鵜来型海防艦

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鵜来型海防艦(うくるがたかいぼうかん)は大日本帝国海軍が第二次世界大戦において運用した海防艦。主に船団護衛に用いられた。基本計画番号はE20b。日振型海防艦の準同型艦である。日振型からの振り替えにより、1944年から1945年にかけて同型艦20隻が就役している。戦後は海上保安庁の巡視船になったものもいる(日振型と共に初代おじか型に分類された)。概要日本海軍は、択捉型海防艦以降、対潜・対空性能および量産性を重視した海防艦を建造しようとしていたが、御蔵型海防艦は、戦時急造を要する護衛艦としては、まだ工数が多く量産性に欠けるものであった。本型は、日振型海防艦とほぼ同型の艦であり、各所の構造が大幅に簡易化、従来の曲線部分を平面化するなど簡略設計がなされ、量産性に優れている。日振型との差異は、単艦式大型掃海具を装備せず、三式爆雷投射機を片舷8基(計16基)搭載し、投下軌条2基と合わせて対潜攻撃能力が大幅に向上していることにある。総合的にみて、日本海軍が大戦中に建造した海防艦のうち、生産性、攻撃力など、もっともバランスのとれた艦であり、海防艦中の傑作といえよう。就役した海防艦中、喪失率の低かった艦級でもある。艦政本部4部の遠山光一海軍技術中佐(後の日本鋼管副社長)指揮の下、当初、日本鋼管、浦賀船渠が中心となって建造にあたった。のちに日本鋼管が丙型海防艦の増産対応に移ったため、残り建造計画は、三井造船、佐世保海軍工廠で担当された。ネームシップの鵜来は、遠山中佐と魚住順治海軍少佐(艦政本部5部員、後に海上自衛隊海将、日本鋼管顧問)、日本鋼管鶴見造船所の石井利雄技師(海軍中尉)が、艦政本部の設計図をもとに量産化に向けた一層の工数削減を試みながら、艦の性能を低下させないよう苦心して建造された。日本初のブロック工法により建造された艦艇であり、現代の造船手法の先駆的な功績を残した艦といえる。本艦級のプロトタイプは、艦政本部と日本鋼管の技師たちがとくに力を入れて建造にあたり、日本鋼管で建造された鵜来以下4隻は、奇跡的に大戦を生き抜いている(うち二番艦沖縄1隻のみ大破着底ののち、終戦後解体)。前甲板に12センチ高角砲の単装砲塔を備え、後部甲板に防盾なしの12センチ連装高角砲を備えている。同型艦鵜来(うくる) - 1944年6月5日竣工(日本鋼管鶴見造船所)。ネームシップ。連合艦隊が泊地や演習に

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