2017/7/18 東亜日報
もともとは黒地に白文字だった? 文化財庁が光化門扁額のもとの色復元で一から見直し
手抜き復元を巡る論議が起きた光化門(クァンファムン)扁額のもとの色を復元するための研究が進められる。文化財庁は17日、中央(チュンアン)大学産学協力団と一緒に「光化門扁額色の科学的分析研究」を進めることを決めたと明らかにした。
2010年に光化門が復元されたことを機に製作された扁額は、白地に黒文字で書かれている。しかし、昨年2月、米スミソニアン博物館の「国家人類学資料保管所」が所蔵していた1893年以前に撮影された写真から、下地が暗く見える扁額の姿が発見され、「ずさんな検証」を巡る批判が起こった(東亜日報の2016年3月1日付けのA2面を参照)。復元当時も、ほとんどの宮殿の扉の扁額が黒地に白文字を書いたという指摘が続いたことがあった。既存の扁額に亀裂が生じて、扁額を再製作していた状況なので、文化財庁は色を全面再検討することにした。
(以下略)
http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/995765/1
引用ここまで
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何度も書いてきましたが、韓国には文化財の復元なんて無理なんですよ。それは放火で焼失した南大門の復元事業で嫌というほど分かったでしょ?
とにかく韓国には文化財の復元に必要な伝統技術など存在していなかったのです。
ですから光化門とやらも元の姿がどうであったのかなどは誰も知らないのです。
それでも扁額が漢字であったことは間違いがないのですが、産経の黒田特派員が2010年8月7日に書いた記事によりますと、ハングルで書き直すニダ!と主張なさる方々が多いんだとか。
黒田記者も”韓国では「歴史清算」などといって、あるがままの歴史を後知恵で書き換えるということがよくある”・・・と書いていましたが、韓国の歴史なんかはそんなのばかりですしねえ。
とにかく扁額の文字がどうのこうのと議論する以前に、扁額に使う板は十分に乾燥させましょうね。
いえ、無理だということは分かっていますが。
爪をカーテンに引っ掛けて慌てる馬鹿だった・・・・・