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2006-11-06 20:08:01

NHkブックレビュー異聞

テーマ:読書雑感

毎週日曜日のNHkBS2TVの「週刊ブックレビュー」を楽しみにしている。3人のゲストが各々3冊の本を紹介し、その1冊を合評するものである。昨日5日のゲストと紹介本は次の通りである。(2006年11月05日放送内容 ) その中では女優の岩崎ひろみさんの話は書評の体をなしていなく、痛々しさを感じてしまった。初めての参加ということもあるが、玉木正之さんの推薦した「これが経済学だ」については「経済学」の本ははじめて読んで参考になっただけで内容に触れた感想は聞かれなかった。また高野明彦さんの推薦した「縦並び社会 貧富はこうして作られる」についてはその現実にはびっくりしたの感想だけであった。何が参考になったのか、何にびっくりしたのかこれ位は言うべきであるのに何も言わなかった。

私は何も岩崎さんを責めているのではないが、これらの紹介本を通していろんなジャンルの方が自分の考えを述べるのがこの番組の趣旨であるのに、彼女の発言にはいささか戸惑ってしまった。NHKは名うての書評家だけの書評ではなく、いろんな方の参加でこの番組を盛り上げようとする気持ちはわかるが、これでは視聴者に失礼である。

さらに奇怪なのは岩崎さんが紹介した「ほっとけない 世界のまずしさ」である。これは世界の貧困についてイラストやデータを紹介したものであり、NHKはうまくその内容を紹介しているが、彼女は世界各地に出かけ貧困の様子を見てきただけの話をしてその内容を紹介しようとしなかった。

実はこの本はその内容もさることながら、ホワイトバンドを買うことで世界の貧困を救おうと運動組織の連結しており、早速岩崎さんの紹介したこの本がホームページほっとけない 世界のまずしさ にNHKBSに放送されたことが宣伝されていた。この運動については昨年あたりから胡散臭さが指摘されていた。HP、FrontPage ではその問題点を述べているがその真実はよくわからない。

岩崎さんはこれらの背景がわからず純粋にこの本を推薦したものと思われるが、高野さんが番組で指摘していたように、この運動と本のかかわりをについて検証してみる必要がある。

ほっとけない世界のまずしさ編集  ほっとけない世界のまずしさ 扶桑社 2006年8月刊

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2006-10-08 19:00:14

藤沢周平の世界

テーマ:読書雑感

今日午後からNHKで9月24日に鶴岡市で行われた公開録音シンポジュウム「藤沢周平の世界を語る」 の放送があった。司会が松平定知アナウンサー、パネリストは半藤一利氏(作家) 村上弘明氏(俳優) 松田静子氏(藤沢周平文学愛好会顧問である。半藤さんは「ノモンハンの夏」「昭和史」などの著書がある作家であるが藤沢作品愛好者としても知られている。村上さんはNHK時代劇「腕におぼえあり」(原作用心棒日月抄)の主人公青江又八郎を演じた方であり、松田さんは地元の藤沢周平研究家として知られている方である。

司会の松平さんが3人のパネリストに藤沢作品の一番好きな愛読書を聞いた。半藤さん 「泣くな、けい」をあげた。これはけいが相良家に奉公しいじめにあい主人の波十郎に犯されながら恨みもせず、波十郎が藩から預かっている短刀が行方不明になった時、それを取り戻すために江戸まででかけ主人苦境を救う物語である。涙なくして読まれないが硬派の半藤さんがこれをあげたの意外であった。

村上さんは「用心棒日月抄」をあげたが当然ある。主人公青江又八郎が藩の陰謀に巻き込まれ許婚者の父を切り脱藩、用心棒生活を強いられがら藩の危機を救う物語である。村上さんは俳優になるまでの苦しみを又八郎に重ね合わせたという。

また松田さんは「玄鳥」(つばめ)をあげた。主人公の妻、路が父の部下が暗殺されよようとするのを父からひそかに伝えられた「不敗の剣」を伝え救う物語であるが、毎年つばめが巣を組むが夫がそれを取り壊せということから話が始まり、松田さんは路が幼い日つばめをが来るのを皆で楽しみにしていた家族の団欒にを思い出すことから、家族の問題に着目し、藤沢作品の多面的な読み方が参考になる。

結局、藤沢が下級武士、市井の弱者に目を向けたのは、「いばらない」「権力になびかない」という彼の姿勢と底辺からもう一度「生きなおす者」への励ましではなかったかという結論に共感する。その背景には藤沢が育った郷土鶴岡の美しい山河、そして結核に倒れながら立ち直った彼の生き方も関係している。

この11月から毎週、朝日新聞社より、藤沢作品をビジュアルに紹介する「週刊藤沢周平の世界」 (30巻)が出版される。

  藤沢周平の世界   朝日新聞社発行  2006年11月~ 定価560円

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2006-09-23 17:10:13

世間とは(阿部謹也氏を悼む)

テーマ:読書雑感

西洋社会史研究の第一人者で、「世間」をキーワードに独自の日本人論を展開した歴史学者の阿部謹也氏が9月4日亡くなった。遅ればせながら謹んで哀悼の意を表したい。

阿部さんの「世間」論については小生のHPに彼の著書「日本人の歴史意識ー「世間という視覚からー」 の書評をのせている。この本は古代から現代までの「世間」という視点からの日本人の歴史意識の変化を知る上で参考になる。

その中に阿部さんは「日本には世間という人と人の絆があり、その世間が個人を拘束している・・日本人は自分の振舞いの結果「世間」から排除されることを最も恐れて暮らしている。これは欧米では訳すことができない言葉である」と言っている。

先日、私の町内で昔から続いている「町内会」を脱退したいという者が現れた。隣近所のいざこざ(当事者にも原因がある)が原因である。東北農村の旧態依然の村落共同体的な扶助組織の性格もつ「町内会」は阿部さんの言う「世間」の要素を多分にもっており、それをを脱退しようとするするには相当の勇気がいる。しかしその脱退は世間という拘束から自由になりたいという個の確立ではなく、いわば世間からの一時逃避であると考えている。

しかし彼はそのような「世間」のしがらみから逃避したといえ、近代社会の「地域社会」からは逃れることはできない。先日、隣の家の木に「アメシロ」という害虫がつき家に入ってきて困るから町内会でなんとかしてくれと町内会長の私に抗議してきた。町内会長はそれは隣家との個人の問題であるから自分で交渉したらといった。それでも心優しき町内会長はすぐ隣家に連絡して駆除してもらったが、このように自然的・環境的においても地域社会から個人は逃れることができないのである。

阿部さんはこの本の最後に「世間の中でうまく適応できない人がいる。しかし世間とうまく折り合うことができない人は世間の本質を知り歴史と直接向き合うことができる。そのような意味で歴史はまず世間とうまく折り合えない人が発見していくものである」と述べている。世間とうまくおりあえず町内会を脱退した者が世間の本質を知っているとは思えないが、確かに世間から外れないようにうまく適応しようとしている人が多いのも事実である。阿部さんには「地域の変貌と世間」についてもっと教えてもらいたいことがあった。

阿部謹也著  「日本人の歴史意識ー「世間という視覚からー」岩波新書 2004年1月刊

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2006-09-17 18:21:54

ドラマと原作の間(あの夏、少年はいた)

テーマ:読書雑感
昨日のNHKで「あの夏~60年の恋文~」という土曜ドラマがあった。もしやと思って見ると、昨年発行された「あの夏、少年がいた」をラマ化したものであった。この本は映像作家の岩佐寿弥氏が昭和和19年、奈良高等女子師範学校の4年生のときの教育自習生の教師川口(旧姓雪山)汐子先生をあるTVの映像で見つけ、当時強烈な印象を残して去った汐子先生に手紙を書いたことから二人の手紙のやり取りがはじまり、その往復書簡集である。

同時代小学校生活を送った私は岩佐少年の記憶の確かさと年上の女性教師に対する思慕の念の文章に感心し、「あの夏少年がいた(書評) を載せているので参照されたい。(2005年11月29日のブログ)

ドラマは実際に主人公の川口さん・お孫さんの大学生、岩佐さんが登場し語るドキュメンタリーの部分と、小学生時代の様子をドラマ化した部分に分かれ二人の交流を映像化している。

本で見た二人を描いていたイメージとそんなに違わない実像を拝見したが、ドラマ化された映像には、違和感をもつ場面があったことは否めない。私の体験によるともっと殺伐とした風景が戦争末期にあったように思う。確かに奈良の子供たちは裕福な家庭が多かったと思うが、私は食料難に陥り野山の雑草を追い求めて放浪したことを思い出す。

確かに川口さんがその「教生日誌」に子供の様子を詳細に書き記している様子は戦時体制の中では稀なことであり感心するが、その少年や教師の気持ちが映像化されるとなんとなくそのイメージが限定され美化されてしまう感じである。むしろ、二人の語り(ドキュメント)に真実があり、関心をもったのはそちらであった。

それにドラマのサブテーマ「60年目の恋文」にも抵抗を感じる。岩佐さんの手紙も確かに感傷的で年上の人に対する思慕の面があるが、あの戦争を教師、児童等が共通体験したことこそ貴重であり、またそこに共感する二人の姿に感動する。

私にとってこのような甘い思い出はない。終戦まもなく代用教員の先生に「日本は戦争に負けた、今までお前たちに軍歌(音楽の時間は殆ど軍歌)を沢山教えた。今日はその歌を全部歌って別れよう」と窓を閉めて大声で歌わせ、まもなく辞めていったK先生のことを強烈に覚えている。こんな体験はとてもドラマにはなるまい。

川口汐子/岩佐寿弥著  あの夏少年はいた  れんが書房新社 2005年9月
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2006-09-12 20:41:41

「9.11」5周年に思う

テーマ:読書雑感

昨日9月11日はニュヨーク世界貿易センタービルやワシントン郊外の同時多発テロ発生から5年目を迎え数千人が集まって追悼式典が行われたことを今日に新聞は伝えている。特に遺族たちが「昨日のことのように悲しみや痛みを感じる。気持ちはまだあの日にある」という言葉に胸が痛む。

9・11後、テロ撲滅のために米国はまず、タリバンのいいるアフガニスタンを攻め、さらに大量兵器を隠匿、アルカイダと結びつがあるとしてイラクに戦争をしかけた。しかし破壊兵器はでてこず、「ワシントン9日共同」によると米上院情報特別委員会はブッシュ政権が指摘した旧フセイン政権とアルカイダの結びつきを完全否定し、米政権が掲げた「大義」を覆したと報じている。

さらに今日の毎日新聞はこの事件に関連して「米同時テロ:「中東民主化構想」は瓦解の危機に」の題で次のように述べている。

「米同時多発テロから5年の11日、ブッシュ米大統領は「テロとの戦い」の決意を新たにした。しかし、米国が対テロ戦争で撲滅を目指すイスラム武装勢力はアジアと中東の十字路でしぶとく生き残り、米国の軍事行動は住民の反発と過激思想の拡散を招いている。5年前、米の報復攻撃を受けたアフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンは、パキスタンのアフガン国境地域で新たな支配圏を確立しつつある。イラク戦争をきっかけに中東では宗派間対立とテロが激化、ブッシュ政権が掲げる「中東民主化構想」は瓦解の危機に直面している。」



「テロリスト」につくか「自分の方」につくかの二分法の迫り方に誰もテロリストにつくというものはおるまい。しかしそれは「自由を守る」という旗印のもとに、「正義の戦争」(?)を促し、その結果、イラクやアフガニスタンの無辜の民を犠牲にしてしまった。。(アフガニスタン4000名、イラク4万人の民間人死亡)アメリカの著名な言語学者ノーム・チョムスキーは9.11勃発直後、「9.11アメリカに報復する資格がない」という著書を著している。これは雑誌、新聞等で彼が発言したものをまとめたものである。その中に次のような発言がある。

問い お考えではアフガニスタンを攻撃することが「テロに対する戦争」でしょうか?
チョムスキー アフガニスタンを「攻撃すればおそらく大勢の無辜の民が殺されるはずだ。・・・・罪のない民衆がほしいままに殺戮するのはテロリズムであり、テロに対する戦争でない。

問い 平和を取り戻すのに西側世界の市民何ができるのか。
チョムスキー それは市民が何を求めるかで決まる。おなじみのパターンによる暴力の環のエスカレーションを望むなら、米国に呼びかけビンラディンの罠に嵌まり込み無辜の民を大量虐殺すればよい・・・。

9・11後の中東はチョムスキーの危惧が現実のものになってしまった。中東の独裁政権に対するテロ摘発強化は民主化に逆行し、民衆の反米感情に拍車をかけてしまったようだ。

ノーム・チョムスキー著   9・11 アメリカに報復する資格はない。文芸春秋社2001年11月刊

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2006-09-05 19:45:38

エイドリアン・ミッチェルの詩

テーマ:読書雑感

岩波の「図書」に詩人アーサー・ビナード氏が「poetory talks」を毎月載せている。日本語の堪能なビーナードさんのこなれた訳詩を愉しみに読んでいる。今月号は英国の詩人エイドリアン・ミッチェルの短詩を紹介している。


Celia  Celia     Adrian  Mitchill

When I am sad and weary
When I think all hope has gone
When 1 walk along HIgh Holbon
I think of you with nothing on.

シーリア、いとしのシーリア

落ち込んだりくたびれたりしたとき
希望をすっかり見失ったとき、ひとり
ハイボールホーンを延々と歩くとき
ぼくはきみのことを思い浮かべるー
 す裸にして。

ビナードさんは「心底誰かにほれて大好きなその相手と一緒になると、ものの見方も変わり、みだらな空想も充実してくる。殺風景な幹線道路に沿ってとぼとぼ歩き、疲れた心の支えに、彼は恋人のシーリアを想う。二人は今、れっきとした夫婦だ。」と解説している。ビーナードさんの「with nothing on」=「すっ裸にして」の訳は、我々凡人にはとても思いつかない。

エイドリアン・ミッチェルを海外サイトで調べてみると、He has written large numbers of love poems and political poems.(彼は愛や政治的な詩を多く書いている。)と書かれ、上記のような詩ばかりでなく、ベトナム・イラク戦争に反対し平和を脅かすものへの嫌悪を詩に表現しているようだ。

その中に「To Whom It May Concern 」とベトナム戦争について書いた詩がある。最初の所だけ紹介する。(小生の拙訳)

To Whom It May Concern

I was run over by the truth one day.
Ever since the accident I've walked this way
So stick my legs in plaster
Tell me lies about Vietnam

  
拝啓

ある日、ある真実に気づかされた。
ばんそうこうを貼った足でこの道を歩いてきて
ある事件に遭遇して以来ずっと
ベトナムについての嘘を教えてくれ

詩は戦争について彼なりの感覚で平易な文章で深く捉えている。最後の部分に彼の本音が伺われる。

You put your bombers in, you put your conscience out,
You take the human being and you twist it all about
(あなた方は爆撃機を内におき、良心を外におく
 あなた方は人間を捕らえいたるところで歪めている。)

私はエイドリアン・ミッチェルという詩人を知ったことで満足している。

アーサー・ビナード作  看板倒れ  「図書」9月号  岩波書店 2006年9月刊

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2006-08-30 21:57:41

斎藤茂吉の戦争反省

テーマ:読書雑感

歌人、斉藤茂吉の歌が新制中学校国語教科書で出てきたことを今でも覚えている。

死にたまう母

死に近き母に添寢のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

特に最初の歌はその環境に近いところに住んでいた東北の田舎の少年の琴線に触れるもがあった。後にこれは「赤光」という歌集の一部であることを知た。(大正2年)

茂吉は終戦間じかに故郷に疎開し大石田の名家の離れに住んで、そこで詠んだ歌集が「白き山」である。「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」は有名な歌で私の好きな歌である。ところがその歌集の中に次のような歌がある。「軍閥ということさへも知らざりしわれをおもえば涙しながる」全体から見てかなり異質である。この歌については多くの批判がある。

茂吉は戦時中多くの戦争賛美の歌を作ったことで知られている。同じ山形県人の藤沢周平も茂吉の日記「敵がニュウブリテン島二上陸シタ。敵!クタバレ、これを打殺サズバ止マズ(昭和18年)を引用し、「茂吉はこういうふうに熱狂的な戦争賛美であり、協力者であった」と批判している。現在は全集からも戦争賛美の歌は削除し読むことができないが、その彼が「軍閥ということさへも知らない」というのはいかにも白々しくおかしいというのである。これは一説によると「戦犯指定」を免れるための自己弁護の歌ではないかというのである。

偉大な作家を貶す気持ちはさらさらないが、茂吉にも触れられたくない過去があったのである。同じ「白き山」のなかに「追放といふことになりみづからの滅ぶる歌を悲しみなむか」と開き直りともとれる歌がある。彼にとって「戦争賛美は自分だけ一人でやったのではない」という気持ちがあるのだろう。

ふと茂吉を思い出したのは、昨今の靖国参拝問題にちなんで、まやぞろ「戦争責任」の問題提起をする動きがでてきたからである。A級戦犯の責任はさておき、多くの文化人、ジャーナリストたちは戦争中の行動についてどんな反省をしたのか。

その意味ではその後ろめたさをもらした茂吉の弱さが理解できる。彼のいかにも東北人らしい愚直さを感じるのだが・・・。今日改めて彼の歌集を読んでみた。やはり優れた歌が多い。

斎藤茂吉著 斎藤茂吉歌集 岩波文庫  1973年9月刊

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2006-08-27 22:21:26

吉村昭氏の尊厳死

テーマ:読書雑感

作家の吉村昭氏の死については、ブログで哀悼の意を捧げたが、吉村さんのお別れの会が24日開かれ、妻で作家の津村節子さんが発病から1年余りの闘病の様子を語った。それによると、吉村さんは昨春舌ガンを宣告され放射線治療を受け今年の2月に膵臓ガンがわかり全摘出手術を受け療養していたが,この7月に病状が悪化し、死の前日、点滴の管と首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートを自らの意思で引き抜いたという。吉村さんは「延命治療をしない」意向だったために、家族は治療を断念したという記事が載っていた。

私はこの記事を読んで吉村さんの著書「冷い夏、暑い夏」を思い出した。この本は吉村さんの私小説で、2歳違いの弟がガンにかかったときに、事実を弟に隠し通す決意する。周囲に対する厳重な口止め、弟に読ませるためのニセの日記まで用意する徹底ぶりである。

弟を愛し、よりよく死なせたいという彼の願いがひしひしと伝わってくる文章である。しかし、よく読むと吉村さんの心のゆれも伺われる。「不意に私の胸に、弟を死なせてやりたいと願いに近いものがかすめ過ぎた。・・・弟が激痛にあえいでいた頃、私は院長に延命より安楽を・・・と兄の立場をつたえたが、それは巷間、是非の論じられる安楽死とは本質的に異なる。私が安楽という言葉を口にしたのは、激痛をやわらげる方法を積極的に採用して欲しいと望んだからで、その方法をとることによって死が幾分早まってもやむを得ない。・・・・私が弟を死なせてやりたいと思うのは、安楽死という意味ではなく、あくまで自然死が条件である。」

弟のガンについてその「生」について「熱い」思いで看病しながら、一方では延命よりも苦痛軽減のために何かを施し、それで命がみじかくなってもやむをえないという「冷い」冷静さを吐露している。題名の「冷い夏」、熱い夏は象徴的な表現である。

これは吉村さんが若いときに肋骨を切断する激痛の結核手術の体験もからんでいるといわれる。今回の「延命治療をしない」という吉村さんの尊厳死は、この自己体験、弟の死の体験による彼の死生観からきたものではないかと思えてならない。彼の書いた「冷い夏、熱い夏」は、そのままこの熱い夏に亡くなった吉村さん自身のものになってしまった。

吉村昭著  冷たい夏 熱い夏 新潮文庫  1990年6月刊

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2006-08-23 20:18:42

信州に上医あり

テーマ:読書雑感

終戦直後から農村地帯の集団検診普及などに努め「農村医学の父」と呼ばれた佐久総合病院名誉総長の若月俊一氏が22日午前5時5分、肺炎のため長野県佐久市の病院で死去した。96歳。

若月さんの波乱に富んだ生涯については同じ佐久病院勤務の医師で作家の南木佳士氏(なぎけいし、1889年「ダイヤモンドダスト」にて 第100回芥川賞を受賞)が「信州に上医ありー若月俊一と佐久病院ー」に書かれている。

戦前、東大医学部在学中、左翼運動にのめりこみ、治安維持法にひっかかり、無期停学。さらに医師になった東大分院時代、その著書のために同じく治安維持法違反で逮捕され1年間の拘留を受けている。終戦間じかの1945年3月、恩師のツテで現在の佐久病院に赴任している。当時の佐久病院は院長と女性医師がいただけの診療所だったといわれている。

若月さんは外科医として手術にあたり、さらにいろいろな企画を出して地域医療にあたり院長になって現在のような総合病院に発展させたのである。その歩みについては佐久総合病院のホームページである佐久総合病院の年表 で知ることができる。その中で1959年の長野県の八千穂村の全村健康管理の試みは画期的なことであり、現在の地方公共団体の集団検診など予防医療の先鞭をつけたものである。

しかしこれに対する病院内の若い医たちから批判を浴びている。医師たちへの労働強化、病院からの経費持ち出し、病院における医療内容の低下などについての若月さんへの病院経営批判である。



確かに的を突いた批判であるが、農村医療の低さを解決するために一緒にやってくれというと、その犠牲のなるのは嫌だと拒否したという。若月さんは医療矛盾をつくが、農民のために一緒に苦労しない医師に頭を痛めたようである。戦前の原体験から地域医療、特に農民一人一人の命を守ろうという若月さんの意図は若い医師には伝わらなかったのである。

今日の毎日新聞は若月さんの死についてふれ、さらに地域医療の現状と課題に迫っている。先日もブログに書いたが、全国の医療現場から地方病院勤務の厳しい診療科を避ける医師が増えているそうだ。「農村医療の経験を踏まえつつ都市と農村を一体とに捉えた医療が必要である。」(立身岩手大保健管理センター長)「住民が主役の医療、誰もが等しく受けられる質を担保した「肌着のような医療」こそ医療に土台だ」(日本農村医学会山根理事長)など関係者の叫びが聞こえるが、農村や離島など僻地での医師がいない状態の解消、専門医院と僻地を結ぶ診療支援の方法など国でも施策をあげているにもかかわらず、効果を挙げていないのが現状である。

「医学とは人々の幸せと命を守るものだ」と「実践医学」を訴えて農村医療に邁進した若月さんの活動は今曲がり角にきているいるようである。南木さんは「信州に上医あり」という題名は中国春秋時代の史書に「上医は国を医(いや)す」からとったという。彼は「しっかりとした知識と技術をもち患者の住む地域社会のさまざまな問題に取り組もうとするのが上医である」と述べているが、もはや地域(農村)医療は医師個人を越えた問題となっていることを若月さん死を通じて痛切に感じた次第である。

南木佳士著  信州に上医ありー若月俊一と佐久病院ー 岩波新書 1994年1月刊

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2006-08-16 22:14:48

私にとっての8月15日

テーマ:読書雑感

今日の各紙とも8月15日の小泉首相靖国参拝が一面のトップを飾っている。まさに小泉劇場の最後ともいうべきワンマンショウである。彼が言うように「個人の心の問題」だとしたら、騒ぎたてることはあるまい。わたしは無視したい。それ以上に8月15日終戦の意味を考えたいと思っている。

1945年8月15日、私は9歳、小学校3年生であった。残念ながら天皇の玉音放送は聞いていない。しかし数時間後、学校の先輩たちを通して日本が戦争に負けたことが伝わった。その数日前からアメリカの飛行機が飛び、ビラを撒いたことを目撃しており、悪い予感はしていた。日本はどうなるのか友人たちと幼いながら不安を話し合ったことを覚えている。

作家の高見順は「『ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃたらみんな死ぬわね』と妻が言った。私もその気持ちだった。やはり戦争終結であった。君が代奏楽、内閣告諭、経過の発表。遂に敗けrたのだ。戦いに敗れたのだ。(敗戦日記)と述べているが、内容のわりに終戦の切実感が伝わってこない。

太平出版社がシリーズ「戦争の証言」20巻を発行したが、その中の一冊、小熊宗克の「 死の影に生きて 太平洋戦争下の中学生勤労動員日記」を読んだ衝撃は忘れられない。

戦争は終わってしまった!? 考えもみなかったことが突然起こった。頭が空っぽになった。目の前が黒くなったり、赤くなったりした。冗談じゃないと思った。そんなばかなことがあるのか。この期におよんで何事だ。陛下、なぜ降伏したのですか。この私はいったいどうなるのですか。私はこの汚名をどうしてぬぐったらよいのですか。この戦争を止められては絶対困る。・・・・陛下なぜ最後まで戦わないのですか。なぜ「朕のために死ね」とおっしゃらないのですか。

このような純粋な軍国少年がたくさんいたに違いない。近くの年上の旧制中学生たちの中にも、軍事工場動員、さらには「予科練を」希望したの人がいることを知っている。戦争終結はこのような軍国少年の気持ちを混乱におとしいれたのである。戦争は多くの戦死者、犠牲者を出したばかりでなく、人間の精神まで錯乱させたのではないか。私は自分のかぼそい体験をもとに61年前の8月15日、日本人がどんな気持ちで終戦をむかえたかをもっと知りたい。靖国参拝のパフォーマンスにつきあっておられないのである。

小熊宗克著著 死の影に生きて 太平洋戦争下の中学生勤労動員日記  太平出版社 発行年月 1979年刊10月 刊

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