前田英樹 『宮本武蔵 「五輪書」の哲学』 | 読書ジャンキーの本棚

前田英樹 『宮本武蔵 「五輪書」の哲学』

前田 英樹
宮本武蔵『五輪書』の哲学


著者は、フランス文学や言語学を専門とする立教大学文学部の教授。

そして、時代小説やドラマで有名な柳生家の家伝である新陰流剣術の遣い手でもある。

古武術家の甲野善紀氏とも共著を出している(下記のお勧めの関連書籍を参照)。


それで、本書であるが、タイトルのままの内容です。

つまり、ろくに武術を齧ったこともない頭でっかちの小説家や、コンサルタントと称するような輩が書くような「五輪書に学ぶ~」式の、愚にもつかないものとは異なり、ストレートに武蔵その人の思想を捉えようと試みているのです。


あとがきで、著者もはっきりと書いております。


――この小さな本で私が書いたことは、『五輪書』という自伝的思想書がはっきりと示す意味であって、それについての私の想像でも付会でも解釈でさえもない。


著者は、『五輪書』の中で、武蔵が使っている「実の道」という言葉に着目している。


――兵法の道も、「商いの道」も、職として身に付けてゆくべき技であることに違いはないのです。

では、なぜその技を「道」と言うのか。

それは、これらの技がそれぞれの本姓において深く、極めて精確に通じ合っているものだからでしょう。

通じ合うこれらの道の総体を、武蔵は、「実の道」と呼んでいました。


――彼もまた、徳川の社会秩序が確立してしまった時代に、兵法という自己経験の意味を、一人でどこまでも問い直した人です。

武蔵は、まずその経験を、自分を取り巻くさまざまな職の技の中に置いた。

置いただけではなく、それらの職能を根源において同じ一つの生にしているもの、彼の言う「実の道」の本体を掴み取ろうとしました。


すなわち、武蔵にとって、兵法を極めることは、あらゆる道具を用いる職の技と根底で通じる「実の道」を極めることであったようだ。

彼は、生涯を賭して、「実の道」を追求した求道者であり、その「実の道」の底の底まで極め尽くし、言葉に結晶化させたものが、『五輪書』であったのであろう。

そういう事を知ったうえで、『五輪書』を読んでみれば、これまでのイメージとは違った武蔵の姿が立ち現われてくるに違いない。


また、武蔵の思想を、ほぼ同時代のヨーロッパに生きたデカルトの思想と対比させて考察しているのもユニークである。


切れ味: 良


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