千葉のにとべ(二藤部)行政書士事務所

千葉の行政書士の二藤部です。
行政書士として、2児の父親として、日々頑張っています。
趣味はゴルフ
スコアは最近は90台前半で安定してます。
最近はドライバーを買い替え、調子がいいですが、ドライバーを買い替えたのは、嫁には内緒です(笑)

千葉で行政書士業務に、子育てに、ゴルフに頑張っています走る人メモクローバー


日常の楽しいこと、うれしいこと、思ったことを書いていこうと思っています。


http://www.office-nitobe.com/


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LEC新宿本校で共に講義を受け持っております、中山先生とお会いしました。

 

午前中は野畑先生、午後は中山先生とお会いでき、本日はいい日です。

中山先生は、新宿本校で、速習クラスを担当します。

4月13日(木)から開講です。

 

使用するのは、外販の書籍である「合格基本書」です。

 

知識の確認を早めにしたい方は、ぜひご利用ください。

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本日は、中野LECに行きました。

 

収録で名古屋から来ていた野畑先生とお会いしました。

腰の低い素敵な先生です。

 

野畑式 「政・経・社」 得点アップ講座を収録していたとのこと。

 

一般知識が苦手な方は、是非、どうぞ!!

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なかなかブログを更新できなくて誠にすみません。

 

今日は私の嫁についてお話します。

 

「生憎の雨」

これをみなさんはどう読みますか?

 

 

うちの嫁は「しょうぞうのあめ」と読んでました(笑)

 

 

嫁は理系だからしかたないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

6歳の長男と一緒に漢字の練習を提案しました。

 

 

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本日、1月31日(火)の合格講座の実施はありません。

 

スケジュールをご確認ください。

次回の講義は2月3日(金)となります。

 

よろしくお願いいたします。

 

 

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先ほど、合格発表がありましたね。

 

合格率は9.95%でした。

10%前後と予想しておりましたので、予想どおりです。

 

合格者の最低年齢は14歳、最高齢は81歳でした。

どちらもすごいですね。

 

合格者の数は約1700人減っています。

これは、受験者数と合格率が去年と比べて下がったからでしょう。

 

 

合格者のみなさんへメッセージです。

 

合格者のみなさん、おめでとうございます。

 

行政書士試験に合格できたということは、粘り強く学習できたということです。

みなさんが行政書士事務所を開業しても、きっとはじめての業務はわからない

ことばかりだろうと思います。

 

お客様の話をよく聞きながら、試験勉強で培った粘り強さを発揮して、業務を

おこなってください。

官庁など申請先の担当者の方と粘り強く相談をしてください。

 

これから、多くの業務をこなしていくと思いますが、その粘り強さは今後の宝

になるものです。

 

みなさんの今後のご活躍を期待しております。 

 

 

 

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受験生の皆さま

あけまして、おめでとうございます。

 

今日は2019年の1月4日です。

今年も残すところ、あと361日となりました。

 

今年は試験の年です。

学習にも、力をいれてやっていかなければなりません。

 

年明け早々こんなことを言うのは、野暮かもしれませんが、

年月が経つの早いものです。

 

計画的に学習をしていきましょうね。

 

このブログでも、役立つ情報を提供してきますから、

見てくださいね。

 

 

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みなさんこんにちは

 

朝の冷え込みは、すごいですね。

駅まで行くのに、毎朝寒くてきつい今日この頃です。

 

さて、新宿で仕事があったため、仕事に向かう前に

食事を済まそうと、久しぶりに、新宿の有名なラーメン屋さん

に行こうと思いました。

 

ほんとにそこのラーメンは久しぶりですね。

 

7年くらい前だと思います。

 

行列もできる店で、なかなか期待して行ってきました。

店は以前と変わらず、ありました。

 

新宿駅から、数分のところです。

店構えも変わっていない。

 

つけ麺を注文しましたが。。。。。。。

 

これが、なかなか美味しくない。

 

スープがものすごくしょっぱい。

煮たまごもしょっぱい。

 

う~ん

 

あまり美味しくないなぁ

と思いました。

 

久しぶりで期待が大きくなりすぎたのかなぁ

あるいは年齢により好みがかわったのかなと思いました。

 

残念

 

 

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みなさん、こんにちは。

 

行政書士の二藤部です。

 

寒くなってきましたね。

あまり暖かいコートがなく、新しいコートを買おうか、悩み中です。

ダウンコートがいいですね。

 

さて、前回は戦後の日本経済をお話ししました。


朝鮮戦争による米軍の兵器補充・修理などの特需で生産

は拡大し(朝鮮特需)、この不況を乗り切ることができたという話しで終わって

おりましたので、その続きからお話ししましょう。

 

朝鮮特需により、インフレも収束し産業基盤も整ったことで、

成長する基盤がこの時期にできました。

 

日本の高度成長がここから始まります。

 

日本の高度成長期は一般的には、1955年から1973年までのことをいいます。

この時期は、日本が年率10%前後の経済成長を実現しています。


15年の間、この水準をキープしていくことは他国にはみられないものです

から、すごいですよね。

 


では、解説していきましょう。

 

 

《1955年~1961年》 この時期は、輸入中心の民間設備投資に支えられたものです。
企業は最新の設備を輸入して設備投資をしていきました。
【神武景気】
・31ヶ月続いた戦後日本の景気拡大のことです。
・1956年の経済白書では「もはや戦後ではない」と述べています。

【岩戸景気】
・42ヶ月続いた好景気です。
・1960年には、池田勇人内閣が「国民所得倍増計画」を発表しました。
国民所得倍増計画では、池田首相は、国会で10年で月給が2倍以上
になると説いていた。そして、計画では7.2%の経済成長を想定して
いましたが、実際は10.9%の高度成長となっていました。

 

 

《1962年~64年》
【オリンピック景気】
・東京オリンピックに合わせて高度道路や新幹線などの公共事業の急増
がありました。
・しかし、オリンピック後、公共事業が激減して不況が発生します。

 

 

《1965年~1970年》
【いざなぎ景気】
・神武景気や岩戸景気で築いた設備投資をもとに、輸出中心の好景気が
実現します。
・日本の重厚長大産業である(鉄鋼・造船・石油)重化学工業が好調と
なりました。
・1ドル360円の固定為替レートで、円安となり輸出に有利になりました。

 

 

《1970年~》
【円高の進行と石油危機】
・円高の進行と石油危機により、高度成長は終わりを告げます。
・固定相場制が崩れたことで、円高が進行します。円高になり、日本の
商品は売れなくなりました。
・1973年第1次石油危機が発生しました。第4次中東戦争で石油価格が
4倍になり、重化学工業と石油関連事業が打撃を受けました。
・不況とインフレが同時進行するスタグフレーションが発生し、戦後初の
マイナス成長となります。

 

 

《1970年台半ば》
【石油危機後の取り組み】
・インフレ対策として、総需要を抑制するため、公定歩合を9%に上昇
しました。
・今後の石油不足にも対応できるように、産業構造の転換がなされました。
重化学工業の「重厚長大産業」から、知識集約型の家電・自動車・コン
ピュータ「軽薄短小産業」へ移行

 


以上のように、経済はその流れを理解することで、よくわかるようになります。
時代の背景等も交えながら、記憶しておきましょう。

 

 

 

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今回は、「戦後の日本経済(戦後復興期)」について、お話しましょう。


戦後の日本経済の復興はGHQの三大改革からはじまっています。

 

財閥解体、農地改革、労働の民主化の3つの改革です。

 

財閥解体とは、独占的企業の解体を行い、独占禁止法を制定しました。

 

農地改革とは、自作農創設特別措置法に基づき、大地主から農地を買収し
農家に売却しました。


労働の民主化とは、労働三法の制定を行い、労働組合を育成しました。

この頃の日本では、戦争のための費用捻出で紙幣が増刷され、戦争前の
物価と比べて100倍以上という激しいインフレが起こっていました。

 

そこで、日本は経済復興策として、「傾斜生産方式」を導入しました。

これは、産業再建のために全産業の基礎となる石炭・電力・鉄鋼などの
産業に重点的に投資をしたものです。

 

しかし、当時の日本にはお金がありませんでした。

そこで、復興金融金庫という特殊法人を設立して、そこから融資を受ける
ことができるようにしました。

 

では、その資金はどうしたかというと、戦後の日本ではお金不足でしたから、
資金源として、復金債を発効して、それを日本銀行に引き受けさせること
にしました。

 

これは、国債の日銀引き受けと同じ効果となり、物価は戦前の200倍
以上というさらに激しいインフレとなりました。

 

このインフレを収束させ、経済的に日本が自律する必要があると考えた
GHQは「経済安定9原則」を発表し、さらにアメリカから経済顧問と
してデトロイト銀行頭取のドッジを招聘します。

そこでとられた措置が、「ドッジ・ライン」です。

 

ドッジは、日本経済は、①アメリカの援助と、②日本国内の補助金の
成り立っており、日本経済は両足を地につけずに竹馬にのっている
と評し、「竹馬経済」からの脱却が必要と考えました。

 

そこで、ドッジは「超均衡財政」という荒治療を実施します。
増税と財政支出の削減を基軸としたデフレ政策を実施します。

これによりインフレは収束しましたが、反動で深刻な不況に陥って
いきました。

 

しかし、このころ、朝鮮戦争による米軍の兵器補充・修理などの特需
で生産は拡大し(朝鮮特需)、この不況を乗り切ることができました。

インフレも収束し産業基盤も整ったことで、成長する基盤がこの時期に
できました。

 

今日はここまでにしましょう。

時代背景等を意識しながら、理解すると、分かりやすいですね。

 

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