ある日中戦争体験者の言葉 | 日月抄ー読書雑感

ある日中戦争体験者の言葉

毎日新聞は「戦後60年の原点」シリーズを連載していたが、その総括編を載せるに当たって読者の原点を募集したところ250点の投稿があったそうである。その一部が昨3日の新聞に掲載された。どれも自分の体験を率直に書き感銘を受けた。その中で大坂の田端宣貞(90歳)さんの言葉が特に胸に響いた。(以下投稿文)

昭和20年5月ころ、中国湖南省の一小村に初年兵として駐屯した私は上官の命じるままに捕らえてきた一農民を銃剣術の稽古と称して刺殺した。まだ死にきっていないのに、土中に埋めた彼の「先生(シーサン)先生」といううめき声が今でも聞こえる。私の戦後の原点はこのうめき声である。私は戦争は二度としてならないと、中国語を懸命に学びに日中友好協会に入会した。日中関係はおおむね友好に経過したが、今も底流に反中国の動きがあることに心を痛めている。

日中戦争は何だったのか、かなり前に読んだ古屋哲夫氏(当時京大教授、日中戦争など、アジア近代史の研究者として知られている。)の「日中戦争」を読み返してみみた。1935年、当時の広田外相は中国側に1、排日言動の徹底的取締り、欧米依存製作からの脱却と対日親善政策の採用、2、満州国の事実上の承認と接満地域での経済的文化的融通提携、3外蒙古方面のからの赤化勢力の脅威を排除するための協力を要求する。所謂「広田三原則」であるが、他人の屋敷に踏み込んだまことに虫のよい要求である。これを機会に日本は中国への全面戦争へと拡大していく。

最近、投稿した田畑さんもいっているように「反中国」の動きを肌に感じている。靖国問題での干渉、尖閣諸島付近での中国調査船出没、中国内での反日暴動など日本を刺激する言動があるのも事実である。これが「反中国」の動きの一端になっているように思えるが、もう謝罪は済んでいると嘯いたり過去の日本の行動を忘れている方がいるのも事実である。

古屋さんは「近代日本の最大の戦争はあった日中戦争はわれわれに負の遺産を残しているにちがいないのであり、われわれは現在も清算しきれないことを自覚していかなければならないように思われるのである。」と結んでいるが、未だ忘れてならない課題である。その意味で、私は90歳の田端さんのような日中戦争体験者の言葉を(証言)大切に受け止めたいのである。

古屋哲夫著  日中戦争   岩波新書  1985年5月刊