2006年11月12日

井上靖  『孔子』

テーマ:歴史&伝記文学
井上 靖
井上靖全集〈第22巻〉

本書は、架空の弟子を設定し、その弟子の目を通してみた孔子像を浮き彫りにしようと試みている

が、なんともまだるっこい。

同じような話を延々と繰り返しているだけで、ストーリーに起伏がまるでなく、いい加減うんざりしてしまった。

一応、最期まで読みきりはしたが、何のために、かくも長くなったのか、理解に苦しむ。

まあ、淡々としているのを、褒め言葉に置き換えれば、枯淡の境地で描いた著者晩年の大作とでもいうことになるのだろうが。

同じく、弟子の目を通して孔子を描いた中島敦の短編小説『弟子』の方が、分量は圧倒的に短いが、はるかに師である孔子の姿を活き活きと描いているように思う。

この両著作を比較する時、歴史ものだからといって、必ずしも長ければいいわけではないことを思い知らせてくれる。

なお、井上靖の歴史ものが全て悪いわけではない。

『風林火山』や『蒼き狼』などの好著もある。

が、本作品は駄作だと思う。


切れ味: 不可


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2006年09月14日

海音寺潮五郎  『中国英傑伝』

テーマ:歴史&伝記文学
海音寺 潮五郎
中国英傑伝 (上)

古代中国の春秋戦国時代から漢帝国の創業初期までの事件や人物を扱った史伝もの

これを読むと、古代中国には、とんでもないスケールの英雄や悪党たちがあふれかえっていたんだなあと、感嘆してしまう。


劉邦と天下を争った楚の項羽は、すぐにキレて数十万という数の人を殺戮するし、漢帝国の創業者、劉邦は、戦に負けて逃げる途中、敵に追いつかれそうになると、乗っていた馬車を軽くしてスピードを上げるために、同乗していた息子を放り出してしまうとんでもない親父だ。

その劉邦の夫人は、夫が寵愛した愛人に嫉妬して、ダンナの死後、その愛人の四肢を切り落とし、眼を抉り、鼻を殺いだあげくに、便器の中に閉じ込めて糞尿まみれにして復讐を果たすといった始末だ。

現在だったら極刑ものの大悪人たちのオンパレードだ。

古代の人間はなんて野蛮だったんだろう。


そんな古今の英雄、悪人たちの人物評論をさせたら、まず海音寺潮五郎の右に出るものはいないんじゃないかと思う。

特に項羽については、軍事の天才ではあるが、感情の振り幅が極端に激しいため、自己制御の能力に欠けていたことが、最大の欠点てあったとの指摘は説得力がある。

著者には、本書の他にも、日本史でおなじみの人物たちをとりあげた『武将列伝』『悪人列伝』などがあり、こちらのほうも、その人物論は、どれも短いながらも優れている。


最近は、やたらと冗長な歴史小説が主流になっているけれど、そうした中にあって、海音寺のようなコンパクトな切れ味の作品は貴重だろう。

 

切れ味: 良

2006年07月20日

宮城谷 昌光  『春秋名臣列伝』 『戦国名臣列伝』

テーマ:歴史&伝記文学
宮城谷 昌光
春秋名臣列伝

古代中国の春秋戦国時代に活躍した宰相や将軍たちを列伝形式で取り上げた人物評伝。

本書には、春秋時代の名臣二十名が登場する。


しかし、どうにも宮城谷の文章は読みにくい。

人物伝のはずなのに、肝心の人物にほとんど触れることなく、自らの歴史知識をひけらかすかのような、まだるっこい説明が延々と続いたり、史実の裏を私的に推測することに、なにやら悦に入っていたりして、ちっとも、取り上げられた人物たちの象が浮かんでこないのだ。


また、漢文の素養をひけらかしたいためか、現在の小説では、あまりお目にかからない漢字(熟語か?)が頻繁に使用されているが、文章の品格を高めるどころか、かえって薄っぺらさが感じられてしまい、どうにもいただけなかった。

前回の記事で取り上げた中島敦とは雲泥の差である。


よほど中国の歴史小説が好きに人以外にはお勧めできない。

もっとも、歴史に関心のない人は、最初から手にはとらないだろうが。



宮城谷 昌光
戦国名臣列伝

『春秋名臣列伝』の続編とでもいうべきか。

中国の歴史において、あらゆる意味で最も活気があったと思われる戦国時代に生きた名臣たち十六人が取り上げられている。

『春秋~』と同時購入したため、高い出費となったが、収穫は少なかった。

感想は上記と同様。

ただ、こちらの方が、比較的馴染みの人物が多い分、『春秋~』よりは、幾分かは退屈せずには済んだ。



切れ味: 不可


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2006年06月23日

塩野七生  『海の都の物語』

テーマ:歴史&伝記文学
塩野 七生
塩野七生ルネサンス著作集〈4〉― 海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈上〉

ヴェネツィア共和国の誕生から消滅までの一千年に及ぶ変遷史である。

いわば、現在、執筆中の『ローマ人の物語』のヴェネツィア共和国版といったところ。


シェイクスピアの「ベニスの商人」に登場するヴェネツィア人は、デフォルメされているにしても、したたかなヴェネツィア人の一面を覗かせてはいる。

そして、本書では、そんなヴェネツィア人の生態を示すエピソードがてんこ盛りになっている。

それによって、彼らのを動かす行動原理は何だったのかが分かるというものだ。

とはいえ、上下二巻の分厚い本なので、結構、読むのに骨が折れた。


ヴェネツィア共和国を取り巻く内外の環境が、彼らをして、貿易立国こそが、ヴェネツィア人の生きる道と決意させ、その中で培われた経済合理性が、ヴェネツィア人の国民性を形作ってきたことが理解できる。


そして、この本を読んだ人は、日本との類似性を考えざるをえないだろう。

国土の狭さ、資源の乏しさ、アンチヒーローを好み、集団としての組織力がある点、貿易立国であり、その経済力は、他国に対して、かなりの影響力がある点などである。


が、ヴェネツィア共和国にあって、日本に欠けているものもある。

政治と外交の技術である。

ヨーロッパと中東の中間にあるという地政学上の理由から、ヴェネツィア共和国は、常に、フランスやスペイン、そしてトルコといった大国との紛争や同盟を繰り返さざるを得ない立場に置かれた。

したがって、その中で、国家を存続させ、かつ、その生命線となる国際貿易を支障なく行うためには、どうしても、列国の勢力均衡による安定を意図した政治と外交の技術を必要とする。

それは、何百年にもわたって、ヴェネツィア人の間で磨き上げられたお家芸とでもいうべきものであった。

この点に関しては、日本などは、ヴェネツィア共和国の比ではない。

ヴェネツィア人が、世間の裏も表も知り尽くした成熟した大人なら、さしずめ、日本人は、世間知らずのお坊ちゃんといったところであろうか。



切れ味: 可


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2006年04月03日

司馬遼太郎 『世に棲む日日』

テーマ:歴史&伝記文学

司馬 遼太郎
世に棲む日日 (1)

『世に棲む日日』は、小説というよりも、評伝といったほうがいい作品。

竜馬がゆく 』、『坂の上の雲』に比べて知名度の点では落ちるが、物語の進行が速く、分量的にも簡潔である。


幕末の長州藩が舞台になっている。
主人公は、前半が吉田松陰で、後半は高杉晋作である。


吉田松陰は、その生涯、そして己自身に課した行動規範をみるにつけ、これは、いわゆる武士道なるものが、江戸期の三百年をかけて純粋培養して創り上げたような人物、という印象を受けた。

武士道などといっても、相当に美化して解釈しているであろうから、実際に存在した武士など、いまのサラリーマンのメンタリティと大して変わらないだろうと思う。

しかし、時として、吉田松陰のような、倫理的な意味での武士道の結晶を生むこともあるようだ。


ただ、作品自体は、高杉晋作が登場してからの方が、俄然面白くなる。

伊藤博文の撰文にいう「動ケバ雷電ノ如く、発スレバ風雨ノ如シ」の通り、この人物の行動は、ほとんど劇画の世界である。

クライマックスは、藩ぐるみで暴走し、壊滅寸前に追い込まれた長州藩が、その反動で藩内の革命分子を弾圧している最中に、高杉晋作が、絶望的な情勢を転換させるべく、わずかな人数で決起する雪の功山寺挙兵の場面であろう。

この軍事クーデター前後の緊張感がたまらなくいいのだ。



切れ味: 良


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2006年01月30日

塩野七生  『キリストの勝利  ローマ人の物語XIV』 

テーマ:歴史&伝記文学
塩野 七生
キリストの勝利 ローマ人の物語XIV

古代ローマ帝国を築き上げたローマ人とは、自分たちとは異なる世界観を持った他者の存在を認める寛容の精神と、理性の力を信ずる人たちであった。

だからこそ、異なる民族、宗教が混在しながらも、普遍的な法制度が、帝国の隅々まで行き届いた文明を築き上げることができた。


が、そのローマ人たちの根底を支えた精神も、帝国の外からの蛮族の絶えざる侵入と、帝国内のキリスト教勢力の台頭によって、衰弱し、やがて消滅していくことになる。


本書では、その帝国内外の危機である蛮族侵入とキリスト教の台頭が克明に掻かれている。

特にキリスト教による世俗権力に対する支配権の確立に至るプロセスは、なかなか読み応えがある。


また、こうしたキリスト教勢力に対する防波堤を築こうと苦心した悲劇の皇帝ユリアヌスの短い生涯も、十分にドラマティックでありながらも、抑えた筆致でものされている。

著者が言うように、ユリアヌスの治世が十九ヶ月ではなく、十九年だったとしたら、あるいは、その後のローマ帝国の様相も、そして、暗黒の中世と呼ばれたキリスト教に支配されたヨーロッパの風景も、大分異なっていたかもしれない。

そう思わせるだけの、なかなか魅力的な人物である。


歴史の大筋の流れが向かう先は、たかが一人の人間の力だけで変えられるものではない。

それでも、一人の賢明な人間の意志と実行力に、環境と運の良さが重なった時には、歴史の辿る方向性は、全く別なものになったかもしれない・・・・・・ユリアヌスの生涯は、そんなことを考えさせてくれる。



切れ味: 可



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2005年10月05日

司馬遼太郎 『関ヶ原』

テーマ:歴史&伝記文学
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司馬 遼太郎
関ヶ原〈上〉

国盗り物語 』では、斎藤道三、織田信長を、そして、『新史太閤記 』では、豊臣秀吉の半生を描いた司馬遼太郎は、本作品で、秀吉死後の権力闘争と、その帰趨を決した関ヶ原の合戦を克明に描いている。


豊臣政権の簒奪を狙う徳川家康。

それを阻止せんとして、対抗する石田三成。


家康は、それまでの律義者のイメージをかなぐりすてて、政権奪取のために悪謀の限りを尽す。

特に、密室で、懐刀の本多正信と、豊臣政権を瓦解させるために、さまざまな計略をめぐらせる描写が、頻繁に出てくるが、悪辣な権力者のいやらしさが滲み出ていて、たまらなくいい。


そして、秀吉に引き立てられた諸侯は、秀吉が死ぬと、掌を返したように、己の保身のために、家康の下に走る。

そんな浅ましい姿も、権力闘争、派閥抗争にはお馴染の光景であり、いつの時代も人間は変らないものだと思わせて、ある意味、微笑ましくもある。


一方、石田三成は、事務官僚としては、卓越した手腕と頭脳を持っていたが、欠点は、人の行動基準を、正義であるか、不義であるかのみで捉える観念論者であったことだ。

だから、保身や利害、欲望で、人が動くことの原理を理解することができない。

したがって、政権交代を狙う家康を、義を踏みにじる者として、これに真っ向から対立する。


世の中を動かすものは、利か、それとも義か?

現在とは比較にならぬほど、熾烈な競争原理が働いていた戦国乱世にあっては、愚問ともいえるが、三成は、どうやら本気で、そんなことを考えて、徳川家康に挑んだようである。

その意味でいえば、戦う以前に勝敗は決していたともいえる。


とはいえ、そんな石田三成の融通のきかない潔癖感が、家康や、彼の下に走った諸侯と対比させた時、とても好ましく感じられる。


本編のラストで、著者が、黒田如水の口を借りて、次のように語らせている言葉が、印象的だ。


――「あの男(石田三成)は、成功した」といった。

ただ一つのことについてである。

あの一挙(関ヶ原の戦い)は、故太閤へのなによりもの馳走になったであろう。

豊臣政権の滅びにあたって、三成などの寵臣までが、家康のもとに走って、媚を売ったとなれば、世の姿は崩れ、人はけじめを失う。……その点からいえば、あの男は十分に成功した、と如水はいうのである。


まあ、これは小説だから、実在した石田三成が、心底、豊臣家のみのことを考えて挙兵したのかは、疑問符もつくが、小説を読む前に、イメージとしてあった単なる小才子とは異なる人物であったことは、確かなようだ。
その見事な男振りに惚れたであります。


切れ味: 良








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2005年09月30日

塩野七生 『神の代理人』

テーマ:歴史&伝記文学
塩野 七生
塩野七生ルネサンス著作集〈6〉― 神の代理人

――全キリスト者は、イエス・キリスト、すなわち神の地上での代理人と指名されたペトロに、服従しなければならないと決められたのである。
皇帝ネロの競技場で殉教したと伝えられるペトロの遺骸の上に、聖ペトロの教会(サン・ピエトロ大寺院)を建てた。
それ以後、代々の法王は、第一代法王ペトロの後継者として、天国と地上と地下を支配する象徴として(以下、略)


これは、『神の代理人』の冒頭にある文から、部分的に抜粋したものである。

この歴史小説は、ルネサンス期のローマ法王の中で、特に俗世の政治に深く関わった四人の法王たちを取り上げた人物列伝になっている。


ある意味、タイトルにもなっている”神の代理人”のイメージからは、最もかけ離れた人たちばかりが取り上げられている。


時代遅れの十字軍遠征に血道をあげたピオ二世。
「堕落したイタリアに神罰が下る」と警鐘し、法王庁さえも痛烈に批判、フィレンツェ市民から熱狂的な支持を得た修道士サヴォナローラを、キリスト協会の危険分子とみなし、これを老獪な政治術で、自滅に追い込んだアレッサンドロ六世。
地に墜ちた法王庁の権威と権力を取り戻すべく外交と戦争に奔走したジュリオ二世。
イタリアの危機を尻目に、俗世の享楽を謳歌したレオーネ十世。


神への信仰と愛、清貧や平和を説くべき「神の代理人」にしては、あまりにも人間臭い人たちばかりだ。


キリスト教のような巨大な宗教組織になると、教会を統括し、信者らを指導するべき立場にある法王は、まず、権力の所在を認識、それを制御し、使いこなす術が求められるようだ。
それにしても、”神の代理人”が、俗世の最たるものである政治の術に長けていなければ務まらないというのも皮肉な話である。



切れ味: 良




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2005年08月30日

ポール・ジョンソン著、富山芳子訳 『ナポレオン』

テーマ:歴史&伝記文学
ポール・ジョンソン, 富山 芳子
ナポレオン

アンチナポレオン派の英国人作家が書いた辛辣な人物評伝。


いまだに、ナポレオンを、希代の英雄として賛美している人も多い。
しかし、著者は、その虚飾に満ちた英雄伝説を剥ぎ取ることに心血を注いでいる。


つまり、ナポレオンという人物を、彼が生きていた時代においても、また後世に遺していった影響においても、災厄以外の何者でもなかったと断じているのだ。

冒頭で著者は云う。


彼が常に信頼したのは、銃剣と大砲であった。
彼が理解した唯一の言語は武力、彼に最後の宣告を下したのも武力であった。
二十世紀の全体主義国家は、現実のナポレオンと、その神話の究極の申し子であった。
それゆえに、ボナパルトの華々しい生涯を冷静に、厳しく、じっくりと検証するのは正当なことなのである。
二十一世紀の初頭にあたり、私たちは二十世紀の悲劇的な過ちを繰り返さないよう、何を恐れ、何を避けるべか、ボナパルトの生涯から学ばねばならないのだ――。


事実、十九世紀初頭のヨーロッパは、尽きることのない征服欲に憑かれたナポレオンという、たった一人の独裁者によって、十数年もの間、戦火が絶えることはなかった。
その間、数十万という死傷者の群れが積み重ねられていった。


ナポレオンが遺した負の遺産は他にもある。
国家総動員による総力戦。
秘密警察による人民監視と統制。
メディアを駆使したプロパガンダによる巧妙な統治。
等々……二十世紀に数多く誕生し、今なお、一部の地域で存続している全体主義国家の原型は、ナポレオンの独裁体制から派生したものといえる。


そう考えると、仮にナポレオンが皇帝となっていなければ、世界は、かなり現在とは異なるコースを辿っていたは間違いない。
ちょっとした偶然が、世界を変えることもある。
それが人類の進歩にとって、必須であったのか、有害であったのかは別として。
歴史を知る醍醐味は、そんなところにあるのだろう。


ただ、この本の著者は、あまりに英国贔屓が過ぎている。
ナポレオンを断罪するのは良しとしても、対するに大英帝国の偉大さを過剰に喧伝し過ぎているようで、少々うんざりさせられる。


切れ味: 可


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2005年08月13日

 ピーターパレット・著/白須英子・訳  『クラウゼヴィッツ――「戦争論」の誕生』

テーマ:歴史&伝記文学
 
ピーター パレット, Peter Paret, 白須 英子
クラウゼヴィッツ―『戦争論』の誕生

戦争とは、他の手段をもってする政治の継続である――。
プロイセンの軍人、クラウゼヴィッツの『戦争論』に出てくる有名な言葉である。


十九世紀に書かれたこの有名な古典は、『孫子 』、マキァヴェッリの『君主論 』とともに、いまだに世界中の政治家、経営者などが、座右の書としていることが多い。
また、経営戦略、マーケティングに、その理論を応用したビジネス書などが出版されたりもしている。
翻訳本は、複数出版されている。


しかし、実際のところ、日本では『戦争論』そのものをを読んだ人は、あまりいないのではないたろうか。
私も以前、興味に駆られて読み始めたものの、すぐに投げ出してしまった。


挫折した理由は、以下の二点。
文章が難解であること。
執筆された当時の時代状況が分からないので、内容が理解し難いこと。
これは、和洋を問わず、古典を読むうえで、必ず突き当たる壁でもある。


そこで、この古典を理解するために、まずは執筆者であるプロイセンの軍人、クラウゼヴィッツの人物評伝に取っ組んでみることにした。
それが本書である。

この評伝も、かなりの分量があり、かつ生硬な文章なため、読むのに骨が折れるが、それだけの価値のある本だと思った。


クラウゼヴィッツの生涯は、同時に、当時の欧州大陸をおおったナポレオン戦争と、近代国民国家の萌芽期と重なっている。
クラウゼヴィッツの人物像、そして、彼の置かれた時代状況を知ることで、初めて、彼が『戦争論』を執筆した動機が見えてくる。


実際の戦争では、予想もしなかったことが常に起こる。
合理よりも、非合理、非常識な行動や出来事ばかりが、幾重にも重なる。
絶えることのない摩擦と偶然、軍隊の心理状態によって、机上で練った作戦計画などは、見事に消し飛んでしまう。
クラウゼヴィッツは、そうした戦争の本質を、彼自身の従軍経験と、膨大な戦史の探究によって、理解し、その冷厳な現実を前提としたうえで、彼独特の軍事理論を構築していった。
そのことを理解しなければ、『戦争論』の本質は見えてこない。


だとすると、現在、巷に横行するビジネス書などで、安易に、『戦争論』の文章が、部分的に抜粋され、前後の文脈を無視し、都合のいい解釈で濫用されている状況は、逆に、この古典の価値を徒に貶めているのかもしれない。




切れ味: 可






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