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I'm a Black Metal Man. I love a place full of Black Metal...


テーマ:
hitsugiです。

突然ですが、2012年から綴ってきたこのブログ、読者の事を全く考えていません。
読み易いブログ等書き綴ってみようとも思った事がありません。最近の読書感想が正にそう。
文章以外においても当ブログのPC版では、例えばPick Up!!記事等の動画を視聴する為に
「BGMを切ってからお楽しみ下さい」という案内を必ず付けていて読者に親切!…、、
いやいや、それは全然違う。BGMのせいでPCが重くなる上、視聴に一手間掛かるでしょう。

さて、読み易いブログとはなんでしょう。そもそも自分の綴るブログは究極に読み辛い筈です。
それは、自分のブログが黒(文字)で覆い尽くされていて、内容も(国語力の無さで)複雑だから?

とは言えども当然の事ではありますが、自分の思った事をそのままの形で綴っているだけです。
ただ、綴っているうちに長文になり、読者を混乱させる文章を生成してしまっているだけです。
それゆえにTwitterが嫌いです。高校から大学までの間に3回程アカウントを作成したのですが、
たったの30ツイートで飽きてしまう。140文字という文字制限が"窮屈"と感じたからでしょう。

…この時点で大多数の読者が恐らくお帰りになったと思いますから、彼等に気付かれない様に
今回も下手糞ながらも自分なりの文章で、読書感想を綴ってみようと思います。平常運転です。

過去の「読書感想を綴る」については下記リンクよりどうぞ。
†No.378[(読書感想と夏アニメを綴る)]‡
※Re:ゼロから始める前日譚 氷結の絆、ガリバー旅行記
†No.379[読書感想を綴る〜タイタス・アンドロニカス〜]‡
†No.380[読書感想を綴る〜虐殺器官〜]‡
†No.381[読書感想を綴る〜死に至る病〜]‡


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「一九八四年 / ジョージ・オーウェル」
(2015年 完全読破)

【内容】
<ビッグ・ブラザー>率いる党が支配する全体主義的近未来。
ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。
彼は以前より、完璧な屈従を強いる体制に不満を抱いていた。
ある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちた事を契機に、彼は伝説的な裏切り者が
組織したと噂される反政府地下活動に惹かれる様になるが……。
二十世紀世界文学の最高傑作が新訳版で登場! 解説/トマス・ピンチョン

感想・考察に入る前に、まずは登場人物とあらすじを紹介しよう。


【登場人物】
ウィンストン・スミス:真理省記録局党員
ジュリア:真理省創作局党員、青年反セックス連盟活動員
オブライエン:真理省党内局の高級官僚
トム・パーソンズ:ウィンストンの隣人
パーソンズ夫人:トム・パーソンズの妻
サイム:ウィンストン・スミスの友人
チャリントン:古道具屋を営む老人
ビッグ・ブラザー:オセアニア国の指導者
エマニュエル・ゴールドスタイン:反政府地下組織「兄弟同盟」を指揮しているとされる老人

【あらすじ】
1950年代に発生した核戦争をきっかけに、1984年現在、世界は3つの超大国、
オセアニア、ユーラシア、イースタシアによって分割統治されている。
更に、間にある紛争地域を巡り、世界は日々絶えず戦争が繰り返されている。
作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、
物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、更には街中に
仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼ全ての行動が当局によって監視されている。

ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の
改竄作業を行っていた。物心が付いた頃に見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、
記録が絶えず改竄される為、実際に存在したかどうかすら定かでは無かった。
そこでスミスは、古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、
この世界では禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺された筈の3人の人物が
載った過去の新聞記事を偶然に見つけた事により、体制への疑いは確信へと変わる。

スミスは「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジュリアから手紙による告白を受け、
出会いを重ねて愛し合う様になる。そして古い物の残るチャリントンという老人の店を見つけ、
2人の密会の場所として、隠れ家としてジュリアと共に過ごす。更に、スミスが
話をしたがっていた真理省党内局に所属する高級官僚の1人、オブライエンと出会い、
現体制に疑問を持っている事を告白した。そこで、エマニュエル・ゴールドスタインが
書いたとされる禁書をオブライエンより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。

ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出てしまい、ジュリアと一緒に
スミスは思想警察に捕らえられ、愛情省で尋問と拷問を受ける事になってしまう。
そして「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、
処刑(銃殺)される日を想いながら、“心から”党を愛する様になるのであった。



【感想・考察】
1949年刊行、社会主義者のジョージ・オーウェルが描く『一九八四年』は"残酷"の一言だった。
その恐ろしさは、人間という存在への信頼が完膚なまでに叩き壊されるというところにある。
この本の舞台である全体主義社会は、ある意味この世の終焉よりも余程恐ろしい光景だ。
例えば、"人類滅亡"という題材を扱った本を読む。読了後、今この瞬間生命活動を維持している
我々人間というのはなんて愛しく尊い存在なのかという感想(の断片)を抱く筈である。
しかし、救いの無い未来を暗示するディストピアもの、正にその中の1冊、『一九八四年』を読む。
読了後、それは今生きている我々人間を見る目がいっそう懐疑で満ち溢れる様になる筈だ。
紙に指で触れ、文字を追い、本をぺらぺらとめくり、やがて我々の思う人間性が瓦解していく。
人間というものは外部の刺激、それこそ紙面上に踊る文字でこんなにも脆くなってしまうのだ。
本書の登場人物達の顛末に読者が戦慄するのは、彼等に自分自身を発見するからであろう。
この思考実験場に蠢く彼等は人間不信に陥ると同時に、自己不信に陥ってしまうのである。

さて、ジョージ・オーウェルが描く全体主義社会で根本的に恐ろしい点が1つある。
それは「知らない間に、ほんの一瞬間でも彼等が監視社会に参加している」という事であり、
イデオロギーの統制に我々が一細胞として常に一役買っているという事でもある。"奴隷"として。
すなわち「彼等の存在自体が終始、全体主義下で蠢く一細胞と化しているのではないか?」
というのがジョージ・オーウェルが描いた全体主義社会の真の深淵、"はらわた"である。
例えば、真理省に勤務しているウィンストンは、新聞の論説か報道の記事に関わる出来事を
何らかの理由で改変、公式的な表現をすると歴史を"修正"、書き換える仕事をしているのだが、
この改変作業は新聞だけに留まらず、書籍やパンフレット、ポスター等の紙面上のものから
映画や漫画、サウンドトラック、写真等の芸術にまで介入するのである。分刻みで次々と。
つまり、あらゆる予言は例外無く文書記録によって正しかった事が示され得るという事でもあり、
全ての報道記事も論説も、現下の必要と矛盾する場合、記録に残される事は決して許されない。
まるで、歴史は書かれた文字を消してその上に別の文が書ける"羊皮紙"さながら、最初の文を
跡形も無く綺麗にこそぎ落として重ね書きするという作業が必要なだけ何度も可能なのである。
一細胞として歴史を書き換えた者は、歴史の(偽造も含まれる)新たな真実の第一発見者となる。
その立場を手に入れた者は、自らの力で改変した歴史を振り返る様に監視する。

しかし、この作業も所詮はジョージ・オーウェルが描く全体主義の思う壺という訳だ。
ゆえに、我々が『一九八四年』の世界を第三者的目線で傍観し、紙を指で味わい、読了した後で、
現実世界がもし『一九八四年』の描く恐怖の情勢に移行した際、「己の力で世界を変えねば」と
脳が信号を発した時点で、実は自分自身の二重思考に嵌まり込んでいるという事実が考えられる。
その様な"一細胞"が、自分のイデオロギーに従わない人間を断罪し始めるのは最早時間の問題だ。
ある意味でこの二重思考というものは、人間そっちのけで企業理論を最優先した挙句の果てに、
顧客や従業員にある種の犠牲を強いるブラック企業の絶対服従思考に類似していると言って良い。

…と言いたい所だが、現に我々の住む世界は『一九八四年』に極めて近い姿であると断言する。
先程の"歴史の改変"もある意味現代の日本の近隣諸国の情勢と恐ろしい程に類似しているし、
その根拠を決定付ける個人的な最大の要因こそ、本書の冒頭から描かれる"テレスクリーン"だ。
所謂我々の住む現代世界の"監視カメラ"的存在。生活風景に良く馴染んでいるシステムである。
寧ろSECOMやALSOKの様なホームセキュリティシステムの方が想像し易いと言えよう。
「個人として組織に見張って貰う」という趣旨、更に追求すると「常に監視していてほしい」と
我々が考えているとすれば、最早それは、ビッグ・ブラザーを愛していると言っても良い領域だ。
また、GoogleやYahoo!等の検索エンジンも"テレスクリーン"の一種と見る事が出来るだろう。
我々は日常生活でありとあらゆるキーワードを"検索"している。予め与えられたシステムに
自分の趣味や嗜好といった個人情報を無限に検索エンジンに提供し、瞬時に情報を得ている。
さて、ここで自分の立ち位置を変えてみよう。先程と異なる景色が見える所で考えてみてほしい。
検索エンジンに自分の趣味や嗜好を提供するという事は、言い換えると検索エンジンはある一個人の
検索嗜好を分析、吟味しているという事となり、その人間の"はらわた"を「覗いている」事となる。
今やネットで気軽に己の心情を綴り、記録する事が出来る時代。手短に書ける文章、簡素な言葉で。
アカウントというネットアバターを身に纏った人間は、全体的に本音に近い事を語りやすいと思う。
想像に容易い事だ。それはある種の"自由"があるのだから。その"自由"に取り憑かれた現代の人間。
しかし、安易な手段で手に入れた"自由"というものは、すぐに"チープな万能感"に化ける筈だ。
見ず知らずの無数の人間に監視され、個人の嗜好がシステム上に無許可で書き込まれる恐怖の世界。
それゆえに『一九八四年』の描く世界は、ある意味我々の住む現実と同等であると判断も出来る。
果たして読了後、読者は今の日常生活に一体何を思う事であろうか?これは"警笛"である。

この本には我々の住む世界で現に起こり始めている最悪の状況を鮮明に、辛辣に書き留めている。
そこで我々は初めて"最悪の世界の何たるか"を知る事が出来る。脳内で映像化する事が出来る。
それは、悍ましい破滅への道の開通を阻止する為の、一種の"防波堤"の役割を果たす事となる。
この読書感想を読んでいる今この瞬間にも、世界は危険な道を一歩一歩と着実に歩んでいる。
読書はありとあらゆる魂に力を与える。悍ましい破滅の"摩擦"を、我々は常備しておく必要がある。
だが、この"処方箋"を酸っぱい葡萄だとして、ブラックボックス化された独自の判定基準によって、
臭いものには蓋をする様なやり方で切り捨ててしまうのは、何とも愚かで危険な行為であろうか。

ジョージ・オーウェルの真髄を堪能出来るこの名作を、現代社会における最悪の未来予想図を、
我々は読んでおかなければならない。"退屈"そのものである現代社会の"処方箋"を。

表現する事を侮る様な行為は、やがて社会に致命的な停滞を、最悪の破滅をもたらす筈だ。



次回†No.383‡は、
9月6日午前0時(9月5日深夜24時)に更新致します。

※2週間後の更新となります。更新日が変更となりますのでご注意下さい。
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