ユダヤ人と日本人

テーマ:ブログ nohohonkoubouの投稿 2007年09月19日 10時44分12秒

昨日の休み明けの仕事は、膨大な郵便物とメールの処理。

季節の変わり目とあって、2名は、畳の部屋で寝る。


帰宅後、読書。


ブックオフで100円でゲットした。

マーヴィン・トケイヤー著 「ユダヤと日本謎の古代史」

ニューヨークでハンガリー系ユダヤ人の家庭に生まれる。1958年にイェシヴァ大学を卒業。1962年、ユダヤ神学校でラビの資格を取得。同年、米軍の従軍ラビとして初来日し、1964年まで日本で過ごす。

1967年に再び来日し、ラビとして東京都渋谷区の日本ユダヤ教団に勤務。1976年まで日本に滞在し、ユダヤ人と日本人の比較文化論を発表。また、ヘブライ語を話す皇族の三笠宮崇仁と親交を結んだ。日ユ同祖論にも関心を示した。早稲田大学の教壇に立ち、古代ヘブライ文化を教えたこともある。

マーヴィン・トケイヤーの著作は僕の家のトイレに常備してある。

ユダヤ人のタルムードの本である。

さて。

明治期に貿易商として来日したスコットランド人のノーマン・マクラウドという人物は、日本と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱し、体系化した。日ユ同祖論の歴史は、彼の著作「日本古代史の縮図」に始まり様々な論考が書かれる。

三笠宮がヘブル語がぺらぺらでなんていう交遊録も書かれる。


日ユ同祖論については、色々な本を読んだが、思い込みとこじつけと紙一重の内容が多く。

客観性を持って書かれるこの本は、僕にとっては、読みやすかった。

まずは、ユダヤ人の歴史を大まかにウイキより貼り付ける。


紀元前13世紀頃、古代エジプトに奴隷として連れ去られる。 それから約200年後に古代ユダヤ人の一人モーゼが中心となり約60万人の人々がエジプトから脱出に挑戦し成功する。それから約40年もかけて古代イスラエル王国のところに辿り着く。

紀元前10世紀頃、古代ユダヤ人はユダヤ教を国教とする古代イスラエル王国をパレスチナに建国したが、紀元前586年に新バビロニアにより滅亡した。

以来3000年以上確固たる民族(宗教)国家を持たず、ローマ帝国に反乱を鎮圧されて以降はほとんどの国民がヨーロッパを中心に世界各国へ散らばった。以降ユダヤ教徒としての各地への定着が進む。

ユダヤ教を信仰するユダヤ人はそのため土地の所有や職人(ギルド)への弟子入りが許されなかったが、才覚があったためキリスト教で禁止されていた金融業や商業などを発達させた。シェークスピアのヴェニスの商人に登場する金貸し、シャイロックもユダヤ人である。 7世紀~10世紀にカスピ海北部にハザール王国が出現し、ユダヤ教を国教とした。


貼り付け終わり。

そんでもって。


イスラエル北王国がアッシリアに滅ぼされ、祖国を追われた同国民がいずこかへと消え失せたのが西暦紀元前721年。世界史屈指の謎とされる失われたイスラエル10支族である。今日、10支族の痕跡が色濃く見られる地には、インドのカシミール地方・アフガン・中国などが上げられるが、これらを地図上から検証すると、彼ら10支族の行程としてシルクロードが浮かび上がる。神武天皇の誕生年は紀元前711年であるが、一方でイスラエル10支族が失踪したのは紀元前721年と、その差は僅か10年となる。これらの事から神武天皇=失われたイスラエル10支族を意味し、東征神話=イスラエルから日本へ達した彼らの旅路を示すものではないか?


大筋で言うとシルクロードで絹の交易を独占していたのがユダヤ商人でシルクロードの最終地点としての日本に移り住んだ可能性があるかも?

なんて切り口で始まる。

秦氏=ユダヤ人説。

シルクロードと日本の絹の物語。

という壮大なロマンや


日本もユダヤも水や塩で身を清める「みそぎ」の習慣がある。ユダヤ人は食事の前、トイレのあと、教会堂の入り口で手を洗うなどの習慣がある。日本人も神社を詣でる前には必ず入り口で手を洗う。

また、ユダヤ人は日本人と同じように、まず体を洗ってから風呂に入る。ユダヤ人以外の西欧人は、バスタブの中で体を洗う。


天皇の公式名「スメラ・ミコト」は、古代ヘブライ語アラム方言で「サマリアの大王」を意味し、初代神武天皇の正式名「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は、「サマリアの大王・神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意味になっているという。「サマリア」とは、北イスラエル王国の首都である。


天皇の古称「ミカド(帝)」は、ヘブライ語に訳すと、「ガド族出身の者」という意味に当たり、ガド族の始祖ガドの長男の名前は、「ニェポン(ニッポン/英語ではジェッポン)」であったという。

「東方の日出づる国」は、古代よりヘブライの民にとって、「天国」を意味しているが、約束の大地カナンは、「カヌ・ナー」の転聲としてヘブライ語で読むとき、「葦の原」を意味し、「東方の日出づる国」は、ヘブライ語で「ミズホラ」と呼ぶので、日本の古名「豊葦原(トヨアシハラ)ミズホの国」の意味が判明すると指摘する研究家もいる。更に、大和朝廷の「ヤマト」は、ヘブライ語アラム方言では、「ヤ・ウマト」と分解され、「神の民」という意味になるという。


エルサレム神殿の門には、天皇家の16弁の菊花紋(菊花紋章)と共通した紋章が刻み込まれている。これと同様の紋章がかつてイスラエル民族の紋章であった。現在のユダヤ教のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)には、必ずといっていいほど、菊の紋章がデザインされている。ちなみに、現在、世界中を見渡して、菊家紋をシンボルにしている一族は、ユダヤ人と天皇家以外に、ほとんどいない。


古代ヘブライの神殿と日本の神社の構造が似ている。もともと古代ヘブライの神殿は 「幕屋」と呼ばれる移動式だったが、幕屋はその名の通り、周囲を幕や板で囲み、中で神に捧げる祭睚を行なった。全体ではないが、囲むという概念は日本の神社でも見られ、同様に祭睚は極秘である。また、幕屋の中の構造は、基本的には聖所・至聖所・拝殿に分かれていて、祭壇には明かりをともす常夜灯があり、脇には手を洗う水盤があった。また有名な古代ソロモン神殿の前には、お耄銭(さいせん)を入れる箱も置かれていた。


とまあ色々あるんですが。


この手のことならやはり「ヘブライの館」が群を抜いてます。


http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/_floorA3F_hb.html


「一九四三年一月、私は支那派遣軍参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任しました。そして一年間在勤しましたが、その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました。……ある青年将校――私の陸士時代の同期生だったからショックも大きかったのです――から、兵隊の肝力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。また、中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました。その実験に参加したある高級軍医はかつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった。と語っていました。『聖戦』のかげに、じつはこんなことがあったのでした」 (三笠宮崇仁『古代オリエント史と私』学生社 1984年刊より)

という宮家の話や河豚計画など。


まあ、日本とユダヤに関しては、色々なお話があるのですが。


僕自身は、時々、自分の血にはユダヤ人の血が流れてるんじゃ?なんていう妄想があります。

まあ、妄想なんで何の根拠もないのですが・・・・神や知に対するスタンスが似てるんで・・・妄想が起きるのです。


ユダヤ人とは誰なのか?という謎ほど世界史で確固としたものもないかとも思うのですが血塗られたユダヤ人の末裔として怪物ジョージソロスなどが有名ですね。

ジョージ・ソロス(George Soros、1930年8月12日 - )は、ハンガリー・ブダペシュト生まれのユダヤ人の投機家、株式投資家、慈善家、哲学者。本来の姓名はSchwartz György(シュヴァルツ・ジェルジ)。現在、ソロス・ファンド・マネージメント、Open Society Institute (en) の会長を務めるほか、外交問題評議会に身を置いていた時期もある。2006年の会社からのボーナスは約8億4000万ドル(日本円にして約949億円)だったそうですが・・・・・


「私はハンガリーで育って、ファシズムとホロコーストを生きながらえて、それから、共産主義台頭するという予知を感じました。私は、早い年齢で、どんな政府が勝つことがどれくらい重要かについて学びました。私が自由と民主主義、市民的自由と開かれた社会を評価するので、私はアメリカを私の家に選びました。私が私自身と私の家族のためより多くのお金を稼いだとき、私は開放的な社会と自由の原理と価値観を促進するために財団を作りました。」


「いかなる罪の意識という理由によっても、私は慈善事業をしているわけではありませんし、いかなる公共的関係を創造する必要性からでもありません。私がそれをする余裕があるから、私はそれをしています、そして、私はそうであるとを信じています。」

「どのようにしたら我々はテロリストが我々に仕掛けた罠から逃げることができるのだろうか"と彼は尋ねた。"テロリズムに対する戦争は賃金を払う戦争によっては勝てないということを認識することだけである。我々は、もちろん我々の安全を守らなくてはならない。しかし、我々はまたテロが作る深い悲しみを修正していかなくてはならない。犯罪は軍事行動ではなく政治的力が必要なのである。」


そんなユダヤ人と日本人の共通点の論考には、以下のようなものもあります。


 
「ユダヤ製国家日本」 ラビ・マーヴィン・トケイヤー (著)
 


日本は明治に西洋の列強の威嚇のもとに、開国と近代化を強いられて以来、列強によって屈辱的な不平等条約を結ばされていた。幕末から海外を旅した日本人は、西洋の帝国主義諸国が同じアジアの民を、家畜同様に扱っていたのをみて、深く憤るとともに、人種平等の世界を創ることを、強く願った。日本が最後の不平等条約を改正することができたのは、日本が日露戦争に勝った後のことだった。

日本人も、傲る西洋人によるおぞましい人種差別の対象となっていた。日本が日露戦争に勝つと、その直後からアメリカのカリフォルニア州において日本人移民排斥運動が起こった。このことは、日本国民をいたく憤慨させた。

サンフランシスコ市は日露戦争が終わった翌年に、日本人児童の小学校就学を禁じて、全市の小学校から追放した。全市で二万人以上の小学生がいたなかで、日本人児童は僅か百人にみたなかった。

東條も、樋口も、日本人だったのだ。当時の日本人は、誰もが西洋の列強が公然ともと人種差別を行っていたのを、正義に悖るとみなしていた。東條や、樋口はこのような国民精神にもとづいて、ユダヤ人難民を救ったのだった。一日本人とユダヤ人は、正義をことさらに愛する民である。ここにも両民族のあいだに、もう一つの共通点がある。


視点ひとつで色々な考え方や見方が出来るのだなあ・・・・と。


まあ、この辺の事を考えて行くととめどないのでこの辺で・・・・・・

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