*問題は、「200字論述新研究6(問題3・4)」で確認してください。
問題4 解説➊
■1919年前後 社会運動の拡大■
大正時代中期にあたる1919年前後の時期、日本の社会には、大学教師や若手政党人・ジャーナリスト・学生などを中心とする、いくつもの政治集団が続々と誕生した。
これら諸集団は、デモクラシー・社会主義・共産主義・国家主義など多様な政治的立場にたちながらも、共通して「現状の革新」「社会の改造」などをスローガンに掲げ、活発な社会運動をくりひろげた。
こうした状況が生じた背景には、次のような事情があったと考えられている。
第一に、第一次世界大戦後の国際社会の動向があげられる。
大戦は、軍縮・平和の世論の高揚、民族自決の提唱、国際連盟の設立、社会主義革命の成功など、従来にない理念・原則・機構・国家を生みだし、世界に新しい風を吹かせた。
第二に、立憲政治の成果を指摘しておく必要がある。
国内でも、大日本帝国憲法(明治憲法)の枠内でデモクラシーの徹底をめざす民本主義が流行し、政党内閣を理論的に支える天皇機関説が憲法解釈の主流になった。
第三に、1918年に発生した米騒動も、人々のもつエネルギーを社会運動家たちに再認識させる効果を発揮した。
■啓蒙運動と労働運動■
啓蒙運動の面では、1918年に民本主義を唱える吉野作造らが黎明(れいめい)会を組織した。
さらに同年には、吉野作造の影響をうけた学生らによって東大新人会が組織されている。
東大新人会は急速に社会主義的色彩を強めていった。
労働運動分野では、1912年に鈴木文治らが友愛会を組織した。
労資協調主義(資本主義体制を是とする路線)をとった友愛会は、1919年の大日本労働総同盟友愛会への改称を経て、1921年には日本労働総同盟と改称した。
この過程で、労働組合の全国中央組織(ナショナル・センター)へと成長すると同時に、階級闘争主義(社会主義を是とする路線)を鮮明にしていった。
また、1920年には第1回メーデーも開催された。
【東大新人会】
新人会の歴代会員約350名中、治安維持法関係での被起訴者は約100名におよんだ。
■社会主義運動■
1910年の大逆事件によって「冬の時代」にあった社会主義運動も、ロシア革命などに刺激されて活動が活発化した。
1920年に結成された日本社会主義同盟は社会主義者の大同団結をめざす組織だったが、➊大杉栄らの無政府主義(アナーキズム)と➋ロシア革命路線をとる共産主義(ボリシェビズム)とが激しく対立し、結成翌年には解体を余儀なくされた。
➋ロシア革命路線をとる共産主義運動の点では、1922年にコミンテルン(モスクワに設置された各国共産党を指導する国際的組織)の日本支部として日本共産党が結成された。
同党は、弾圧体制が強化されていくなかで非合法活動を展開した。
一方、➊大杉栄らの無政府主義にかかわることでは、1923年に甘粕(あまかす)事件と虎の門事件が発生した。
甘粕事件とは、関東大震災後の混乱のなかで憲兵が大杉栄・伊藤野枝(のえ)らを虐殺した事件をいい、これによって無政府主義運動は大打撃をうけた。
また虎の門事件でも無政府主義の立場をとる首謀者が死刑に処せられた。
【大逆事件】
1910年、天皇暗殺を企てたとして、幸徳秋水ら26名の無政府主義者・社会主義者が逮捕・起訴された。
翌年、全員が有罪とされ、幸徳秋水を含む12名が死刑に処せられた。
この事件の翌年、警視庁(首都警察のこと)内に、社会主義運動に対処するための特別高等課(特高)が設置され、また、事件の結果、国民の多くが社会主義思想を危険視するようになったため、社会主義者の活動は「冬の時代」を迎えることになった。
【虎の門事件】
1923年末に発生した、摂政宮裕仁(ひろひと)親王(のち昭和天皇)に対する狙撃事件をいう。
事件は失敗し、首謀者の難波大助(無政府主義者)は死刑に処せられた。
■農民・女性・部落・国家改造■
農民運動については、1922年、杉山元治郎(もとじろう)・賀川豊彦らによって日本で最初の小作人組合である日本農民組合が結成され、多くの小作争議を指導していった。
この時期には、女性解放運動も本格化する。
1911年、平塚らいてう(平塚明(はる))らが女流文学者の団体として青鞜社(せいとうしゃ)を結成し、1920年になると、平塚らいてう・市川房枝らによって新婦人協会が設立された。
新婦人協会は女性の政治活動を禁じた治安警察法第5条を撤廃する運動を展開し、一部改正に成功するという成果をあげた。
また、1922年に全国水平社が結成されるなど、部落解放運動も社会的差別を自主的に撤廃する動きを強めていった。
一方、国家改造運動における新しい流れが形成されたのも、この時期だった。
1919年、北一輝が『国家改造案原理大綱』(のち『日本改造法案大綱』と改題)を執筆し、さらに大川周明らによって猶存社(ゆうぞんしゃ)が結成された。
彼らの思想は、次第に陸軍青年将校らに大きな影響をおよぼすようになった。
【青鞜社】
青鞜社の機関誌である雑誌『青鞜』創刊号の巻頭には、「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。……私共は隠されて仕舞った我が太陽を今や取戻さねばならぬ」(平塚らいてう執筆)と記された。
【市川房枝(1893~1981)】
1920年、平塚らいてうらと新婦人協会を設立。
1924年には婦人参政権獲得期成同盟会(1925年に婦選獲得同盟と改称)を結成した。
第二次世界大戦中は大政翼賛会の活動などに従事。
戦後は長く参議院議員を務め、政治浄化などを訴えた。
【治安警察法第5条】
1922年の治安警察法第5条改正により、政党への参加は認められなかったものの、女性の政治集会への参加が可能になった。
*続きの解説は、「200字論述新研究10(問題5を考える➋)」をご覧ください。