2006-10-06 19:34:09

楽しい郷土史

テーマ:本の紹介

地元、郷土の歴史「図説 横手・湯沢の歴史」が出版された。これは地方出版社で定評のある長野県の「郷土出版社」 が、全国各地方毎のの歴史を写真、図版を多く載せ、平易な解説したユニークな郷土史である。単なる古代から現代に至る通史ではなく、その地域の時代の特色を示す項目を約100に選定してどこから読んでも楽しく読める。

執筆者も大学の先生ではなく地元の歴史研究者あり、(元)教師、会社員、公務員と様々であり、それぞれ得意分野を分担して執筆している。この地は横手盆地を中心に数多い縄文遺跡、古代の「雄勝城」の建設、源義家の「後三年の役」戦場、戦国時代の小野寺氏の支配、更に山形最上氏の侵入、江戸時代、佐竹氏の移入、さらには戊辰戦争における戦場と、悠久の歴史のなかに色々な歴史のドラマの舞台となった地域である。

先史古代では縄文遺跡の紹介がなされているが、貴重な土器、石器などに興味が魅かれる。ただこの地方住んでいたと推測される蝦夷(えみし)の生活が出てこないのがきになる。中世の項目が少ない。これはこの当時の様子を示す古文書が少なくこの地を支配した小野寺氏の系図が複雑で、多くの地方史家の著書があるがそれぞれ見解が違い書きにくいというきらいもある。

さすがに江戸を中心とする「近世」の項目が圧倒的で、全体の3分の一を占める。その中で小野小町伝承(湯沢市小野)が農耕神話として発生したというユニークな見方、農民が新田開発に乗り出した3事例が挙げられるているのが目を引く。また秋田に住んだ江戸の紀行家菅江真澄の記録が引用されているのが特色。近代・現代においては地方文化、地場産業にも目をむけている。

以上この本を概観したが、実は私も依頼され2項目ほど執筆している。(学生時代の専門は農村社会学で歴史専門でない)その一つが江戸時代から今でも地元を流れる用水路「湯沢大堰」である。これは地元の富谷某が開削したというのが定説である。しかし聞き取りをしていくうちに別の人物も関わったことがわかる。その先祖を探しあてたが、その関係書類が40年前解体した蔵から出てきたが紛失したとのことである。このように地方史料には未だ埋もれたものがあるような気がする。この本は郷土を知る上で楽しく読める本であるが、価格が11000円で他人に勧めるのを躊躇している。

国安寛・土田章彦編集  図説 横手・湯沢の歴史  郷土出版

AD
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2006-09-20 22:23:13

無季俳句

テーマ:本の紹介

遺品あり岩波文庫『阿部一族』  鈴木六林男


俳人,黒田杏子(ももこ)さんが学生時代この無季俳句に出会い衝撃を受けたことを新聞連載のエッセイー「定型詩の中の戦争」のなかで書いている。「この一冊の文庫本を残して戦場に息絶えた兵士とその事実を心をこめて詠みあげている俳句作者にこころの底から連帯感を抱いている自分がいた」と黒田さんはのべいる。

後年、黒田さんは六林男(むりお)と知り合い、彼は「岩波文庫の句、あれは誰の遺品でもない、あの本を持っていたのはこの六林男だよ。だから句を詠めた」と語ったそうである。無季俳句などで表現の可能性を追求したこの俳人は、西東三鬼に師事。戦時中は中国やフィリピンを転戦している。そときに戦場の人間模様を鋭くとらえた句を作っている。

先に私は「季語集を読む」の書評を書いたが、作者の坪内稔典氏は言葉の端々にく定型季語の俳句の限界をそれとなく示唆しているように感じていたところ、この鈴木六林男の句に、かなり遅れている私も黒田さんの紹介によって衝撃をうけ、共感を覚えたのであった。

ところが現代の俳句界はホトトギスの流れを汲む稲畑汀子らの日本伝統俳句協会が一つの大きな流れがあり、社会性や土着性を重んずる金子兜太らの現代俳句協会が対峙しているようだ。(単純な見方でもっと複雑かもしれない)稲畑と金子はNHK俳句の選者として顔を出すときはあるが二人の俳句観の対立が出てきて,面白く拝見している。金子の方がその経歴から言って無季俳句に共鳴を示しているように思える。

最近、従来の風雅の対極に生きた無季俳句の鬼才、林田紀音夫(きねお)の「林田紀音夫全句集」が出版された。人間の悲嘆の表層を描くペシミズムは俳句から限りなく遠い。林田は批判を受けながらこのペシミズムを基底に、徹底して風雅を追わず自己と等身大の生を無季俳句に写し取ったという。(毎日新聞専門編集委員酒井差忠氏の言葉)

鉛筆の遺書ならば忘れからむ  林田紀音夫  

浅学の身で俳句云々はおこがましいが、季語を上手に駆使し豊かな自然詠の句が主流の中で、無季語であるが我々の琴線に触れるものもあることに最近気付き始めた。

林田紀音夫著 林田紀音夫全句集 富士見書房 2006年8月刊

AD
いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)
2006-06-02 22:17:28

Little People

テーマ:本の紹介

5月、都立美術館で開かれた「プラド美術展」を見たが、残念ながら印象に残る絵が少なかった。むしろ2002年3月に西洋美術館で開かれた「プラド美術館展」のほうが今でも記憶に残っている絵が2枚ある。ゴヤの「巨人」とベラスケスの「道化師セバスティアン・デ・モーラ」である。片や巨人、かたや小人の絵とその対照的な点が忘れられないのだろう。

特に「セバスティアン・デ・モーラ」の小人の表情は衝撃的であった。その感想はホームページに「プラド美術展を観る」 の題で書き留めている。それについて「ベラスケスの作品の殆どは肖像画と言われている。今回はフェリッペ4世をはじめ数点の肖像画が見られたが、特に目を引いたのが小人を描いた「セバスティアン・デ・モーラ」である。道化や役者は宮廷で厚遇されたらしいが、モーラの悲しげであるが何かに挑むような表情から何を読み取ったらよいのであろうか」と私は感想を述べている。

今回たまたま写真家の榎並悦子さんの「Little People」の写真集を見る機会があった。小人症(Dwarfism)の人々理解が深まることを願って主にアメリカで密着撮影。年に一度、世界中から集まる会合(Little People of America)や、野球の試合、結婚式、仕事、家族、友人との時間など、彼らの暮らし写真が収められている。

写真集をコピーできないのが残念であるが、屈託のない明るい表情、特に男女の愛情表現が印象的である。榎並さんは「何度か通ううちに彼らが普通暮らしていけるアメリカ社会の包容力に気付いた。そして家族や周囲の深い愛情を知った。日本の社会も心のバリアフリーになるときが一日も早くくることを願っている。」と述べている。

ベラスケスの時代は、小人たちは道化師として人気があったらしいが、所詮は見世物であった。彼らに対する偏見はあったに違いない。日本おいても現在も身体的な弱者に対する差別は残っている。それに比べこのような人たちと同化しているアメリカ社会の包容力は学ばなければなるまい。それにしても移民国家であるアメリカが移民法の書き換えをし反移民政策が打ち出されるつつあるのはどうしてであろうか?しかし、多くの市民、高校生までもが反対に立ち上がったというから一般的には包容力があるというべきか。

なおこの写真集「Little People」は先日、平成18年度の「講談社出版文化賞を受賞した。

Little People―榎並悦子写真集  朝日新聞社 2005/6刊

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-05-12 19:43:20

池澤夏樹氏の父・母

テーマ:本の紹介

先日、作家池澤夏樹編で原條あき子全詩集「やがて麗しい五月が訪れ」が出ていることを知った。「原條あき子はぼくの母である。生きることは誓いにそむいて心を変えることだ。あるいは捨てられて恨むこと。人間はそこが魅力なのだと原條あき子はいう。」本の帯にあるように原條あき子(本名山下澄)は池澤夏樹の母親であり、父親は作家・福永武彦(1918―79)である。

あき子は学生時代、福永と知りあい、戦中から押韻定型詩を試みた、中村真一郎、加藤周一氏ら文学集団「マチネ・ポエティク」参加している。1943年結婚し、1945年に夏樹が生れ、1950年に離婚している。夏樹は母親の手で育てられ、父親については「親と子の関係というのは、どんな場合でも、普通に人が信じているほど平凡にして単純なものではない。すべての親子はそれぞれに波瀾を秘めている。ぼくの場合、実父との仲は波瀾を秘めるどころか、具体的に奇妙だった。父は最初から遙かに遠いところにいた。一緒に暮らしたのは一、二歳の時にほんの少し、あとは別れ別れになって、高校生になるまでこの父のことを知らなかったぐらいだ。その後、再会して行き来することになったが、共同の生活がないのだから生活感もまるでない」:『堀田善衛全集2』月報初出年月日:1993年6月 池澤夏樹)

マチネ・ポエティクは日本語による押韻詩の可能性を追求し、実際14行詩を制作したが、詩壇からの反応は薄かったといわれる。その後、中村、加藤、福永らは小説、評論の世界で活躍する。原條あき子は再婚しその後は池澤澄として80年の穏やか生活を送り、2002年生涯を閉じている。

鶴見俊輔氏は「池澤夏樹の日本語が自然科学の知識を駆使しながら、柔らかい印象を与えるのは、彼が立原道造についで定型押韻詩を日本語で実現した母親の原條あき子に、はじめて言葉を教わったからではないか、戦時中の閉ざされた結社の中で使われたマチネ・ポエティクの日本語が半世紀熟成されて、今日の日本に再び現われた。そう考えていいのではないか。」と述べている(岩波 図書5月号)

なつきよ おまえの髪には 森の朝
燦く木の葉の匂い 風の息吹
眠りさめたまつ毛は花の茎
揺れて耀いてひらく湖の深さ
(「To my darling Natsuki2」)原條あき子

池澤夏樹編  原條あき子詩集  やがて麗しい五月が訪れ 書肆山田:2004年12月刊

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-05-04 21:15:02

面白い地図帳

テーマ:本の紹介

マスコミで出たがりの自民党Y議員がクイズ番組に出てイラクの位置を間違えたことが話題になったのは先日である。しかもかって参議院外交防衛委員長を勤めたことがあるとはあきれるばかりである。また昨日の外電は 米国の若者でイラクがどこにあるか分かっているのは37%だけの調査結果を発表している。これは全米地理協会の調査で、18歳から24歳までの510人を対象にして行われた。 国名が書かれていない中東の地図を示して、イラク、サウジアラビア、イスラエル、イランの4カ国の位置を答えさせる質問に対して、4カ国とも正しく答えたのはわずか14%。44%は1カ国も正解がなかった。と報告されている。(時事通信)

この全米地理協会は国際的に知られている、National Geographic を発行してしていることで知られている。このオンラインに今回の設問と詳しい結果Young Americans Geographically Illiterate, Survey Suggests が載っている。地理教育の専門家によると、米国の若者は米国以外の世界の国々に関心を示していないのではないかと述べている。

しかし米国に限らずこのような若者は日本にもいるのではないか。絶えず地図帳を開く習慣がいずこの国にもないようだ。それに地図帳そのものが無味乾燥で興味がわかないこともある。

先日WEB上で面白い地図帳を発見した。「バカ世界地図」 である。これは、 全世界参加型「バカ世界地図」プロジェクトとしてその国、地方の説明を書きこんでいくもので、その解説が実に面白い。例えば地図のイラクをクリックしてみよう。その説明1、イクラではない。 3、実はアメリカ領。など皮肉たっぷりの説明に笑ってしまう。

日本をクリックすると種々雑多なことが書かれ、教育基本法を重んずる「愛国心」論者は「バカ世界地図」を見て由々しき地図帳と柳眉を逆立てるかもしれない。しかし笑いながらこの地図を読むと、少なくともその国の位置は頭に入るはずである。なおこの地図は昨年著書としてとして出版されている。また著者の一刀さんについてはブログlWe [love] blog が参考になる。

一刀著 バカ世界地図 -全世界のバカが考えた脳内ワールドマップ- 出版:技術評論社/発行年月:2005.12

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-04-15 22:15:11

[1968年」は何があったか

テーマ:本の紹介

フランスのシラク大統領は10日、ドビルパン首相との会談後、若者の解雇を容易にするとして強い反対運動が起きていたCPEの撤回を発表した。このCPEは青年雇用を促進するためとして、労働者を新規に雇用する場合、企業に社会保障負担分の3年間免除などの特典を与える一方、自由に解雇できる「見習い期間」を通常1―3カ月から2年間に延長、26歳未満の青年に適用するもので、「不安定雇用を拡大する」として労組や学生団体は撤回を求めていた。この反CPE運動はデモ参加者が300万人に達する記録的な規模となり、1968年の「パリの5月革命」以来のものになったと新聞は報じている。

1968年の「パリ5月革命」とは、自由と平等と自治を掲げ、フランスのパリで、1千万人の労働者・学生がベトナム戦争反対、ソ連の圧制反対、大学改革を求めてゼネストを行なったものである。この年は日本でも東大を中心に全共闘が大学の改革を求めて過激な運動を起こした年でもある。既に仕事についていた私にとって世界・日本の若者の正義感に燃えた闘争をまぶしく傍観していた記憶がある。

この1968年は国際的にいろいろな事件や運動が重なったことについて、最近アメリカを代表する知識人のひとりで、シャープな歴史解釈と独自の視点には定評があるコラムニストとして著名なニューヨーク在住のカーランスキー,マークが「1968―世界が揺れた年」という本を著したことを知った。

1968年―世界中の普通の人々が、時を同じくして体制に反対する行動を起こした年だった。ベトナム反戦運動、公民権運動の高まりとキング牧師の暗殺、パリの「五月革命」、プラハの春。学生は通りに出て戦車の前に身を投げ出すなど世界各国の民衆にとって激動の年であったが、ベトナムでは最悪の戦死者を出し、キング牧師もロバート・ケネディも暗殺され、プラハの春は踏みにじられた年でもあったとこの本は紹介している。

将にそこに怒れる若者の姿があった。その人たちは現在日本では団塊の世代として定年を迎えようとしている。私はその前の世代であるがまぶしく見えた彼らには最早そのよう意気がみられない気がする。また何事にも怒らず体制に順応する若者が増えているのも気になる。こんなこというと老いぼれの戯言と冷笑されるだけかもしれない。

カーランスキー,マーク著  来住道子訳 1968―世界が揺れた年〈前・後編〉ソニー・マガジンズ (2006-03-10出版)

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-04-01 20:35:53

晩年の美学

テーマ:本の紹介

作家の曽野綾子さんの「晩年の美学を求めて」が4月7日朝日新聞社から出版される。実はこの本は朝日新聞社の書評誌「一冊の本」に03年7月から05年10月まで載せられたエッセー集である。この雑誌はかなり前から採っていたが、このエッセーを読んだり読まなかったりで余り熱心な読者でなかった。しかし、その目次 をみるとかなり刺激的な題で書かれているので改めてバックナンバーを書架から取り出読んでみたところである。

本の宣伝では「老年まっただなか70代半ばに達した著者が、ロングセラー『完本 戒老録』以来20年ぶりに贈る、老年エッセイ集。最近、周囲から敬意を払われていない老人が多いのはなぜか? 他人の好意にすがらない。分相応を知る。頭と気力のトレーニングに必要なことは? 精神的老化を防止し、いきいきとした晩年をおくるために不可欠なさまざまな知恵を、やさしく深く提案します。高齢化社会の新しい幸福論」とあるように曽野さんの老年論や人生観を知ることが出来る。

その中で特に印象に残った章を二つ書いておきたい。その一つは11章の「くれない族」である。自分の精神の老化を計る尺度はどれ位の頻度で「くれない」という言葉を発することだという。配偶者は「してくれない」、政府が「してくれない」、ケースワーカーが「シテクレナイ」などなどをいう人が多く見られるという。曽野さんはこのような人を「くれない(紅)族」と呼んでいる。そしてこの精神的老化は実年齢と殆ど関係がないと指摘している。どうして人間は知恵と体力があるのに早々と他人に頼る生き方に見切りをつける賢さを完成しないのだろうと嘆いている。100パーセント賛成ではないが現代の風潮をついている。


21章の「単純労働の重い意味」も考えさせられる。「ごくありふれた、平凡でいつでも代替にきく仕事。その手のものは若者ではなく、高齢者が引き受けるべきものだ。若者の数が減り、高齢者の溢れる時代なったらなおさらだ。それを屈辱的な作業だと思うような愚かな姿勢は徐々にではあっても排除しなければならない。」わたしの身の回りには過去の栄光を背負っている人間が多くいる。曽野さんはそのような人たちに向けての言葉なのかもしれないが、畑の除草に精を出す自分のことを想いだすと色々な工夫が必要であり、「高齢者のみがもしかしたら単純労働に携わりながらあらゆることを考える才能を発揮できるのではないか」という意見は納得できる。

今月4月号の「一冊の本」で今回のこの本の発行ついてそのインタビューに答えて曽野さんは「極度に飢えない、不潔を我慢しない、寒さに震えない、医療を受けられる、このことを満たせることは大変幸福なことです。でも今の日本人はそれをだれも幸福と思わないで不満ばかり。基本的な幸福の上にある個人個人がちがいをうまく個性にして尊重しあい、生かしあえる社会になるといいですね」と述べている。

これが曽野さんの人生観のようである。基本的には賛成であるが、体制に順応した生き方ともとられかねない考えも内包している。全体を読んでなるほどと思いながら、そのような危惧をもつのは自分自身、「不平不満居士」の要素を持っているせいかもしれない。

曽野綾子著  晩年の美学を求めて  朝に新聞社  2006年4月7日発行予定

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-03-04 17:54:31

小熊秀雄とアーサー・ビナード

テーマ:本の紹介

戦前の詩人小熊秀雄の童話「焼かれた魚」 がアーサー・ビナード英訳、市川曜子画のコラボレーション絵本で出版されたことが雑誌の広告に載っている。小熊秀雄を知ったのは知人である秋田の詩人小坂太郎氏が昭和49年「北の儀式」で第7回小熊秀雄賞を受賞したときからである。

小熊秀雄は(1901年~1940)小樽生まれ、早く母を失い父と樺太に渡り、父も失い伐木人夫などの労役をして成長。 1922(T11)「旭川新聞」社会部記者になり、また短歌を作る。 27(S2)詩誌「円筒帽」同人となり詩作に取りかかる。翌年上京。プロレタリア文学運動に携わる。その退潮後、詩人としての才能を発揮。口語・日常語を巧みに生かし諷刺のきいた長詩や童話、小説などにも優れた作品を残している。

戦後彼の詩作は評価され昭和43年からは「小熊秀雄賞」 が設立された。彼の詩は岩波文庫からも出ているが、現在WEB書籍の「青空文庫」が小熊秀雄全集プロジェクト を立ち上げ、未だ完成しないが、その一部の作品がWEBで鑑賞できる。彼の詩は饒舌であるが率直で文壇の権威でもあった志賀直哉や佐藤春夫への文壇風刺詩には息を飲む。

佐藤春夫へ

男ありて
毎日、毎日
牛肉をくらひて
時にひとり
さんまを喰ふてもの思ふ
われら貧しきものは
毎日、毎日、さんまを喰ふのではない
毎日、毎日、コロツケを喰つている
春夫よ、
あしたに太陽を迎へて
癇癪ををこし
夕に月を迎へて
癇癪をしづめる
古い正義と
古い良心との孤独地獄
あなたはアマリリスの花のごとく
孤高な一輪
新しい時代の
新しい正義と良心は
君のやうな孤独を経験しない
春夫よ
新しい世紀の
さんまは甘いか酸つぱいか
感想を述べろ。

佐藤春夫の有名な詩「さんまの歌」への痛烈な皮肉である。これをどのように解釈するかは読者の自由である。今回詩集『釣り上げては』で 中原中也賞受賞したアーサー・ビナードの英訳による童話「焼かれた魚」 の絵本を是非読んでみたい。

小熊秀雄/文、アーサー・ビナード/英訳、市川曜子/画 焼かれた魚 The Grilled Fishパロル舎 2006年2月刊

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-02-02 17:13:42

「セロ弾きのゴーシェ」論

テーマ:本の紹介

梅津時比古氏が著した「“ゴーシュ”という名前―“セロ弾きのゴーシュ”論 」について、文芸評論家・三浦雅士氏が毎日新聞に書評を載せているが、興味深い内容であるので紹介しながら感じた点を述べてみたい。

「セロ弾きのゴーシュ」 は賢治の晩年の作で、楽団のお荷物だったセロ弾きの少年・ゴーシュが、夜ごと訪れる動物たちとのふれあいを通じて、セロの名手となっていく童話である。このゴーシュの意味は従来フランス語のGacheで「不器用な」という意味から賢治が採用したというのが定説であるが、梅津さんはドイツ語のGauche(aにウムライトの”がつく)で南ドイツの古語で「かっこう」の意味であるという新説を披露している。

その理由は賢治が学んだのはフランス語でなくドイツ語であること、賢治と同時代のドイツの詩人アルノー・ホルツが賢治に与えた影響が大きいことをあげている。しかし問題はなぜゴーシェが「かっこう」でなければならないかということである。つまり「セロ弾きのゴーシュ」では「かっこう」の存在はどんな意味があるかということである。

確かに文中では「かっこう」の場面が他の動物より詳述されている。「かっこう」がドレミの音階の教えを乞い、何回もカッコウと鳴く様子に「ゴーシュははじめはむしゃくしゃしていましたが、いつまでもつづけて弾いているうちに、ふっと何だかこれは鳥の方がほんとうのドレミファにはまっているかなという気がしてきました」という場面がある。著者はそこに「賢治の父の姿がみえないだろうか」という問題提起をしているというのである。

「賢治が死の直前まで手を入れていた「セロ弾きのゴーシュ」の最後の1行は演奏会が終わった晩の遅くゴーシュが窓を開けて、かっこうが飛んでいった遠くの空を眺めながら「「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」というつぶやく言葉に、それは許されたい、理解されたいという父への賢治の必死の思いを反映しているのではなかろうか」と述べたことに賢治がここで父親の立場にたったのだと解釈している。三浦氏はこれは賢治論の白眉であると評価している。

従来の「セロ弾きのゴーシュ」論には、小動物の知的水準にも頭があがらないゴーシュの孤独な生き様と「雨ニモマケズ」の「ミンナニデクノボートヨバレ」の「デクノボー」とゴーシェを重ね合わせ、愛すべきゴーシェに己の矛盾した生の一つの理想像として描いたというのがある。「中村文昭著 宮沢賢治」*「雨ニモマケズ」は賢治の敗北をあらわすという中村稔氏とそれに反論した谷川徹三氏の論争があった。

従来の「セロ弾きのゴーシュ」論と違う梅津氏の考えに興味を覚える。従来賢治と父親との関係については多くの方が論じているが、中村稔氏は「賢治は父親ののぞむ道を歩んだか。彼における宗教と芸術の発展に、父親は大きな抵抗とならなかったか。」と父親との確執について述べている。(中村稔著 宮沢賢治)しかし、父親は賢治の理想主義を「私は20年来賢治が宙に浮ぼうとするのを引き止めて地に足をつけさせようと努力したのですが失敗で笑止にいたりです」と話していたそうだ。(佐藤孝房著 宮沢賢治)とすれば賢治がその思いをゴーシュに託して最後に父親に理解してもらいたいと気持ちが分かりそうな気がする。

梅津時比古著 “ゴーシュ”という名前―“セロ弾きのゴーシュ”論 東京書籍 2005・12>

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-01-31 21:13:25

大仏次郎の「天皇の世紀」

テーマ:本の紹介

大仏次郎の「天皇の世紀」 が昨年12月から普及版(10巻)として朝日新聞社から再刊され、現在刊行中である。これは幕末から明治にかけてを描いた大河小説で朝日新聞に連載中に大仏が死去(昭和48年4月30日)、未完に終わったものである。朝日文庫からもでていたが、殆ど入手不可の状態で読みたいと思っていた本である。

この再刊について文芸評論家の新保祐司氏は朝日新聞の書評誌「一冊の本」2月号でで次のように述べている。「今日普通歴史を語るとき、歴史の現象を云々し、その解釈、評価を問題にしているだけではないか。また歴史小説になると、歴史上の人物に今日の人間観から感情移入しているだけではないか。「天皇の世紀」には史観と言うものすらない、結局は主観的なものなど吹き飛ばされてしまっている。あえて言えば、荘厳なる客観がある。歴史について書かれた本を自らの史観や歴史評価の型にはめて読むことしかできない、今日の知識人の頭には、「天皇の世紀」は何ものも語らないであろう。逆に資料の長い引用が多すぎると思われてしまうことが予想される。しかし、「天皇の世紀」の中では、歴史の「物自体」が時々ささやくのである」と述べている。

同じ幕末明治を描いた司馬遼太郎は下級武士が起こした明治の革命を認めるような姿勢があったが、大仏次郎はこの時代を「天皇の世紀」といったのはどんな意味があるのだろうか?明治天皇制についてどんな描きかたをしているのか興味あるところである。

ともすれば主観的に歴史を見ようとする司馬に対して新保氏がいう大仏の「荘厳なる客観」との違いを実際この本を読むことによって考えてみたい。特に描かれる人物像を対比的に読んでみたい。大仏の小説は北越戦争を描いた「金城自壊」で終わっているが、ここにでてくる長岡藩家老河井継之助どう描かれているのだろうか。同じ「一冊の本」のなかに鶴見俊輔氏は「負けにまわった鞍馬天狗」という題でエッセーを載せている。それによると、彼の著した「鞍馬天狗」は王政復古に打ち込んだが、その最後の始末を「天皇の世紀」の終わりに向かって河井継之助の終焉に描かれていると面白い解釈をしている。


大仏次郎著 天皇の世紀(10巻)  朝日新聞社  2005年12月~2006年8月刊

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。