ダラット高原

ダラット!!



地上千五百メートルにある高原地帯。ベトナムの最大の財産。



ベトナム人がプライドの高いのも、頑固なのも、このダラットを

見れば納得がゆく。これだけの財産、これだけの環境、ダラット

高原に入って百キロ、永遠に続くかと思われるなだらかな丘陵

このダラット高原の発見がフランス人のお気に入りの別荘地帯

になったのは言うまでもない。



現在は、新婚旅行のメッカになったということであるが至極当

たり前のことである。ホーチミンを出発して以来二時間もすれば

高原地帯に入って行く。なぜかガタガタ道を七時間半というイン

ターネットの話だったが道路の99%は舗装のされた快適な道

だった。



このダラットを今回だけですべて延べる訳には行かない。余り

にもその価値の大きさに圧倒されたままの状態だからである。

その気候は朝は春。昼は夏夕方は秋。夜は冬。一日こんなに

四季節も味わえる地域など世界でどれだけあるだろう。一番の

イメージはスイスだ。



しかしあのアルプスの風景とは全く違い、ダラットの穏やかな

丘陵地帯は農業に最大の恩恵を齎す地質と地形になってい

る。この丘陵地帯に降る夕立によって窪地は湖になる。この

水源が美しい景色を作り出し。人々に理想の住環境を作り出

している。恐らくはベトナム最高の別荘地である。



ここが将来世界から人々を集めることになる別荘地になるこ

とは間違いのないことと思われる。地形の変化による気圧の

変動は毎日夕立を齎し、その入道雲は詩人が必要なくらい

美しい。この入道雲の空を見ているだけでここが地上の天国

であることを教えてくれる。



空気のきれいさ、水のきれいさ、空のきれいさ、食べ物の豊

かさこの豊かさから来る自信がベトナム人の自信に繋がっ

ている事は想像に難くない。何よりもこの高原地帯に存在し

ている快適さは人間の五感に気持ちの良い雰囲気を齎して

くれる。ベトナムの新婚旅行のメッカになる事は至極当然の

事である。



ダラットを感じるためには再度訪問の必要を感じる。この高

原は同時に頭の整理の場所として理想の環境にある。ここ

では人間の思考の水準が高くなる場所である。なぜそうな

るのか次回まで徹底して考えたい。









ベトナム工場の軌跡



初めてベトナムに入ったのは2011年7月30日

2012年に春に進出を決め8月に事業のライセンス

が下り秋には工場建設が始まり翌年秋には工場が

竣工した。



それから3年目を迎えた。南海ベトナムの木はベト

ナムの地に根っこが広がっていった。従業員の定着

工業団地関係者との関係づくり、ジェトロはじめ、色

んな団体、日系進出企業始め、現地の台湾企業、

アセアンからの進出企業。多くの仕入先からの情報

これらの関係先との中で本格的な仕事が始まりだした。



このドンナイ省ニョンチャックの第三工業団地はホーチ

ミンからのアクセスや空港その他の立地条件が認めら

数十社の日系企業がここ二、三年で中的に進出

て来た場所である。この間の変化は日本の数十年の

変化に等しい変わりようでホーチミンやこの工業団地を

取り巻く環境は一変している。



進出当初ベトナムの可能性については、刊行物やイン

ターネットを通じてしか解らなかったが、この三年間の

進歩をつぶさに見ることが出来、現実の社会が目に見

えて変わってゆく様を目の辺りにすると、凄まじいベト

ナム発展に大きなチャンスが来ていることを実感する。



そして今回ベトナムの中南部の高原地帯ダラットを訪

問してなお更ベトナムの未来を読むことが出来た。

この続きは明日以降に続けたい。





誰と戦う

誰と戦う。



歳を取ると見える。誰と戦って生きて行くのか?そして

最も難しい敵が己自身である事に否応なく気づく時が

来る。それが今来ている。



過去の45年の経営者としての歴史をふり返ることによ

りこれからの自分の行き方を見つけようとしているが

毎日の仕事の動静に一喜一憂している自分が居る。



この自分の性格を知りつつも、通り過ぎてからしか見

えない凡人の人柄も余り気にせず生きてきた。そして

未だに自分の人間の掘り下げも出来ずに毎日凡々と

過ごしている自分が居る。



昨年の2月実質的に経営の第一線から下りた。しかし

その後自分を取り戻すのに丸一年を要した。何よりも

精神的に老化していた自分の気力体力を取り戻すこ

とに全力を傾けてきたが、何に向かって生きるかは

定まらなかった。



定まるべきものは自然に来ると思っていたからである。

この4月になって、ようやく自分が具体的に何を成すべ

きか見えたのである。



自分の身体に対する老化対策が自分の道を開くこと

になる。そしてこの自分の老化対策こそ自分の社会

貢献の最大のものであることも段々と自覚できた。



70代を五十代の若さで過ごす。この命題に取り組む

事ですべてが開けることも見えてくる。しかし言うは易く

である。現実は恐ろしい戦いが始まったのである。



誰が毎日150gもの生姜を食べると予想したか?この

生姜革命に至るまで、紆余曲折の日々を一年も過ご

した。その生姜革命はまだ始まったばかりである。



この生姜革命から食生活全般の改善が始まる。そして

今身体から免疫力や抵抗力が徐々に付きつつあるのを

感じる。そしてそれが身体全体に広がって行くことを

確認しつつブログに立ち上げて行きたい。




タフであること

タフという生き方



毎日、出勤すると45年分の「自分の歴史を」背中に担ぐ。

この重しを毎日少しで軽く思えるように、身体の再点検や

新しい知識に全力を尽くす。このエネルギーがどのように

推移して行くのか自分の事ながら毎日遣り甲斐をしる。



夕方帰る頃になり、朝担いだ「その重石が」どのように使

われたのか確認するとき、担いだ荷物にほとんど手が付

けられていないことに気づく。しかし毎日朝の意識によ

て背中の荷物に価値があるといい続けることで徐々にそ

の環境が出来ている。



つまり、その背中の荷物こそ私の「魂」が詰まった荷物で

あるからだ。この荷物の中身を欠片でも感ずることになれ

ば、自分の身体が再生すると信じる。自分がこれから何を

するのかその命題に向かってスタートを切って二ヶ月おぼ

ろげながら見えてきたのである。



取り組みには、最大のテーマは「若返り」だが若返りする

為にはそのエネルギーが必要なのである。そのエネルギ

ーは「身体」にあるのだが身体を支配しているのは「魂」

だからである。この魂に目覚めることが身体を変えスタミ

ナを齎し、若返りの原動力となるものである。



昨日ニュートン別冊で「人体図」をてに入れた。ここには

人体の仕組みが詳しく説明されている。この人体の仕組

みは自分の仕組みでありあらゆる「仕組み」の原形にな

るものである。人間は人類が考えたあらゆる仕組みの中

で最も完成された仕組みである。



この人体を知ることが結局世の中や世界を知ることにな

るのである。その中で今はこの仕組みを理解することから

如何に若返りに結びつけて行くかである。この本の中には

沢山のヒントが隠されている。



ここから人体の機能を知り、構造を知ることによりどのよ

うにこの身体を活用して行くか沢山の示唆を受けることが

出来る。今の最優先課題は「若返り」である。そして毎日

実験が繰り替えされている。





再生できるか肉体は?

70代を50代に戻す。


4月の始め正式に社長を下りた日。自分の体力は実際の

所何歳であるか?づっと考え続けていた。一ヶ月も色んな

角度から確認をした。特にスポーツセンターでは50代の

人達を観察していた。



スポーツジムでは50代は20代であるかのような動きに

圧倒される自分がいた。ようやく自分が歳相応に老化し

ていることが解って来た将に73歳そのものであった。や

はり事実に基づいて自分と向き合おう。

正直疲れ易さからは歳は誤魔化せないと思っていた。



しかし心の隅では必ず五十代は取り戻せるという自信は

持っていた。そしてなぜ五十代に拘る自分がいるのかと

いう動機の自問から始めた。無理にムリを重ねて今日ま

で来た。、今更自分の欲だけの動機なら長続きがしな

と本当にやるのなら、「人類に革命を起こす」つもりでや

ろうと思うからである。



何故なら自分がこれからやることはある意味現役と同じ

体力が必要だと思うからである。毎日45年分の業務の

見直しがあるからである。毎日45年分の業務の見直し

の中に自分の生きてきた魂があるからである。それを

探し当てたい。



この二ヶ月の間に本当の取り組み課題が自然に出て

くるまで反芻するという事を繰り返しながらその手応え

を毎日少しづつ確認できて来たからである。自分が取

り組んだ仕事の中にある魂を見つけてみたい。自分が

生きた証を確認してみたい。



私のこれからの仕事はこれらの中にあると確信が日々

明瞭になって行くように思われる。魂など元々なかった

のかも知れない。しかしたとえそうであってもこの道に

生きてきた価値を少しでも確認は自分の義務でもある

とも思うからである。



果たして、この話を明日も続けたい。

七十代が充分現役世代であることを何も出来なくても

伝える人間としてこれからの人生を送りたい。健康問題

取り組み課題、勉強やらなければならないことがどれだけ

横たわっていることか?