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2006-10-17 19:58:51

非・常人の国

テーマ:時評

北朝鮮の核地下実験とその後の開き直り(わが国への宣戦布告)には呆れてものがいえない。国連安保理事会で国連憲章第7章に基づく制裁決議が全会一致で決定したことは当然といえる。

マスメディアは制裁問題に終始しているが、2200万人の北朝鮮人はこの制裁の陰にどんな生活をしているのか心が痛む。日本政府は拉致問対策本部は「全被害者の帰国要求」を要求、対応次第で追加政策措置を検討するという。これも人権問題として当然なことと思うが、北朝鮮政権の朝鮮人民への人権を無視した政治が強化されるのではないかと危惧している。

もう一つ気になるの日本は被爆国として「核廃絶」を目指していることを忘れてはなるまい。世界の核は27000個、米ロで79%を占めると言う。年々減っているというが、北朝鮮やイランが核兵器をもって何が悪いかと開き直られ、既成事実化されようとしている気配も伺われる。核保有国が核不拡散のためにどんな政策をうちだすのかにも注目したい。また、日本は非核三原則を堅持しているが、自民党幹部が対抗措置のために核保有を主張するようでは始末が悪い。

とにかく、金正日政権は尋常ではない。司馬遼太郎は随筆集「風塵抄」の中で、「常人の国」という題名で次のように述べている。「日本は常人の国である。それが私どもの誇りである。常人の国は、つねづね非・常人の思想とどうつきあうのかを、愛としたたかさをもって考えておかねばならない。でなければかえって、”世界などどうでもいい”という非・常人の考え方におち入りかねない。常人にはどんな非・常人よりも、勇気と英知が必要である。」

まさに「非・常人の国」に対して他国がどんな勇気と英知を働かせるのか。これが北朝鮮核実験に対する課題である。現在のところ「制裁」が中心であるが、他にどんな方法があるのか、解決の方向が見えてこない。さがない知人が金正日が亡命し新政権ができたらと・・と話していたが、非・常人の彼が生き延びるために必死の思いであることが伝わってくる。自暴自棄にならないとよいが?

司馬遼太郎著  常人の国(風塵抄) 中央公論社 1991年11月刊

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2006-10-14 21:12:56

「新書ラッシュ」に思う

テーマ:時評

世は将に新書ラッシュである。昨日、朝日新聞社が「朝日新書」12冊を出版した。その12冊の題名を見て驚いた。その一部を紹介すると、


「御手洗冨士夫『強いニッポン』」(構成・街風隆雄)
「使える読書」(齋藤孝著) 
「サラリーマンは2度破産する」(藤川太著)
「新書365冊」(宮崎哲弥著)
「日中2000年の不理解」(王敏著)
「妻が得する熟年離婚」(荘司雅彦著)
「情報のさばき方――新聞記者の実戦ヒント」(外岡秀俊著)
「天皇家の宿題」(岩井克己著)
「安倍政権の日本」(星浩著)

余りにもジャーナリステックで、時流に即した内容といえる。長い間「岩波新書」を愛読してきたものにとっては「進歩主義」を任じてきた朝日の腰の軽さにおどろざるを得ない。

岩波新書は1938年出版されたが、日中戦争が拡大し言論思想が厳しい中で出版を通じて学術と社会に貢献することを願い、この時流に抗して「岩波新書」を創刊したといわれる。1949年「岩波新書」は「再出発に際して」として、世界の民主的文化の伝統を継承し、科学的にして批判的な精神を鍛え上げること」、1970年には「戦後の歴史が大きく転換している現実に直面し知性をもってこの時代閉塞を切り拓こうとしている人々にその要請にこたえる精神の糧を提供する」、さらに1889年には創刊50年の新版の発刊に際して、buわが国が独善偏狭に傾く惧れがあることを憂い、「豊かにして勁い人間性に基づく文化の創出」を強調している。

この岩波主張には青臭く愚直であると批判する向きもあろうが、政治、経済、社会、歴史、文化、科学の分野にわたり「現代人の現代的教養」として私の書架に数百冊の本が色あせながら横たわっている。今でも参考になる内容も多く古典的に要素も備えている。

しかるに最近の新書ブームはどうだ。「バカの壁」、「さおだけ屋だけがなぜつぶれないのか?」などミリオンセラーを狙った本が主流である。この本が悪いのではなく、すぐ役に立つ効率優先、売れっ子の執筆者を追いまわす編集者の責任が大きく、売らんがため姿勢が目に付く。今回の「朝日新書」の題名をみて「朝日よお前もか」という感じである。


私は何も「岩波新書」が全てよいとは思わないが、長い歴史を経てきただけに、何か一本筋が通っているような気がする。鹿野政直氏が「書いた「岩波新書の歴史」を読むといっそうその感を強くする。

鹿野政直著  岩波新書の歴史  岩波新書 2005年6月刊
 

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2006-09-30 16:46:05

カタカナ語の多い新首相の「所信表明演説」

テーマ:時評

安倍新首相の「所信表明演説」を昨日TVで視聴しているうち、不謹慎にも居眠りをしてしまった。内容がつまらないからでなく、メリハリのない、やや早口の話し振りのせいかもしれない。今日改めて新聞で全文を読んでみてカタカナの言葉の多いのに驚いた。揚げ足をとるつもりはないが、その一部をあげてみる。

・活力に満ちたオープンな経済社会の構築
・アジアゲートウェイ構想
・イノベーション25
・新健康フロンティア構想
・ライブトーク官邸
・「カントリー・アイデンティティ」の発信

外来語が日本語として日常化してきているのは承知しているが、日本の今後の方向を決める政策の中に横文字カタカナが多いのに注目したい。確かに文章の前後を読むとその説明がついている。例えば「イノベーション25」は「成長に貢献するイノベーションの創造に向け、医薬、工学、情報技術の分野ごとの、2005年までを視野に入れた長期の戦略指針」だそうである。これだけではその内容はよく理解できない。

聞きなれない言葉は「カントリー・アイデンティティ」である。「セルフ・アイデンティティ」self identity(自己同一性)はよく聞くが、「country identity」はこれから類推して国家同一性と言うべきものだろうか?所信表明では「わが国の理念、目指すべき方向、日本らしさ」と説明している。新首相の周りにはブレーンとして某京大教授がついているからその入り知恵かもしれないが、この内容も具体的には分からない。東北の片隅にいる田舎親爺にとってはこのような耳障りのよいカタカナ言葉には戸惑うばかりである。

作家井上ひさしはその著書「私家版 日本語文法」の中に横文字カタカナについて述べている。それによると、NHK総合文化研究所が1973年全国規模の外来語調査の中で「横文字カタカナ」についての自由記述欄に次の内容が載っていることが紹介されている。「日本語が日本語でなくなりつつある」「日本語の美しさがこわされる」「日本語の語彙体系がめちゃくちゃになるだろう」「和製英語や略語は葯にたたたぬ」「耳できいてわからない。そんあものが日本語だろうか」約30年前の日本人の反応である。最近ではIT(ああ!これも横文字)発達で日本人は日本語に無神経になったのだろうか。新首相の唱道する「美しい国、日本」には「美しい日本語」が必要だと思うのだが。

井上ひさし著    私家版  日本語文法  新潮文庫  1984年9月刊

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2006-09-07 17:44:08

カニとエビ

テーマ:時評
北方領土・貝殻島付近で8月16日朝、根室のカニかご漁船第31吉進丸がロシア国境警備庁に銃撃・拿捕され、1人が死亡、2人の乗組員が帰還(30日)したが、船長は依然として拘束されたままである。今日のニュースによると船長に対する予備審問が9月11日に国後島古釜布の地区裁判所で開かれることが決まったそうだ。

この付近で獲れるタラバガニは1.5キロで1万円以上もするというからかなりの高級品である。元々は日本の領土であるから密漁拿捕はおかしいが、外交交渉は領土返還にいたっていないからどうしようもない。

日本のカニ輸入高は9万9千トン(2005年)で水産物の種類では12位にあたるが、その80%は輸入である。輸入国はロシア、カナダ、米国、中国である。ちなみに水産物輸入の第1位は圧倒的にエビで23万3千トン、その90%が輸入でブラックタイガー、ホワイト、むきえび等はインドネシア、ベトナム、インド、中国、タイ、フィリピン、ミャンマー、など東南アジアが輸入先である。、伊勢海老は日本の特産物だと思っていたが、オーストラリア、インドに頼っている。なぜこうも日本人はカニやエビが好きなのであろうか。

やや少し前であるが村井吉敬現上智大教授が「エビと日本人」(1988年 岩波新書)を著し話題をよんだことがある。それによると日本人は世界で取引されるエビの4割を消費(世界一)、1人当りにすると1年間に約3キロ、かなり大型サイズのエビで換算して、だいたい100尾を食べている勘定になるという。

もともと日本人がエビが好きなのでなく、日本の貿易収支の関係で、貿易黒字を解消するための輸入商品として、割と高価なエビをたくさん買い入れるようになり、私たちの食卓に上る機会が増えたのだそうだ。まったく国益の結果であり日本のグルメ志向に拍車をかけたというわけである。現在でもわれわれの食卓にはエビフライ、天丼、寿司、などエビを材料とした食品があふれている。

村井さんはこの本で特にインドネシアの現状にふれ、天然エビの漁獲の他に、養殖のものが増えているという。その結果川岸に繁茂しているマングローブ林の破壊、地下水の枯渇など深刻な環境破壊が起こり、現在も進行中という。エビ、カニというわれわれの飽食ともいうべき食生活の陰に、密漁(?)しなければならない日本漁民の生活問題や東南アジアの環境問題が横たわっているのである。

村井吉敬著  エビと日本人  岩波新書  1988年4月刊
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2006-08-20 13:27:55

ロシアの漁船襲撃・拿捕事件

テーマ:時評

北海道根室沖の北方領土・貝殻島付近で16日、日本のカニかご漁船「第31吉進丸がロシアの国境警備艇から銃撃を受け、拿捕された。乗組員の盛田光広さんが銃弾を受け、死亡した。その盛田さんのご遺体が昨日19日根室港に帰ってきた。

日本は千島列島の中の国後島・択捉島、色丹島、歯舞諸島は日本固有領土のと主張しているわけであるが、ロシアとの交渉はいまだ解決しない。この経緯については外務省のHP北方領土問題 に詳しい。

今回の事件は歯舞諸島の水晶島付近で操業中の蟹かご漁船がロシア国境警備局の警備艇により追跡され、貝殻島付近で銃撃・拿捕されたものである。元来この付近の海域での無許可操業は農水省や北海道当局も禁止しており、またカニ漁に関しては日本側には認められていなかったが、生活に追われた漁民の密猟が絶えない海域であったようだ。

それにしても、ロシア側の過剰な銃撃・拿捕には怒りを覚えるが、日本政府の普段の外交を怠ったツケが今回ってきた感じがする。政府はロシア当局に対し、北方領土は日本固有の領土であるとの前提に立って「日本領海内で起こった銃撃・拿捕事件であり、到底容認できない」と抗議しているが遅きに失した発言である。

この千島列島をめぐる日本ロシアの関係の歴史は古い。ロシア船ディアナ号は1811年国後南端の港に立ち寄り、船長ゴローニンが幕府に身柄を拘束される事件がおきている。それ以前にロシア船が日本船を襲ったりして警戒していた矢先ある。ゴローニンは2年間日本に幽囚されることになる。この2年間の生活を記録したのが「日本幽囚記」で、当時の貴重な北方史料になっている。

さてこのゴローニンを救出すべく同じデアナ号でやってきたのが、リコルド船長で水晶島から国後島へ航海中の高田屋嘉兵衛の観世丸を拿捕、彼を拉致する。このことについては司馬遼太郎の「菜の花の沖」に詳しい。結局リコルドは嘉兵衛の人柄を信じ、幕府との交渉に当たらせ、ゴローニンは無事帰国する。司馬は嘉兵衛の見事な民間外交を賞賛している。今回の事件で感じることは相手に抗議をすることも必要であるが、普段のお互いを信頼を獲得する国家間の信頼関係の構築である。最近の日本には相手を攻撃するだけの狭いナショナリズムが横行している感じがする。

ゴロヴィン著 井上満訳 日本幽囚記(上下)岩波文庫 1986年6月刊
司馬遼太郎著 菜の花の沖 (5巻、6巻) 新潮文庫  2000年9月刊

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2006-07-30 21:46:09

解せない田原総一朗の発言

テーマ:時評

週刊朝日に連載中の田原総一朗の「ギロン堂」(8月4日号)で「マスメデアは感情に訴えるだけでいいか」のテーマで、最近のマスメデアは「首相や閣僚について真っ向からその政策を取り上げて批判していては視聴率はとれない。結局揶揄してからかって感情的に非難しないと視聴者は乗ってこない」というある報道番組のプロデューサーの話を紹介して最近感情的に批判する番組が増えている(新聞も含めて)ことを指摘している。

そして少なからぬ国民は政権政党、権力者に不満を覚えている。「感情的な批判」は国民の不満のガス抜きにはなるだろう。だがそればかりやっていては国民が構造的、政策的な問題を考える機会を奪ってしまうことになる。言ってみれば国民を政治の現実から遠ざける役割を演じてしまうことになると」と、もっともらしい警告をしている。

「郵政民営化」の衆議員総選挙では、マスメデアは「感情的な訴え」で小泉劇場を演出し、そのお先棒をかついだ一人が田原氏ではなかったか?その彼が小泉首相への「感情的批判」はお気に召さないらしい。特にこのコラムでは小泉首相の訪米を例に出して、「日本の首相の訪米をアメリカメデアが好意的で歓迎したのに日本の少なからぬマスメデアは小泉首相のパフォーマンス(エルビス・プレスリー邸でのプレスリーの物まねなど)をまるで日本の恥であるかのように報じ、アメリカとまったく逆の情報を日本の国民に与えてしまった」とえらくご立腹の様子。

はたしてアメリカは小泉首相を本当に歓迎したのか。アメリカの情報提供で定評のあるブログ「暗いニュースリンク」 7月3日号に「恥を忘れた日本人:小泉首相の遠足外交に全米が仰天」 という記事をを載せている。(参照)



それによるとTIMSONLINの英タイムズ紙記者、リチャード・ロイド・パリー氏が「今後、数百万人のアメリカ人が小泉純一郎に対して抱く唯一の記憶は、エルビスを歌う不気味な日本人ということになるだろう」と、またニューヨークタイムズ紙の人気女性コラムニスト、モウリーン・ダウド氏が「東京から来た興奮しすぎの客人をブッシュ大統領が制止しようとする一幕もあったが、小泉は止まらなかった。」さらにワシントンポスト紙のピーター・ベイカー記者は「日本の首相である小泉純一郎を、今ではメンフィスの国家最重要観光地である場所に友人として連れて行くのは一興であった。しかし金曜日に、ウェーブのかかった髪を持つ日本の指導者がエルビスの歌を囁き始めると、大統領は一歩引いた」ことを紹介している。

田原氏の話と大分違うアメリカメデアの反響である。なぜ、「感情的批判」の例としてわざわざ小泉訪米を持ち出したのか?小泉首相擁護のためと勘ぐりたい内容である。「感情的な批判」を批判するのならば、その前提として真実の報道をすべきではないか。

原寿雄氏はその著書で、「新聞も放送も「権力の番犬」としての役割を果たそうとすれば常に権力者にとってうるさい存在でなければならない。非統治者=人民の立場に立って権力を監視するのがジャーナリズムの基本的役割なのに、しばしば吠える事も噛み付くことも忘れた番犬になってしまったり、いつもいねむりばかりして監視の役に立たない番犬もいる。時には「権力の応援団」になる番犬もいる。田原氏は誰に向かって吠え付き、噛み付いているのだろうか?

原寿雄著 ジャーナリズムの思想 岩波新書  1997年4月刊

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2006-07-14 20:19:07

赤ひげ的医者はもういないのか?

テーマ:時評

昨年8月移転新築したばかりの地元の公立病院が危機に瀕している。循環器科で昨春まで8人いた常勤医が辞めて1人だけになったのだ。辞めた7人のうち、4人は東北大学医学部付属病院から派遣されていたが、一昨年スタートした臨床研修の必修化に伴い医局の医師不足が深刻化し引き上げ、3人は開業である。現在入院患者の受け入れを休止中である。

現在は常勤医1人のほか、近隣病院や秋大医学部付属病院、開業医の応援を得て、外来診療に当たっているほか、循環器系の救急患者については、消防と連携し近隣病院などに搬送している状態である。

医師不足による地域医療の危機は日本の各地で起きている。医師の都市集中のためである。かって新人医師には、医師免許取得後10年以内に1年以上の「地域医療研修」を義務化してはどうかとの声もあったが立ち消えになったらしい。

ふと、山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を思い出した。この小説は幕府の御番医という栄達の道を歩むべく長崎遊学から戻った保本登は、小石川養生所の“赤ひげ”とよばれる医長新出去定に呼び出され、医員見習い勤務を命ぜられる。貧しく蒙昧な最下層の男女の中に埋もれる現実への幻滅から、登は尽く赤ひげに反抗するが、その一見乱暴な言動の底に脈打つ強靭な精神に次第に惹かれてゆく。傷ついた若き医生と師との魂のふれあいを描いた作品である。

赤ひげの言葉として「医が仁術だなどというのは、金儲けめあての藪医者、門戸を飾って薬札稼ぎを専門にする、似而非医者どものたわ言だ、かれらが不当に儲けることを隠蔽するために使うたわ言だ。仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしない似而非医者が大部分なんだ。」

私は地方を見捨てる医者が全てこのようだと思いたくない。しかし、医者としての人間の命を守るという使命感を忘れてほしくない。東北大は自分の医局の危機で派遣医を引き上げたことも、いわばお家大事のためである。せめて使命感を考えれば半分は残せたはずである。「赤ひげ的医者」は最早望むべきもないが、命を守る医師としての自覚に待つのは不可能なことだろうか。今日も近くに救急車の音がした。搬送される病院は?と人ごとながら心配になった。

山本周五郎著   赤ひげ診療譚改版 新潮文庫   2002年8月 刊

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2006-06-04 20:43:50

絵画盗作事件とベンヤミン

テーマ:時評

春の芸術選奨で文科大臣賞を受けた洋画家の和田義彦氏が、知人のイタリア人画家アルベルト・スギ氏(77)の作品と構図などが酷似して作品を多数出展し問題になっている。和田氏は「似た作品」と認めながら「同じモチーフで制作したもので、盗作ではない」と主張している。

同じ場所や人物を描いたのなら類似作品が出る場合があると思うが、それにしてもスギ氏は「和田氏のカタログ2冊を見ただけでも、少なくとも30点は盗作に当たる」と多くの作品に類似が見られるようである。

これについて今日の「日経」のコラム「春秋」はドイツの思想家のベンヤミン(1892~ 1940年)の、「芸術作品はそれが存在する場所に1回限り存在する」の言葉を引いて、「ベンヤミンは複製技術で作品からアウラ(霊気)が失われる芸術の運命を予測したが、こんな「複製」がまかり通るのを見通せたかどうか」と述べている。

これはベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」という著書の中でのべたものである。写真の出現によって、複製技術が発達すると芸術作品の真正性が問われるという。つまり「ある事物の真正性は、その事物において根源から伝えられるもの総体であってそれが物質的に存続していること、それが歴史の証人となっていることを含む。歴史の証人となっていることは、物質的に存続していることに依拠しているから、その根拠が奪われる複製にあっては歴史の証人となる能力もあやふやになる。・・こうして揺らぐものこそ、事物の権威、事物の伝えられる重みに他ならない」と述べている。

この著書を解説した多木浩二氏によるとこの「重み」を総括して「アラウ」であると述べている。だから「日経」のコラム氏が「アラウ」を「霊気」と訳しているが正確でない。作品の中の歴史的重みを含む総称で「複製技術時代に芸術作品において滅びゆくものは作品は「アラウ」である」と述べている。

今回の盗作は確かに色つかいなどに工夫が見られるというが、ベンヤミンの理論からすると模写にすぎない。そこには「根源から伝えられるもの総体」は感じられず、まして「歴史の証人にはなりえない」。作品は「共同制作」や「オマージュ」というが苦しい弁解に過ぎず。70年前ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」で説明した「アラウ」はどこにもない。

多木浩二著  ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読  岩波書店 (2000-06-16出版)

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2006-05-17 15:09:12

教育基本法論議

テーマ:時評

教育基本法改正案の審議が昨日から衆院で始まり、政府による改正案の趣旨説明と質疑が行われたという記事が載っていた。今日の毎日新聞社説は「教育基本法改正 必要性と緊急性が伝わらない」という論旨でこの改正について述べている。

東北の片隅に住む私にとっても全くその通りで、もっと緊急な生活問題があるのにと考えてしまう。「情報化、国際化、少子高齢化など教育をめぐる状況の変化やさまざまな課題が生じ、道徳心や自立心、公共の精神、国際社会の平和への寄与などが求められている。新しい時代の教育理念を明確にして国民の共通理解を図り、未来を切り開く教育の実現を目指す」が政府の提案理由らしいが、何も基本法をいじらなくても、それに対応した法令で十分な内容が多い。

その陰には何かあるのではないか。まして時の外務大臣が昨日「教育勅語など日本は昔から公徳心も涵養してきた、勤勉、向学心、向上心に加えてモラルがあったから、この国は治安もいい」と教育勅語の道徳的側面を評価する講演をぶちあげたというから、疑心暗鬼の念が消えない。

またこの改正には「愛国心」の問題が絡んでいる。今日の毎日新聞のコラム「余禄」では、この愛国心にふれ「愛国心といえば「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という教育勅語の一節を思い出す年配の方もいよう」と述べているが、私にような老年にはついこのことを思ってしまう。

然し、「愛国心」の問題は今に始まったことではない。法学者渡辺洋三氏が20数年前に書いた著書の中に、昭和56年(1981年)版「防衛白書」の中で愛国心の重要性を訴え、さらに当時の文部省においても「国を守る気概」の教育の見直し、財界においても「愛国心」の提言などあったことが紹介されている。

我々にとって緊急性、必要性を感じないでいたこの改正が用意周到の長い時間をかけた内容も含んでいることに気付くのである。渡辺氏は「広範な国民の心をとらえるためには、戦前型の忠君愛国だけではだめてあるということから、最近では「守るべきものは何か」に焦点をあてて、日本文化の伝統、自由と民主主義、経済的繁栄、活力ある福祉、美しい郷土等色々並べ立て、要するに「日本は優れた国である」という新旧のナショナリズム賛歌と平行しながら、愛国心をもりあげようとしている」と述べている。20数年前の指摘が今でも生きている感じがしてならない。

渡辺洋三著 現代日本社会と民主主義  岩波新書   1982年4月刊

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2006-03-16 18:11:40

「他人の手紙を暴く」こと

テーマ:時評

昨日の毎日新聞のスクープとして、占領時代に連合国軍総司令部(GHQ)が行った検閲を巡り、検閲官として日本人の雇用を示す資料を毎日新聞が入手し、元検閲官2人が郵便検閲の実態を証言したことを報じている。

郵便検閲は無作為抽出した郵便物を対象に、GHQ批判などが書かれた手紙を英訳した。GHQ側は、日本人検閲官に「日本人の生活や考えを知るため」と目的を説明し、業務を口外しないよう指示していた。GHQの民間検閲部門は、占領下の情報統制のため新聞や雑誌のメディア検閲の一方、大規模な郵便検閲も実施。東京、大阪、福岡の検閲所などで4000人が従事、大半は日本人とされる。証言した2人によると、東京での郵便検閲は、個人信書を無作為抽出した手紙を検閲し、開封した手紙は検閲のテープを貼り郵便局に戻したとのことである。

「検閲」について追求してきた竹前栄治氏の著書「GHQ」岩波新書によると、GHQの参謀第二部の下に民間諜報局があり、さらにその下の民間検閲支隊が中心となって日本人の思想、世論の動向を徹底調査し、的確な情報収集に成功したという。1947年6月統計では郵便物14600、国内電報221万、電話傍受24000が検閲されたという。検閲の際のガイドラインは占領軍ないし連合国批判、極左、極右的宣伝に該当するという一般的基準のほかに、復員、物価や食料難、公職追放、労働組合、企業の経営状態まで及んでいるがその検閲の内部まではわからず、今回の証言資料は初めてものだという。

生活のためにやむをえずこの仕事に従事した日本人が多く、今回証言したある女性は「検閲で日本人の生活が分かりよりよい占領政策がとれる。裏切りと思われるから仕事のことを外にいうな」と言われたが「「食べるのに必死な人々の叫びや、子どもを抱え高物価を嘆く主婦の声が忘れられない」と話している。またもう一人の男性は「手紙で国民の生々しい現実に触れたが、何故人様のものをと強い抵抗がありよく泣いた」という。

確かに日本の正確な状態を知り戦後の民主化に役立てようというGHQの占領政策にはプラスの面もあるが、日本人のプライバシーが侵害された例が少なくなく、これをどのように評価してよいものか複雑な気持ちである。それにこれに従事した日本人が「他人の手紙を暴いた心の痛み」を背負っている事にやりきれないものを感じる。改めて戦争とその後の波紋の広がりについて考えてしまった。

竹前栄治著  G H Q  岩波新書   1983年6月刊(絶版)

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