2006-11-05 18:27:00

作家・小島信夫氏逝く

テーマ:書評

体調不良でしばらくご無沙汰してしまった。その間、作家小島信夫氏が10月26日ご逝去された。彼の遺作となってしまった「残光」を読んで数ヶ月経つが、その内容の複雑さを頭で整理できず、感想を書けないままにいたが、その前に91歳の老作家、小島さんは逝ってしまった。この作品は介護施設に入っている妻への思いと自らの身辺雑記から,作家保坂保志との対話、そして過去の作品「菅野満子の手紙」「寓話」「静謐な日々」などの解釈、思い出と自由奔放に飛び、小島文学を全体を描いているとは思いながらも頭が混乱するばかりであった。

彼の代表作、「抱擁家族」は大学教師,俊介の妻時子とアメリカ兵の姦通を通して、夫婦、家庭の崩壊を描き衝撃を与えた。それは従来の日本の男女の倫理がアメリカ文明のもとに否定された日本の戦後の精神状況を捉えたものではなかったかと記憶している。しかし,小島さんはこの「残光」の中で、「満子の手紙」を通して「俊介でもあなたっだていいけど、あの事件が起こったあとーわたしはあんなもの事件とは思っていなけどー 時子があなた、こんなことにうろえてダメよ、といったのはあなたの創造した満子なのだから、それを再現したのだから、というわけよ。あの満子以外のことは時子はどうでもいいことだだったのよ」と編集者に述べたくだりが紹介されている。残念ながら「菅野満子の手紙」は読んでいないが、小島文学を知る上で是非読んでおきたい本である

このようにこの「残光」は小島文学を知る上に参考になるが、私には認知症で殆ど記憶を失っている妻との心のふれあいが胸に響く。この作品の最後の部分である。『十月に訪ねたときは横臥していた。眠っていて、目をさまさなかった。くりかえし、「ノブオさんだよ、ノブオさんがやってきたんだよ。アナタのアイコだね。アイコさん、ノブオさんが来たんだよ。コジマ・ノブオさんですよ」と何度もはなしかけていると、眼を開いて、穏やかに微笑を浮かべて、「お久しぶり」といった。眼をあけていなかった。』

その小島さんが病棟に臥せる愛する妻を残して最後の光を放ち逝ってしまった。彼の残した作品の多くは、評論家たちはは戦後文学史上「第三の新人」として遠藤周作、吉行淳之介などとともに高く評価されているが、私にはこの「残光」での最後の妻への叫びが心に残ってしまうのである。老境に近づいている自分のことを考えるとなおさらのことである。

小島信夫著   残光  新潮社2006年5月刊

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2006-10-11 18:09:14

「憲法第9条を世界遺産に」を読む

テーマ:書評

題名が突飛であるが、人類学者中沢新一氏と「爆笑問題」太田光氏の真面目な対談である。内容は大きく標記の題と「宮沢賢治と憲法問題」である。この二つについて感想を述べてみたい。

中沢さんは最近、「対称性人類学」「芸術人類学」を著しているが、彼の著書には宗教性がつきまとう。特に人間と動物は長い間の敵対関係の歴史があったが,動物も別の姿をした一人の人間と考えることによってこの他者を同胞として受け入れてきた神話が生まれたというのである。つまり対立があると生命体は同一性を保つために免疫機構を備え、自分の内部に外から異質な力を排除してきたが、神話はこのような免疫解除原理のとに、免疫否定の考えを保ってきたというのである。そのような視点から「憲法第9条」は免疫性をを備えない近代思考に先立つ神話的思考に表明された「深エコロジー的思想」と同じ構造であるとの主張である。

戦争と平和の視点からしか考えない我々の考えからすると新鮮な発想である。太田さんがたまたまTVで「憲法第9条を世界遺産に」といった言葉を捉え二人の対談になったようだ。二人は日本国憲法を巷にいう「占領軍の圧力による憲法」と捉えず、「日米合作の憲法」であり、そこにはアメリカの建国精神が含まれているという発想も面白い。理想主義的なドンキホーテ的現憲法と集団的自衛権がなければ日本は防ぎようがないというサンチョ=パンサ的現実政治の二人が二人三却の中で日本国家は生きてこられた。だからこの憲法は近代国家の珍品として世界遺産であるという考え方を批判することは容易い。しかし理念としての憲法を考える上で胸に響くものがある。

宮沢賢治と日本国憲法に若干触れておきたい。賢治はある時期、法華経の関心を示し上京し田中智学の「国柱会」に入信している。田中の考えは国家主義に発展し、唱えた「八紘一宇」が軍部や右翼に利用された歴史がある。賢治研究者には確かにこの田中との関係に触れない人が多いが、これに着目した中沢さんはさすがといえる。賢治は半年で帰郷しその後「童話」つくりに没頭する。愛に満ちた賢治の童話の世界しか知らない我々には、彼の宗教的情熱に国家主義の影があったこと。賢治はそれを察知にしていたのか、知らずいたのか興味あるところである。

最後に中沢さんの学際的な博覧強記は知っていたが、太田さんの豊富な読書体験と鋭い感性に感心した。只者ではない。

大田光・中沢新一著   憲法第9条を世界遺産に  集英社新書  2006年8月刊

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2006-09-15 18:44:30

「季語集」を読む

テーマ:書評
俳句の鑑賞が好きであるが、自分では作ることができない。一番の障碍は「季語」があるということである。初心者にとっていちいち「季語集」をめくりながらの発句はどうも性にあわない。

今回俳人坪内稔典氏の「季語集」(岩波新書)を読む機会を得た。これは単なる季語集でなく、季語にまつわるエッセーを載せながら俳句の世界に誘うものである。坪内さんは「子供や青年は季節感を意識しないでほどに自然的であるほうがよい。自然のエネルギーに満ち満ちしていればよい、やがてそのエネルギーだけでは生きづらいくなったとき、季節に頼り、そして俳句を作ろうか、思ったりもする。」と誠に柔軟な考え方をしている。

だからこれも季語?と思うものもあり楽しく読める。例えば「あんパン」でこれは春の季語だそうである。1879年(明治8)4月木村屋(東京)が桜あんパン販売して以来のことだそうだ。意外と季語の誕生は単純である。また「原爆忌」なども国語辞典にはまだ載っていないが、俳句の世界だけに通用しており、毎年多くの俳人が原爆紀の俳句を作っているという。
原爆許すまじと蟹かつかつと瓦礫あゆむ  金子兜太(「少年」1955)

また坪内さんは彼が作った「睡蓮にちょっと寄りましょキスしましょ」という俳句が非難や抗議の渦に巻き込まれた話に考えさせられた。彼は「睡蓮を通して心身のこわばりをほぐさないかぎり、生きることの切実さに深く触れることができない」と考えての作品だったようであるが、「花鳥諷詠」を重んずる俳句の世界では容認されず未だこの「睡蓮事件」は尾をひいているという。伝統的な日本の俳句世界が生きているようだ。

この本では季語のエッセーの後の俳句を2句ほど紹介している。その中で自分の感性にふれたものを紹介してみたい。

春愁やインキの壷に蓋忘れ       森田 峠
客観の蛙飛んで主観の蛙鳴く      正岡子規
素潜りに似て青梅雨の森をゆく     松永典子
草刈の匂いをつけて握手かな      小川千子
便所より青空見えて啄木忌       寺山修司
愛されずして沖遠く泳ぐなり       藤田湘子
がんばるわなんて言うなよ草の花    坪内稔典
山々に囲まれて山眠りをり        茨木和生
もう戻れないマフラーをきつく巻く    黛まどか
枯草の大孤独居士ここに居る      永田耕衣

坪内稔典 季語集  岩波新書  2006年4 月刊
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2006-09-02 19:35:35

「殿様の通信簿」を読む

テーマ:書評
事実は小説より奇なりというが、歴史学者である著者が史実に基づいて江戸時代の大名の評価について書かれたもので誠に興味深い内容になっている。実は元禄時代に書かれた「土芥寇讎記(どかいこうしゅうき))という本があり、公儀隠密が探索してきた諸大名の内情を幕府の高官がまとめたもので、著者に言わせるとこれが「殿様の通信簿」にあたるという。

この本では徳川光圀(水戸藩)、浅野内匠守と大石蔵之助(赤穂藩)、池田綱政(岡山藩)、前田利家、前田利常(加賀藩)内藤家長(延岡藩)本多作左衛門(家康家臣)が書かれている。

光圀はこの通信簿では評判がよいが、「ひそかに悪所に通い、酒宴遊興甚だし」と書かれている。これについて著者は女好きは間違いないが所謂遊郭に出入りして学芸の交流を図ったのではないか。つまり光圀とっては文化サロンであったわけである。学問があるが柔軟な思想の持ち主で、「光圀漫遊」もこのようような色街に出没する噂からでたものではないかという。光圀が「女好き」は例外でなくは他の殿様、浅野内匠守や池田綱政にもあてはまるようだ。浅野は「長矩女色を好むこと切なり」、綱政は「曹源公(綱政)の子七十人おわせし」と書かれている。特に綱政は「不学、文盲で女色に耽っている」の通信簿である。なぜこうも大名に好色漢が多いのか?世継のために側室がいたのは常識であるが、元禄以来の「平和ぼけ」と豊かな生活とも関係ありそうである。

これに対して加賀藩の利家、利常の行動について著者はかなりの紙数を割いている。つまり外様の加賀百万石はなぜ潰されなかったか?徳川対加賀の確執と権謀術数の内容は興味深い。利家は秀吉に仕え、息子の利長にも秀吉の子、秀頼を守れと厳命してしている。そのままでは前田家が取り潰しにあってしまう。ところがタイミングよく利長が死んでしまう。(自殺説あり)跡を継いだ利常(側室の子)は家康の大阪の陣で活躍し加賀は生き延びるという段取りである。利常は徳川に侮られないようにできるだけ改易にふれない程度に抵抗を試み、藩営を維持している。

しかし元禄以降の大名は一般的には生活が豊かになり贅沢が可能になり、いろんな文化が発達に貢献するが、安定性を求め官僚に政治をまかせてしまう。土芥寇讎記はその事情をよく記録している。幕末の激動に成すすべのなく右往左往する殿様たちが数多くいたことがそれまでの彼ら生活を通じてよくわかる。

磯田道史  殿様の通信簿   朝日新聞社  2006年6月刊
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2006-07-21 19:33:00

「医療崩壊」を読む

テーマ:書評

先日ブログに「赤いひげ的医者はもういないのか」という書き込みに対して勤務医の方から医療の現状はそう単純ではないとのご指摘を頂き、勤務医の現状を知るために「医療崩壊」という本の推薦を頂いた。早速その本を読み、自分が現代医療の状況にいかに無知であったか思い知らされた。

著者の小松氏は大病院の泌尿器科部長である。まず日本の医療機関は「医療費抑制」と「安全要求」の相矛盾する強い圧力にさらされていることを指摘し、医療が崩壊の危機に瀕している現状を述べている。

特に、患者は医学万能を信じその回復を期待し、一方医師は医療の限界、危険性を知っておりそこの医師と患者の考え方に齟齬が生じる事を指摘している。そこで著者は医師の医療ミスに対する患者の訴え、さらには刑事・民事訴訟、ジャーナリズムの医師批判と針の筵に座らされている現状を具体的事例(事件)を通して述べている。

現在「週刊朝日」で久間十義の「生命徴候(バイタルサイン)あり」の連載中である。今週号に、心臓手術に失敗した患者を心カテーテルで緊急治療したが、容態が悪化し、遂に死亡する場面がでてくる。患者の家族の一人が「遅かれ早かれ早晩心臓がダメになるはずである。その早晩の1,2年をこの病院の先生がたがよってたかってウチの父からとりあげたじゃないですか」という医師に対する家族の身勝手な訴えに対して夜を徹して真剣に説明する医師の態度には頭が下がった。著者によると、最近患者の自己本位の訴えが増えていることを具体的な事例は通して説明している。



最近では医療現場に警察が立ち入り、善意の医療が結果次第で犯罪になり、また患者の権利意識は社会の後押しのために肥大化し多くの医師は口ごもることが多くなっているという。これは著者の医師としての自己弁護ではなく真剣な訴えになっている。というのは勤務医が厳しい勤務条件のなかで我慢して患者のために頑張ることを放棄しはじめている現状があるからだという。私が地元の公立医院の循環器科の医師が辞めていくことに怒ったが、その背景は単純でなかったことに気付いた。

現在、日本全国で勤務医が楽で安全で収入の多い開業医にシフトし始め、病院で医師が不足しており、小児救急の崩壊、産科診療の崩壊も進行しているという。著者はこの現象を「立ち去り型サボタージュ」と名づけ、この本のサブテーマにもなっている。かって中世・近世に農民が土地を捨てる「逃散」があったが、この医師のサボタージュはそこまでいかなくても社会からの攻撃に対する医師の消極的対抗手段ともいえなくないという。しかし私には対抗というより逃亡としか写らない医師もいるように思われる。

最後に著者は日本の医療の崩壊を防ぐためには医療事故・紛争に関して現状改革、医療への過剰な攻撃を抑制をあげ、さざまな提言をしている。これは日夜勤務医として頑張っている著者はじめ多くの医師の要求でもあることは理解できる。この本は医師の置かれている現状(特に勤務医の苦悩)を知る上に格好の著書であり多くのことを学ぶことができた。

しかし、私には当面する地方の医師不足をどするかという問題意識があり、この本は直接には答えていないが、大学医学部・医局の医師派遣問題、厚生労働省の医療行政に触れておりそこから問題解決の糸口をつかむことができる。特に辺地医療をどうするのか、一人暮らしの年寄りなど老人医療をどうするのか。患者の権利肥大はわかるにしても、弱者の医療問題についても著者の考えを聞きたいものである。

小松秀樹著  医療崩壊「立ち去り型サボタージュ」とは何か  朝日新聞社 2006年5月30日刊

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2006-07-17 18:49:08

「松本清張と昭和史」(書評)

テーマ:書評

松本清張の著書、「昭和史発掘」と「日本の黒い霧」を通して彼の昭和史観を分析した本である。「昭和史発掘」は、昭和前期に起きた20の事件を通して昭和の時代に迫っている。著者の保坂さんはその視点としてまず清張の恵まれなかった不遇な経歴から、「底辺の視線」からものを見ていることに注目している。清張はこれらの事件を収集した多くの資料に基づいて、歴史の中で生き抜いた人間、軍部が巨大な権力をを獲得し日本が誤った方向に進めていく方向を描き出したとしている。

特に興味を引くのは、アカデミズムからするとこのような在野の研究を基本的に認めない方向であったといわれる。つまり実証主義的検証をしているが、アカデミズムが持っている演繹的な史観から距離を置いていたからと保阪さんはいう。また清張は既成左翼の文化をになうという意識をもっていなかったからこちらからも警戒の目をもたれたようだ。私は戦後のアカデミズムや既成左翼の驕りと教条主義を感じてならない。しかし、証言、収集資料に迫真性や衝撃性や多くの読者を惹き付けたようだ。

特にこのの中で「2.26事件」に力を入れている。清張は現在の日本の保守政治が旧体制に回帰する懸念から、2・26事件の青年将校の歪んだ愛国主義、統制派の歪んだ高度国防国家構想を見抜き、これを実証することによって歴史の教訓にせよとの訴えであったという保阪さんの見方は納得できる。

後半は「日本の黒い霧」についての分析である。戦後占領期において下山・松川事件など奇怪な事件がおきているが、ここでは清張は「謀略」の視点からこれらの事件に迫っているのが特色である。しかし保阪さんは清張の謀略史観は説得に値する資料、論理があり他のものと一線を画していると見る。しかし彼の文学に親しんでいない人間からすると「日本の黒い霧」は余りにも都合のよい史実で繋ぎ合わせているという批判を保坂さんは否定しない。いずれにしても占領期に起きた事件は未だ謎の部分が多い。清張はそれに敢えて挑み占領期の魑魅魍魎を我々に提示したのは彼の功績である。

この本は昭和史の視点からの松本清張分析であるが、何故彼が敢えて昭和史の断片追求に挑んだのか?保坂さんは「彼が日本人の性格は過去を忘れ急角度にその性格が変わっていく面がある」という危機感があったからという指摘は重い。日本の現状を見るとき思い当たるフシが多い。過去の問い直し検証が今こそ必要である。

保阪正康著  松本清張と昭和史  平凡社新書  2006年5月刊

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2006-06-09 22:13:39

白洲次郎の直言

テーマ:書評

珍しくわが田舎町の書店に今売れている本の中に白洲次郎の本が3冊並んでいた。白洲次郎の流儀 (白洲次郎・白洲正子・青柳恵介・牧山桂子他著 新潮社2004-09-25出版)、白洲次郎占領を背負った男( 北康利著 講談社 2005/08出版)、プリンシプルのない日本(白洲次郎著  新潮文庫 2006/06出版) である。

今何故「白洲次郎なのか」つい先日、「風の男 白洲次郎 新潮文庫」を読んだばかりであるが、確かに体制の中にいながら権力に靡かず自分流に生きた男して惹かれる面があるが、所詮は上流階級の貴族的人間という先入観はぬぐえなかたった。だが待てよ、こんなに自由に振舞える人間が現在の財界、政治の世界にいるのか?否である。彼の評伝を書いた青柳恵介氏は「風の男」、親友であっ作家今日出海氏は「育ちのよい野蛮人」と呼び、本人は「カントリージェントルマン(田舎紳士)」と自称した白洲次郎への郷愁が共感を呼ぶのも、現在、「魅力ある人間」の欠乏のせいであろうか。

一体、彼自身、戦後の日本をどう見ていたのだろうか?彼が諸雑誌に載せた雑感(政治、経済占領政策、日本人論)が平成13年出版され、今回新潮文庫から出たばかりの「プリンシプルのない日本」を(1951年(昭和26年)から5年間、文芸春秋に載せたものを)読んでみて特に感じた点を書いてみたい。

新憲法制定でGHQとかかわった白洲の新憲法の性格と改正問題は今日的問題としても参考になる。白洲は「現在の新憲法は占領中米国側から「下ろしおかれた」もので・・占領がすんで独立を回復した今日ほんとの国民の総意による新憲法ができるのが当然であると思う」という基本的考え方を述べている。しかしその憲法のプリンシプルは実に立派である。戦争放棄の条項はその圧巻であり、押し付けられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきであるとも述べ、その柔軟な考え方は昨今の憲法改正論者と違うことに気付かされる。



また安保条約を結んでいるアメリカへの姿勢も傾聴に値する。彼は戦後占領政策の非なる部分に断固反対した石橋湛山を賞賛し、政治家、役人の中に「骨のある奴がいない」「八方美人が多すぎる」と嘆いている。だから「アメリカがどんどん主張しこちらはおっかなびっくりで、何も云わないようなら、日を経るにしたがって残るのはただ誤解と悪感情だけだ。政府も殊更外務省や駐米の大使館はもっと勇敢に信念をもってアメリカに当たるべし」と述べている。これを書いたのが1956年、今から50年前である。日本の対米政策の現状を考えるときに白洲の警告は全然生かされていない。日米同盟は大切であるが、モノをいえない日本外交を墓下の白洲は苦笑しているに違いない。

白洲は妻の正子の関係で吉田茂と縁戚関係にあり、彼とウマがあい何でも云える間柄であったが、吉田茂の政治家としての功罪の最大の失敗は辞め時をあやまったことにあるという。サンフランシスコ平和条約の帰路「あなたの政治的役目はすんだから帰朝後辞める様に」と忠告したそうである。しかし池田勇人の慰留にあって辞めず最悪の事態を迎えたという。それでも「吉田老は枯れない滅私奉公の愛国者であったが、成果としての失敗は彼の年齢であり彼の育った時代の結果であり彼を責めるのは酷である」と吉田を敬愛していたことが分かる。

全体としてこの本は世の中全般にわたる文明批評でもあり、その内容は一方に偏せず公平に物をみて判断し直言する態度には感心する。彼を精神的貴族としか見なかった不明をわびたい。

白洲次郎著 プリンシプルのない日本  新潮文庫  2006/06出版)

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2006-05-25 21:29:10

書評「ケンカの方法」

テーマ:書評

名うての辛口評論家、辛淑玉氏と佐高信氏の対談と意見をまとめたものである。題して「ケンカの方法」ー批判しなければ、日本は滅ぶーというサブタイトルで、辛辣な批判を展開している。

辛口の小泉批判から始まるが、国民の批判力のなさを二人は嘆いている。世論操作の薄っぺらさのレベルと無知な大衆のレベルがぴったり合っているから確信的なナショナリズムが形成される(辛)。国民の中に「騙されたい、騙され続けていたい」という意識が根をはっているんだろうな。騙されているのだから、自分には責任がないと逃避する。本当に末期的なだね。(佐高)

一面をついているが、私は彼らのこの発言の中に大衆蔑視の意識を感じてならない。進歩的文化人としての鼻持ちならない驕りも感じる。権力を批判するのは結構であるが大衆を馬鹿にしてはいけない。まず最初の二人の対談から感じたのこのことだった。大衆に「批判力をもて」という激励にも取れるが、そのためにはどうすればよいかという提言がほしい

第2章で辛さんは「ケンカのできない野党」とテーマで野党の不甲斐なさを批判している。今の野党が「ケア施設」同然であるという手厳しい批判は当たっている面もある。日本の政党は議員の生活互助組合みたいなものだとという辛さんの考えは極端としても、「国民のために」というのなら、マイノリリティーや弱者に真剣に目を向けるべきであるという意見には賛成である



第3章で二人が「階層化する会社と政治」では辛さんの「プアーホワイト」(高学歴の貧乏な下層労働者)、佐高さんの「社畜」という現代の会社員の見方は面白いが、現状はどうなのか。むしろ正規雇用できない労働予備軍が問題ではないか。二人の考えにステレオタイプとして会社員像を見てしまう。そして弱肉強食の時代を現出したという小泉・竹中を批判しているが、それでは解決にならない。

第4章では佐高さんが「尽きないケンカの相手」について書いている。多くの政治家、文化人を槍玉にあげているが、以前から他の著書にもでてくる人物が多く新鮮味がない。むしろ彼が誉めている凛として生きた反骨の人々(藤沢周平、土門拳、など)に共感する。どうも佐高さんの批判はクサスことであると感じてならない。

第5章では上野千鶴子氏も参加して「2世が日本を駄目にする」の鼎談をしている。2世の政治家のことはさておき、上野さんが在日やアメラジアンなどポストコロニアルの人々の、どっちにも所属しない存在に注目してしてることに惹かれた。ジュニア政治家と違う二世たちの存在を位置づけた上野さんの指摘はさすがである。

この本を読み全体として気負った二人の「生の言葉」には賛同する面も多いが、抵抗も感じる。最後の座談に参加した上野千鶴子さんのの柔らかい言葉の響きにホッとしたところである。

辛淑玉・佐高信著  ケンカの方法 角川書店 2006年4月刊

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2006-04-23 21:38:52

東北農民兵士と遺族たち

テーマ:書評

先日知人で地元の「農を語る会」の代表岩井川さんから、「遠い日の戦争―農民兵士と遺族たち」の小冊子を戴いた。これは秋田県羽後町貝沢地区を中心にした9家族が家族(夫、息子)を戦場に送り、今まで誰にも言わず(言えず)胸に秘めてきた遺族の声を地元に住み長い間農民運動に携わってき高橋良蔵さんが30年前からあたためてきたテーマを「農を語る会」のメンバーが聞き取りメモをしたものをまとめたものである。証言した人たちの多くは他界しており、ぎりぎりのまとめであったという。

東北の農民兵士と残された家族の記録については岩手の菊池敬一・大牟羅良編の「あの人は帰ってこなかった」(岩波新書1964年)や岩手県農村文化懇談会編『戦没農民兵士の手紙』(岩波新書1961))があるが、もう30年も経っており忘れ去られようとした。秋田の「農を語る会」がわずか9人であるが、その家族の苦しみを記録しまとめた意義は大きい。

その記録は慟哭の叫びであり目頭を熱くするものものが多い。チヨさんは6人の子どものうち最初の4人は母体の栄養不良で1年以内に早死にさせている。ようやく5番目と6番目の子どもを3反歩を田んぼを耕し日雇いをしながら子どもを育てた。一番おいしい食べ物は雄物川の水をご飯にかけて食べる「水かけまま(飯」だったという。

長男の真一さんが召集され、チヨさんは息子が戦場に向かわないうちに青森の大湊駐屯地に面会に行く。家に来た住所を手がかりに夕暮れ兵舎を見つけ駆け寄ると、一人の兵士の人影を見つけ、それが息子だと気付く。大声で「シーエチ(真一)アバ(母)だぁ」と叫ぶが面会不許可。真一さんはその2日後北千島海峡の戦場に赴き1ヵ月後戦死。18歳であった。

「シーエチ、アバだぁ」と秋田弁丸出しで叫んだチヨさんの言葉は、戦場に行くのを励ますものではなく、子を思う親の叫びである。彼女は息子の戦死について「いくら貧乏でも、三度の飯を食わぬことはない。しかし、息子をお国にあずけて死なせてしまった。ああ、あと終わりだ。それが全部だ。」息子の戦死を悔やみ、怒りを訴えたという。

「国にあずけて死なせた」という叫びは国の戦争責任への糾弾でもある。あの戦争は正義の戦争であったという妄言はさておき、戦争に導いた者たちの戦争責任も曖昧になりつつある。そして戦争の悲しみを直接知っている証言者も減っている現在我々は何をすべきか。この小冊子を読みながらすっかり考え込んでしまった。、題名が「遠い日の戦争」となっているが、遠い日の思い出に終わらせず、現在の問題として考えるべき内容をもっているのではないか。

 湯沢・雄勝農を語る会編・発行   遠い日の戦争―農民兵士と遺族たち 2006年2月刊

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2006-04-07 21:31:56

書評「藤田嗣冶「異邦人」の生涯」

テーマ:書評

現在画家・藤田嗣冶の展覧会が東京国立近代美術館で「生誕120年藤田嗣冶展」 のタイトルで開催されている。国際的に知られている画家なのに、日本でこのような展覧会が戦後開かれたのは初めてだそうである。

それはなぜか?彼が戦争中に戦争画を描いて批判されたことは知っていたが、今回NHKのディレクターである近藤史人氏が著した「藤田嗣冶「異邦人」の生涯」を読んで彼が日本で受けいられない真相を知ることが出来た。

彼は上野美術学校を出て日本の画壇に飽き足らず渡仏しパリで注目を浴びる。彼の描いた「私の部屋、目覚まし時計のある静物」はパリのサロン・ドントーヌでは高く評価されるが、それを日本の展覧会にも出品するが無視される。また彼の異様な服装、女性関係をめぐる中傷もあり国辱との批判さえ受けている。

彼はパリから1929年17年ぶりに帰国。ここでも画壇から彼の作品は宣伝と変な服装のせいで有名になったと冷たい誤解と非難の言葉で迎えられる。翌年パリに傷心を抱き帰っている。しかし世界各地を彷徨の末32年日本に舞い戻っている。日本に帰らないと誓ったのになぜ帰国したのか?藤田は誰よりも日本人を意識ていたのではないかと著者は述べている。

帰国し出会ったのが秋田の美術コレクター平野政吉であり、彼の誘いを受け秋田にきて大壁画「秋田の行事」を描いている。平野は藤田のよき理解者と言われ現在でも秋田市にある「平野政吉美術館」に多くの作品があるが、この本では彼らには行き違いがあり、当初「藤田嗣冶美術館」を作る予定であったが平野に利用されたという藤田の誤解は解けなかったという。これは意外であった。

1939年三度渡仏した藤田は次の年パリ陥落寸前また帰国。ここで戦争画に協力することになる。戦時体制の中で彼の戦争画がもてはやされ、日本画壇からようやく認められる。しかしこれが戦後災いして多くの画家が戦争画を描いたにもかかわらず、全て彼に責任をなすりつける。

日本人でありながら「異邦人」として冷遇され、なんとか日本人になりきろうと「戦争画」製作に協力したのに戦後は彼に非難の目を向ける。この本を読み、日本画壇の了見の狭さ、さらにいえば日本人のいやらしさを感じた。藤田はパリに帰り帰化し二度と日本に帰ることがなかった。

近藤史人著  「藤田嗣冶「異邦人」の生涯」 講談社文庫  2006年1月刊

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