2005年11月23日(水) 00時23分54秒

ひと夏の出来事。その参。入院編最終話。

テーマ:こんなこともありました。
助かったー。


個室でテレビあるし、エアコン自分の好きに調節できるし
御飯だってもちろん朝昼晩付いてるし、ナースコール押せばいつでも
看護士のお姉ちゃんが来てくれるし、高校野球見放題だし。


最高だぴょ~ん。


と、頭の中で考えてはいたのですが
1日目の夜から、辛すぎて体を動かせないような状態に。orz
遂に熱は、人生最高記録、K点超えの42,2度まで上がってました。
実際はテレビを見る余裕もナシ。
どーやら、最悪の状態になる直前の入院だったみたいです。
いやー。助かった。


お見舞いに来てくれるという、嬉しいお言葉も色々頂いたのですが
お見舞いに来られても、動けそうになかったし
万が一、麻疹経験者でなく、うつしてしまったらマズイと思い全部断りました。


で、入院生活。
僕の中での最難関課題は、どのように用を足すか。
22歳になって、おまるは屈辱だ。そんなカッコつけた考えを持っていたのです。orz


そして遂に入院初日の夜。
行動を開始しました。
確か夜中の2時過ぎ、どーにもしっこするのを我慢できなくなってしまい
2部屋先にあるトイレへの潜入を試みたのです。
もう気分はランボー。サヴァイバルです。見つかるわけにはいきません。
見つかったら、すぐに撃たれますからね。

ランボー

が、しかし。

部屋を出て10メートルも進んだ所で、看護士Aに発見されて死亡。
なかなか看護士の方たちも訓練されてるようで甘くなかったです。

が、しかし。

ココで諦めるのは普通の入院患者。
僕は普通とちょっと違います。なんてたって熱は42度ありましたからね。
その上、超強力細菌兵器で身を固めてるわけですから。危険ですよ。
そして、30分後トイレ潜入作戦を、もう一度行うことに。今度はB作戦。
相手が一度捕まえて油断してる所につけこむわけです。

スネーク

今度はトイレへたどり着くことに成功。
もちろん、敵兵士が待機してる看護士ルーム(仮)の前を通過するときは
匍匐前進気味で、進ませてもらいました。

ほふく前進

遂にトイレ内へ潜入成功

が、しかし。

僕の名前を呼ぶ声が!
思わずトイレの中に隠れてみたけど、1秒で見つかる。
あっさりと確保されてしまった。
そのときだけは、トイレ使用を認めてもらえましたが
用を足すと、首根っこを掴まれつつ自分の部屋へ連行。
次の日の夜からは警備を厚くするとのことでした。orz

そんなことを、3日目深夜まで試みました。
全て捕まってしまいましたが。OTL


ってことでトイレ潜入は諦めて、おまると向き合う生活が始まったのです。
もう、開き直りですよ。
どーせ看護士のみなさんは慣れてるんでしょ。
って思いながら。自分に言い聞かせながら。
慣れちゃうと最初におまるを恥ずかしがっていたことが
恥ずかしくなるわけです。変にカッコつけるのは面白くないと。勉強しました。
かなり扱いずらい患者だったと思います。ごめんちゃい。

が、しかし。

トイレ潜入作戦が功を奏してか、看護士のお姉ちゃん達と
いつの間にか仲良くなってしまっていたのです。
5,6,7日目にもなると、熱もだいぶ落ち着いてきて
夜中は寝れずにヒマになってしまったので、0時過ぎたらナースコールをポチっと押し
看護士のお姉ちゃんを呼んで、くっちゃべってました。
寝れません。とか理由を付けて。

これはマジなんですけどね。
ホント綺麗な人が多かったんですよ。ホントに。ビビッタ。感動した。
また、おしゃべりが楽しくて楽しくて。スミマセン。orz

話してると、やっぱり入院患者っていうのはお年を召した方が多いらしく
僕のように22歳とかで1週間とか入院する人は珍しかったらしいんです。
いつもオジサンオジイチャンの患者の相手ばかりなので
当時22歳だった僕が看護士のお姉ちゃん達のオアシスだ。
とは言ってませんでしたけど、楽しい会話をさせてもらいました。


いやー。楽しかった。入院生活。


そして、2週間後に東京都、新島村、神津島村にサーフィン旅行に
行った訳なのですが、入院で体重が5㌔だか6㌔だか減ってしまっていました。orz
なのでその前に一度、神奈川から静岡にかけて1泊2日で
体を慣らすためにサーフィンしに行ったのです。
楽しかった。波に流されてばかりでしたが。orz


そして、まずは神津島に4泊、その後新島に3泊の旅行に向かったのであったが・・・。

神津島  神津島の海。

続くかもしれますん。
2005年10月30日(日) 16時42分44秒

ひと夏の出来事。その弐。

テーマ:こんなこともありました。
ばぁ~いざうぇ~ぃあぁ~ぃとらぁぃどとぅせぇ~ぃ

あぁ~いどびぃ~ぜぇぁ~うぇぃてぃんふぅぉ~。

自己月間更新記録を更新しました。10回。イェイ
あ。どうも僕です。


なんとかっていう病院の咽喉科から大学病院への招待状をもらった僕は
バイクを飛ばしてに行って、タバコとポカリスエットを買った。


喉が腫れてると言いましたけど、とんでもなく腫れてたんですよ。
カマキリの卵って見たことある人いますかね?
あれが、喉の右側にくっついていた感じ。それくらい腫れていた。
ちょっと気持ち悪かった。全然モテなそうな喉だった。
だから、何か飲むのも食べるのも、唾を飲み込むことさえも喉を刺激した。

カマキリ竜二  ←こんなのが喉の右側に。。。orz


それでも、タバコだけはやめられなかった。←ダメダメ。
ポカリスエットを飲み込むのにも顔をしかめていた。


しかもその頃、全然目立たなかったけど
体に発疹が見られるようになっていた。
うひゃぁ。本格的に原因不明の気持ち悪い病気になってきたぁ~。ガビーン。


の前で、一服してまたバイクに跨る。
真夏の8月にパタゴニアのジャケットを着て完全防寒の男。
どう考えても罰ゲームにしか見えなかったはずだ。
だけど、それでも寒くてしょうがなかった。けど汗は出まくり。ガビーン。


病院に着いて紹介状を見せると、待たずに診察室に入れてくれた。
紹介状が咽喉科の病院からだけに、咽喉科に連れてかれた。
そこで熱を測る。


ななな、なんと41,2度もあるじゃないか。 _| ̄|○


先生もビックリ。

「よく、1人でバイクで来たねぇ~。アハハハハ~ヽ( ´▽`)/」

なんて言われつつ診察される。
どうやら、先生もこれだけ腫れてる喉を見るのは初めてだったらしい。
そんなレベルにまで育ってたなんてすげーぜ。
そこで先生は気付く。

「ちょっと発疹が見えますねぇ。それに僕じゃ原因分からないから皮膚科に行ってちょ。」

ガビーン。
また、原因不明のまま違う科にまわされてしまった。orz
まぁ、何処かの医者のように知ったかして薬を渡すよりも
分からないなら、分からないって言われた方がいいですね。
それに大学病院。きっと原因は分かるはずだ。

慈恵医大第三病院  ←慈恵医大第三病院。

で、次に連れて行かれたのが皮膚科。
おっ。何か若い綺麗なお姉ちゃんが先生のようだ。やたー。
で、皮膚科に行ってもとりあえず喉を見せて見せてって言われる。
で、喉を見せる。

「すごーい!こんなの初めて見たよ~!」

っとお姉ちゃん先生はちょっと興奮気味。
で、僕の病気は何なんでしょうか。orz
って聞いたところ、先生は即答。

「あ。これは麻疹(はしか)ですね 病名は、成人麻疹になります

うぉ。コレが噂の麻疹だったのか。ってちょっとビックリ。
僕はどーやら、子供の頃に麻疹っていうのを経験しないできてしまったらしい。
し、知らなかたよ。orz

「それじゃ、このまま入院してもらうので手続きの方してもらっていいかな?
 っていうよりも、しないとヤヴァイっすよ。いいですか?ヤヴァイっすよ。」

その上。

「ちょっと喉を写真撮らせてください コレってかなり貴重ですよぉ~。珍しいですから
 今後の研究の為にも何枚か撮らせて欲しいんですけど、いいですよね

えぇ。にゅ、入院ですかー!
ちょっと、入院って聞いて躊躇してしまった。
バイト行けないじゃん。とか、コンビニ行けないよ。とか。変なことが頭を巡った。
え?写真?何枚でも撮ってくださいよ。早く寝たいです。僕。
しかし、このテンションの高いお姉ちゃん先生のされるがままにさっさと
入院の手続きも写真撮影も全部やってしまった。
だけど、その頃にはちょっとだけ、あぁ助かった。ってホッとした。
ホッとしてすぐに気付く。


あ。入院ってことは他の患者とも一緒の部屋か。
隣のベッドで夜な夜な復活の呪文を唱えてる奴がいるとか
そういうのは嫌だけど、基本的には別に屋根さえあればどこでも寝れる。
おじさんとかと喋るのも嫌いじゃないしな。
どこでもいいですよ。僕は。


なんてことを考えてると、先生が一言。

「内科の病室が余ってないから、ヨシチカ君は外科の一番端っこの部屋ね。もちろん個室 

おぉ。もちろん個室だなんて。ラッキー
っていうのも、僕は麻疹だ。個室になるのは当たり前だったらしい。
他の人にうつしたらダメですからね。
ラッキー


って思うのも束の間。色々と条件を出されてしまった。

トイレに行ったらダメ。おまる尿瓶で済ませること。
もちろん、シャワーなんて浴びることは出来ません。
タバコ吸うなんてとんでもない。携帯電話なんてとんでもない。

ってことに。


携帯電話なんてほとんど使わないから別に構わない。
まぁ、タバコも病気だし我慢しますよ。シャワー?全然余裕。
だけど。。。
おまるって。orz

おまると少年

ま、まぁいいだろう。orz
僕には高校野球中継という最強の味方が付いている。


そんなこともあり、病室に移動。
まさに死んだように寝ていると、看護婦さんがすぐに部屋に来た。

「お母さんの方に連絡がつかないんですよぉ。」

別に緊急事態ってほどじゃないし、いいんじゃないすかねぇ?と、僕。
ってことで、気合いで着替えを自分で取りに行く。うへぇ。orz


もう入院したために、助かったも同然。そんなの気にしない。
たまたまその時期、実家の方は両親二人であけていた。
姉ちゃんは男とどっか遊びに行ってた。
だけど、携帯持ってるんだから電話出ろよ。とも思いましたけど。


結局、連絡がついたのは入院して3日目
家に丁度戻ってきたときに電話がなったらしい。
何で携帯に電話がいったときに出なかったのか聞くと

ワンギリ業者かと思って、二人して無視してたのよ。ウフフフフ。で、調子どう?」

ママン。ワンギリ業者はワンギリですよ。
30秒以上も何度も鳴らす電話を2日間も無視しないで下さい。orz





続く。
2005年10月28日(金) 19時30分20秒

ひと夏の出来事。その壱。

テーマ:こんなこともありました。
トゥルットゥル~。トゥルットゥル~。
トゥルルルルルルルルルルルルルル~。
あ、どうも僕です。こんばんわ。


こちらは順調に夏が近づいてきておりますよぉ~~!←開き直り
今日なんて最高気温は29度でした。
日本と何が違うって、家の中はエアコンなんてものがなくても涼しいし
日陰に入ったら涼しい、もちろん夜も涼しい。イェイ
だから、最近家では上半身裸生活。イェイ
ライブレポはまた今度。イェイ


そう。
毎年夏になると思い出す。
2002年の暑い夏。死ぬかと思ったあの夏。

2002年夏  2002年の夏。

あの頃僕は9月にサーフィントリップで新島に行くことを楽しみにしていた。
そのお金を貯めるために毎日バイトに勤しんでいたわけです。
カチャカチャカチャカチャ。ってパソコンのキーボードを打ちまくる毎日。
真面目に仕事をしてるだけなのに、周りの女子達からは

「ヨシチカ君、何で怒ってるの?毎日怒ってるよね。」

って言われるくらいマジな顔でバイトに励んでいた22歳の夏。←怒ってません!


そんなある日、夜も19時を過ぎたであろう頃にもの凄い暑さを感じるようになりました。
職場はエアコンがガンガンかかっててむしろ寒いくらい。
なのに、僕だけ暑い暑いとワガママを言い出したんです。

「あー。暑い。暑いよ~。暑いよ~。ウヒャヒャヒャヒャ~。」

そんなことを言ってると、とある人からがあるんじゃない?と言われた。
そう言われれば、そんな気もする。
まぁ、バイトは20時までだし普通に家に帰ればいいか。
ってことで20時に帰宅。暑い暑い暑い。
熱を測ると38度5分。くらい。だったかな?
おぉ。僕の最高体温に届いてるじゃないか!


と、思いつつ23時からあるカラオケバイトへ単車で向かう。ブンブンブーン。
すると今度は、単車で感じる風がメチャクチャ冷たいんですよ。さぶっ。
単車から降りるときはちょっと震えてました。さぶっ。


バイトの最中もずっと寒くてしょうがなかった。
一緒に入った、バイト先で一番一般人に近い男・ヨシタカ()にも

「おいおい。大丈夫かよ~?っていうか、うつすなよな~。」

とか言われつつ、朝5時に終了。
しかし食欲はあったので、なか卯で牛丼大盛りを食べて帰った。美味しかったです。
なか卯は卵がメチャクチャ美味しいです。牛丼チェーンの中でも群を抜いてます。

なか卯狛江店

あれ?これも長くなりそうだな?まぁ、いっか。イェイ


そして家に帰宅してまた熱を測ったわけです。
39度。ガビーン。過去最高の体温を記録。大きな壁を破った感覚。
そしてバイトは休むことに決定。体温とか見ちゃうと人間弱くなるものです。
どうせ単なる風邪だろう。1日休めば絶対に治る。
大きな病気をしたことのない人なら、熱出てもこんな感覚だと思います。


が、しかし。
3日間経ってもまったく熱は下がる気配はなく、今にも40度に届きそうだった。ガビーン。
そして遂に、病院に行くことを決意したのです。忘れもしない。
松本脳神経外科・内科クリニック。堂々と内科も受診できますよ。って書いてある。
そこに寒いなぁ~と思いながら単車で行ったわけです。
なんか胡散臭い先生が登場。何か食ってたみたいで口をモゴモゴさせてる。
おいおい。大丈夫かよ?何か、この先生お鍋の中からボワッと出てきた感じだぞ。

「大丈夫大丈夫。ガハハハハ。ちょっと疲れて熱出たんだね。栄養とって寝てれば治りますよ。
 薬も4日分出しておきますからね。とにかく、ちゃんと栄養とってよく寝てください。」

おぉ。そーか。僕は栄養を取ってなかったぞ!
ってことで、帰りにオレンジジュースとかヨーグルトとか何か体によさそうなものを買い込んだ。
だけどここで問題発生。どんなものを食べてもマズイ。味覚がおかしくなっていた。

まずい

それでも、気合いで飲み込む。こういうのは得意だ。
その後薬を飲んで寝たらもう完璧。明日の朝には熱も下がってるな。へっへっへ。
って思って寝たんです。
だけど、次の日にはまだ熱があった。ちくしょー。手強い風邪だぜ。
って思ったけど、薬は4日間分ある。こっちは長期戦オーケーですよ。
と言わんばかりに、先生の言葉を信じつつそれを4日間繰り返した。


全然熱下がらないじゃないですか。 _| ̄|○


それどころか、遂に4日目には40度の大台に乗った。
あんのヤロゥ~!ヤブ医者め!


すでに、熱が出始めてから1週間が経過していた。orz
これだけ熱が高いのが続いたらヤバイんじゃねーの?なんて危機感もちょっとだけ出てきた。
そこで、自分の喉、扁桃腺っていうんですかね?それが異様に腫れてることに気付く。
1週間目で。orz


それから、今度は咽喉科の病院に行ってみよう。と決意。
また寒いよぉ~、寒いよぉ~。って言いつつ単車で病院へ。
診てもらって5分で、今度の先生は治療について回答。は、はやいっ!





「ウチじゃ手におえないんで、大学病院に行ってください。紹介状書きますから。」





il||li _| ̄|○ il||li





続く。

2005年10月08日(土) 22時23分12秒

高校時代の普通の想い出話。 最終回。大会編。

テーマ:こんなこともありました。
今回も字だらけですよ。
スミマセン。 _| ̄|○
めんどっちかったら、いきなりコメントで
無難なことを書いちゃってくださいorz


高校球児の出れる大きな大会は3回。
秋、春、夏の大会があるわけだ。
秋の大会は、県や府の大会のあとに各地区大会がある。←東京、北海道はなし。
そこで最低2回以上勝たないと春の選抜甲子園には出られない。
春は各地区大会まで。夏はもちろん県内勝ち抜けば甲子園。
秋の大会を早々に負けた場合、夏の大会の為に
約一年間練習に励まなくてはいけなくなるわけだ。
それだけ夏の為に練習して、負けて泣かないやつなんていないだろう。
やっぱりメインの大会は夏。


ってことで、スタート。


1998年7月26日。県大会決勝。
今日までのことを振り返ってみる。

もう、僕達には後がなかった。

秋の大会はエラーしまくりで敗退。自責点の勝負なら2点勝っていた。
その高校が県大会で優勝したのもまた悔しくなる一因だった。

春の大会。
県大会の前に地区予選があるんだけど、そこでまさかのコールド負け。
何十年ぶりかに県大会に出場できない。そんな汚点を残すことになった。
甲子園でベスト8まで残った前年のチームも春の県大会の初戦で負けてるため
ウチの高校は、春はわざと負けてるんじゃないのか?
そんな噂が、いまだに県内の高校野球関係者の間で囁かれている。

そう。
僕らの一年上の先輩達は甲子園でベスト8まで勝ちあがった。
そんなプレッシャーとも僕達は戦わなければならなかった。
だけど、どんな結果になったとしても、それも今日で終わり。
その上、僕等の戦っていた県には何十年ある歴史の中で
甲子園で春夏連覇をした高校は存在しても
2年連続で夏の甲子園に出場した高校はない。
そんなジンクスもある。

そして夏。
最後の大会だ。

春の大会に出場できなかった僕達は、もちろんシード権なんて取ることは出来なかった。
それでもやはり、前年度の優勝校。イヤでも注目を集める。

トーナメント表を見てみると、かなり辛いところに入ってしまった。
初戦の相手は部員が足らなくて他の部から部員を借りてくるようなチーム。
しかし2回戦は県内の新鋭ながら春の大会を優勝し
関東でもベスト8まで勝ち上がった高校。言わずもがな、優勝候補No.1だ。

ちなみに、この試合のダイジェストというか、物語のようなものが
テレビ朝日のGET SPORTSで放送された。
もちろん僕達はヒール役で。相手高校の特集だ。
テレビを見ると、彼等のベンチにあるホワイトボードに
「打倒!!!〇〇〇〇!!!」 とか書いてあった。クソゥ。負けてたまるか!

結局県内では、その年のベストゲームと言われるようになる結果となった。
延長13回、6-5 のサヨナラ勝ちだ。
テレ朝的には涙を誘える素敵な内容になったことだろう。

その後も危なげなく順調に勝ち進むことができた。
僕はといえば準々決勝、走者満塁の場面でなんとエラーをしてしまう。
勝ったからいいものの、夜にテレビ朝日・甲子園への道。っていう番組を見ていると
なんと、そのエラーシーンを放送されてしまった。 _| ̄|○|||
全国のみなさん、エラーでこんばんは。←訂正済み。こんばんわ×

準決勝では因縁の相手との試合になる。
春の大会でコールド負けを喫した相手だ。イヤでも熱くなってしまう。

2回表に、僕達がさっさと先制。楽勝ムードが漂う。
しかしそこから先は予想してなかった投手戦。
5回に逆転、6回には1点追加された。
それでも、僕達も8回に1点を返す。

そして、1点差で迎えた9回。
先頭バッターがライト前ヒットで出塁。
それを送って、1OUT ランナー2塁。
次のバッターがセカンドゴロ。 2OUT ランナー3塁。
同点に追いつけるのか?それとも、このまま負けてしまうのか。

そんな大事な場面で回ってきたバッター。

うわっ。自分すか?!
僕が最後のバッターすか!
そんなんでいーんすか!
うへぇ。打てればいいけどさぁ~。
こんな大観衆の前じゃ緊張しちゃうよぉ~。
中学の時も最後のバッターだったんだよなぁ~。やだなぁ~。
何てことを、その状況では考える余裕はもちろん無く。orz
ベンチを見ると負けを覚悟してるのか、うっすら涙を浮かべてるヤツもいた。

まぁ、そんなヘッポコバッターの僕に監督は迷わず代打を送る。←好采配。
そんな監督の采配が的中したかどうかは分からないけど
なんと相手ピッチャーが、あの異様な雰囲気に飲まれたのかワイルドピッチ。

それで同点になった。

そうなるともう勢いが違う。
9回2OUT、勝利目前で追いつかれたチーム。そして追いついたチーム。
同点なのにベンチを見ただけで、まるで勝敗がついてしまったかのように分かりやすかった。

そんな戦いも延長11回、4‐3で決着がついた。


こうして僕達は2年連続で決勝戦という舞台に立つことになった。


そして決勝当日。
今日を迎えれたわけだ。


あまりよく眠れず、今日もまた暑くなりそうだな。
なんて思いながらバットでも振ろうと外に出る。
するとみんなも興奮して眠れなかったのか、バットを振ってるやつもいた。

「あー。ここまで来るんだったらもっと練習した方がよかったな。」

なんて笑いながら言うヤツもいる。気持ちはわかる。
僕だってそう思う。

泣いても笑っても、これが最後の県大会。
何時間か後にはイヤでも結果が出てるんだ。
とりあえず今持ってるものを全部出してやろうじゃねーか。
決勝まで来たら、負けて悔いが残らないわけない。
絶対に勝って、もう少しこのメンバーで野球をやろう。


そんなことを思いながら、僕は決勝の舞台となる球場へ向かうバスに乗り込んだ。


終わり。
2005年10月07日(金) 21時06分00秒

高校時代の普通の想い出話。 精神力アップ。練習編。

テーマ:こんなこともありました。
いつもいつも、字ばかりですみませんorz


もし、過去に戻ることが出来たらどの瞬間に戻るか?
そんな考えたくもない、ばからしい質問を出されたらこう言う。


高校で一番最後に試合をした日の朝。
もう一度、みんなと本気でがむしゃらに野球をしたい。


これで分かるように、試合はしたいけど練習した日々には戻りたくないですorz
もう2度とあれだけ単純に精神的、肉体的に疲れることはないと思う。きっと。
これから先、違う種類の疲れ。っていうのは、もちろん経験していくでしょうけど。
それくらい高校時代の練習は辛かった。
どれだけ、練習に慣れてきても辛いことに変わりはなかった。


辛い事に変わりはないけど、当時はそれだけ充実した時間を過ごす事ができていた。
自分の目指すものになんの疑問を持つこともなかったし
辛かったけど、それを頑張れば自分の夢が叶う事も分かっていた。


練習でもなんでも、やっぱり他の部員達との競争だ。
いかに自分をアピールできるかが毎日の勝負。
監督に名前を覚えてもらわないと話にならない。
ちなみに、僕は名前で呼ばれるまで2年近くかかった。
試合ではそんなことしないけど、練習ではエラーをすれば
自分以外の100人近い人間から野次を受けることになる。
そして、声出してなくても野次られる。声が小さくても。
ほんと、怖いくらいでした。もう、後輩が怖かった。←ビビリ。


冬前はまだボールが触れるからいい。
冬なんて、まずアップをする。そのときに既に3キロ走る事になる。
その後は2グループに分かれて、ベースランニング(ベーラン)と
ウェイトトレーニングのチームに分かれる。そして交代で両方やる。
ベースランニングはトータルで30週分くらいだったと思う。一周約110メートル。
ベーランが先の日はまだいいとして、ウェイトをしてからのベーランは
本当に足がガクガクになった。
その後は素振り、トスバッティングなどなど。
少なくとも800スイングくらいはしたはず。
その後も、色々と「何でこんなことやるんだよ・・・」なんて思っちゃうような
疲れることばかりやらされていた。4時から9時まで。
本当にボールを使えない練習は辛かった。
だけど、それが春になって活きてくるんです。


ウチの高校は春には遠足があるんですよ。高校なのに。毎年。これって普通でしょうか?


だけど、僕らは春の大会があるので遠足には参加できず。これは我慢できます。
そして、秋の文化祭、体育祭。クラスのみんなが一丸となるイベントですよ。


何なら、放課後クラスの女子とかと作業していい感じになってしまう←あえて女子と言う。
カップルとかが出てきちゃって  
「〇〇君!一緒に帰ろうよ~。」   みたいなイベントですよ。


それすらも、秋季大会の為に参加できず。 _| ̄|○
すぐに負けてたら参加はできたものの、すぐに負けるわけにもいかないわけで。
さすがに3年で引退したあとの、文化祭等は参加できました。
もう、あのときの感動と言ったら・・・・・・・・・・・・。きっと経験者にしか分かりません。←しみじみ。
「あぁ、これが本物の青春なんだな。。。」 って本気で感じました。
放課後にコンビニでおでんとか買ったりして。
THE・青春。でしたよ。ほんとに。


そんなこんなで、秋、冬、春が過ぎ←春は飛ばしますorz
遂に最後の大会となる夏の大会がやってきた。


次回、高校時代の普通の想い出話。 大会編。そして最終回。
何故か最終回だけ、物語仕様でいきます。


つづく。
2005年10月03日(月) 21時45分16秒

高校時代の普通の想い出話。 精神力アップ。寮生活編。

テーマ:こんなこともありました。
字ばかりでスミマセン。 _| ̄|○|||


社会に出ると色々理不尽なことにイライラしたり
辛いなぁ~。と思ったりすることってあると思う。
社会に限らずアルバイトとか、そんな所でもあるだろう。


最近の高校野球、色んな事件があった。
部員の暴力、指導者の暴力、部員の喫煙、窃盗などなど。
高野連に報告される数っていうのはどれくらいあるのか知りませんが
全国で起こってる部内暴力なんて、新聞等で出てくるものの100倍以上はあると思う。
いや、1000倍近くあるかも知れない。やっぱり表沙汰にならないだけで。


または、暴力でなかったとしても多少のイビリなどはあるんじゃないだろうか?
1年生で試合に出ることになんてなったら、強豪私立高校なんかでは
きっと先輩のイビリなんかはあるだろう。
巨人の桑田の本にも書いてあった。彼は1年生のときからエースですからね。
かなり、色んなことを言われたりやられたり。

それは何故起こるか?

僕の経験から話をさせてもらうと
部員は常に80人前後。多いときは100人を超えることもある。120人部員がいる高校も。
そこから9人のレギュラー、県大会では20人のベンチメンバーを決めるわけです。
50人ほど入部しても、夏休みが終わる頃には20%から40%の部員は辞めていった。
練習が辛い。一般入部だと家が遠く、練習後の帰宅が大変。勉強ができない。
進学校だけに、そんな理由も少なくはなかった。
そこに、特待生だの推薦入学で入部してきた連中もいるんです。
だから、基本的に中学校までは常に自分が一番。そんなヤツが多いんです。
ベンチから外れたときの挫折感は、外れた人にしか分からないんじゃないだろうか?
例えベンチを外れても、特待で入学。入学金から授業料、全て免除。
もし、部活を辞めることになったら全部支払いしなくちゃならないんです。
そうなると、部活もやめられない。だけどベンチに入れない。
イライラの矛先が後輩に向くんです。
そうやって外れた人が、後輩イジメをしてるのが一番多かったと思います。
下手くそなヤツほど、道具の手入れも後輩にさせていた。
これは本当に野球する前の問題。
妬みや嫉妬ってイヤなもんですね。


ちょっと話をズラしたら、駒大苫小牧の暴力事件。
被害者の生徒が、仮にレギュラーで試合に出ていたら表沙汰になることはなかったでしょう。
それどころか、親にすら伝えてなかったと思います。


そして、寮に帰ると色々な理不尽なことが起こるんです。
寮の門限は9時。ほとんど寮に帰ると9時を過ぎてるからあまり意味はないんですけどorz
門限5分前に、パシリに使われたりするのは当たり前。もちろん時間には戻ってこれない。
それでも、行かなくてはならない。で、怒られるのは僕orz   なんて理不尽なんだ。
風呂当番が、ちょっと熱い風呂をためてしまうと、最初に入った先輩が風呂から怒鳴る。
「誰だよー、今日の風呂当番。ちょっと来い!!」
そして、何故か和室の部屋で正座2時間から3時間。 _| ̄|○
あとは、サッカー部の3年生のアイスが冷凍庫から紛失。←サッカー部と野球部の寮だった。
矛先は野球部の下級生に。orz
その他書けないようなことも色々。
だけど、ウチの学校は暴力はなかったとはず。僕の知ってる限りでは。


これは、先輩からの理不尽なこ仕打ちによるもの。
おかげさまで、多少のことではイライラしない人間になりました。 しますけど。←どっち?
気を使うことも上手になりました。色々なことに、気付かないと怒られてたので。orz
こんな仕打ちを我慢してるなんてバカじゃないの?
って思う人もいるでしょう。だけど、自分達が何のために入学してきたかを考えたら
これしきのことで挫けてる場合じゃなかったんです。こんなので挫折していたら
練習にすらついていくことはできません。
そして今ではいい想い出


こんな生活を送っていたせいか、某有名ホテルでコックをしてる友達がこんな話をしていた。
彼はホテルの独身寮のような所に住んでいるらしいのですが、やはり先輩からの
イビリがあるようです。それが辛くて仕事をやめてしまう人も少なくないようで。
そんな彼は言っていました。

「高校の時の寮生活に比べたら、天国。何が辛くてやめていくのか俺には分からない。
 給料だってもらえるし、寮の家賃は激安だし。」

そんな風に鍛えられた僕らの精神。きっと社会に出ても役に立つのかな。


次回、精神力アップ。日々の練習編。
つづく。


最近ネタがないので、これで引っ張りますよ!!!←必死。
2005年10月02日(日) 03時06分00秒

高校時代の普通の想い出話。 環境編。

テーマ:こんなこともありました。
こんぷり先生 にイメージバトンを渡したところ、またバトンが帰ってきました。
想い出話をしろって言われました。


今の運動会の季節に例えるならば、1人人数が少ないクラスで足が速いから
どこかで1回と、アンカーをまかされるクラスのヒーローみたいな立場ですね。←言い切る。
だから、バトンが2回来ると。そして、最後はもう渡さないでそのままゴールです。
困ったな。もう。


だけど、今回面白くないです(毒)


僕は今でこそ、音楽が大好きだ。
ギターを弾くのも大好きだ。
これは絶対に、大学時代にたくさんあった大学外での出会いの影響だ。


が、しかし。
自分で言うのもなんだけど、超体育会系出身でもある。
高校時代なんて、先輩や監督と話すときに俺、または僕なんて言葉は使えなかった。
自分。自分のことを自分と言う。これでどれくらい体育会系なのか伝わるだろうか?


だから、今でも初対面の人にいきなりタメ口で話しかけることが出来ない。
年上の人に限っては、どれだけ仲良くなっても敬語はかかせない。
それだと壁が出来てしまうだろうか?僕はそうは思わない。
仲良くなったら敬語だろうがなんだろうが、腹を割って話せば壁なんてなくなる。
まぁ、仲良し敬語になっていくのだけれどもorz


そんなものを全て身に付けた、高校時代に在籍していた野球部の想い出話をしようと思います。


あれは中学3年、1995年の夏。
高校進学について考えていた。
県内の進学校に進むのか。それとも野球を本気でやっていくのか。
だけど、僕はすぐに野球をやることに決めた。

「高校で野球をやるなら、甲子園を本気で狙える位置にある学校に行かないと意味がない。」

自分の考えとしては、どうせ高校で野球やるならそこまで狙える所じゃないと
意味がない気がしたからだ。例えば、甲子園っていう所で大会があるのに
目標が県大会のベスト8。そんな悲しい目標はないと思う。やるなら1番だ。


そして、自分の住んでる県内の高校に進学するのか、他県の高校に進学するのかということ。
親にも相談した所、大学まで行って欲しいと。そういうことだった。
それだったら、大学の付属の高校に行けばいいんじゃないか。
そんな感じで、他県の某高校に進学する事を決意した。
進学校だし、野球も強い。一石二鳥だ。
祐ちゃん も同じとこ行くし、オッケー☆
そんな感じだった。


入学前から知ってはいたけど、施設がはんぱじゃなかった。

球場  東京ドームと同じ広さ。やりすぎ。

この施設に惹かれたっていうのもある。この他にも雨天練習場が2つあった。
しかも、寮は球場まで徒歩30秒。学校まで2分だった。←近すぎ。


こんな環境で3年間野球をやることになり
寮生活ということもあって、常に先輩のいる状況での生活が始まりました。
そして、自分が最上級生になるのは2年後。なったとしても5ヶ月弱だけ。
その2年間の間に、体から離れないような体育会系体質になっていったのです。


次回、精神編。
つづく。


※高校名は伏せます。万が一、写真で何処の高校か分かっても内緒ですからね(はーと)
  まぁ、分かっちゃうほど有名な高校でもないですけどねorz
2005年09月27日(火) 21時36分34秒

ライン。

テーマ:こんなこともありました。
大事な大事なラインが突然切れてしまった。 アキレス腱っていうか、頭の中にいくつもあるうちの一つが切れたっていうか。 とにかく、そんな状態で何も出来ない。やる気が起きない。 なので、まだちゃんと更新できません。 どうもすみません。
2005年06月03日(金) 01時13分07秒

僕の話もしてくれよ。

テーマ:こんなこともありました。
例えばイメージ、印象。


前に書いた、関西出身の人 みたいに外見と中身が違うことってよくある。


ちょっと前に小泉純一郎さんが X JAPAN が好きだって言ってたけど
それだって以外だなぁ~。と僕は思ったものだ。
イギリスに留学してた男がなんで X なんだよ。
っていうのは別として。


やっぱり、外見やイメージと違うことしてると
そこには驚きがあるのだろうか?



今日はそんな話。



あれは、僕が高校1年生の時。16歳になったばかりの話だ。

僕は野球で高校を選んだのですが、その時には幼馴染の祐ちゃんも一緒だった。
幼稚園からずっと一緒で(ちなみに大学まで同じ)、中学生の時に

「一緒に甲子園に行こうぜ。ベイベー。」

とか言い合っちゃうような仲良しさん。
そんな祐ちゃんは、ちょっと男前。
体も僕と違ってデカイしガッチリしている。

僕達は高校入学と同時に坊主にした。
ある意味、野球部の運命だ。
だけど僕達は気にしなかった。
何故かというと、僕等の行っていた高校は野球ではちょっと名門で
野球部のバッグを持ってるだけでもマニアにはたまらない感じ。

steve-o

中学で野球をしていた人間なら
何処中出身の誰々ってことまで分かっちゃうくらい。←昔は地域限定有名人。
だから坊主でもモテるヤツは自分の学校、他校を問わずモテるんだ。

そんな僕達が野球部の寮に入寮する約1週間ほど前。
学校が始まって1ヶ月だけ通学の為に使った電車の中で事件は起きた。


いつものように祐ちゃんと僕は
ウォークマンで音楽を聴きながら電車に乗っていた。←テープですよ。テープ
だから電車の中では僕達の間に会話はないわけだ。

そんなときに、ふと祐ちゃんの方をみると他校の女の子二人が
彼を見ながらヒソヒソ話をしている。
やだなぁ~。もう。

祐ちゃん
、やっぱりモテちゃうんだから。←イライラ。

なんて僕は思っていた。
だけど、もちろん僕達には何を話してるのかは分からない。
音楽を聴いてましたからね。
別に声をかけられるわけでもなく
僕達は電車を降りた。

コンビニに向かって歩いていると、祐ちゃんが話しかけてきた。
彼は彼女達が話していたことを全部聞いていたらしい。
どうやらテープを巻き戻し中で全部聞こえてしまったようだ。
そして、あえて音楽を聴いてるフリをしてたんだって。
いやらしいなぁ、祐ちゃんは。

何て言ってたの?←とりあえず、聞いてあげる。

僕がそう聞いても、祐ちゃんはなかなか答えようとしなかった。
なんだよ。
そんなにイイ事言われたのかよ。ムカつく。
どうせ俺の話なんか出てこないですよ。ちくしょー。

とか思ってると、彼が口を開いた。

「こんなこと言われましたよ。」












「ねぇねぇ。あそこの二人、坊主なのに音楽聴いてるよ!!」









_| ̄|○







  

僕の話もしてくれてたんだね。     _| ̄|○
2005年04月20日(水) 01時27分52秒

将来的ヴィジョン。

テーマ:こんなこともありました。
春。
優しい春。
輝く春。
希望の春。

小学生の時、卒業式で絶叫した。


そんな、2003年の春。4月1日。
同級生達は入社式をしていた日。
僕も出発まで1ヶ月を切ったあの日。
いや、切っているはずだったあの日。
心の底から就職なんてしなくてよかったと思ったあの日。


僕は留年者ガイダンスに出席していた。   _| ̄|○


はっきり言って、それまでの人生が
トントン拍子に来てしまっていたために
初めて味わったちょっとした挫折。
ヘコんだ。



ガンダム



ココから延長期間をダイジェスト。



生活としては、学生の頃からやっていた
カラオケとは別のバイトがあったために
なんら変わりはなかった。
学校行かずにバイト。
そんな毎日。←だからダブる。

女優の卵がいたり。
コーヒー・チョコ・キムチが好きな人がいたり。
その人の彼女になった人がいたり。
留年して泣きながら辞めるはずだった
バイトを続けさせてもらう人がいたり。
とにかく、ちょっとした有名人とかがスゴク多かった。
自分達が夢を持ちつつ、人に夢を売る。
そんな素敵な職場。
結局9月まで働いた。


大学の方は2単位足りなかっただけなので
なんとか半年でクリア。9月に卒業。
これも土下座なしには語れないストーリーがあるんですが。


姉の結婚式がこの年の12月に予定されていた。
もちろん、5月に出発してるつもりだったから
結婚式には出る予定は全くなかった。
両親や姉的にも、別にでなくてもいいんじゃない?
そんなノリ。
が、親同士で会ったときに何かを感じてしまったらしい。

「ありゃ出なきゃまじーって。」

急に言われた、留年決定前。
どうやら相手の親が、堅そうな感じだったそうだ。

ちょっと前に流行った、おれおれ詐欺。
そんな電話がかかってきても

「あんた去年死んだのよ…。」

そう震える声を出しながら、詐欺を撃退する母親。
留年なんて、自分で金さえ払えば全く気にしないとのこと。
むしろ結婚式に出れるなら、留年しろ。
そんな空気。

で、出席。バッチリカメラマンを務める。


ダイジェスト~完~



とまぁ色々あったわけですが、1月に出発が決定。
9ヶ月出発が延長。

出発2週間前まで全く留学する緊張感もなかった。
モチベーションも高くもなかった。
いや、むしろ留学なんて忘れていたように感じる。
そんな先のことよりも目の前のことに夢中だったからだ。
もしかしたら、あれだけ夢中になったことってないかもしれない。
高校時代にやってた野球よりも夢中になってたか?
そうやって自分に問いかけても、負けてなかった気がする。
今、冷静に考えるとそう言い切れる。
とにかく、何よりも夢中になっていた。
留学ってなんだっけ?誰が行くの?
それくらい。

アレ?僕は何に夢中になってたんだっけ?






あれ











女だ
  _| ̄|○|||




とりあえず、そんな女のことは忘れ無事に翌年1月に出発。

そして今に至り、ここで生活をしている。
最初は余裕もなかったけど
今は余裕タップリ。何にでも時間を費やせる。←ヒマ。
あ、もちろん勉強第一ですよ!

それでも留学の目的だけはちゃんと思い出した。
海を渡って来てるんだし、お金だってかかってる。
いや、何があっても実際のところ忘れるワケがない。
将来的にどうなりたいのか。そのヴィジョンだってある。
だって僕は勉強するためにこの国に来たわけだから。





モテる男になる。





それだけだ。

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