ー初めて明かされる二重被爆の真実ー
二重被爆~語り部 山口彊の遺言

2011年7月より全国順次公開



『二重被爆~語り部 山口彊の遺言』

1945年8月6日広島、8月9日長崎。


わずか75時間、直線距離にして300キロしか離れていない


2つの都市に投下された原子爆弾。


無辜の市民が合わせて20万人余が一瞬のうちに亡くなり、


今も原爆症に悩む人々が30万人もいる現実。




記録映画「二重被爆」(2006年3月完成)から5年。


広島と長崎の両市で被爆した「二重被爆者」だった


山口彊(つとむ)さんを追い続けた軌跡が映画となった。


「二重被爆~語り部 山口彊の遺言」は、被爆後60年余り


歴史に埋もれていた「二重被爆」の実態が明らかになり、


日本国内、海外への反核の思い伝え続けた山口彊さん。


93歳で命を召されるまで、その遺言の意味を描いた。


『二重被爆』通信
※2006年公開分のサイトです。
今作のサイトは2月に開設予定です。

『二重被爆』通信へ行く

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上映希望の方は、(有)タキシーズまでご連絡ください。
TEL:03-3485-2481
FAX:03-3485-2597

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2012-02-22 21:25:53

私の仕事(933)最終編集2日目

テーマ:ブログ

くもり空の1日、今晩から雨になるという。

昨日と今日で荒編集の70%近くまで。明日は最後まで行き

ついて、細かい改訂に入る。

残された日程は26日一杯までに、映像の白を作ること。


素材使用の連絡、確認も並行しながら行われる。

徐々に必ず使用する写真などの借用映像がはっきりして、

権利処理も並行作業だ。

スタッフの内山君は、事務所で各新聞社などに連絡を取って

もらう。


3月2日に開く「完成披露試写会」の案内も、知り合いの新聞

記者に送り始めた。

徐々に完成に向けての作業が詰めを迎えている。

2月22日  稲塚秀孝

2012-02-21 22:36:07

私の仕事(932)最終編集開始1日目

テーマ:ブログ

今日から最終編集の場所を赤坂に移しての1日目。

ここから集中しての作業が始まる。あらかじめ編集した素材を

見直しながら、改訂作業を加える。

まだまだ最終着地地点は見つかっていない。

2日後、4日後、5日後、6日後にどうなっているのか?

そこは興味深い。


今日はテレビ長崎の吉井記者の取材。わざわざ長崎から駆けつけて

下さった。感謝に堪えない。


明日は東京電力のくだり・・そして「チェルノブイリからフクシマへ」

2月21日  稲塚秀孝

2012-02-20 22:51:52

私の仕事(931)「フクシマ2011」最終編集の前夜

テーマ:ブログ

今日昼に「二重被爆~語り部・山口彊の遺言」の日本語版・

英語版のDVD、合わせて2500枚が届いた。計25箱。事務所

内は箱で一杯だ。予約いただいた25枚は、各地に送ることが

できた。これからじっくり販売したい。

問い合わせは、ウエブサイト

www.hibaku2.com    である。FAXでは、03-3485-2597。


いよいよ明日から26日まで、記録映画「フクシマ2011~被曝に

晒された人々の記録」の最終編集である。

ウエブサイトは、

www.fukushima2011-hibaku.com

泊まり込みで、死に物狂いで、いい作品に仕上げたいと思う。


完成試写会は、3月2日(金)15時15分開場、15時30分から上映。

場所は渋谷アップリンク・ファクトリ―です。

この試写会は、助成金を戴く、日本芸術文化振興会の方々や

メディアの方々のために唯一の試写会となる。


このブログをご覧の皆さんの中から、15名様をご招待したいと

思います。

私へメールを下さい。inazuka@nw-media.net  です。


明日からなかなかブログ更新ができなくなるかも知れません。

ひらにご容赦ください。

2月20日  稲塚秀孝

2012-02-20 00:39:52

私の仕事(930)「神隠しされた街」初演

テーマ:ブログ

日付が変わって、昨日2月19日「ゆめはっと」大ホールでは、

加藤登紀子コンサートが午後1時40分過ぎに開始した。

「紅の豚」のテーマ曲、「生きてりゃいいさ」「百万本のバラ」

「知床旅情」「ひとり寝の子守唄」などを歌い、ここで加藤さんは

「神隠しされた街」(詩人、若松丈太郎作)との出会いに話が及ぶ。

若松丈太郎さんは、客席の最前列に座っており、登紀子さんは

皆さんに消化するために、舞台に呼び上げる。

そして、いよいよ歌が始まる。

ピアノは、長年のメンバー、細井 豊さん。加藤さんとの呼吸は

ぴったりだ。この日加藤さんは、初めて歌う「神隠しされた街」の

事がプレッシャーだったに違いない。現場に入られた加藤さんと

私はあえて、言葉を交わさないようにしていた。

リハーサルを終え、本番30分前、会場に現れた若松さんと共に、

加藤さんの楽屋を訪ねる。2人は初めて会う、そして今日の舞台

進行の段取り確認を行う。誰しも緊張する瞬間である。

私は小型カメラを持ち、撮影。何事もカメラに収めていなければ

始まらないものだ。


さて歌い出しはスムーズ。

そして後半、声を張りながら、歌いきった。

「チェルノブイリからフクシマへ」この重大なテーマを持つ詩と曲。

南相馬市民の皆さんから、どのような反応が帰ってくるのか?

客席中央で撮影していた、私の周りから曲が進むにつれて、

すすり泣く声が聞こえて来た。

昨年3月31日の東日本大地震と津波被害、そして原発事故と

その後の放射能汚染に翻弄された日々、家族や仲間たちに離反

などの体験が、すべてないまぜになって、記憶の海に撹拌された

時に違いなかった。加藤さんが歌い終わると、温かい大きな拍手が

起きた。

よかった。本当に良かった。今後「フクシマから発信する曲」として

認知されたものと確信した。


終わって、若松さんと話した。

「稲塚さん、この様な素晴らしい出来上がりになっているとは思わな

かった。本当にありがとう」と握手を求められ、私も緊張感が解けて、

こみ上げるものを感じてしまった。

2月20日  稲塚秀孝

2012-02-19 22:39:18

私の仕事(929)「フクシマ2011」最終ロケ。

テーマ:ブログ

本日2月19日、「フクシマ2011」ロケ終了。51日目だった。

今日は素敵な「サプライズ」があった。

南相馬市唯一の大ホール「ゆめはっと」(1102名収容)で

開催された「南相馬ダイアログ」。

市内のさまざまな15団体が集合。ボランティアの人々も

大勢駆けつけ、にぎわった。目指すは「街の復興と再生」。

そのために何ができるのかを考え、動き出そうとする思いが

漲っていた。


私が昨年6月に知り合った詩人、若松丈太郎さんが1994年に

作った「神隠しされた街」。

チェルノブイリ事故から8年後のプリピャチ(爆心から3キロ)を

訪ね、チェルノブイリ事故から、東京電力福島原発事故を

想起(予言)したような詩である。

30㌔圏内立ち入り禁止となったチェルノブイリに倣うと、福島原発

ではどうなるのか?考えた若松さんは、一つ一つの村や町の

名前を 列挙している。そして自分が住む原町市も30㌔圏内である

事に気付く。その当時、南相馬市は無く、小高町、原町市、鹿島町

に分かれていたのだ。


加藤登紀子さんに、この詩を最初に見せたのは、7月半ば。

そして加藤さんが「アトミックカフェ」(8月9日・代々木公園)で

「神隠しされた街」を朗読して戴いた。既にその時に私の発想の

萌芽があったともいえる。

先月、「神隠しされた街」を歌にしてもらえませんか?と加藤さんの

事務所のプロデューサーを通じて伝え、返事を待った。

断られると思った、だが加藤さんは「やるよ」と言い、最初の打合せ

の時に、詩を一部改訂し、ギターをつま弾いて、聞かせてくれた。

2月初め、1回目の録音。不定型詩を歌にするのはかなり難しい。

歌うところとメロディバックに言葉を繋ぐところ・・難しい。

一応録音はしたけれど、とても完成品とは言えなかった。

さらに加藤さんと電話でやり取り。

一時私は「神隠しされた街」を記録映画「フクシマ2011」のテーマ曲と

するのは諦めるしかないかもしれないと思った。


3日前、加藤さんの2回目の録音。6分半あった曲を4分20秒に縮めて、

しかも歌と語りの交互の妙味を出すことができた。ピアニストと加藤

さんは粘り強く取り直しを続けた。

これでいいのか?と思案顔のスタジオサブにいる私に、

ブース内から加藤さんは、

「稲塚さん、何か悩んでいるの?」と気遣ってくれた。


無謀な提案、私の妄想が、今日「ゆめはっと」で具体的な「音楽」に

なった。

2月19日  稲塚秀孝

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