された意味があるのよ。
 《アブ》は確かに父を意味する単語だけど、
 《ブラハム》というのは、古代インドのウパニシャッドの哲学に出てくる
 宇宙的原理ブラフマン、またはその神格化であるブラフマーを意味するのよ。
 アブラハムというのは、《父なるブラフマー》を意味する単語に他ならないのよ」

 女は更に砂の上にもう一行を付け加えた。

 ABBRHM Abbrahma

 「いやあ、こいつは参ったね!」
 黒人は笑い出した。「アブラハムはインド人だったっていうのかい」

 女は構わずに続けた。
 「……モーシェにシナイ山で現れた神は、
 ご自分のお名前を《エヘイエー・アシェル・エヘイエー》、
 つまり《我は在りて在るものなり》という意味だと告げられたけど、
 これはサンスクリット語の《タット・サット(Tat Sat)》という
 ブラフマー神の開示の言葉のヘブライ語訳に過ぎないわ。
 意味は殆ど同じよ……。
 ところで、ブラフマー神は、インドの創造神話では、
 最初に宇宙を原初的な水で満たし、
 その中に黄金の卵として顕現したといわれるわ。
 この卵が割れてブラフマーが自ら生まれることにより天と地が創造されたの。
 インドのノアに当たるマヌが作ったともいわれる
 『マヌ法典』に出てくる宇宙卵の神話よ。
 『リグ・ヴェーダ』では、これはヒラニヤガルバ、
 《黄金の胎児》または《母胎の初子〔ういご〕》とも
 いわれる存在になっているけれど……」

 百目鬼は女の奇妙でロマンチックな話に魅了され始めていた。
 黒人も興味を覚えたらしく、今度は黙って女の話に静かに聞き入っている。

 「アブラハムは確かにインドではなく、
 ユーフラテス川の下流域、シュメール人の都ウルの出身よ。
 ウルには月神シンを祀る大きな神殿があった。
 シンはしばしば三日月を頂点につけた卵の形で表されているのよ。
 シン――それこそアブラハムの神、イサクの神の名前だった。
 シナイ山頂でモーシェに《ヤハウェ》と名乗った神、
 即ちあなたの宗教の神・アルラーの神の本来のお名前は《シン》だったのよ。
 だから、この子をもっと丁寧に扱うことね。
 この子はあなたの神・アルラーなのかもしれないわよ」

 「ハッハー、こいつはたまげたな」男は笑い出した。

 「契約の山といわれるシナイの名は月神シンに由来することをご存じないの? 
 観光ガイドにだって書いてあることよ。
 モーシェとアロンはイスラエルの民を
 エジプトから月の神の土地に導き出した。
 彼らが飢えたとき、夜の間に不思議な露が降って、それがパンとなった。
 この不思議な食べ物は《マナ》と呼ばれたわ。
 《マナ》は《マヌ》と同じく、
 月の魔力を意味する語で、多くの派生語を生んだわ。
 インドの神の持つという不思議な力《幻力〔マーヤー〕》、
 死者の霊魂を意味する《マナス》、
 古代ギリシャの神聖な狂宴の熱狂《マニア》、
 南太平洋では《マナ》という語は、
 魔術を媒介する不思議な実体を意味する。
 そして、それはまた英語の《man》やインドの《マヌ》のように
 《人間》を意味する語の源でもあるのよ。
 《人間》は、古代の人々にとっては、
 《月》の《魔力》によって創造されたものだった……。
 月神シンが人間を創造したのよ。
 そして、その《マナ》が降ったとされる土地は、
 聖書では《シンの荒野》であるとされているわ。
 ところでこの《シンの荒野》というのは、
 ヘブライ語の原典の該等箇所を調べてみると、
 発音記号であるドーギッシュや母音記号〔ニクダ〕を取り除き、
 一旦アレフベートを元の裸の姿に戻してよくよく眺めてみれば、
 そこは《シンと呼ばれる神》という語が隠されているように
 読めなくはないのよ。
 モーシェは、自分を導いた先祖の神が
 本当は誰であったのかを間違いなく知っていたのだわ。
 ……ところで、話はブラフマンに戻るけれど、
 インドではこのマナにあたる不思議な食べ物は、ソーマと言われている。
 アムリタや、ゾロアスター教のハオマ、
 ギリシャ神話に出てくる神酒ネクタルに対応する不思議な飲物で、
 これを飲むものには魔力と勇敢な心と更に不死さえ授けられると信じられた。
 エデンの生命の樹の果実のようなものよ。
 ところがこのソーマは、
 インドでは単に神秘的な飲物として珍重されたばかりではなく、
 それ自身がソーマ神として信仰の対象となったのよ。
 東北の守護神、インドの酒神〔バッカス〕であるこのソーマ神の別名は《チャンドラ》、
 この語は月を意味し、
 一説あの偉大なインドラ神の名前もそこに由来するとも言うわ。
 そう、ソーマは月の神なのよ」

 「……月読〔つくよみ〕の変若水〔おちみず〕だ」
 それまで黙って二人のやり取りを脇で聞いていた百目鬼が呟いた。

 「えっ?」

 「いや、その……ぼくの国にもその月神シンみたいな男の月の神様がいてね、
 若返りの水を持っていると伝えられているんだよ。

 《天橋〔あまはし〕も長くもがも
  高山〔たかやま〕も高くもがも
  月読の持てる変若水〔をちみず〕い取り来て
  君に奉〔まつ〕りて変若〔おち〕得てしかも》

 『万葉集』という古い和歌集に出てくるんだ。

 《天に登る橋は長くあってほしい、高い山は高くあって欲しい。
  そうしたら月の神ツクヨミが持っているという
  若返りの力のある水を取って来て、天皇に献上し、
  若返っていただくのに》、

 ――そんな意味だった」

 「その神は高い山の上にいるのね」
 女は言った。
 「ノアの洪水の時代には、
 きっと世界じゅうの人々が月の神を信仰していたんだわ。
 カヌーの形をした三日月は、方舟の象徴でもあった。
 その舟は高い山の上に辿り着くといわれる。
 月神シンを象徴する図形は、
 山を象徴する三角形の頂点に三日月の舟が止まっている形をしているのよ。
 そしてその山頂に向かって一本の道がまっすぐ地上から伸び上がっている。
 シンは洪水から人々を救ったの。
 その方舟は山の上に留まり、人々は山道を造って方舟を拝みに出掛けたのよ。
 モーシェの目指したシナイ山もそんな方舟の記憶を留める神聖な山だった。
 そしてご存じ? 
 三日月を意味する《arc》も、モーシェの契約の聖櫃を意味する《Ark》も、
 元々インドの言葉で《大きな船》を意味する語《Argha》の派生語なのよ。
 他にも、よくタロットカードなどで大アルカナ、小アルカナと言われるときの
 《arcane》という《秘密》を意味する語も、
 すべてノアの方舟つまりシンの三日月の舟から由来するのよ。
 方舟は、そのまま契約の聖櫃〔アーク〕となった。
 《契約》、それはノアと神の間に取り交わされた救済の約束の徴。
 もう二度と大洪水で世界を滅ぼすことはしないという神の誓いよ。
 それは天にかかるアーチ、虹の橋を意味しているの。
 七色の虹は聖なる創造の七日間をも暗示している。
 ……あなたの国のそのソーマを持つ月の神の歌に出てくる
 《天の橋》というのは、
 きっとその虹のことを言っているのね」

Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 2-1 青い三日月

Nomen est omen. 名は豫兆なり。(ローマの古諺)

汝の神ヤハウェの御名を妄りに口に上ぐべからず。ヤハウエは己れの名を妄りに口に上ぐる者を罸せではおかざるべし。(『出エジプト記』20-17)

またこれに請ふ、シボレートと言へと。いふに彼その音を正しく言い得ずして、スィボレートと言へば、すなはちこれを引き捕らえへてヨルダンの渡しにて殺せり。その時エフライムの人の斃れし者四万二千人なりき。(『士師記』12-6)


 「これが、この子の名前ですか……」

 「ああ、そうだよ」
 黒人は百目鬼を見上げてにやっと笑った。
 「ご大層な名前だろう。この子の親父さんの趣味さ。お袋さんは大層この名前を嫌がっててね。本当の名前で呼んでやろうとしないんだ。可哀想な話だよ」

 「この字、何て読むの?」娘が尋ねた。

 「ああ、これはこの子の名前だよ」
 黒人が悪戯っぽい調子で答えた。
 「聞いて驚くなよ、いいかい、これは《スィン》と読むんだ」

 娘は眉を顰めた。
 黒人はゲラゲラ笑いながら、木の枝で漢字の真横に《sin》と綴った。
 悪趣味な冗談だ。英語の『sin』は、《スィン》と発音し、道徳上または宗教上の《罪》を意味する単語である。

 「違うな」
 百目鬼は屈みこみ、指で砂の上の《sin》の綴りのsとiの間にhの文字を割り込ませ、娘を見上げた。
 「日本語に《スィ》という発音はないんだ。これは恐らく、《シン》と読む……そうなんでしょう?」百目鬼はまだにやにやしている男を見据えた。

 「どういう意味?」金髪の娘は腕組みして尋ねる。

 「ふん、この男の言う通りさ。これは《シン》と読むんだ」
 黒人が言った。
 「お嬢さん、だからわたしは《罪〔スィン〕》、つまり神への冒涜だと言ったんだよ。全く畏れ多いことだ。全く、だから日本人という輩は……」

 「どういうことなの」娘は不快そうに黒人の言葉を遮った。

 「この子は神様なのさ」
 百目鬼は男の子の頭を撫でながら言った。
 「この字は、つまり、《神(God)》を意味するんだ」

 「OH GOD(まあ)!」
 仰天した娘は叫びを上げ、それから自分の思わず口走った言葉が余程可笑しかったのか、クスクス笑い出した。
 「……とても素敵な名前じゃない。そうなの、坊や、あなたは神様だったのね……」
 女はしゃがんで男の子の頬にキスをし、微笑みかけた。
 「シンだろうとスィンだろうとどうでもいいのよ。坊や。そんなのは馬鹿な人間たちが後からつべこべ並べ立てた名前なのよ。左右どちらに点が打たれようと、あなたの神聖な炎の王冠には変わりはないの。裁くのは人間ではなくて、あなたの方なのだから」

 「おい、この女は何を言ってるんだ?」不審そうに黒人が百目鬼に尋ねかけるが、百目鬼も意味が分からず首を捻るばかりだ。

 女は男二人には構わず、男の子を高々と抱き上げた。
 男の子は、女の言葉の意味が分かるのだろうか、泣きやんだ顔が明るみ、まだ仄暗い黎明の海の果てから、きらきらと旭日〔きょくじつ〕が差し昇ってくるように、とても愛くるしい微笑が零れ出した。

 「そうだわ」女は不意に目を輝かせた。
 「きっとあなたはシュメールの月の神様なのね。お姉さんがあなたの本当の名前を教えてあげるわ。坊や、あなたは《ナンナル》というのよ。後からやってきたバビロンの人達があなたの名前を《シン》にしたの。あなたはとても偉大な神様なのよ。友情と誠実を司る知恵深い青い髭の神、洪水に溺れる人々を救いの山に導く月の舟。それがあなたよ。」

 そう言うと女は腕の中の男の子の右肩を撫でた。
 撫でる女の指の間から、まるでそこから零れ落ちたかのように、ちいさな青い三日月の舟の徴が男の子の肩の真上に浮かんでいた。それは今の今まで目に留まらなかったというのが却って奇妙なくらいにくっきりとした痣で、まるで刺青を彫ったように鮮やかなかたちを示している。
 ところがこの小さな月の舟はそれまでどういうわけか百目鬼の目をするするとくぐりぬけ、彼の注意を巧みに躱す見事な舵捌きで漕ぎわたって、やすやすとそれ自身のアララト山に――つまり女の白い両腕に静かに停泊してのけていたのだった。
 女はたしかにこの徴を認めて先程の言葉を語ったものに違いなかったが、そのときまで欺かれたようにこれを見過ごしていた百目鬼は、逆に女の言葉のうちがわから魔法のようにこの痣が抓み出されてきたかのような倒錯した印象を拒めなかった。
 それはまるでひらひらとして捉えどころない青い蝶の幻の舞いがふわりと舞い降りてその不思議な翅を休めているように、男の子の色白な右肩の上で微かな息をしているところのようにさえ思われた。
 もし百目鬼がそれを再びつかまえようとして手を延ばしたとしても、月は再び幻の蝶に変じて彼の指先をすりぬけ、見分けのつかぬ青空や海の色のなかに巧みに溶け込んでしまうかのように淡く、実際以上に遥かに淡い徴であるように思われた。
 女の指がその徴を愛撫していた。だがその愛撫によって徴は薄れ、やがて指に擦られて消えうせてしまうのではないかという奇妙な想念が百目鬼を捉えた。ちょうど波打際に書かれた文字が波の愛撫によって消されてしまうように――百目鬼には何故自分がそんなイメージをもってしまうのかが分からず、自分でも説明のつかぬ困惑のまなざしでその月のかたちに暫し目を心を奪われていた。
 そう、何故なのか――何故なのか分からないが、ひどく自分自身が頼りなく、不安で、そして何だか泣き出してしまいたいほど物悲しく寂しい感情が溢れる海のように心一杯に込み上げてきていた。
 その海のなかに一粒の涙となって落ち、すっと消え込んでしまいたかった。
 その海が何であるのかは分からないが懐かしくまたどうしようもなく恋しい、一方、その海を前にした自分の小さくふるえる涙滴のような身はもうこれ以上持ち切れまいと思える程に切なかった。切なく、心の中で何かが潤みかけていた。
 男の子の右肩の不思議な月に照らされて、百目鬼の心中の謎めいた海の潤みのなかからまだはっきりとかたちにならぬ想念の朧ろなかたちがふるえながら浮かびのぼろうとしていた。百目鬼はもどかしかった。だがその感情は長くは続かず、朧ろげなままに時は散ってしまった。

 「おいおい」黒人が揶揄〔からか〕う口調で女に声をかけた。
 「もうこれ以上その子に変な名前を付け加えるのはやめてくれよ。それでなくても、お袋さんが《ダニエル》だなんて余計な名前でその子を呼ぶもんだから、すっかり混乱して困ってるんだよ」

 「あら、神様は多くの名前を持つものよ!」女は負けじと言い返した。

 「神〔アラー〕は神〔アラー〕だ」男は勿体振って両手を上げ、大袈裟にムスリムの祈りのポーズを取った。「名前などあるものか!」

 「あーら、ご存じないのね」
 女は愉快そうに笑った。
 「アル=イラーフ(女はそう発音した)の神には、九十九もの名前があるのよ。ムスリムの癖に知らないの? あたしは全部暗唱してるわ!」

 男は一瞬憮然とした。
 もし彼が白人種〔コーカソイド〕であったなら、きっと耳まで真っ赤になっているのが見られただろう。明らかに小娘に一本取られたことを悔しがっている様子だ。
 因に、アラーの秘密の九十九の神聖な名を全て唱えられるならば、アラーはその者のどんな祈りにも応えずにはおかぬという言い伝えがある。

 「ふん、おまえの神はイェホヴァだろう!」
 男は興奮して指を突き出した。
 「イェホヴァに他の名前があるというなら、言ってみせるがいい!」

 「違うわよ」女は鼻で嘲笑い、アカンベをしながら言った。
 「ヤーヴェーッ、って言うのよ。イェホヴァだなんて、とんでもない話だわ。ユダヤの神官が《神の御名〔シェムハメフォラシュ〕》の聖なる四文字〔テトラグラマトン〕の名前の文字綴〔スペル〕の正確な読み方を隠しちゃったもんだから、何も知らないクリスチャンが当てずっぽに母音を当てて創作した名前に過ぎないわ。それにヤハウェだけじゃないわよ。エル・エリオン、エル・シャッダイ、エロヒムともアドナイとも言われているわよ」

 「ふん、そんなものは全部普通名詞だ!」
 黒人も負けなかった。
 「エルは《神》を意味する普通の語じゃないか。エロヒムはその複数形、アドナイは《主》という語に過ぎない。……おまえさんのいうアッラーの九十九の名前にしたって、どれも《アル》で始まる尊称に過ぎないぞ!」

 「《エル》は元々、カナンの最高神の名前だったのよ」
 女は更に言い返した。
 「バールの父親よ。もっと元を質せば、シュメールの水神《エア》に起源する名前だわ」

 「きさま、それでもクリスチャンか!」男は嗤った。

 「勿論よ」女は動じなかった。
 「でもね、あたしはこう見えてもちょっとした宗教学者なのよ。いいこと……」
 女は自分の頭を人差し指でツンツンとつつきながら言った。
 「あたしのここには、万神殿〔パンテオン〕があるのよ。ハートにはちゃんと十字架〔クロス〕がありますけどね」
 女は首に掛けた十字架を抓み出してぶらぶら振ってみせた。

 「ほう……」
 男は、見事な大見栄を切った女に一瞬感服したような溜め息を漏らした。
 だが、これしきで引き下がる男ではなかった。
 「マドモアゼル、だからといって、あんたの言うことは、そのハートの十字架にかけて言えば、つまり信仰上の真理としては、異端になるんじゃないのかね」

 「あたしはあのローマ法皇に負けない位、神を愛してます!」
 女は突っぱねた。
 「でもね、わたしはカトリックじゃないのよ。国教会でもありませんのよ。残念でした」

 「何だと」

 「あたしはね、クリュセ・グノーシス正教会の至ってリベラルかつ主知主義的な敬虔な信徒なの。――《知ることはこれ信じること、即ち神を愛することなり》」
 女は胸に手を置いて、まるでダンスのポーズのように上品なお辞儀をしてみせた。

 「ふん、忌ま忌ましい!」男は歯軋りして悔しがった。

 
Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭] 
第二章 神聖秘名 1-8 《神》の名前

 女は胸ポケットから黒縁のかなり度の強そうな眼鏡を引っ張り出して顔に掛け、不思議そうに百目鬼と少年のやり取りを眺めている。
 眼鏡は余り似合っているとは言えず、折角の美人が台なしだったが、百目鬼は少しほっとした。
 やっと落ち着いて眺めることができるようになった娘の顔は、愛嬌があって、却って親しみやすい印象を与える。

 「この子は日本人なんだよ」
 「あなたも?」
 「そう……でも、どうしてこんな処に? 珍しいな。観光客の連れだろうか」

 女は顔を顰め、顎を微かに動かして、砂丘の上をぶらぶらしている長身の黒人を示した。
 「あの男の連れだそうよ」

 「えっ、あいつの?」
 百目鬼は唖然として黒人に振り返り、改めてその男をしげしげと眺めやった。

 男は若いようにも、かなりの年配のようにも見える。
 黒人種でこれほど年齢の分かりにくい人物にお目にかかったことはない。
 何ともいえない不思議な風貌をしていた。純粋な黒人種ではないからかもしれない。
 こちらを冷ややかに窺うその瞳の色はブルーで、非常に怜悧な印象を与える。
 鼻柱は高く、どことなくインド人のようにも見える。

 「保護者の癖に、ほったらかしにしてたのよ」女のまだ憤慨を含んだ声が苛立たしげに言った。

 「ねえ!」百目鬼は黒人に向かって大声で話しかけた。フランス語はできなかったので、仕方なく英語で。「この子はあなたの連れですか。どうしたんです? 随分、怯えているようだが」

 「なーに、気にする必要なんかないんですよ」
 黒人は嘲るように言い返した。明瞭なキングスイングリッシュだ。
 「子供が変なものに怯えることなんか、よくあることだ。ふん、大方、ムルソーが殺したアラブ人の幽霊でも見たんだろうよ」

 成程、ひどいことを言う奴だ。
 女があれ程怒って罵るのも当然だ。百目鬼は体が震えるのを感じた。
 黒人はバスタオルと男の子の着替えを持ってこちらに近づいてくる。
 百目鬼は一発ぶん殴ってやろうと拳を思わず固めた。その時だった。

 「No!」
 突然、百目鬼の胸の中から顔を起こし、男の子は非常にはっきりした発音と強い、まるで大人が発するような断固とした調子の、だが非常に早口の英語で男に向かって反論し始めたのだった。
 「I just saw Choronzon! He isn't a ghost at all! But an ugly merman! It's a devilish monster of the wartery chaotic abyss, confusion and dispersion!」

 「今、何て言ったんだ?」百目鬼は女に顔を向けた。

 女は暫く呆然としたまま、答えられなかったが、やがて我に返って言った。
 「……この子、ちゃんと英語が話せるのね……。よく聞き取れなかったけど……醜くて恐ろしい半魚人の怪物を見たって言ってたわ。……混乱、分散、水の渾沌とした淵……何のことかしら、コロンゾン……コロンゾン、どこかで聞いたような……」

 「なーに、その子は頭がいいんですよ」
 黒人が近づいてきて白い歯をきらめかせて笑った。
 「四カ国語は五歳児並に喋れますよ。英語、日本語、アラビア語、それにわたしが今教えているフランス語もね。尤もフランス語はまだまだド下手だが……」

 男は子供の体を拭いてやりながら、今度は何と日本語で百目鬼に話しかけた。
 「あんた、新聞記者だろう。昨日の学会で見たよ。ふん、わたしを覚えていないのかね」

 「……あなたは誰だ?」百目鬼は警戒して後ずさった。

 「何、怪しい者じゃないよ」
 男はにやりと笑った。
 「こう見えてもわたしは学者だ。この子の友達でもある。なあ、そうだろ、坊や」

 男の子はふてくされた様子でバスタオルを黒人から引ったくり、自分で体を拭き始めた。

 「やれやれ、気難しい坊っちゃんだ」
 黒人は鼻でせせら嗤った。
 「……わたしは日本語もできるのでね。この子に自分の名前を漢字で書けるように練習させてたんだ。砂の上での書き取りの訓練さ……さ、坊や、書いてごらん」

 男は子供に木の枝を手渡そうとした。だが、男の子は金髪の娘の後ろに隠れてしまった。

 「やれやれ、えらく嫌われたもんだな」
 黒人は溜め息をついた。
 「書いてごらん。簡単なことだろう?」

 子供は枝をやっと受け取ったが、砂の上にしゃがみこんだまま、枝先をぴくりとも動かさず、凝っとしているだけだ。

 「貸してご覧」黒人は枝を受け取ると、男の子の前に一文字の漢字を書いた。
 百目鬼はその文字を見て、やや眉が吊り上がった。

 砂の上には《神》と書かれていた。