「果たして百年後に日本なる国が、世界の地図の上になおも存在しているであろうか、私はひそかに心配している。日本国民はかつてない非攻非戦主義のパシフィック(平和的)な憲法を持っているが、果たしてパシフィスト(平和主義)精神を持っているであろうか。そこに、日本の存亡の問題が存している。日本国民が、軍備を用いずに祖国を護ろうと思うならば、少なくとも周囲の各国民の感情を害してはならぬ。では誰が、周囲の国民に本国民程度にbeloved nation―愛好すべき国民―はないと、思わせ得るであろうか。それは、語学の達人である」 

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2006-09-07 10:31:43

(留学生活) 中国留学を準備する-奨学金と語学学習-

テーマ:中国留学生活

 文仁親王妃紀子殿下に,親王が,御誕生になりましたこと、心よりお慶び申し上げます。


*************


 中国らしいハプニング。授業の開始が、建物の修理が終了しないことから来週に延期になりました。本当は、先週から授業が始まるはずだったのですが。


 さて、とりあえず、今日は、中国留学準備編ということで、日本での奨学金の獲得と語学学習について記しておきたい。


(奨学金)


 留学において奨学金を獲得することは、重要である。それは、経済的に楽になるということばかりではなく、ひとつのブランド(特徴)となるからである。奨学生同士のつながりもうまれる。例えば、中国政府系の奨学金を受ける場合には、中国大使館主催の壮行会が催され、そこで全国に散る奨学生とつながりを持つことができる(旅行の際に、再会できる)。また、奨学生としての自覚やその維持のための学習努力は自分を高めることにつながる。


 留学のための奨学金は、さまざまな公益団体(吉田育英会etc..)や日本政府(文部科学省etc...)によるものが存在している。


 だが、中国留学の場合には、中国政府の奨学金が群を抜いて充実している。例えば、国費留学にあたる奨学金の場合、中国政府は、毎年130名の募集を行っている。これは、例えば米国の20人や韓国の10名、インドの11名などと比較してもその規模がいかに大きいかが分かる。また他と違うのは、中国政府の奨学金では、語学ができることが必要条件とされていない。


(中国は、全盛期の隋・唐の時代より留学生の受け入れてきており、その意義や重要性を熟知している。留学制度は、ジョセフ・ナイがソフト・パワーの重要な評価基準として指摘しているようが、ここに中国の大計を感じることができる)


 国費に加え、中国政府はさまざまな公益団体を通じても、奨学生の募集を行っている。公費留学である。日本においては、日中友好協会、霞山会(かざんかい)がそれである。


 いずれも、詳しくは以下のリンクを参考にしていただきたい。


(中国政府系奨学金)

中国政府奨学金(110名) http://www.jasso.go.jp/study_a/scholarships_foreign06.html

日中友好協会(20名)   http://www.j-cfa.com/abroad/kouhi.html

霞山会(5名)        http://www.kazankai.org/c_abroad_1.html

国際交流サービスセンター(3名?)  http://www.iisc.co.jp/


(語学学習)


 事前の語学学習においては、重要なのは、スクールに通うことと自学を併用することである。


 スクールに通う際に、重要なのは、教育が産業化していることをしっかりと認識することである。そのような認識をもてば、広告費に生徒から集めた多くの授業料が消費されているスクールがあまりよくないことを知ることができるはずである。


 もちろん、全国展開している大手校にもメリットがあるのだが、僕がお勧めするのは以下のものである。産業化されていない、利益追求が強い目的となっていないものである。具体的な方法としては、、、、


1.電話帳で探す

 電話帳は、相当小さな個人塾でも網羅されている。ご近所には、実は中国の大学を卒業しましたというおばさんが善意でスクールを催していたりする。そのようなところは、入学金でさえ数千円と良心的で、利益を度外視して指導してくれることが多い。


2.財団法人系を利用する

 英語でいうところの日米会話学院である。中国語では、霞山会などがある。これらは、財団法人であり、株式会社とは異なり利益追求が最大の目標とはなっていない。ゆえに、料金も良心的である。さらに、教師のレベルも高い。


3.大学の公開講座を利用する

 生涯学習の一般化から、かなりの大学が土曜日や日曜日、夜間などに公開講座を催している。大学教員による質の高い授業が、安価に受けることができる。


4.中国人にtutorになってもらう

 日本の留学生の7割近くが、中国人である。個人的に申し込んで、中国人tutorをつけるのは、よい方法である。


 次に、自習だが、これにはいろいろとあるのだが、手っ取り早いのは、身近にいる語学のできる人にそのノウハウを教えてもらい、自分に合うものを実践することである。(効果的なノウハウは限られており、あとは、自分の好きなものを実践すればよい)


 ネット教材(無料)で、役立つものとしては、東京外国語大学の21世紀COEの予算を受けて運営されている言語モジュールなど。

http://www.coelang.tufs.ac.jp/modules/

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2006-09-02 12:05:32

(近況)新聞道→学而事人 中国に留学しますv

テーマ:近況
  今日からタイトルを変更しました。

 学而事人(がくじじじん)とは、作家・山崎朋子によれば、「学問は、自分の利益を計るために為るのではなく、社会に役立てるために為るものである」という意味である。

 この言葉には、感動的な逸話がある。

 この標語は、戦前に清水安三というクリスチャンが北京の朝陽門外に創った学校の講堂にかかげられていたものである。その学校は、崇貞学園という名であった。現在、朝陽門外といえば、大使館などが多い北京の一等地である。だが、当時は、北京のスラム街であり、女子が売春によって生計をたてていた。ゆえに、清水はそこに学費不要の学校を作り、崇貞のために、子女の教育に尽くしていたのである。

 負ばかりが目立つ日中の近代史のなかで、そのような人物がいたのである。「抗日」でくくられ、戦前の日本が中国においてすべて否定されていると思いがちだが、この清水においては少なくとも違った。

 名前こそ変わっているが、現在でも朝陽門外にその学校あり、国家重点校、模範校としての地位を確立している。そこでは崇貞学園のルーツが大切にされており、校庭には、清水の銅像と「学而事人」と書かれた石碑とがあるのである。

(日本人の中国イメージの悪化)

 僕は、9月からしばらく(1年?)北京の中国人民大学で学ぶ。中国政府による公費留学だが、その採用において象徴的なことが起こった。

 僕の公費留学は、日中友好協会が窓口となっている。例年、20人の募集枠に100人近くが応募するのだが、今年はたったの60人だったのだ。それだけではない。文部科学省が窓口になっている中国政府の奨学金においては、100人の募集枠が、(おそらく史上初めて)、定員割れしたのである。

 なぜか。

 昨年4月の反日デモを発端とし、首相の靖国参拝をめぐる政治的緊張による日本人の中国に対するイメージの悪化である。

 このことは、各種世論調査でも明らかである。中国人の日本人に対する好感というのは、よくて30%程度でこのような緊張関係でも急激に悪化するわけではない。深刻なのは、日本人の中国人に対する好感度である。例えば、2003年には5割近くあった「中国に親しみを持つ」人の割合は、昨年までに3割程度まで低下している(内閣府調査)。また読売新聞が行っている世論調査でも、「中国を信頼できない」と答える人が過去最悪の65%に達している。

 このような中国に対するイメージの悪化が、中国留学の消極化として象徴されているのである。

(日中関係の悪化はイメージ?)

 日中関係が悪化している、というのはイメージにすぎない。

 なぜなら、首脳会談ができないということをのぞけば、日中関係は緊密さを政治的にも経済的にも強めているからである。 政治的には、日本の政治家が中国政府の要人と会談する回数は決して少なくなっていないし、外相レベルの会談も行っている。

 より重要なのは経済的な関係であり、中国に進出している日本企業は、2万8千社にのぼる。日系企業に雇用されている中国人は、920万人である。2004年には日中貿易が日米貿易を上回り、輸入相手国としての中国は2位の米国の倍近い差すらつけている。(つまり、日本で最近言われているような「中国崩壊論」が実際のものとなれば、日本も一緒に転落してしまう)

 このようなことを踏まえれば、日中関係が悪化しているという言説は誇張であり、何よりも無意味、無益のように思われる。

(作り出される悪化イメージ)

 このようなイメージはある一部の勢力によって作り出されている。そしてそこには、やはり意味と利益とがある。

 ひとつは、政治家である。

 日本の場合、例えば、憲法改正や日米同盟の強化という政治目標がある。国民の支持を得るためには、何らかの「脅威」を認知させ、9条改正や同盟強化が「必要である」と考えさせる必要がある。「隣の国にこんな軍事大国がありますよ。その国とは、首脳会談すらできないんですよ」というイメージを与えれば、「そうだね。怖いね。防衛強化しないとね」という話になるわけである。

 中国の場合、急激な経済成長による矛盾や政治的腐敗による共産党への不満を和らげるために、歴史認識を利用している。中国は、抗日によって国家が団結される歴史的経緯とメンタリティーがあり、構造変化の中ではとりわけ利用しない手はないのである。

 悪化イメージを助長するもうひとつの勢力は、マス・メディアである。

 「靖国をあおると新聞が売れる(視聴率がとれる)」というのが、最近の傾向である。この構図は、「戦争をあおると新聞が売れる」という戦前と同じである。「靖国問題で中国・韓国を永遠に黙らせる」「朝日・読売主筆、靖国問題で対談」というタイトルだけで、部数が伸びる。もうかるのである。日中関係が悪くなればなるほど、そのニュース価値が高まり、部数や視聴率につながるわけである。

(支配的イメージと対抗的イメージ)

 上記で指摘したことは、確かに、化学反応のように単純明快、絶対的に起こっているとはいわない。だが、少なくとも一因であるのは事実である。

 このようなある一部勢力によって作り出されるイメージに、多くの人々が支配されているのである。僕はこれを「支配的イメージ」と呼んでいる。

 では、支配されないためにはどうすべきなのか。それは、そのイメージに対する「対抗的イメージ」を意識的に受容することである。

 この「学而事人」のブログの意図はそこにある。一留学生の僕が北京で感じたことや考えたことを綴り、中国に対する「対抗イメージ」を提供することである。

 それが、日中友好につながるのではないかと考えている。

(追記)

 いつものように、大きなことを書いてしまったが、続くようにがんばります。ただ、清水安三が北京にわたる直前に、(僕の尊敬する言論人の)長谷川如是閑のインタビューでも、夢のような大きなことを語っている。そういった意気込みは、表面的であっても常に大切かと思う。

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2006-07-15 23:57:48

(九州旅行3)福岡大会の終了,ロボット産業,長崎訪問

テーマ:九州旅行

 岐阜へ帰ってきました。


 「やっぱり,家が一番」と思いつつも実りの多い,福岡・長崎旅行でありました。


 もちろん,100%思い通りに行くということはなく,今回はカメラを持っていくのを忘れてしまいました。何度,そのことを悔やんだことか。旅行先では,感覚が研ぎ澄まされています。いいアイデアが浮かぶのもそのためだし,日常の風景を敏感に切り取ることができるわけです。


 思えば,米国を発つときも友人宅にカメラの充電器を忘れてしまい,今回の旅行に間に合うように送ってもらったのに。。。かたじけない。


(世界政治学会,福岡大会の閉会)


  今回の福岡大会には,80近くの国から2400人あまりの学者らの参加があったようです。参加したパネルや会場は,欧米人が多かったです。特に欧州の方々。欧州というのは,やはりトランスナショナルな活動が活発なように思います。


 閉会に先立って,最終パネルとして緒方貞子女史(現JICA理事長,元国連難民高等弁務官等)の講演がありました。緒方氏は,おそらく国際政治の分野でもっとも有名かつ卓越した日本人でしょう。「人間の安全保障」(日本が提唱する「国家の安全保障」に対する対概念)を力説しつつ,自身の実務の経験を踏まえた講演は,説得力のあるものでした。講演終了後はスタンディングオーベーション(起立による拍手喝采)に会場は包まれました。


 閉会の目玉が,緒方氏とすると開会の目玉は猪口邦子大臣(男女共同参画・少子化担当)の講演だったように思います。緒方氏も,猪口氏も実は国際政治学者です。しかも,両氏は上智大学で活躍された学者です。閉会式の後のレセプション(懇談会)などで,「上智の学生です」というと,「ああ緒方女史の大学ですね」と返され,ちょっと嬉しかったです。


 政治学会であるし,お堅い内容が多かったのですが,中には「マンガと政治」というものもありました。フランス人の報告者だったのですが,他のパネルも会場も日本人は僕だけでした。外国人だけで,「麻生大臣はマンガ好きだ」「小林よしのりが右傾化に影響している」「最初にマンガを使った政治家は竹下登である」など議論していました。同教授からのメールによると,マンガ研究の国際プロジェクトを企画しているらしく,個人的にはアニメとマンガ研究を2年前にしたことがあるので,参加したいと考えいます。


(マンガ・アニメとロボット産業)


 ひとつだけ,雑学として言うと,日本のロボット産業が強いのもマンガ・アニメが関係しています。ホンダは,ASIMOという人型ロボットを作りました。開発当時,チームでは二足歩行ではなく簡単なキャタピラ(車輪)で動かせばいいではないかという意見がありました(アメリカのロボット開発はキャタピラでしたね)。けれども,ホンダの開発部長はこういったそうです。


 「アトムを創ろう」


 これが,人型ロボットを作る情熱となっているわけです。アトムだけはなく,ガンダムとかマジンガーZとかそういったロボット系のマンガ・アニメに触発されて,開発に情熱を燃やす研究者・技術者が日本にいるわけです。そのようなこともあり,世界の工業ロボットの6割は日本にありますし,開発の最先端を日本は進んでいるわけです。


 いま,世界のエレクトロニクス企業は,20年後ぐらいに向けて,家庭用ロボット開発に全力を挙げています。軍事にも利用され,実際に実戦配備されました。人がロボットと戦っているのです(いまはまだ,ラジコン型の遠隔操作ですけど)。


 象徴的な話をすれば,去年の愛知万博の目玉はなんといってもロボットでした。会場内に掃除するロボット,警備にあたるロボット,道案内するロボットなどがあり(おり?),各企業のブースでもロボットが見世物でした。


 愛知万博の前の万博といえば,大阪万博(1970年)です。その万博で初登場したものが2つあります。ひとつは,携帯電話。もうひとつは,ハイブリッドカーです。それから36年がたち,携帯電話もハイブリッドカーもかなり普及しました。とすると,ロボットも30年後ぐらいには普及しているかもしれません。


(長崎訪問)


 まったく,九州旅行と関係のない話を書いてしまいました。本題に戻すと,僕は学会が終了してから,長崎へいきまいた。


 いろいろな映画の舞台になっていて,いつも,なんて素晴らしいところなのだろうと思っていました。とくに,坂を上って見渡す海の景色の素晴らしさにあこがれていました。その景色も求め,長崎へ行きました。


 出島ってこんなに小さかったのかー,と思ったりしつつ,町を歩きました。岐阜市は廃止してしまいまたが,長崎は路面電車が活躍しており,居心地がよかったです。皿うどん(僕の好物のひとつ)も,本当においしかったし。


(原爆体験者(目撃者))


 ですが,僕がこの長崎でしなければならなかったのは,原爆体験者からお話を聞くことでした。


 平和のために,すべきことは色々あります。例えば,強大な軍事力を抑止力として持つこともひとつです。国連を機能強化し,法の支配を広げ,国際警察のようなものを作るのもひとつです。勢力均衡を考えたり,民主主義を広げたり,通商を拡大したり,貧困をなくしたり,本当にいろいろあります。


 いろいろあるなかで,僕は,「戦争を知ること」がもっとも効果的かつ根本的ではないかと思います。戦争が人々に何をもたらすのかを知る。戦争の悲惨さを知ることが,平和を人々に希求させる大きな力になるからです。そして,ひとりひとりが自分の信じる方法で,平和を維持するための活動をすれば言い分けです。(戦争をするにしても,「知っているか」「知らないか」で変わるものがあるでしょう)


 「戦争を知る」には色々,方法はあります。写真,体験記,資料館。ただ,僕の世代は,先の戦争の体験者から実際に,話を聞ける最後の世代です。沖縄,広島と続いて,長崎にも早く僕は訪れたかったわけです。


 僕がお話を伺った方は,たまたまあの日(1945年8月9日),学徒(当時13才)として市内から離れた工場へ行っていたそうです。11時2分の光景は,ものすごかったといいます。当時のフィルムは,白黒で音もありまんせんが,真っ赤ですごかったと話していました。


 市内に戻ると,兄弟3人は亡くなっており,本人のお母さんも10日ほどでなくなったそうです。


 どんなに資料館が再現しようとしても,不可能なものが町には広がっていたといいます。荒廃した町というだけではないのです。

 

 「水,水,少しでもいいから水をください」「殺して。苦しいんです。殺してください」という声や声にならないうめきがあるのです。人間の肉や皮膚が焼けたにおいがあるのです。そして,脳みそが出ていたり,眼が飛びだしていたり,臓器があふれ出た死体があったそうです。


 「ホントは思い出したくないんだけどね」 


 予定の時間を越えて,お話を伺っているときに彼はポロリと言いました。そりゃそうでしょう。上記のような惨憺たる描写を実体験として持っていて,それを語ることはその体験を本人の中に,よみがえらせることなのですから。ただ,彼らがそれでも語るのは,生き残ったものとして使命感からだと思います。


 戦争を知っているものとして,それを伝える使命です。そして,彼らはそれが平和つくると信じているのです。だからこそ,戦争は「記憶」されなければならいわけです。その記憶が風化させないことや,核兵器の恐ろしさを世界に伝えることは,今生きる日本人である僕の使命でもあります。


 「北朝鮮のミサイル問題などがあるなかで,軍縮でどう平和を保ていけばいいのか」

 「都市破壊。病院さえ機能させないような攻撃を許せるのか」

 「自民党の勉強会に参加すると,核武装論が平気で出てくる」

 「先の戦争の責任は,どこにあるのでしょうか」


 こういった質問を僕をおそるおそるも,ぶつけた。体験者が語る言葉には,どんなに優れた議論よりも深いインスピレーションや説得力が含まれているからだ。


(平和のために)


  猪口邦子先生が,大臣になる前に授業で言っていたと思う。


 「国際政治学という学問の最大の目的のひとつは,いかに戦争を起こさないことに貢献できるか」ということだと。


  ウォールストリートジャーナル紙は今月16日付社説で,「A Nuclear Japan?」(日本核武装か?)と題した社説を掲載している。日本が核武装すれば,韓国や台湾も続くだろう。不安定化することは確実だ。そして,どこの大国が,これかの核軍縮を進めていくのだろうか。日本の核武装論は,日米安保(同盟)が形骸化したときに現実味を増すだろう。現在のところは,米軍と自衛隊は一体化が進んでおり,その可能性は低い。だが,新保守の政治家の台頭,国際貢献と海外派兵,中国の台頭,北朝鮮の存在などは,日本の核武装論の議論を高めていくのは確実だ。


 日本の場合,技術的な制約は一切なく,2ヶ月あれば核武装可能だといわれる。その議論に参加するために必要なことはなんだろうか。


 あまり力んだり気取ると,うまくはいかない。


 けれど,福岡の政治学会で得たものや長崎で胸に刻んだもの,それらは僕に宿るものであり,これからの僕をつくっていくように思う。

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2006-07-11 21:55:01

(九州旅行)「ヨーロッパ統合とメディア」

テーマ:九州旅行

 福岡,食が,かなりよい。ラーメン屋で初めてスープを飲み干してしまったぐらいだ。日本一のラーメンは東京にあると信じていたが,そうでもないらしい。

 博多ラーメンだけではない。もつ鍋,焼き鳥,めんたいこ,天ぷら,刺身など,うまいものがそろっている。驚くのは,それぞれが専門店として軒を連ねていることだ。しかも庶民価格。

 天神・中洲(東京の銀座に相当)に集中している屋台に入れば,博多っ子,気分。「~やけん」という博多弁が耳に残る。

(情熱としての論文)

 政治学会のほうは,興味深いパネルセッションが多く,どれに参加しようか迷ってしまう。

 パネルは,トピック別に分かれており,論文提出者による報告と会場からの質疑応答で構成されている。

論文については,パネルに参加しなくても100円でコピーをもらうことが可能である。知的な生産物である論文がタダ同然なのは,学会の発表会が,「商品」のデモンストレーションの場であり,サンプル品を提供し,自身の論文に意見を得て,内容を深化させるためだろう。

 アカデミックペーパーの優れているところは,既存情報が正確かつ徹底しており資料価値が高いことや,研究結果から新しい知見を得られること,そして研究の方法論が自身の研究の参考になることなどがあげられる。

 だが,僕が何よりも影響を受けるのは,論文に込められる筆者の情熱である。その情熱に感化され,インスピレーションを得ることが少なくないからだ。

(ヨーロッパ統合とメディア)

 僕が研究心を揺さぶられたのは,ヨーロッパの研究者たちの「ヨーロッパ統合とメディア」のセッションである。

 EURO PUB.COMと呼ばれるプロジェクトがあり,各国の研究者が共同で,EU内でのメディアの役割について研究しているのだ。(参考;http://europub.wz-berlin.de/Default.htm

 思えば,ヨーロッパには,欧州統合との関連で,欧州ジャーナリズム教育協会(ETJA)のような機関も存在している。

 東アジアではようやく共同体の議論が始まったばかりなのに,ヨーロッパはここまで先行しているのである。

 東北アジアではナショナリズムが高揚しており,共同体などは夢のような話である。北東アジアの統合のために,メディアの役割を日本で議論できるのはいつの日だろうか。

 方法論的な視座からも参考となる論文があり,東北アジア公共圏におけるメディアの声を分析するのもおもしろいかと考えている。

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2006-07-09 21:00:49

(九州旅行) 「民主主義は機能しているか?」

テーマ:九州旅行

 福岡に来ている。九州に入ったのは人生初だ。


 福岡は先週、2016年のオリンピック開催地にに立候補し、東京都と競っている。博多ラーメン店を探しつつ街中を歩いていると、候補地としてのやる気がポスターなどから伺える。


 九州をぐるりと旅するつもりであったが、今回は自分の予定の関係で福岡と長崎に限定することにした。長崎は、よく映画のロケ地になっているためか、坂の町、海の町というイメージがある。加えて、長崎ちゃんぽんや皿うどん、異国風の町並み、そして原爆被爆地というルーツを持つ。


(世界政治学会、福岡大会へ)


 福岡で何をしているかというと、世界政治学会に参加している。僕が発表をするわけではないが、世界中から1600人近い政治学者が集っており、そこに自分の身をおいていくことは、政治学を学びたいと考えている僕にとって有意義だろう。(ちなみに、世界政治学会が日本で催されたのは初である)。


 今回の大会テーマは、「民主主義は機能しているか?」である。


 ソクラテスの死とプラントンの問題意識、ローマの平和、民主制から生まれたヒットラー、大正デモクラシーを経て軍国主義化した日本、武士(軍人)の統治が最長期の平和を築いた日本の江戸期、共産党の一党独裁で急成長する中国、民主的選挙でイスラム勢力が台頭する中東、腐敗するアフリカの政権、投票率十数パーセントの地方議会選挙。


 歴史を振り返っても、現在を見渡しても、民主主義というのはどうも完璧ではなさそうだ。そうはいっても、チャーチルの言ったように「もっともマシな政治形態である」のは事実なのだろう。


(民主的平和論と東アジア)


 今日のプログラムのひとつに民主的平和論, Democratic Peace, を東アジア情勢のなかで再検討するというものがあった。民主的平和論というのは、「(安定した)民主主義国はお互いに戦争をしない」という考えであり、米国政府が中東の民主化に熱心な理論的根拠でもある。(Russett et al.)


 このプログラムのパネルには、国際政治学者の藤原帰一氏、実務者として元国連事務次長の明石康氏、中国政治外交研究の毛里和子氏、安全保障研究から若手の栗栖薫子氏が参加されていた。(このセッションは日本政治学会の開催)


 研究分野はそれぞれ異なるが、共通していたのは、民主的平和論の限界である。特に、「民主化など体制の転換期には逆に好戦的になる」という民主的平和論への主要な反論での意見にはおおむね一致していた。

 

 毛里氏の発言に従えば、現在の中国が日本の平和に好影響を与えているとはいえないが、かといって、いま中国を民主化することが日中関係をよくするどころか悪くするのではないか、という問題提起をされていた。


 これは確かにもっともな意見である。国土の大きさ、民族の多様性に加えて、格差などの国内矛盾、多発する地方の暴動、中産階級の少なさを考えても、いまの中国を民主化することは「危険」といえるのかもしれない。アジアには、二大政党制などが根付きにくいアジア的価値観もある。


 だが、僕はチベット侵攻、ベトナムおよび朝鮮戦争、ポルポト支援、文化大革命、天安門事件など歴史を振り返ると、どうしても声を上げたくなるのも事実だ。


 藤原氏が、プログラムの最後に、民主化を国外から要求することは、国内でその外圧が消費され問題化する(利用される)。よって、何を言うかではなく、何を言わないかが大切なのではないかと、述べていた。僕は、中国の執拗な靖国参拝中止要求とを言い突っ張る小泉首相を想起していたが、日本が民主化を要求するのはやはり避けるべきなのか。


(自分の研究の糧に)


 学部生はあまり参加していないようだが、とりあえず明日は最も関心のあるセッションがあり、楽しみだ。


 最近は、メディアによる人々のイメージ形成に興味がある。入江昭氏がハーバード大学で、まだ珍しかったイメージ研究(しかも、日米中で行っている)を歴史学の視座から行ったのだが、いまから40年前だ。メディア学ないしジャーナリズム学の視座から、北東アジアのナショナリズムと関係させて、イメージ研究をしたいと考えている。

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2006-06-22 15:51:55

(質問募集) 朝日のジャーナリスト学校 と 東大の情報学環

テーマ:日米ジャーナリズム教育の比較

 こんにちは。前も、質問募集をしたのですが、今回もしようと思います。


 近く、朝日新聞社と情報学環に関連してインタビューすることになりました。


(朝日ジャーナリスト学校)


 朝日新聞社は今年からジャーナリスト学校なるものを始めました。これは、朝日新聞社に入社した新入社員を対象に、ジャーナリスト倫理や報道全般について3ヶ月間、みっちり教育するというプログラムです。


 なぜ、このようなプログラムが、いま始まったのでしょうか。朝日も、近年、不祥事がいくつか起こっていたことがひとつあげられます。また、それに加えて、プライバシー権や個人情報保護などで、取材しにくくなっていることへの対処もあるでしょう。


 また、14日付朝日新聞の報道によると、最近、(イギリスの公共放送)BBCも「ジャーナリズム大学」なる取り組みを開始しています。朝日新聞によると、これは、BBCの不祥事に対する「信頼の切り札」として設置されたそうです


 以上のようなことを踏まえて、今回はジャーナリスト学校の立ち上げを仕切った方からお話を聞きます。


 僕としては、主として、、、

・ジャーナリスト学校設立の動機と経緯

・ジャーナリスト学校での取り組み

・大学教育への注文

・1回目を終えての反省

・近年の大学でジャーナリスト教育の議論への意見

・朝日だけの取り組みでいいのか


 など事実確認、現状認識を中心に伺うつもりです。


(東大情報学環)


 前回のブログ に書いた花田達郎先生からお話を伺います。東大での近年のジャーナリスト養成講座を導いた方です。そおらく、ここ10年の間ジャーナリスト教育についてもっとも盛んに発言していると思います。


 おおむね花田先生からは、、、、

・東大での今までの試みと実際

・情報化社会でジャーナリズムが置き去りにされていることを体現している東大情報学環について

・早稲田大学での現在の取り組み

・今後の大学でのジャーナリスト教育

・ジャーナリスト教育とジャーナリズム教育の定義

・日米のジャーナリスト教育の変遷の違いについて認識


 学者であり専門家ですので、僕の認識や構想に対する批判もあわせて受けようと思います。


普通の人が感じる一般的な疑問こそが、十分に議論され語られなければならないことです。些細なご質問も歓迎ですので、質問のある方は下記へメールをお願いします。


nishi150@hotmail.com


 お待ちしています。

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2006-06-20 23:44:12

なぜ,上智大学と早稲田大学のジャーナリスト教育構想は頓挫したのか

テーマ:日米ジャーナリズム教育の比較

 まったく本題と関係ないのだが,少し宣伝。僕は岐阜県の田舎に戻ってきています。僕の住む町は,明治から大正にかけては,明治天皇,新渡戸稲造,島崎藤村,北原白秋等々がこぞって訪れた風光明媚なところです。最近,ようやくそのよさが分かってきました。今度,写真アップします。


 さて,以下,本題です。

 以前,「社会人学生とジャーナリズム教育」と題した記事のなかで,米国では社会人に対する大学院での再教育が普及しており,ジャーナリストに関しても「地方紙や他業種→ジャーナリズム大学院→主要紙や地方紙」というキャリアパスが存在していることを指摘した。一方,日本にはこれに準ずるものはないが,近年、上智大学が「ジャーナリズム研究所の創設」を提唱し,早稲田大学が「スクール・オブ・ジャーナリズム」創設を真剣に模索するなど,社会人に対するジャーナリスト教育が盛り上がりを見せていたことを指摘した。(過去記事

 しかし,これら2001-02年にかけての両大学の動きは,現在,頓挫してしまっている。今回は,なぜ,両大学の卓越した計画が頓挫してしまったのかについて、経緯を振り返ってみたい。志の高い教育者がいて,それをどうつなげていくかが大切なように思われる。

(上智大学の場合―藤田博司の挑戦―)

 過去5年,上智大学ではメディア企業とのインターンシップや提携講座などがスタートしている。その音頭をとったのは,藤田博司教授(=当時。現在,早稲田大学客員教授等)である。藤田は,日本のジャーナリスト教育を議論できる数少ない研究者の一人であり,関連する主要論文として「ジャーナリスト教育の構築に向けて」(20043月)がある(論文へ .pdf )。

藤田は,1999-00年にかけて新聞学科長を務めている。当時,上智大学では2013年の創立100周年に向けて,研究・教育・キャンパスを抜本的に再興するグランド・レイアウトが検討されていた。20011月にその中間報告がなされた際に,藤田が中心となり新聞学科は大学トップに対して社会人教育を視野に入れたジャーナリズム研究所の設置を提言したのである。(関連記事(上智通信)へ

 しかし,この計画は2つの理由から頓挫してしまった。ひとつは,新しい研究所の設置に大学トップが消極的であったことである。当時,上智大学はかなり数の研究所をかかえており,その一部は形骸化していた。大学トップとしては,古い研究所を処理することが先決であり,新しい研究所の設置は予算等の関係から難色を示したのである。

 第二の理由は,新聞学科自体が,全体としては設置に熱心ではなかったためだ。新聞学科は創立以来,ほぼ定員数が変化していない(学部生240名)。専任教員もわずか8名であり,ジャーナリズム研究所の設置となれば,学科の団結が不可欠である。しかし,藤田以外にジャーナリスト教育に関して論文を発表している教員が皆無である。すなわち,新聞学科全体としては新しいジャーナリスト教育に消極的であったことが,頓挫の一要因だったのだ。

 その後,ジャーナリズム研究所構想は,再び好機を迎える。大学の構造計画を進める文部科学省が,2002年に21世紀COEプログラムを開始したのである。COEプログラムは,選出された大学に世界のトップレベルの研究拠点を形成するための予算を重点配分するものである。(関連記事(COE)へ

 石川旺新聞学科長(=当時)は,藤田らと協力しながらCOEプログラムへ応募する。しかし,不採用であった。文部科学省は,上智大学のジャーナリズム研究所が世界トップレベルの研究機関となると判断しなかったからである。

 その後,0503月に藤田の定年退職を持って,新聞学科のジャーナリズムセンター構想は下火になった。藤田は,その最終講義のなかで,日本の大学教育の荒廃や学生の可能性を引き出す教育の必要性も語っている。(最終講義の全文へ.pdf

 藤田の志が現在の新聞学科のなかに,いまどのように生きているのかは定かではないように筆者は思う。

(早稲田大学の場合―林利隆の挑戦―)

早稲田大学ほどマスコミ業界に人材を供給してきた大学はほかにないだろう。手元に最新のデータがないため,1990年のものになるが,早稲田は172名の卒業生が主要5紙と通信社2社に就職している。これは61名の慶応大学や28名の東京大学と比べても突出している。(Takeichi 197-8

 その早稲田大学で熱心にジャーナリズム大学院の創立を目指したのが,日本新聞協会研究所所長を勤めた林利隆教育学部教授である。林は,早稲田大学で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞の創設(2001年)やマスコミ各社による寄附講座の導入,公共経営研究科にジャーナリスト養成コースの設置(2003年)に関わっている。

また,林は,2002年夏に中央教育審議会が高度専門職業人養成大学院(法科大学院や公共政策大学院など)の設置の方針を示したことを好機と捉え,早稲田大学に独立専門大学院「スクール・オブ・ジャーナリズム」創設の可能性を検討する組織,ジャーナリズム研究所を同年12月に設置している。この組織は,国内で本格的にジャーナリズム大学院の創設を検討した初の機関だと考えられる。(関連記事;

林は大学院の理念を2003年の論文で次のように述べている。

(引用開始)このスクールの理念,目的はなにか,ことをあらためていうまでもなく,21世紀社会に貢献する,強い意志と責任感,きびしい倫理観をもった国際性豊かなジャーナリスト,換言すれば,専門職としての識見をそなえたジャーナリストの育成・教育である(引用終了)(林 42-3

 林がこれほどまでの熱意を持ち,研究所はすでに「教育カリキュラム」の検討にまで入っていたにもかかわらず,この早稲田大学の動きはなぜ頓挫してしまったのだろうか。

 それは,この議論を推し進めてきた林が,2005年に急逝したためである。

 早稲田大学でのジャーナリズム大学院構想もこれで,ストップかと思われたのだが,ひとつ重要な動きがあった。それは,花田達郎東京大学大学院情報学環長が林に代わり早稲田大学教育総合科学学術院(旧・教育学部)教授に転任したのである。東大情報学環は旧新聞学研究所の流れをくむ大学院組織で,花田は東大でのジャーナリスト教育を強力に推し進めた人物である。2003年に論文集「論争 いま,ジャーナリスト教育」を編集するなど,日本のジャーナリスト教育の第一人者である。

 花田は東大の定年を1年残して早稲田に移っている。どのような早稲田大学からの要請や花田の動機があったのかは定かではないが,早稲田の定年が65歳であることから花田は今後6年間,専任教員を続けることになる。ジャーナリズム大学院の議論が早稲田で再燃する可能性が高い。(詳しくは今後,リサーチする予定)

(今後は,,,? 問題意識の共有がひとつ)


 別の観点から最後にひとつ指摘しておきたい。ここまでで藤田博司,林利隆,花田達郎という三人の名前がでてきた。それぞれ上智,早稲田,東大という歴史的にジャーナリズム教育に関連の強い大学で,近年,熱心にその議論を進めてきた教育者がいたことは刮目すべきことだ。ゆえに,藤田の定年退職と林の急逝は日本のジャーナリスト教育にとって惜しいことである。この三者を除くとジャーナリズム教育を真剣に議論してきた教育者はほとんど見当たらない。

この教育者の不在が,根本的な問題のように思われる。同じ問題意識を持つ者のつながりこそが必要なのだ。また,そのつながりは,世代(25年)を超えていかなければならないだろう。

 米国で職業大学院が導入され始めた頃,わずかな教育者たちがジャーナリズム教育を英文科(米国の視点からだと国語科)などで細々とスタートした。それは,ミズーリ大学がジャーナリズム学部を創設する50年ほど前の話である。

ようやく職業大学院制度がスタートした日本でも,米国と同じく職業大学院としてジャーナリズム学部の創設には50年ほど時間が必要なのかもしれない。(もちろん,メディアの発達や普及を考慮すればそう単純ではないのだが)

さて,藤田,林,花田に続く教育家が日本にはいるだろうか。

 いる。若い研究者のなかに三者の影響を受けて同様の問題意識を持つ者が出てきたのだ。2002年の博士論文を下に,「ジャーナリズムの起源」を今年出版した別府美奈子日本大学新聞学科助教授もその一人である。「ジャーナリズムの起源」は,米国のジャーナリズムのプロフェッションがいかに理念的に確立され,制度的に保証されてきたかをジャーナリスト教育にも焦点をあてながら分析した資料価値もきわめて高い優れた論文である。

 別府は,「ジャーナリズムの起源」の序章でもっとも方法論的な視座から影響を受けた先行研究として花田達郎「メディアと公共圏のポリティクス」を挙げ,次のように述べている。

(引用開始)花田は同書のなかで,ここ数年来,日本のメディア界でもよくみられるようになった倫理の議論に対し,メディア制度の面から倫理の実態のなさに対する非を指摘し,改善の方法を考察している。花田はそこで,いくら綱領を変えてもそれを支える制度がなければ意味がないこと,すなわち,理念にはそれを支える制度が必要不可欠であることを明確に指摘している(引用終了)(別府 8

 また別府は,そのあとがきで,藤田博司との出会いを「本研究にはなくてはならないものだった」とし,林利隆の死については次のように書いている。

(引用開始)誠に残念なことに,早稲田大学の林利隆先生が急逝された。「日本のスクール・オブ・ジャーナリズムを創りたいんだ」とおっしゃっていた声が,今も耳に残る。お手紙の大きな字は,その思いの広がりのようにもみえる。日本のジャーナリズムの良さも悪さもよくご存知の先生だった。筆者は,ありがたいことに,良質のジャーナリズム活動に尽力している方によく出会う。人の輪を大切につなぎ,林先生にご報告できるような,ジャーナリズム向上のための仕事ができたらと願う(引用終了)(林 307

 なるほど,僕もまた将来どのような形であれ,日本初のスクール・オブ・ジャーナリズムの創立に貢献できる者になりたいと思う。そのひとつの指針を,僕はいま構想しているわけだ。


 ジャーナリストの教育構想の頓挫は,高い問題意識をもった個人がいなくなることによるわけだが,その志は,次の世代へ引き継がれ,実を結ぶことが少なくない。ジャーナリズム学部の創設もその可能性を秘めているように思われる。

参考;

Takeichi Hideo. 1995. Journalism Education, Training and Research

林利隆. 2003. ジャーナリズム・スクールをめぐって―早稲田の動き

別府美奈子. 2006. ジャーナリズムの起源

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2006-06-18 22:38:51

なぜ,世界初のジャーナリズム学部はミズーリ大学につくられたのか?

テーマ:日米ジャーナリズム教育の比較


久々のブログである。日本に帰国して,一ヶ月,ようやく我が家もブロードバンドの導入,LANの構築,複合プリンタの設置,そして僕もノートパソコンを新調(もっち,Let's note)した。これからは,当分の間,趣旨に従って,ジャーナリスト教育についてブログを書いていくことにしたい。

 さて,今日は次の問いについて考えてみたい。

「なんで世界初のジャーナリズム学部は,ミズーリなんだろうな?


 ニューヨークやロサンゼルスではなく・・・」

 

 僕がミズーリ大学への交換留学が決定し際,(元朝日新聞の敏腕特派員だった)恩師が不思議そうに,そう言った。僕は交換留学の決定に浮かれていて,気にも留めていなかったが,確かに不思議なことである。なぜ,マスコミ各社が集中している大都市のニューヨークなどではなく,片田舎のミズーリなのか。

 この問いは,非常に奥が深いように僕は思う。

 なぜなら,この問いに答えることは,第一に当時の大学制度ということ,第二にミズーリ州の黄金期に迫ることになりそうだからである。

(伝統に縛られたアイヴィー・リーグ)

 米国西部の名門大学,カリフォルニア大学バークリー校やスタンフォード大学には,もちろんジャーナリズム学部(School of Journalism)が存在している。だが,どういうわけか東部のアイヴィー・リーグ(Ivy League;ハーバード,イエール,ペンシルベニア,プリンストン,コロンビア,ブラウン,ダートマス,コーネル)では,コロンビア大学をのぞいてジャーナリズム学部が存在していない。なぜだろうか?

 結論から言うと,伝統のある東部の名門大学では,ジャーナリズムを学問として認めることができなかったのである。19世紀後半のことであった。

 そのちょっと前,19世紀中ごろにかけて,米国の大学は変革期にあった。そもそも,米国ではMITの存在に示されるように,理学や工学でさえ学問として認めてこなかった経緯があり,時代変化のなかで,大学教育が荒廃しつつあった。ゆえに,さまざまな改革がなされるようになる。有名なハーバード大学のエリオット学長の選択科目制の導入や,職業大学院の創設などがなされたのも,19世紀初頭から中ごろにかけてだった。

 中西部では何が起こったかというと,東部のような代表的な私立大学がなかった。そのためミズーリやアイオワ,ネバラスカなどの州政府が,米国至上初めて本格的な公立大学を創設したのである。Public Ivyと呼ばれる名門公立校には,東海岸の州立大学はほとんど入っていない。

 さて,そんな時代を経て,19世紀後半に新聞の一般化,影響力の高まりのなかで,ジャーナリズム(新聞)が大学で教えられるようになる。

 教育改革者であったハーバード大学長,エリオット(1869-1909年の40年間,学長を勤めている)は健在で,ジャーナリズム学部のカリキュラムを考えるなど,ジャーナリズム学部創設に積極的であった。

 だが,考えてみて欲しい。理学や工学でさえ学問として認めることを躊躇してきた東部名門校が,ジャーナリズムという新参者に学部を与えることなどできるはずがなかった。コロンビア大学でさえ,ジャーナリズム学部創設は,ピューリツァーの寄付がなければ実現しなかっただろうし,一度はその受諾を断ってさえいる。

 対して,中西部の公立校は,学問の「伝統」という縛りがなかったし,新しいことに比較的積極的であった。ジャーナリズム学部だって「あってもいいのではないか」という雰囲気があったのだ。ゆえに,中西部の公立大学には,多くのジャーナリズム学部が初期の段階で設けられた。

1900年前後はミズーリ州,黄金の時代)

 中西部の総合州立大学が,東部の伝統校に比べて,ジャーナリズム教育に積極的であったことは分かった。だが,それでも,なぜミズーリなのかという理由は残る。

 もちろん,ミズーリに(ジャーナリズム学部を創設した)ウォルター・ウィリアムがいたからだ,というのはひとつの答えであるが,僕はもう少し踏み込んでみたい。

 (日米同盟重視の保守論客であり「偉人研究家」である)岡崎久彦がよく書いている。「偉人ってのは,ある地域である一定の時間にどっと生まれるものだ」と。

 1900年の前後のミズーリ州は,数多くの偉人が生まれた世界でももっとも傑出した地域ではないかと,僕は思う。

 セントルイス・ポストという新聞があり,僕は留学中,ほぼ毎日読んでいたが,この新聞を創刊した(正確には,買収した)のは誰かというと,ピューリツァーである(ピューリツァー賞とコロンビア大学にジャーナリズム学部を創ったあの人)。1878年のことである。ピューリツァーは,ハンガリーからの移民で,彼が初めて新聞業を営んだのが,ミズーリ最大都市圏のセントルイスであった。

 ピューリツァーだけではない,同時期には米国最大の作家であるマーク・トウェインがミズーリにいた。彼が「トム・ソーヤーの冒険」を書いたのは1876年であり,「ハックルベリー・フィンの冒険」 1885年のことである。両作品舞台であるハンニバルは僕も訪れたが今でも観光町として栄えていた。(まったく関係ないが,僕は彼と誕生日が同じである)。

 さらに言おう。ウォルト・ディズニー(1901-66)がはじめてアニメ・スタジオを持ったのもまたミズーリ州の最大都市カンザス・シティーなのである。

 いや,まだある。日本への原爆投下を指揮し,出身州の名を冠した戦艦を派遣した大統領トルーマン(1884-72年)もまた,1900年を前後してミズーリにいた。

 人物だけではない。1904年には,セントルイスで第3回夏オリンピックが開かれる。これは至上初の北米大陸の開催だった。さらに,同年20世紀最初の万博,あのアイスクリームを生んだことで有名なセントルイス万博がミズーリで開催されたのである。

 僕には,ミズーリ大学に1908年ジャーナリズム学部が設けられことと,1900年を前後し50年でこれほどまでの人物を輩出し,出来事を起こったことが,どうも無関係には思えない。

 よって,僕なりの「なんで,世界初のジャーナリズム学部はミズーリに?」の答えは,第一に理念や制度が硬直化していない公立大学があったこと,第二にミズーリ州が世界レベルで見て黄金時代にあったためだと結論づけたい。

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2006-05-12 18:17:48

(近況)NY&北京経由で、19日に帰国します

テーマ:近況

 ついに学期末考査(ファイナル)が終わった。テスト勉強にこれほどストレスを感じたのも、テスト勉強のために徹夜したのも初だったけれど、まあ、よくがんばった自分。テスト後の開放感がたまらない(これは日本でも一緒だけれど)


あと3日でミズーリを去る。ミズーリでの日常をかみしめている。


 あと2、3年ミズーリにいたらと夢想しつつも、やはり日本での新しい日々が楽しみだ。


 帰国前にニューヨークと北京にたちよる。僕は経由便が好きだ。直行便よりも安い上に、マイルもたまるし、旅行もできる。


 ジャーナリズム教育に関連して、ふたりの大学院生に会う予定だ。


 ニューヨークでは、ニューヨーク大学School of Journalismの川﨑敬也さんに会う。川崎さんはJapan Timesに勤め、ロータリー及びフルブライト奨学金を得て、 昨年夏からドキュメンタリーを専攻されている。大学生のときに世界一周し、シンガーとしてライブを行っているあたりもかっこいいと思う。卒業制作では、ガーナ(西アフリカ)で取材される。(川崎さんのブログへ; )。


 北京では、中国人民大学新聞学院(School of Journalism)のまや(ハンドルネーム)さんに会う。人民大は北京になる社会科学系に強い大学であり、中国初の新聞学院を有する。週刊で中国社会ニュースを取り上げるメールマガジンも発行されている。ジャーナリズムの実践である。(まやさんのブログへ; ) 


 聞きたいことは無数にある。楽しみだ。


 もうひとつ楽しみなことがある。


 写真を撮ること。


 ニューヨークと北京には、留学前にも数日ずつ滞在したが、違った風景を切り取れるんじゃないかと思っている。


 最後にこのブログについて。


 留学後もしばらく続けようと思う。このブログの目的は、ついつい先延ばしになりがちな卒業論文(ジャーナリズム教育)の研究を進めることだった。


 米国の学術論文(Academic Writing)の授業では、発想支援法のひとつとして、自由作文(free writing)について必ず習う。つらつら、つらつら自分のテーマについて書いていくなかで着想を得るという方法論だ。

だから「新聞道」は、僕の卒論が完成するまでは続けます。

 日本に新聞学部(School of Journalism)が皆無なことに象徴されるように、需要ゼロの僕のジャーナリズム教育論に付き合ってくれる訪問者(読者)の方々に感謝しています。

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2006-04-26 15:37:22

(質問募集) 学部長にインタビューしますv

テーマ:日米ジャーナリズム教育の比較

 僕は人に質問をするのが好きです。


 たとえば、ミズーリ大学所有のKOMU(テレビ局)やMissourian(日刊紙)の時給などは、図書館で本を読んでも載っていません。けれど気になる。その場合、働いている人に聞けば一発です!


 KOMUのバイトは時給5ドル50セントだそうです。日本円で時給750円ぐらいでしょうか。かなり安いですよね?!。。。(笑)。ただ、勉強しながらお金を稼げると思えば、悪くないと思います。


 ダイヤモンド(日本の経済雑誌)などを読んでいると、企業の給料ランキングがたまに載っていて、日本の場合在京キー局や全国紙は相当に給料がいいです。20代で年収1千万近くになります。(まあ、相当忙しいのも事実ですが)


 一方、ここアメリカは相当に低いです。最初は年収20000-30000ドル(250万-350万)ほどしかありません。多くの若手ジャーナリストが経済的な不安から、ジャーナリズム界を去っていくそうです。


 さて、前置きが長くなりましたが、僕もあと2週間ほどでミズーリともお別れなので、現在、J-schoolの職員や教授、スタッフ、学生などにインタビューしています。


 卒業論文のための調査(ジャーナリズム教育)というのが名目ですが、インタビューそのものは、僕の質問したい欲を満たすためかもしれません。


 そこで、、、、、もしあなたにも、そのような質問欲があるのであれば、、、


 質問募集します!! 


ミズーリのジャーナリズム教育や米国のジャーナリズム教育について疑問、気になることを気軽にメールで教えてください。


 nishi150@hotmail.com


 ちなみに、明後日は学部長にインタビューします。学部長には以下のことを聞いてみようと思います。(順不同)


教育目標と方法について。


広告専攻はジャーナリズムか。


職業人教育と学術(教養)教育のバランスについて。


ミズーリメソッドは他大学でも可能か。


なぜ世界初のジャーナリズムがこんな田舎にできたのか。


米国のOn the job training について。


マスコミュニケーション専攻とジャーナリズム専攻について。


米国でJ-schoolが隆盛する理由について。


さて、あなたも質問が思いついたら、、、、


nishi150@hotmail.com


(余談ですが、日本は戦後GHQの指導下で主要大学に新聞学科が設置されます。その際に、当時のミズーリ大学のJ-schoolの学部長が2ヶ月ほど日本に滞在し、その設置に貢献しています)

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