メランコリアという惑星が地球にぶつかる。
とある田舎の豪邸が舞台。
一部が妹ジャスティンの結婚式。姉の夫の豪邸で披露宴をするが…。
二部は姉クレア。豪邸に住む夫婦とその息子。そこに精神を病んでいる妹が来る。
演劇を見ているかのようでした。
描いている場所は豪邸とその周囲。
強く演劇的だなと思ったのは、惑星が近づいているのか、遠ざかっているのかを計るのに
子供が針金で円形で作った道具を使っているところ。
これを使えば、表情やリアクションでわかるわけで。
変な見所がたくさんあり。
披露宴が終わった大部屋、積まれたイスに座る妹のシュールさ。
役者は個性が強い方ばかりなので、姉の自然体さがいい感じでした。
物語は地球が滅ぶのを止めようとしたり、
争いが起こるなど…そんな大きな展開はないです。
冒頭はすでに地球が破滅しますよという映像が流れるため…
観客は神のような存在になります。
ただ、神だとしても、見るならもっと面白い人間はいるんじゃないかと。
伊坂作品の「終末のフール」が浮かびましたが…
人間を描くドラマや、物語があるわけではなく、
タイトル偽りなし、「ランスフォントリアー監督の憂鬱」の世界でしたね。
終わりは作中で語る通り、無。
映画館を出て、思い返されるのは「乗り物」。
一部の始まりには結婚式へ向かうリムジンの場面があります。
田舎の細く曲がりくねった道、長い車体のリムジンがなかなか抜け出せない。
少し前に進んでは、また戻りのくり返し。うんざり。
運転手が夫に代わるがうまくいかない。
ジャスティンが代わり、夫と運転手に指示されつつ曲がり道を抜け出す。
通常なら、夫婦の未来を象徴しているとするのですが、
この作品ではそうではない様子…。なんなのか。
その他の乗り物は、
結婚式の会場にて、豪邸の前に止まるたくさんの車。
(みんながあの道を通ってきたのかは…不思議)
式が終わり帰る車。(怒りなど、車の音に感情が表れていました)
ジャスティンが乗って来るタクシー。
乗馬。所有の車。エンジンのかからない車。
ゴルフ場用のカート。
馬がなぜか橋を渡れない、車のエンジンがかからない、
カートが村に行けない。
気づくのはここが「監督の世界」だから。惑星の影響ではない。
描かれる範囲が固定されている。入ることも出ることも監督次第。
うる星やつら2 ビューティフル•ドリーマー、涼宮ハルヒの憂鬱に通じるところです。
昔からある世界観、手法であり、比較すると「メランコリア」は単純か…。
すべては監督が作り出した虚像。
最後は巨大な惑星(憂鬱?)により、(監督の)世界のすべてが無になる。
とはいえ本当に無になったかはわかりません。惑星も地球も人も監督の世界ですから。
精神が病んでも、ぶれない監督だなと思いました。




