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尻切れトンボになっていた九州一周ツーリングの記事を最後までまとめてみました。

取り敢えず、最初のシリーズ3回目までを先に...
既にお読みになった方は飛ばしてください(長い記事です)。

以下、前回までのまとめです。

大学を卒業する前年と卒業する年の秋に北海道にツーリングに行った記事を以前書きましたが(→「北海道ツーリングの思い出」)今回は卒業旅行で行った九州一周ツーリングのお話を書いてみようと思います。



1989/3/1

神奈川県の自宅を6:45分に出発。
東名、名神高速自動車道をトラブル無く走り、多賀S.A.に12:16着。
昼食を取った後、桜井P.A.で休憩し、15:00に万博公園に着。
ひたすら走りまくりました。


なお、写真は当時のものを直接カメラで写したので鮮明ではありません。
ご容赦ください(_ _)







万博公園です。1970年に大阪府吹田市の千里丘陵で催された当時世界最大規模のイベントであった日本万国博覧会の跡地になっています。
今では故岡本太郎氏の製作になる「太陽の塔」が面影を残すのみとなっています。
183日間に及ぶ開催中の1日あたり平均入場者数は約350,000人で、東京ディズニーリゾートの2013年の1日平均入場者数約85,700人を4倍以上上回っていたそうです。




この後大阪の服部緑地ユースホステル(現在閉館)に荷物を置き、お好み焼きを食べに初めて難波、心斎橋、道頓堀辺りをうろつきました。
しかし、間違えてお洒落な店に入ったため周りはカップルだらけでいたたまれず、早々に店を後にしました。
千房かぼてぢゅうにでも入れば良かった。



3/2

中国自動車道を120Km/h程で巡航中、突然スピードメーターワイヤーが外れたので下に降りて直し、再出発。
20:50、湯の温泉ユースホステル到着(現在閉館)。
周囲には「モンマート」という初めて見るコンビニが1件だけで、後は真っ暗なところでした。



3/3

ユースホステルを朝出発し、1:00過ぎに古戦場壇ノ浦に到着。
二位の尼(平時子)が孫に当たる8歳に満たない安徳天皇とともに入水した場所ですね。


貧乏学生だったため「ふく」は食べられませんでした(w_-;

その後関門橋を渡って九州に上陸しました。
全長1kmあまりの比較的長い橋ですが、あっけなく九州に上陸したなあ、という感じでした。




3/4

太宰府天満宮にお詣り。
結構な雨の日でした。


ご本殿正面に赤と青の雨合羽で立っているのが私です。
三脚にカメラを据え付けてセルフタイマーで撮りました。


この前の晩から太宰府ユースホステルに泊まっていたのですが、やはり卒業旅行中のライダーやドライバーが多く(安宿ですから)、翌朝の朝食時にみんな何となくTVを観ていたところ、アナウンサーが


「今年の卒業旅行も6割以上は海外旅行という学生が多いようで云々...」


と言い始めたので、みんなで
「ふざけんな、貧乏で悪かったなバカヤロー、コノヤローヾ(`ヘ´#)」
と叫びましたとさ。


唐津城の一部を撮影。
北面が唐津湾に面しており、萩城とともに海に面する石垣が現存する2つの城の1つということです。

写真にはありませんが、国の特別名勝である虹の松原が広がり、三保の松原(静岡県静岡市清水)、気比の松原(福井県敦賀市)とともに「日本三大松原」として有名です。→
古唐津は現唐津市の南部から窯跡が発見されるようです。




3/5


平戸和蘭商館跡。
1609年に設置されたオランダの東アジアにおける貿易拠点で、1644年に長崎出島に強制的に移転されるまでの一大貿易基地の跡です。

ポルトガルが後ろ盾となって島原の乱が起こったという説が有力で、出島にいたポルトガル人を追放した後、オランダ人をここから出島に移住させました。
平戸時代は地元住民との交流も許されていましたが、出島移転以降は監視が厳しくなり、江戸時代後期に商館長として赴任してきたオランダ人の妻と子供の乳母が島に入ることさえ江戸幕府は渋ったそうです。



フランシスコ・ザビエル記念碑。
ザビエル来訪400年を記念して平戸島の和蘭商館跡の奥に建てられています。






冷水岳(ひやみずだけ)展望台からパノラマのように見える北九十九島(きたくじゅうくしま)の風景。
長崎県佐世保市にあるリアス式海岸群島で、西海国立公園の一部です。
それはそれは見事な景観でした。




この後長崎ユースホステルに向かう途中、ヘッドライトが切れたので、ボッシュ製のイエローの100/90Wバルブに交換。
やはり黄色いヘッドライトは夜間でも抜群の視認性でした。


手の脂が付くと切れやすくなるので軍手で作業しました。
オートバックスで3,350円也。


3/6

前日夕方に長崎ユースホステル着。
この日は長崎駅前から市電(長崎電気軌道)の石橋駅で降りてまずマリア園、そしてグラバー園に行きました。





グラバー園。
かの有名な幕末の武器商人、グラバーの邸宅跡です。


グラバーは21歳の時来日し、薩摩・長州・土佐などの倒幕側雄藩に艦船・武器・弾薬を密かに売り込んでいました。
坂本龍馬や後藤象二郎も出入りしていたところとして有名ですね。

ここでびっくりしたのが姿見の鏡で、身長166cmの私は頭の天辺しか見えず、「グラバーは巨人だったのか(゚Д゚)!?」と思いましたが、これはただ部屋を明るくする反射鏡だったようです。

参照サイト:

「グラバー園 | グラバー園の不思議」




次に大浦天主堂へ。

ここは1597年日本で最初に殉教した日本26聖人たちに捧げられた教会です。
日本26聖人の内訳は日本人20名、外国人6名でした。
豊富秀吉は元々キリスト教については黙認していたのですが、

・宣教活動を広げて政権を転覆させようと画策したポルトガル人イエ
 ズス会員がいたこと。
・九州で領民を強制的にキリスト教に改宗させ、神社・仏閣を破壊し
 たこと。
・ポルトガル人が日本人を奴隷として海外に売り飛ばしていたこと。

などにより、「バテレン禁止令」を出し、これに違反する信徒を処刑しましたが、引き続き個人の信仰の自由は保たれたというのが真相で、本格的に禁じたのは徳川家康でした。




孔子廟です。

言わずと知れた聖人、孔子をお祀りした廟。
中国風極彩色の廟宇ですが、実は薬師寺の東塔なども建造当時はこのような絢爛たる色合いだったそうです。




世界初の地震感知器の模型。

西暦紀元132年に後漢の張衡という科学者が製作したものだそうで、実際に500km彼方で発生した地震を感知できたようですが、現在の技術をもってしても再現不能の機械だそうです。




オランダ坂に登ってみました。

今は活水学院下の坂、活水坂、誠孝院(じょうこういん)前の坂がオランダ坂と呼ばれているようです。




活水学院の前だったかと思われます。
ここまで毎日登り切るの、ご苦労様です。






長崎のシンボルの一つ、眼鏡橋。

寛永11年(1634)に架設された日本最初の唐風石橋で国の重要文化財に指定されています。
江戸の日本橋、岩国の錦帯橋と共に日本三橋の一つといわれているそうです。




爆心地に建てられた塔





こちらは長崎平和公園にある平和祈念像です。

天を指す右手は「原爆の脅威(長崎の過去)」を、水平にのばした左手は「平和(長崎の未来)」を示し、軽く閉じた瞼は戦争犠牲者の冥福を祈っているとのことです。




原爆投下で崩落した大浦天主堂の遺壁

この時、中にあったマリア像も被爆し、原爆資料室の展示ケースの中で虚空を見上げていらっしゃいます。

関連サイト。→



夜の長崎駅。

メルヘンチックな建物で、まるで清里のペンションかと思っちゃいました。




長崎の通りの夜景。



3/7

島原から雲仙へ。

雪で有料道路は通行止めでした。
まさか翌年大火砕流で多くの犠牲者が出るとは夢にも思っていませんでした。

19:00、熊本ユースホステルに到着。



3/8

ユースホステル出発の間際、地元の熊本ラジオの取材がありました。

右の二人がリポーターの方達です。
ここにいる3人に「どこから来たんですか?」とか「ツーリングで大変だったことはなんですか?」などと尋ねてきて、3人とも関東から来たと言うとびっくりし、トラブルは高速道路上でいきなりパンクしたとか真夜中に北海道のキャンプ場が死ぬほど寒かったとかお話しました。


この後、旅立って行く3台のバイク音と「行ってらっしゃ~い!」の録音を済ましたところで、全員Uターンしてリポーターさん達のところに戻りました。←ヤラセ?

その際、記念に熊本ラジオの湯飲み茶碗を貰ったのですが、どこかにしまい込んで探せず(>_<)
もう手に入らないものなので、いずれ是非探し出します。


熊本I.C.から高速に乗って日田にお昼頃到着し、唐揚げ天ぷら蕎麦550円也で昼食。
その後耶馬溪ダムから深耶馬渓へ移動。
愛馬はZX900-A5(通称900NINJA)。

凝灰岩や溶岩が長年に亘って侵食された奇岩が延々と続く景勝地で、1818年にこの地を訪れた頼山陽(「日本外史で有名。読んだことないけど)が名付けたそうです。
寒霞渓、妙義山とともに「日本三代奇景」とも言われているそうです。

深耶馬溪は山国川という川がとても美しかったです。
下の写真が山国川です。

紅葉の名所で温泉も多いようでしたが、ここは長時間留まらず、別府へと移動。




別府港です。





別府ユースホステルに17:40到着。




3/9

別府ユースホステルを出発してゆふいん狭霧台に到着。





ここで左端のライダーのKMX250がエンコ。

この後、農地の敷地内に張ってあったロープをパチって私の荷台にあるバーにKMXを括りつけて牽引するハメになりました(x_x)



5:30に起床して草千里ヶ浜駐車場に行きずりで知り合ったライダー達と記念撮影。
左から2番目が私の愛馬です。

火の国でも3月は草千里ではなく、雪千里でした。



城山展望台から、





外輪山の中を望むと、畑地が広がっていました。

何とこの巨大な火口の中には街だけでなく豊肥本線(ほうひほんせん)というパノラマ電車まで走っています。




阿蘇中岳火口の間近に座ってみました。

ここは頻繁に爆発を起こす場所で、避難用のトーチカまで設置されていますが、御嶽山の噴火のように瞬間的に火山弾が超高速で襲撃した場合はおそらくトーチカに辿り着くまでもなく致命傷を被るかと思われます。
火山ガスはかなり有毒なのでご注意を。


この翌年、中岳が噴火しました。
噴火はやはり予測不能のようです。
中岳の噴火サイクルはパターン認識されているようです。



3/11

早朝に日の出を浴びるバイクの群れ。




この後、宮崎に移動。

一ツ葉有料道路でのフェニックス並木が南国を感じさせてくれました。



3/12

ユースホステルで知り合った卒業旅行の人達とフェニックスの樹の下で。

レンタカーを借りてドライブでした。


昼過ぎに鹿児島駅に到着。

え? 2階建て(゚Д゚)!?
意外なほどこじんまりしていました。
これが雄藩として長州藩とともに江戸幕府を倒した薩摩藩の中心地とは思えませんでした。



こちらは薩摩にある有名な知覧武家庭園で、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。
入場料500円は全くもってただに近い金額としか言い様がないほど安いものだと思いました。













こちらは知覧飛行場が第二次大戦時に特攻基地として使用された跡地に立つ知覧特攻平和会館前の記念写真です。

この特攻隊員たちのモニュメントとして建立されていた母親像の台座に刻まれていた「永遠(とこしえ)に」という文字にはただただ泪でした。


3/14

「日本最南端」の西大山駅に到着。





思いっ切りホームにバイクを乗り上げて撮影。





その後、途中で合流したヤマハFZ750のライダーと一緒に佐多岬に向かいました。





2年越しで本州最北端の宗谷岬から最南端の佐多岬に到着し、実に感慨深いものがありました。

以上が前回までの連載記事3つのまとめです。

次の記事からその後の記録になります。

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