なぜか!かな文化。言葉の力

 

平安時代にかな文字が生まれた。日本文化はこのひらがな

の発明によって今日に至る発展を遂げたのである。中国から

入ってきた漢字文化では一部の特権階級しか学べなかった。

 

言葉の価値に気づいた当時の権力者や文化人達は漢字を

行書や草書といった書体から独自に平かなという文字を作

り出したのである。当然楷書体からカタカナを生み出した。

このかな文字のお陰で日本語に深い味わいが出来たので

ある。

 

その漢字かな混じり文から日本の歌が全大衆にまで広が

ったのである。万葉集から古今集、新古今集へと人間の

感性が縦横に発揮されたこの古典文は世界の遺産となる

最高の文化の一つである。

 

永らく西洋文明がその音楽において人類の最大の財産だと

考えられてきたが人類史の中でこの日本の短歌や長歌の

価値もその音楽と同じ価値を持つことが次第に世界から認

められるようになってきた。

 

AIの進化によって、人間を介さずに言語が機械で翻訳され

る段階にまで人工知能の研究が進んでいる。さらに人間の

知能の分野においても人間の代わりに判断を下せるまでに

来ている。

 

日本語の価値に大勢の日本人は未だに気づいていない。

中国の漢字文化を更に発展させ人類に文字の文化の価

値を教えた日本語。このお陰で世界一の高い民度を持て

る国になったのである。

 

これからは英語圏が世界の共通言語としての地位は年々下

がって行くだろう。このAIの進化によって日本語の世界での

普及が加速されるだろう。それは日本語が持つ深い味わい

の性である。

 

このAIは十年もせずに人間の思考の原点である言葉から

その壁をなくしてしまうだろう。そして言葉が持つ価値が見

直される時代が来る。

 

 

 

 

なぜ 神道と仏教

テーマ:

なぜ! 神道が生まれたのか

なぜ! 仏教が栄えたのか

 

日本史の不思議!

 

なぜは無限に続く。

なぜは存在の自覚 なぜは真理の道 なぜは興味の原点

なぜはすべての始まり なぜは過去現在未来を解く

 

なぜ・人間であることの証明

なぜ・現世に未来を見るときのエネルギー

 

なぜ・毎日なぜを考えることによる過去の整理が出来る。

なぜは自分の人生の総括になるからである。

なぜを考えるとき本当の自分が見えるから

なぜを思うとき自分に帰る事が出来る。

 

 

あらゆるものはなぜから始まる、なぜという問いこそ自分の

力、なぜを問うときいつも自分が見える、自分のありのまま

がなぜの中にみんな見えてくるからである

 

 

自分の足跡も 過去のすべては なぜの中にある なぜを

問う力こそ修養の力である。 これからの学びは知識では

なく 真理の学びである 人間である由来に戻る力を日々

に蓄えたい。

 

 

 

 

なぜか? 霊と魂

テーマ:

霊と魂・・

 

生命が生きているときそれを魂と呼び、生命が死んだとき

それを霊と呼ぶ。霊と魂は同じものである。この霊魂について

小さいときからの疑問であった。この問題についてこれから

深めて行けることに喜びを感じる。

 

 

身近な事では今でも父の霊魂が自分を守ってくれている事

を日々に感じているからである。同時にこの霊魂についての

知見を深めることがこれからの重要な仕事であることも自覚

するからである。

 

 

霊の存在はこの宇宙の中での自らの位置を決めて貰うもの

であるからである。人間の道は魂を磨き続けて生きる道だか

らである。人間の道は死ぬ瞬間まで魂と共にあるのはその

魂こそ人間の最高の財産だからである。

 

 

日本人が大切にしてきたこの霊は神社という形で今日まで

何千年も継承されてきた。この霊は宗教などという概念を

超えた、科学の概念をも超えた存在であることは。この宇宙

の中で人間が霊長類の存在だからである。

 

 

人間の存在意義など人類が考え付くような科学や文化では

まだ定義はされないだろう。しかし人間の人類の価値はこの

霊魂という概念の中にその意義に一番近い意味が含まれて

いるだろう。

 

 

この霊魂の摩訶不思議な力は先天的な力により、またその

深い修練や修養により我々に霊魂の存在を感じさせてくれる。

これら、長年の疑問の問答を一つづつ表に出しつつ生まれて

きた意味を感じて行きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜの始まり

テーマ:

なぜ ・・・という好奇心

 

なぜという問答ほど好奇心を湧かせる動機は無い。

 

 

もの心ついたときにはもう好奇心の真っ最中であった。

爾来七十年以上もその好奇心を満足させる為に今日まで

やってきた。

 

極めて感受性の強かった2~3歳の頃の記憶が今でもまざ

まざと蘇ってくることがある。同時にその頃の記憶から最近

までの特に経営者になってからの記憶は日に日に薄れて遠

ざかって行く。

 

この好奇心という動機の発動は時によっては周囲の環境を

変えてしまうほどの衝撃に度々自己の中心軸を見失って今

日までやってきた。

 

 

この好奇心の軸は、ただ 「なぜ」 という発動に過ぎな

いが今でもこの発動の動機は日常を左右している。人生で

感じたことは多いが、その経験や体験はあまりに少なすぎ

るのである。

 

 

経営の第一線を引くことになったが、待ちに待った人生の

最大のチャンスがやってきた。今までの人生での疑問(好

奇心の問答)について一日中問答が出来る時間を持つこ

とが出来るからである。

 

毎日の好奇心はその事に今最大の時間を割くことが出来

るからである。好奇心の広がりは今でも宇宙の広がりのよ

うな錯覚をするほどである。

 

 

恐らくこのブログも終日のべつくまなくその好奇心に覆われ

るような気がしている。

 

そして好奇心の問答は毎日無限に続く・・・

 

それは、始まりはゼロなのか

一なのかである。

 

この命題はすべての好奇心の行きつく先で必ず出くわす疑問

である。

 

 

好奇心で行き着いた最大の疑問はこの一からか?ゼロからか

である。

 

 

 

 

 

 

 

 

一から始めるのが当たり前なのに・・物事は皆ゼロから始まっ

ているのだ。この一という意味の持つ概念の深さとゼロという

概念の深さのぶつかり合いの中で人類の文化は進化してきた

 

 

今でも毎日がこの一から始めるのとゼロから始めるのの境目

から無限の好奇心が湧き上がるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正念場。

 

1972年からのダイアリーが残っている。

毎日の出来事を書いてある。何処で何をしていたか

今でも鮮明に思い出す。

 

 

これからの人生は長い。 拘束されない時間を初めて持つ。

一番したいことは、今までの人生で疑問に思っていたことを

解いてみることだ。

 

 

なぜ生きる。

なぜ死ぬ。

 

なぜ考える。なぜ寝る。 すべては疑問である。

 

なぜを考えて人生を過ごしてきた。なぜを考えるほど人間

であることのありがたさに感動し続けてきた。

なぜは永遠に続く。

 

宇宙が作り出したこの生命の中で人間にうまれることが出

来た幸運。。

なぜ人間に生まれたのか、この素朴な疑問を意識したのは

小学校へ入る前だった。

 

 

堺には、あらゆるところでお寺があり、市民はそのお寺で囲

まれて生活している。子供の頃の遊び場はお寺の境内であ

った。

 

なぜ、と考えるほど自分の軸に触れる機会は無い。なぜ今

この不思議な人間で存在しているのか?人間で生きる事の

瞠目すべき感動の中で世の中の移りかわりを見てゆける

ありがたさ。

 

 

なぜ。?

なぜ