一期一会

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昨夜は大学の同級生が、出張でわたしが住む街に泊まり、働く酒場に来てくれた。

初めて同級生を接待した。
いい部下を連れていた。
次回は野球場でビールを飲みたい。
野球、ラグビー観戦仲間だから。

雨がばたばた降っている。

昨日は店で「タッチ」を歌う。
競馬仲間のMちゃんが助けてくれた。
年下の同僚の中途半端な「タッチ」を三回聴いて、ちょっとな。
愛がない歌は嫌い。
店で歌うということは、一曲お客さんに二百円だし。

「タッチ」は野球を愛する人間にとっては、大事な歌である。

わたしは小学生のときに近所のお姉さんに初めて、二人きりで映画館に連れて行ってもらった。見た映画は、「タッチ」。共学の高校に入り、野球部のマネージャーになるんだ、甲子園に行くんだと夢を描いたわたし。南ちゃんみたいな新体操は無理だから。

そんな「タッチ」である。

そうしたら、フィリピン姉さんが「はじまりはいつも雨」を初めて歌う。もちろん札付きの雨女のわたしは歌えるし、大好きな歌である。梅雨に合う曲。

つくづく思うが、歌の趣味が合う人って仲良くなる。わたしの相模湖の親友はカラオケで中島みゆきしか歌わないから。さすが、親友。また二人でカラオケボックスで中島みゆきしか歌わない会を開催したい。今度は、わたしは「糸」も「二艘の船」も「アザミ嬢のララバイ」も新たに歌いたい。贔屓☆ひいき☆だもの。親友に日曜日に一緒に飲めるのが待ち遠しい。

☆一三三六字☆

追記、画像は東天紅のコースター。
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日曜日に写真展を見て来ました。

「風の音、土の匂い」

ー木村伊兵衛・岩田幸助・大野源二郎がとらえた秋田の四季ー

秋田市の千秋美術館で観覧料が大人三百円でした。

思えば二十代、親友と観劇の前に絵画展や写真展を見たものでした。

その頃は、ピューリッツァー賞受賞作品の報道写真や山岳写真や次に旅する国に関係する写真展が、多かったです。

木村伊兵衛の写真は見たことがありますが、生で見てみたいと思っていたので、良い機会に恵まれました。

やはり、木村伊兵衛。ふとした秋田の日常が、こういうふうな作品になっていくんだ、と面白かったです。

わたしも秋田に住処☆すみか☆を移して、六年目。

知っている地名や住んでいる場所の昭和の写真は、また見方が変わっていきます。

そして、自然豊かな秋田に住んでいると、わたしが撮ってみたいものも変容していくんだなと思いました。いや、根本は変わりませんが。

わたしは自然や旅先での風景を撮影するのが、一番楽しいです。

今は梅雨です。湿気が強いと昔、骨折した古傷の肋骨がきしみます。

だけど、梅雨しか撮れない風景を撮りたいと願います。

アジサイを筆頭に、梅雨の雨があがった晴間、雨に濡れた緑などなど。

四季を通して、レンズは無限の可能性をわたしに教えてくれます。

だから、楽しいです。

☆一二四六字☆
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書評 「憚りながら」

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憚(はばか)りながら/後藤 忠政
¥1,500
Amazon.co.jp

売れている話題の本を読む。

父が購入。
後藤組組長の半生記である。

引退し得度した後藤組長の名前は知っていた。

本を読んで、しびれた。

誰にも媚びず、
信念を曲げない姿勢。

昭和を彩る政商やフィクサーに可愛がられたのも、よく解る。

若い者の面倒はしっかり見る。
こんな人の下で働ければ、様々なことが学べると思う。

一番好きなのは、第六章 「生涯の友・野村秋介」。

野村秋介の自決の後の場面で泣いた。

野村秋介の辞世の句、前から好きだったけど、この章を読むと、

なお深みを増す。


「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」

そして、後藤組長はこの辞世の句を背中に刺青として彫っている住職のもとで、

得度する。


野村秋介が惚れ込んだ住職、
野村秋介の句を自らの躰に残す住職。

真の友達って凄まじい。

わたしも薄っぺらい人間関係なんて必要ないけど、より必要ないと思えた。

生涯の友と言える人がわたしには二人いるし、掛け替えなく大事だから。

読み終えて本を閉じようとした刹那、

「本書の印税は、その全額が高齢者福祉及び児童福祉のために寄付されます。」と

小さな細い字で記されていた。

唸った。

筋が通った生き方に。

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「あなただけのカレンダー」

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先日、愛犬と同じ名前の車を見た。

存在は知っていたけど。

また妹が、その車の広告は姉さんが好きな伊集院さんが書いているよ、とメールで教えてくれた。

六月十九日の朝日新聞の広告で、伊集院静氏の文章を読めることになった。

題名は、「あなただけのカレンダー」。

抜粋だが、

「新しい人生のカレンダーを作りなさい。若い時とはまるで違う。これからのあなただけのカレンダーだ。」

「あなたには新しいカレンダーを持つ資格がある。なぜならあなたは今日まで世間の荒波を越えてきた。実はそれ自体が素晴らしいことなのだ。」


「私のカレンダーの反省から一言。夢はシンプルで欲張りすぎぬよう。さらに言えばこれまで着ることのなかった新しいカラーを身につけるくらいのモダンさがあった方がいい。やはり人生はお洒落でなくては。」


伊集院静氏の著作を初めて読んだのは、家族で鹿島に釣りにいったとき。エッセイ一作目の文庫本。

そして、高校時代は週刊文春に連載されていた「二日酔い主義」というエッセイを読むことが、満員の山手線で通学するわたしの楽しみ。

実人生でいろいろあっても、エッセイを読んでいると何か違った。

エッセイって、原稿用紙五枚の世界って、何て奥深いのだろうと感じた。

泣いて笑って学んだエッセイ。

わたしが十代で一番、影響を受けた作家である。

このブログのジャンルを、今年、やっと「エッセイ」に変えた。

おこがましいと思いなかなか出来なかったけど、やはりエッセイというものを描きたいと。

愛犬さいちゃんと同じ名前のSAIという車を見て、そんな初心を思い出した、昨日、夏至の日。

★一四零六字★

追記、画像はトヨタのSAI。
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その名前を聞いたのは、沢木耕太郎が人物を描いたドキュメンタリーである。

初めてその人が歌詞で使う「木戸」という言葉の意味がわからなかった。

十代のわたし。

次にまたわからなかったのは、歌詞の中の「すがしい」という言葉。

すがしいシクラメンの花というのは、どんな色なのだろう。

決定打は、美空ひばりに作った「愛燦々」。わたしの中で美空ひばりのナンバーワンに好きな歌になった。

こんな美しい日本語を柔らかな音楽で歌う人を生で見たくなった。

たまたま、仕事が休みな日曜日に近くホールでコンサートが開催するらしい。

久しぶりに母と繰り出した。

前日に酒場のお客さんに、「愛燦々聴けたら泣くな」と言っていた。

だけど、その前に泣けた。

コンサートで、大人がすすり泣くのを聴いたのも初めて。

わたし以外の聴衆も、周りに気を遣いつつも、泣いていた。

わたしは今は三十三歳、
歌声の主は六十六歳、もっともっと昔の音源を聴きたいと思えた。

いい日曜日の夜だった。


追記、画像はコンサート会場。小椋桂「邂逅 歌創り40年、旅途上。」。

ワールドカップ オランダ戦

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働く酒場で普段歌わない歌を一曲だけ歌わせてもらった。

キャプテン翼の主題歌。

中学、高校の部活仲間のYちゃんの持ち歌。

♪ちょっと あれ みな エースが通る

キャプテン翼でサッカーを知り、
ドーハの悲劇、カズの落選でワールドカップの奥深さが広がった。

十二年前は、我が家で同級生とサッカーを見た。

負けて、同級生のサッカーをやっていた男の子が泣いていた。普段はクールな人なのに。驚いた。

日韓共同開催の年、また同級生と見た。記念撮影写真がある


わたしは、独り、
眼鏡をかけてレンズなんて気にせず、見ている。

そんなワールドカップ。

昨日は働く酒場で見た。

同僚のインドネシアの女の子が、真摯に日本を応援していた。

改めてサッカーの凄さを感じた。

もうわたしは同年代の選手が交代で出るだけで、泣きそうになる。

だって、歩みがわかるから。

栄光と挫折、葛藤、若手の台頭。

もう身体能力では二十代にかなわない三十路。

だけど、代表に選ばれし同年代。

同年代が誇りに思えた。

四年後は、こんなには感情移入出来ないだろう。

あと一戦、

咲き誇って欲しい。

応援します。

★一一一九字★

追記、画像はサッカー開始前のテレビ朝日の中継より。本田と対談した中田英寿。

道草バンザイ

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おはようございます。今、愛犬の狂犬病の予防接種にいきました。市で開催のに。無事に終わり安心です。

昨日は用事があってチケットショップに歩きました。久しぶりに道に迷いました。だけど、今日の画像のようなステキな神社に出逢えました。道に迷ってばかりの方向音痴な旅人ですが、道草はときどきすごい景色をプレゼントしてくれます。まあ、別に誰かと待ち合わせしてなかったら、道に迷いつつも良しかな。そんなに何かを急ぐ仕事じゃないし。携帯のカメラとiPodの音楽があれば、何とかなるさ。今日も用事があるから、てくてく歩こう。全ては夏山登山に向けてのトレーニングですので。

★六六六字★

追記、画像は道に迷ったときに出会った神社。
○高校三年生の文章です。中学、高校と夏の校内読書感想文コンクールは、二回掲載。欲しかった最優秀賞を最後の年にとれました。作品は夏目漱石の「こころ」


「こころを読んで」

読み終えるのにこんなに疲れた本は今までなかった。

はやく終わってほしい、いや、もう閉じてしまおうという思いが何度も私の中に、起こった。

この本の結末は、国語の授業を通して知っていた。知っていてよかったと思えた。知らないで最後まで読み終えた時のわたしを想像すると怖くてはしようがなかった。そんな本だった。

特に第三章、先生の遺書の中でのKとのお嬢さんをめぐるところが一番、私には苦しかった。
親友の恋する人を恋するという気持ちの苦しさは私は少しだけ知っていたからだ。結果的には、何も起こらなかったのに、この経験は私の中に根強く残っている。この気持ちこそ、経験した人にしかわからないものだ。

その時の私は、常に自問自答を繰り返していた。皮肉にも、私達が恋をした人は、明らかに私の方に好意的な態度を取った。
そうなってしまうと私は、その人自身なんかより恋愛の三角関係に酔っていた気がする。今、振り返ってみると、そこには親友に勝っているという優越感がなかったといえば嘘になる。

これは、先生にも通じる気がする。容貌、学識、生き方に全てに勝てないKに恋愛についてだけは勝てた。きっと何か一つでもいいからKに勝ちたいという思いが、「抜けがけ」という大胆な手段に結びついたのではないのか。
人を好きになることは、自分の中で眠っていたもう一人の自分を覚醒させるきっかけを与える怖いもののひとつだ。
そして、その目覚めてしまった新しい自分をどうコントロールしていくかが、一番の問題である。先生はある意味ではそのコントロールに失敗してしまった人だと思う。しかし、それだけのことで、残りの全ての人生に対して厭世的になってしまうのだろうか。これは、明治と昭和生まれの時代の差なのだろうか。

不倫やテレクラ売春、レイプ、ブルセラと常識を覆すようなことが、毎日のように起こっている現代を生きていくわたしにとって、先生の生き方や選択は納得できない。でも、今でもなお読み伝えられていくこの本の中には、人間の根底にあるなにかに訴えかけるものが、あるにちがいない。
でめ、その何かは私のつたない経験では、明白に浮かんできそうにない。

しかし、一つだけは、はっきり思ったことがある。それは、Kの死後の先生の態度である。私は、てっきり先生はお嬢さんと結婚はしないものだと思っていた。苦しみが一生つきまとうのに、なぜわざわさがそんな選択をしたのかと思う。まして、先生にはKの死という重い十字架があるのに、奥さんには何もないのだ。ないというより何も知らされてない。当たり前のように奥さんは聞く。

「私、何か悪いことしましたか。」


結婚後、人が変わってしまった夫に対してこういうことを聞くのは筋が通っている。でも、全ての事実を知っている読者の私にとっては、とても悲しかった。
この奥さんのやさしさが、さらに先生の十字架を重くしていくのだ。そして、先生は乃木大将の殉死に刺激を受け、自分の手で自分の人生にピリオドを打ってしまう。私は、すぐ残された奥さんのことを考えた。
愛する人に理由も言われずに去られた女ほど、寂しいものはない。

そこに、 相手を憎める要素があれば、また救われる。嫌いにさえなれば、忘れられる時もはやく来るからだ。しかし、奥さんに後者はない。そんな奥さんは、「理由探しの旅」から始めなくてはいけないのだ。

何も言われずに夫に死なれた妻は、今までの二人での日々を全て、否定されたことと同じだと思う。
この妻へ対する配慮の点だけは、私は先生に言いたい。先生の苦しみも痛いほどわかる。でも、死ぬ直前でもいいから打ちあけてほしかった。もし、言うのが苦しいなら、あの遺書を渡してほしかった。恋愛の中に、第三者を介入していくのは、逃げることだ。結局は何の進展もそこには生まれてこない。当事者同士、二人で考えていくしかないのだ。

私は、女にとって愛する人の悲しみを所有するのは、けっして苦痛ではないと思う。新しい命が宿っていくほど女は強いのだ。「二人で考えていく」ことこそ、親友であったKに対する一番の供養ではないのか。

あの奥さんなら、最後に微笑んでくれる気がしてきた。

「苦しかったですね。」と。

偽りの幸せなんかより、真実の方が、ずっと尊い。

夜の蝶の戯言

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来週は帰郷です。

ランチ、飲みと六枠あるのは、ラスト一枠。

計算して帰るから。

この前に逢えなかった友達や逢いたい、飲みたいと言ってくれた方が優先。

あと一枠、夜行バス前も決まるかな。

だってさ、三日くらいしかふるさとにいれないの、大事な仕事を二日休んで。

もう疲れる人も疲れる店も勘弁。

わたし、長年ね、サービス業しか知らないから。

サービス業の人を困らせないけど、疲れる店には自腹じゃ二度といかない。