口は魂の通り道、手は魂のそれこそ手先です。 | ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

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「かたち」を調え心を育む
諸君は、言葉遣いや礼儀作法にうるさい親や先輩に対して、「うるさいなぁ」と反発を感じることはないだろうか。心さえあれば、言葉や振舞いなんか堅苦しく考える必要はない。その方がかえって親しみがわく、と思っている人も多いのではないだろうか。たしかに、礼儀正しくといっても、いつも杓子定規な態度を取り、馬鹿ていねいな言葉ばかりを使っているようだと、友だちなんかとてもできないだろう。しかしだからといって、言葉遣いや振舞いなんかどうでもよいと考えているとしたら、それは大きな間違いである。

仏教の伝統のなかでは、「身口意の三業」といって、からだと言葉と心は常に一つであるとして、心のあらわれとしての振舞いと言葉遣いを調えることが昔から大切にされてきた。また武道や茶道などでも、礼儀作法がきわめて厳格に守られているが、それも同じ理由からである。

誰でも大切な相手に対しては、おのずから優しい言葉をかけ、その振舞いは思いやりのこもったものとなるだろう。また逆に、嫌いな相手に対してはぞんざいな言葉遣いや冷淡な振舞いになりがちである。このような日常的な経験からも、言葉は心の表現であり、振舞いもまた心の表れであることがよくわかるはずだ。

現代人は「かたち」を軽視する傾向が強いのかもしれない。心さえあれば言葉や態度はどうでもよい、というふうに。だけど、「かたち」を調えることによって心をもっとゆたかに育むこともできるということをおぼえておいた方がよい。

堅苦しい言葉遣いや態度をとれといっているのではないのだ。しかし、日頃の自分の言葉と振舞いにもう少し心を向けるよう心がけてみてほしい。それだけで、きっと見違えるようなゆたかで親密な人間関係がひらかれていくはずだ。
【解脱四月号 金剛さまのお言葉 第40回120】

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