なんだかいろんなことがあり過ぎて、義父のお葬式のことを書くのが延び延びになってしまった。


超長文になるかも。


さて、先週の水曜日は義父のお葬式でした。


亡くなった当日から翌日、葬儀会社をどこにするか、セレブラントを誰にするか、お葬式で流す曲をどれにするかなどを決めていきました。


セレブラントとは、冠婚葬祭の司会進行役みたいな人。


葬儀会社から紹介して貰うこともできますが、義母は友人達を介して評判の良かったセレブラント数人と会い、誰に担って貰うか決めました。


お葬式で流す曲の2曲は、亡くなる前日に義父がMJに「これにして欲しい」と伝えたもの。


棺に参列者達がお別れの花(通常はバラとローズマリー:故人を偲ぶ象徴)を添えに行く時と、葬儀が終わって参列者達が退場する時に流す2曲。


参列者達が会場に入る時と、牧師さんがお祈りを捧げる時の曲、スライドショーと共に流れる曲は義母が選びました。


で、家にあった義父のCDから牧師さんがお祈りを捧げる時の曲を選び、確認の為にそのCDを聴こうとした義母。


義実家のめちゃ古いオーディオプレーヤーに入れたら。。。


故障してて再生はできないわ、取り出そうとしてもトレーが出てこないわでキレた。。。


オーディオプレーヤーを分解して取り出そうとしたもののうまく行かず、しまいには義母がガンガン踏みつけて壊して取り出した汗


奇跡的にCDは無傷。。。


ちなみにこれ、義父が亡くなった翌日の義実家の朝の風景です。。。


その他、葬儀の前に義父と最後のお別れをするかどうか、そのお別れを家族だけにするか親族だけとするか、友人知人にも開放するかなどを決める。


ちなみに葬儀で参列者達が義父の棺に添える花は、全世界のMNDA(モーターニューロン病アソシエーション)が希望の象徴としているcornflower(ヤグルマギク)の造花とローズマリーにしました。
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(ヤグルマギク)


でも義妹、義叔父夫婦、義祖父母の5本だけ、黄色いバラを添えることに。


なぜなら生前の義父は、家族でグミなどのお菓子を食べるとき、必ず不人気なバナナ味の黄色いグミを食べる担当だったから。


これもW家のお約束ジョークだったので、通常白か黄色のバラを添えるところ、最初から白を用意しませんでした。


棺の上に飾られる花は、義父が希望したオーストラリアのワイルドフラワー達。
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これ↑


その他演台の前に置く義父を象徴する物の数々を決めたり、スライドショーを作ったり、wakeの料理やお酒をどうするか、葬儀会社との打ち合わせも含めて結構忙しい1週間を過ごしました。


葬儀当日は敬意を表するためと、万一私達全員が泣きすぎて運転するのがままならなくなった時のことを考えて、葬儀会社のリムジンでの送迎を選んだ義母。


まずは義実家から葬儀会社の義父が安置されている場所に行き、そこで近親者の中で希望する人だけがお別れをします。


オーストラリアの葬儀では、一般的には棺は葬儀が始まる前か終わった後にのみ開けられるのですが、義母は葬儀会場に行く前の安置所でのみのお別れとしました。


安置所で義父の姿を見てのお別れの後、またリムジンに乗り込み、葬儀会場に向かいます。


葬儀には500人ほどの人が来てくれたそうです。


葬儀ではセレブラントの進行のもと、まず義父の父方の姉Cが心温まる、また笑いを誘う追悼の詩を読みました。


その後MJが義妹、義叔父Gと共に演台に立ち、義母の弔辞を代わりに読み上げる。


そして義父の父方の兄Jが追悼の意を述べ、義父の人生を振り返るスライドショーを流しました。


これが本当に良かった。


"義父母の歌"であるThe B52'sのLove Shackに乗せ、5分半ほどのスライドショー。


義父が赤ちゃんだった頃の写真や、子供の頃、学生時代、ヒッピー時代、義母とのウエディング、MJが産まれた時に義妹を養女に迎えた時はもちろん、数々の思い出の場面が流れました。


このスライドショーは、義父母両サイドの親戚と義父母の古い友人や親友達全員が必ず一回は登場するように作ったのですが、仮装パーティ中の義父母のおもしろ写真などもいくつか入っていたので、多くの人が楽しんでくれたようです。


そして十分に義父が人生を楽しんでいたこと、愛されていたことが伝わったと思う。


スライドショーの後は、義父母の親友のひとりであるWが伝統的なアイルランドのお祈りの言葉を捧げ、最後に参列者全員が一人一人棺に花またはローズマリーを供えに行き、葬儀は終了となります。


葬儀が終わり参列者達に見送られながら最初に会場を出た私達は、ロビーでお悔みのハグを受けながら全ての参列者が会場から出るのを待ちます。


全員が出た後もう一度中に入り、義父の棺の前で最後のお別れをしました。


今回は棺が置かれていた台からそのまま会場の床下に降ろされるのを見送るのです。


その床下が火葬場につながっているそうで、数日後の火葬後に灰を受け取ります。


その後はまたリムジンで義実家に戻り、wakeが始まりました。


リムジンを停めるのに一苦労するほどの数の車がびっしり義実家周辺に止まってて、義実家に入るとそこには帰宅時の満員電車みたいな状況が。。。


ケータリングの食べ物を運んだり取りに行ったりするのも人をかき分けるような感じ汗


しんみりしたものにしたくなかった義母の意向を踏まえて、お葬式があったと知らなければいやに暗めの色の服を着た人が多いなって思うぐらいのパーティとなりました。


そこかしこにお悔みでいただいた美しい花が飾られ、美味しい食べ物とお酒、優しい人々であふれた素晴らしいパーティでした。


葬儀もこのパーティも、義父が見ていたらとても喜んでいたと思う。


ちなみに義父が指定した葬儀会場から退場する際の曲はこちら。





なんとも義父らしい。。。