「マニュフェスト」 という言い間違いは、なぜ、起こるのか? ── 前編 | げたにれの “日日是言語学”

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やたらにコトバにコーデーする、げたのにれのや、ごまめのつぶやきです。

〓以前、ほとんどの日本人が、


   「フィーチャー」 feature を
   「フューチャー」 future と言い間違える


ということを申し上げました。今でも、この傾向はいっこうに変わりません。


〓オモシロイのは、学者・評論家・アナウンサー・キャスターでも、しばしば、“フューチャー” と言い間違えることです。英語が話せるようなヒトでも、日本語でしゃべっていると、無意識に “フューチャー” になってしまうらしい。


   フューチャーフィーチャー
   シュミレーションシミュレーション


は、


   純粋な意味での 「言い間違いのチャンピオン」


と言えましょう。つまり、「知識がないから言い間違える」 というタグイじゃない。



〓「フューチャー / フィーチャー」 の言い間違いの理由は、今ひとつよくわかりません。日本語としては 「フュー」 という音のほうが珍しく、日常、使われるコトバでは、他に、


   フュージョン fusion [ 'fju:ʒən ]
   パフューム perfume [ 'pɚfju:m'pə:- ]


ぐらいしかありません。 fuse [ 'fju:z ] [ ' フューズ ] は 「ヒューズ」 と転訛しています。


〓「フィー」 ならば、「フィールド」、「トロフィー」、「フィート」、「フィードバック」、「フィーバー」、「ミルフィーユ」 など多用されるコトバがあり、なお、そのうえに、「~グラフィー」 (“~グラフィ” と書かれることが多いが、発音は “~グラフィー”) で終わるコトバがゴマンとあります。
〓にもかかわらず、「フィーチャー」 をわざわざ 「フューチャー」 と言い間違える。



               ミルフィーユ               ミルフィーユ               ミルフィーユ



〓ちなみに、「ミルフィーユ」 は、正しくは、


   mille-feuille [ mil 'fœj(ʲᵊ) ] [ ミる ' フイユ ] 「千枚の葉っぱ」 クローバー


です。フランス語では14世紀から用例があります。


mille-feuille をカタカナで発音するなら 「ミルフイユ」 であって、断じて 「ミルフィーユ」 ではありません。
〓推測するに、これを最初に日本に紹介したパティシエとか、文人とかが、


   「ミルフイユ」


と書いたのを見て、どこかのソソッカしい編集者あたりが、「ミルフィーユ」 と読みまちがえたのではないでしょうか。戦前だと、通例、「フィ」 も 「フイ」 と書いていたので、


   「ミルフイユ」 と 「ミルフィユ」 の区別がつかなかった


んですね。以前、「ウオツカ」、「カムチャツカ」 が 「ウオッカ」、「カムチャッカ」 になった、ということを申し上げたことがございます。



〓「葉っぱ」 を意味する feuille [ 'fœj ] [ ' フイユ ] は、12世紀のフランス語で foille と書かれています。ラテン語では、


   folium [ ' フォりウム ] <中性名詞> 「葉」。古典ラテン語


と言いました。それが、古フランス語で、


   foil [ 'fɔiʎ ] [ ' フォイり ] <男性名詞> 「葉」。古フランス語
   foille [ 'fɔiʎə ] [ ' フォイりャ ] <女性名詞> 「葉」。古フランス語


となった。
〓ロマンス諸語 (フランス語、イタリア語、スペイン語など) は、ルーマニア語を除いて、中性という文法性を持ちません。


   -us <男性語尾> (→ -um <対格形>) → -u  -o (→ ゼロ)
   -um <中性語尾> (→ -um <対格形>) → -u  -o (→ ゼロ)
   -a  <女性語尾> (→ -am <対格形>)  → -a  -a (→ -e


〓ラテン語の変化語尾は、上のように変化して現代ロマンス語になります。


〓フランス語の場合は、さらに、「男性・中性」 が語末の母音を消失し、「女性」 は e [ ə ] に弱化します。それゆえ、ロマンス語には中性名詞がなく、男性名詞に吸収されているのです。


〓ところが、複数形で使われることの多かった中性名詞は、ロマンス語で女性になっていることがあります。というのも、ラテン語の中性複数の語尾は -a であり、女性の単数形と見分けがつかない。なので、古フランス語の 「葉」 という単語には、


   「中性名詞」 から変じた 「男性名詞」 foil
   「中性複数形」 から誤って生じた 「女性名詞」 foille


の2つがあるわけです。現代語に残ったのは、カン違いから生まれた、女性の la feuille のほうで、しかも、 les feuilles という複数形まであります。


〓フランスでは、foil という男性名詞は消失しましたが、ノルマン・コンクエスト以降、フランス語を話すノルマン人によって支配された英国に残りました。それが、


   foil [ 'fɔɪɫ ] [ ' フォイる ] 「(金属の) 箔」、「アルミホイル」


です。フランス語で消失した男性形が英語に残っているんですね。


〓「書類カバン」 あるいは 「ポートフォリオ」 (=写真、図面、ドローイングを平面のまま挟んで運ぶケース) を英語で、


   portfolio [ pɔɚt 'foʊ ˌlioʊpɔ:t- ] [ ポート ' フォウ ˌ りヨウ ]


と言いますが、これは、イタリア語の


   portafoglio [ porta 'fɔʎʎo ] [ ポルタ ' フォッりょ ] 「紙入れ、書類カバン」。イタリア語


を借用して、発音を写したものです。イタリア語では、


   folium [ 'folium ] [ ' フォりウム ] → foglio [ 'fɔʎʎo ] [ ' フォッりょ ]


と変化しました。イタリア語の綴りに -g- が出てきますが、これは、 [ ʎ ] を表記するために発明されたもので [ g ] 音とは関係がありません。イタリア語では、


   folium → foliu → folio [ ' フォりオ ] → foglio [ ' フォッりょ ]


と変化しました。 l のあとに “i + 母音” がある場合、 l は拗音化し、さらに [ ʎ ] になってしまいました。


〓イタリア語でも、フランス語同様に、folium の複数の folia が 「葉」 の単数になりましたが、単数形の folium も生き残っており、


   foglia [ 'fɔʎʎa ] [ ' フォッりゃ ] <女性名詞> 「葉」 leaf クローバー
   foglio [ 'fɔʎʎo ] [ ' フォッりょ ] <男性名詞> 「紙」 sheet メモ


と分化しました。



               ミルフィーユ               ミルフィーユ               ミルフィーユ



〓で、ミルフィーユのハナシに戻りますが……


〓フランス旅行で本場の 「ミルフィーユ」 を注文するときには、発音に注意する必要があるようです。


   ミルフィーユ・スィル・ヴ・プレ! 】


ってな注文をすると、ヘンな顔をされるか、ニヤリと笑われるかもしれません。
〓子音の発音が良いほどいけない。 [ l ] [ f ] をシッカリ発音すればするほど、フランス人には、カンペキに、


   «Mille filles, si'l vous plaît!» [ mil 'fij sil vu 'plɛ ]
   「若い女の子、千人、お願いします!」


に聞こえてしまいます。


〓若い女性ならまだしも、日本人のオッサンが、パリのカフェの店頭で、「若い娘、千人くれ!」 は……



〓フランス語の [ œ ] は、日本人には発音しにくいですが、まず e を発音して、舌の位置を保ったまま、唇だけ o にすると、この音になります。ドイツ語の ö と同じ発音記号であらわされますが、フランス語の [ œ ] はもっと唇が弛緩 (しかん) した感じを受けます。


〓日本語に転写する場合、ドイツ語の ö には 「エ」 を当てますが、フランス語の [ œ, ø ] には 「ウ」 が当てられます。実際、両者は音がちがいますネ。


〓「ミルフィーユ」 を頼むときは、


   «Un mille-feuille, si'l vous plaît!»


と言いましょう。mille-feuille は男性名詞です。主名詞が mille 「千」 だからです。正確な意味は、「千枚の葉」 ではなく、「葉の千枚」。フランス語は後ろから前に修飾するんですね。






  【 なぜ、「シュミレーション」 と言ってしまうのか 】


〓相変わらず道草ばかり食ろうておりますが、「シュミレーション」 という言い間違いの理由は、おそらく、


   日本語には、基本的に 「ミュ」 という音がない


からでしょう。

〓「石川遼」 選手の RYO について書いたとき、日本語には、本来、拗音というものがなく、中国語 (漢字音) を輸入することによって拗音が生まれたことを申し上げました。


〓ところが、漢字音にはカタヨリがあって、ある種の音は存在しません。下に示すのは、「常用漢字」 に、それぞれの音の字がいくつ存在するか、です。



   シャ   13個
   シャク   9個  → 「尺」 は日本語化
   シュ   12個  → 「朱」 は日本語化
   シュウ 23個  → 「週」 は日本語化
   シュク  6個  → 「宿」 は日本語化
   シュツ  1個 (出)
   シュン   4個  → 「旬」 は日本語化
   ショ    9個  → 「書」 は日本語化
   ショウ  65個  → 「賞」 は日本語化
   ショク   9個  → 「職」 は日本語化



〓「シ」 [ ɕ ] の拗音は、こうした漢字音から供給されたものです。これでも、「シャウ」、「シャツ」、「シャン」、「ショツ」、「ション」 の5音は存在しません。ただし、「シャウ」 は歴史的に、「ショウ」 に合流して消えてしまったものです。
〓「シャツ」、「シャン」、「ション」 という音を聞くと、日本人は “外来語っぽい” と感じるハズです。それは、漢字にこれらの音がなかったからです。



   キャ    ×
   キャク  3個  → 「客」 は日本語化
   キュ    ×
   キュウ 20個  → 「九」、「急」 は日本語化
   キュク   ×
   キュツ   ×
   キュン   ×
   キョ    9個
   キョウ 26個  → 「京」 は日本語化
   キョク  3個  → 「曲」 は日本語化



〓「キ」 の拗音となると、「シ」 よりもバリエーションが少なくなります。それに加えて、「キャウ」、「キャツ」、「キャン」、「キョツ」、「キョン」 もありません。
「八丈島のキョン」 とか 「キョンシー」 というのが、コトバの響きとしてオモシロイのは、聞き慣れない音だからです。また、


   Görüşürüz! [ ギョリュシュリュズ ] 「さようなら!」。トルコ語


というような “発音表記” を見たとき、ナンだか気が遠くなって笑っちゃうのも、耳ナジミのない拗音のオンパレードだから、と言えます。


〓これが、「ミ」、「ビ」 となると、“ほとんど拗音がない” と言っていい状態になります。



   ミャ     ×
   ミャク  1個  → 「脈」 は日本語化
   ミュ     ×
   ミュウ   ×
   ミュク   ×
   ミュツ   ×
   ミュン   ×
   ミョ     ×
   ミョウ  3個  → 「妙」 は日本語化
   ミョク    ×


   ビャ    ×
   ビャク 1個  (白) ※「百」 が有声化すると 「ビャク」 になる
   ビュ    ×
   ビュウ   ×   ※常用漢字外でも、この音の字は、実質的に 「謬」 の1字。「誤謬」、「謬見」 で使う
   ビュク   ×
   ビュツ   ×
   ビュン   ×
   ビョ    ×
   ビョウ 6個  → 「秒」 は日本語化
   ビョク   ×



〓「ミュ」 で始まる漢字は1つもありません。「シミュレーション」 が言いにくいのは、どうやら、これが原因のようです。


〓日本人は、こうした “漢字にない拗音” を発音するチカラを、明治以来、主として西洋からの外来語で補ってきました。とは言え、西洋からの外来語でも稀 (まれ) な音に出会うと発音がコンガラガリます。


〓「シュミレーション」 のように、“母音だけ転倒させる” というのはユニークな対処法です。他に例が思い浮かびません。


   シミュレーション」 [ ɕ-i-mʲ-ɯ-ɾe:ɕoɴ ]
               i → ← ɯ   ※「イ」 と 「ウ」 の入れ換え
   シュミレーション」 [ ɕ-ɯ-mʲ-i-ɾe:ɕoɴ ]


〓日本語における “慣れない拗音” への対処法として、やはり、多いのは、 「直音化」 (ちょくおんか) です。先だって、「石川遼」 選手の話題で説明しましたネ。



   リュフ → ト      truffe [ 'tʁyf ] [ ト ' フュッフ ] フランス語
   ビュスチエ → スチェ bustier [ bys 'tje ] [ ビュスチ ' エ ] フランス語
   ヴュイトン → トン  Vuitton [ vɥi 'tɔ̃ ] [ ヴュイ ' トん ] フランス語
   リュパン → パン   Lupin [ ly 'pɛ̃ ] [ りゅ ' パん ] フランス語
   ……………………………………………………
   ニュアル → マアル  manual [ 'mænjʊəɫ ] [ ' マニュアる ] 英語
   ミュニティ → コニティ  community [ kə 'mju:nəti ] [ カ ' ミューナティ ] 英語
   ミュニケーション → コニケーション communication [ kə ˌmju:nə 'keɪʃən ] [ カ ˌ ミューナ ' ケイシン ] 英語
   ……………………………………………………
   エマニュエル → エマエル Emmanuel(le)
       「エマニエル坊や」 Emmanuel [ i 'mænjʊəɫ ] [ イ ' マニュアる ] 英語
       「エマニエル夫人」 Emmanuelle [ ema 'nɥɛl ] [ エマニュ ' エる ] フランス語



〓直音化してしまうのは、フランス語が多いですね。 u [ y ] という母音が頻出する言語だからです。
〓そして、やはり、直音化は、漢字音に稀 (まれ) な 「ウ段」 の音が多い。先日の 「ギュネコロギー」→「ギネコロギー」 も、ドイツ語ですが、同じ現象でしょう。

〓同じ 「ウ段」 の音でも、「ミュージック」、「ピューレ」、「ニューヨーク」 のように長音になると容易に発音できます。漢字音には、「キュウ」、「シュウ」、「ニュウ」 のように長音が多いからです。


〓かくして、「シミュレーション」 は 「シュミレーション」 と言い間違えられるのです。






  【 「マニュフェスト」 という言い間違い 】


〓最近、気づいたのが、


   マニュフェスト
   ――――――――――
   マニフェスト  …… 11,500,000件 (100.0)
   マニュフェスト × ……   225,000件   (2.0)

        ※ Google 2009/10/14


という言い間違いです。


〓これが、政治評論家・ニュースキャスター・ニュース解説員・政治家でも言い間違えるんです。また、同一人物の、同じ発言の中に、「マニフェスト」 と 「マニュフェスト」 が混在していることもあります。
〓実にオモシロイ。


〓上の Google の検索結果は、「書きコトバ」 における “書き間違い” です。おそらく、「話しコトバ」 における “言い間違い” は、これより遙かに頻度が高いハズです。書きコトバの場合は、書いているウチに 「ヘンだな?」 と気づくので、修正されてしまう。


〓「マニュフェスト」 という言い間違いが登場した背景には、「マニュアル」 というコトバの普及があるように思います。つまり、「マニアル」 と直音化しないように努力してきたことがアダになっているのです。



   マニュアル  …… 33,500,000件 (100.0)
   マニアル   ×  ……   104,000件  (0.3)
   マニュワル ×  ……     618件  (0.0)
       ※ Google 2009/10/14



〓政治について高度な内容の話をしていると、「論旨」 とか 「論理の筋道」 に注意力のほとんどが差し向けられます。すると、発音が “留守” になる。


   無意識のうちに、「マニフェスト」 は直さなきゃ


という 「過剰修正」 が起こるわけです。ですから、難しいハナシから雑談に移ると、発音そのものに意識がゆくので、


   そうだ、「マニフェスト」 はこれで正しいんだ


と “ワレに返り” ます。かくして、ひとりの人物が、同じ会話の中で、「マニュフェスト」 と言ったり、「マニフェスト」 と言ったりする。

〓おそらく、「マニュフェスト」 という言い間違いは、こうしたメカニズムで起こるものでしょう。




   パンダ ひさびさに 40000字を超えました。 この続きは “後編” で ↓

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