腰を上げようとしたとき、隣の男が言った。
「ちょっといいですか」
30代半ばくらいか。さっきから私たちの横で聞き耳を立てていたはわかっていた。
「難しく考えすぎじゃないでしょうか」
聞きなれた台詞だ。
しかも、その話はもう終わっている。
私はウーロン茶が飲みたくなったので、そのまま行こうかと思ったが、男の帽子の上に乗っているレイバンに少し興味を引かれ、男の話を聞くふりをしながらそれを眺めようと思った。
「作法の本来の定義ってのは、調和と秩序の維持ですよね」
当たり前の話だ。それをこねくり回して楽しんでいるだけだ。空論に正論をぶつけても面白みがない。
「だから鯉なんか関係ないってことになりませんか?」
ZIPPOの男が軽快な金属音を響かせた。イスに座りなおし顔を向けた。
話を聞いてやろうということだろうか。
「鯉釣りの作法で、鯉なんか関係ないとは、どういうことだね?」
「言葉通りですよ。作法っていうのは人間社会の調和と秩序の維持のためにあるんです」
「ふん。てことは、極論だが神事での作法も神様なんか関係ないってことになるが」
「極論ではありませんよ。神様なんか関係ありません。
神様の前で作法を間違えたところで神様は怒りませんよ。怒るのは多分それを見ていた形式ばった年配者でしょう。
そして作法を間違えなければ、誰もが安心する。つまり回りの人間たちの調和と秩序が維持できるってことです。作法は人間の自作自演なんです」
こっちの男は鯉釣りの作法は懺悔だと言った。それはすべてとは言わないが、ほとんどは対象が鯉に向いているはずだ。
レイバンによると作法には人間以外は登場しないことになっているようだ。
「よくわからんな」
「調和と秩序の維持の基本は、まず他の人に不快感を与えないことです。嫌な気持ちにさせないこと。これがすべての作法に共通する基本原則です。自分がどうではなく、他人への心遣いなんです」
しばらく二人の会話を聞いてみることにしよう。
「例えば、私が釣り上げた鯉の口をペンチではさんで持ち上げたら、あなたはどう思いますか?」
「嫌な気持ちになる。と答えればいいのかね」
「はい。だから私はマットを使います。マットを使うことで、あなたに不快感を与えることを避けられます。あなたとの調和が保たれるのです」
「なるほど。じゃあ。俺が真夏のコンクリートの上に鯉を横たえていたら、おまえさんもそうするのかね?」
「知らないふりをします」
なぜかわからないが痛いところを突かれた気がした。
「単純に鯉がかわいそうだと私は思うので、それに合わせることはありません。かといって、こっちに合わせろとも言いません。だから知らないふりが最良の選択なのです。
ちなみに、私が『マットを使え』と言ったら、あなたは嫌な気持ちになるでしょう。もしかするとマットの存在を知らなかったかもしれません。あるいは自分は悪いことをしてしまったのかもしれないと恥ずかしい気持ちにもなるかもしれません。見て見ぬふりをすることが、あなたへの心遣いです」
「しかし、その横でお前さんがマットを使っている。それを見たらやっぱり嫌な気持ちになるかもしれん」
「そのときはこう言います。『こっちの身勝手な作法のせいで窮屈な思いをさせてしまっていたらごめんなさい。ルールではないから気軽に考えてください』と。」
「ルールだったら対応は違うのかね?」
「もちろんです」
男が煙草を消した。灰皿の中にはマルボロメンソールの吸殻が均等に並べられている。
「ところで、こっちの人はさっき煙草を靴の裏で踏んづけて消したよ」
私のことだった。
男がやらたと丁寧に消すのを見ていて、なんとなく挑発的な気持ちになったのを覚えている。何か言われるだろうと思ったが、男はなにも言ってこなかった。
「多分、この人は俺の目の前でワザと煙草を踏んづけた。そして『あんたはそんなにイイ人に見られたいのか』と俺に言ってくると思ったが」
わかっていたようだ。
「つまりだ。お前さんがマットを使っているのを見ているヤツがいる。そいつはお前さんの行為を偽善ととる。気に食わねえから、隣でワザと鯉を乱暴に扱うかもしれない。こんな時はどうするね」
「こう言います。『最近の流行りなんで僕も見よう見まねでやってます。このマットの出費も結構痛かったんですよ』とね。それが相手への心遣いです。つまり作法を尊重するということは、こういうことなんです。
鯉釣りで作法を持ち出すのなら、作法の原則も守らなければいけません。でないと、それはただのこだわり。独りよがりです。人知れずやればいいことです」
やはり、どこにも鯉はでてこなかった。
作法という言葉を簡単に使っているのが気に入らなかったのだろうか。人間の自作自演。確かにそうかもしれない。
私は腰を上げ、ウーロン茶をとりに行った。