五章/『Cross road』 12
テーマ:連載小説 『カクテルワルツ』 静は力なく笑った。
武志さんは、本当に、何も知らなかったのだ。つい数日前まで。付き合っていた後輩の女の子が実は亡くなってしまい、知らなかったとはいえ自分はのうのうと、一度も祈ることなく今まで過ごしていたことなど。
それを知ってしまっただけでもショックだと言うのに、実は当時二股を掛けられていたのだと、当のもう一人に教えられたのだ。これで傷つかない何も思わないだなんて、ありえない。そんな奴がいたら、私は男というもの全てを疑ってかかる。こいつらには血も涙も無いのかと。
最後に振り返ったとき、武志さんは詩織さんが石垣の前にへたり込んで呆然としているようだった。後ろ姿だったから、武志さんもその後ろに佇む清水くんも、どんな表情をしているかなんて分からなかった。
「さっき、静と武志さんとを見て、思ったの。ああ、武志さんは、今までのツケを支払うことになったんだなぁって」
知らず知らずのうちに背負わされていたツケだから、武志さんを一方的に責めることは酷だとは思う。でも、背負ってしまったからには、どうにかしなければならないのだ。
「……うん」
「静が、さ。四年かけて、ゆっくりと少しずつ処理していった……処理っていったら、アレだけど、なんていうのかな。その……整理していったダメージを、武志さんはこれから片付けていくんでしょう。突然目の前に借金の山が現れたようなものなのかな」
少し考えるようにして、静は言った。
「俺だって目の前に借金の山が突然現れたんですよ? 叩きつけられた分俺のほうがきついと思うな。でも」
「でも、何?」
「今だけを比べたら、やっぱり、武志さんの方が辛いかな」
「どうして」
「まだ、知らないことがあるから」
「……それは」
八咫のことだ。詩織さんと、武志さんの、子どものこと。
構内にアナウンスが流れる。それを聞いて、離れた席に座っていた男の人が立ち上がった。間もなく、汽笛を鳴らして列車が駅に入ってくる。
「さっき、詩織が二股をかけていたって事教えたときに、呆然とする武志さん見て、俺どんどん心が落ち着いていくのがわかったよ。まったいらっていうか、ベタ凪の海というか。本当に、心に波風が立っていない状態。全然揺れない状態」
「うん」
「心のどこかで思うんだ。ああ、今だったらきっと人殺しだって落ち着いてやれるかもなぁ、なんて。そのまままったいらのまま、心を殺してしまえば楽になれるのかなって」
「うん」
「八咫のこと言ってやろうかって思った。どんどん残酷なこと考えて、どうやったらトドメさせるかなって思って……。でも、さっき若葉さんが泣いてくれたお陰で、心に波風か戻ってきたよ。ほんとうに、言わなくて良かったって今は思う」
ありがとう、と静は再び微笑んだ。私もよかった、と思う。静が喜んでくれた。静の助けになれたのだ。嬉しくないはずが無い。
「来て、良かった」
「とんぼ返りだけどね」
静が笑う。
「わざわざ来てくれて、ありがとう」
「静に会いたかっただけよ」
また、静が笑ってくれた。
静から伝えることは無いだろうが、きっと清水くんは八咫のことも兄に伝えるだろう。清水くんだって八咫の『身内』なのだから。
そうなれば、もしかしたら詩織さんの事故のことを知ったときより、あるいは詩織さんの裏切りを知ったとき以上に、武志さんは動揺するのではないだろうか。武志さんはこれから少しずつ、静の辿った道を通ることになる。
だったら静は、どうなるのだろう。やっぱりこれからも、詩織さんのことを、心のどこかで抱えていくのだろうか。それでも、別に構わない。私が静の側に居たいだけだ。
清水くんと喫茶店で話をして、彼は私にこういった。
『べつに二人のことだから、別れるなとか俺には言う権利なんて無いスけど、できれば、あいつの目の前で事故死だけはしないで欲しいな。あと、裏切るような二股』
半ば冗談のような口調だったが、どこかしら真摯な願いだった。彼の口調に合わせて私も軽く「当たり前よ」なんて答えたけれど……今日からは、自動車には気をつけることにしよう。
「何、笑っているんですか」
「ふふふ、内緒」
長いすに並んで座って、私たちは電車がやって来るまで、ずっと手を握ったままだった。基本的に日本人には宗教的にあまり関係の無いイベントであるクリスマス。そのイブイブの夜が、しずかにしずかに更けていく。







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