もうすぐあの日がやってきます。そうです、戦友の命日です。
もうあれから4年になるんですねぇ…早いものです…。
姉と慕っていた戦友。
そんな姉が残したものを僕は残せませんでした。
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
姉はいつも言っていました。
「PDの人のためにPDを国に、日本中に認知させたい」んだと。
それはもの凄く難しいことなのかもしれませんでしたが、
それでも姉は真剣でしたし、そんな姉をフォローできれば…そんな風に思っていました。
それなのに僕は姉の意志を継いだにも関わらず残すことができませんでした。
姉はまず僕らが住んでいる県から変えていこうとしました。
同じ県に住むPDの方々を救うことから始めました。
それが、姉の第一歩であり、姉についていこうと決めた幾人かの第一歩でした。
SHGを立ち上げるに至って、同じPDの方々の気持ちが聞きたいという思いから、
姉と僕は色んな場所でPDの方々と集まる機会を設けました。
誘っても来られない方が多かったですが、来られる方には来て頂き、
話を聞かせて頂けたのは姉と僕にとってはかなり良かったです。
姉はよく「PDに重いも軽いもない。なった人はみんな辛いんやから」と言ってました。
僕は辛いという思いでいることには変わりはないと思いながらも、
重いや軽いといった判断は難しいと感じていました。
それまで一緒に頑張ろうと言い合ったのにも関わらず、
SHGの立ち上げの前に姉に賛同できないと去られた方は、
「PDの症状で重いや軽いはあると思う」とおっしゃられていましたし…。
現に、僕のようにある程度限られた区域であっても外出ができる状態の人間も居れば、
きちんと働いておられる方もいますし、部屋から全く出られないという方も居られるので、
重いとか軽いといった表現は好ましくないと思うんですよね。
風邪でも症状が重いとか軽いとかって言いますが、なった人間にしてみれば
どんな症状であれ、風邪にかかった時点で苦しいものです。
それを重い、軽いと区別はできないと思うんです。
話は戻りますが、PDの方々と集まり、話を聞く中で、
みなさんの状態が異なるために逆に不安を与えるケースがあるということを知りました。
当然と言えば当然なのですが、テレビやネットを介して得た情報よりも
生の情報の方が心に残ってしまうので、前述のようにある程度普段の生活を取り戻していた方が、
僕たちが設けた場所に集まることで精一杯という方の話を聞くと
「またあの頃のようになってしまうんじゃないか?」って思ってしまうようです。
例えば、今の僕が電車やのどの渇きが発作を誘発させることを話すことで、
それまで電車に乗ることができている人やのどの渇きで発作が起こるなんてことがなかった方が、
意識してしまって発作を起こすケースの1つにしてしまう可能性があるということです。
ですから、こうして僕がこの場で発作を起こす要因を書くことで、
知らない方に少しでもわかって頂くというのと同時に、
PDの方には悪影響を与えているかもしれないという諸刃の剣となっているのです。
そういうこともあり、こうやってブログを続けるのはどうかと思うのですが、
SHGを潰してしまった以上、できる範囲でPDについての情報を発信していかなければならないと思うため、
このブログを続けることにしています。
PDの方々の話を聞くことにより、SHGを立ち上げに壁ができました。
「PDに重いも軽いもない」という信念の姉もこの壁には悩んでいました。
重い、軽いがなかったとしても悪影響を与えるようではいけない。
そのためには運営をどうすれば良いのか?ということをよく話し合いました。
で、出た答えが入会前に幾つかの質問をするということでした。
質問をすることで、悪影響を及ぼすようなケースを減らすことにしました。
立ち上げに関わったメンバーで数ヶ月間色んなケースに備えてどうするかとか、
誰がどういう役割をこなしていくかを話し合い、ついにSHGを立ち上げるに至りました。
立ち上げに関わったメンバーは全員で4名。本来は5名のはずでした。
しかし、姉の考える対象者が「同じ県に住むPD患者」であったのに対し、
PDに重いや軽いがあると考えていた方は「働いているPD患者」であったことが原因で
姉と距離を置き、立ち上げに関わることをやめ、姉や僕の前から去られました。
いろんなことがありましたが、姉を代表とするSHGは動き出し、
立ち上げ間もないというのに関わらず1ヶ月で新規加入者が10名ほどになりました。
その後も問い合わせのメールが来ました。
順調なスタートだと思っていた矢先の出来事、それが姉の“死”でした。
SHGを立ち上げて3ヶ月も満たないときでした。
姉が亡くなったのを聞いたのは、姉が亡くなって数日後のことでした。
仕事の関係でそのことを知ることができた立ち上げメンバーが職場で聞いてきたのです。
SHGに関する資料や会員さんの個人情報など、代表だけが知り得る情報が
姉のもとにあったため、実家を知らない僕にはどうすることもできませんでした。
そんなとき、僕を助けてくださったのが、姉の元彼さんでした。
元彼さんが全ての資料を僕のもとに持ってきてくださいました。
そのことは今でも感謝しています。
引き継ぎという作業もなく、姉と一番話をしていたということから、
僕が代表を引き継ぐことになりました。
姉がそれまでどういう質問を問い合わせに対して行なっていたかわかりませんでしたが、
姉と決めたSHGに加入するための約束事があったので、それを参考にしました。
姉が亡くなったことで、そのことを知った県のSHGを応援する団体からは
姉の死後すぐに解散せよとのメールが来ました。
僕はもの凄く苛立ちました。
姉の死がまるで悪いことのようなメール内容であり、
SHGを立ち上げる際に、姉が挨拶に行き、年会費まで支払ったにも関わらず
何のフォローもなく、解散を迫るなんて…。
そんなこともあり、僕はSHGを継続させることに致しました。
その判断は間違ってなかったと思っています。
姉が亡くなってからも、新規会員さんは増えましたし、
SHG専用のBBSではみんながみんなを励まし合ったり、相談し合ったりと
姉が求めていた“助け合う”グループであったからです。
ただ、SHGを立ち上げて1年以上経ったとき、立ち上げに関わったメンバーが次々と離れていて、
ついには僕一人が残るということになっていました。
誰にも相談できるわけでもなく、かといって会員さんが増えるに連れ
SHGを一人で運営するのも難しくなっていきました。
悩む日々を過ごす中で、2年という月日が流れ、
姉の意志にこだわっていたはずの僕だったのにSHGを解散することに致しました。
姉にはもの凄く申し訳ないと思いましたし、資料を届けてくださった元彼さんにも申し訳ないと思いました。
元彼さんも姉の意志を尊重して「続けていって欲しい」とおっしゃられていましたから。
その決断を会員のみなさんにお伝えしました。
すると、みなさんからは「これまでありがとう」と言われました。
あの場所が無くなることは寂しいけれど、少しの期間でもあったことで救われたという方が
想像以上に多く居られたのには、僕は嬉しかったですし、心が救われました。
そして何よりも姉が喜んでいるのではないかと思いました。
だから、姉の考えは間違いではなかったと思っています。
もうすぐ姉の命日。今はあの世でPDに苦しむことなく過ごしているのかな…。
姉が亡くなったときは、受け入れたくなったですし、悔しかったですが、
今思えば苦しみから逃れられたのは良かったのではないかと思っています。
もちろん、志半ばで亡くなったことを本人は悔しいでしょうが、
当時に比べてテレビでPDのことを耳にする機会も増えましたし、
少しは知られていっているかなぁと思いますから。
とは言え、まだまだ全然ですけどね。
PDに限らず、いろんな病気が知られていない状態です。
僕自身も知らない病気がいっぱいあります。
そんな病気で苦しんでいる方はもの凄く居られます。
病気になったことを正当化するわけではないですが、
病気になったことで病気ではない方と比べられ、卑下されるのなら、
病気になった方々が生きていける国づくりをしてもらいたいです。
PDには重いや軽いがあるかどうかはわからない。
でも、なった人間にとっては辛いものであることには変わりない。
そして、それによって区別されることがあってはならないが、
区別されているのが今の社会の現状である。
悔しいけれど…。
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