2.26事件の青年将校の遺書発見 | 日月抄ー読書雑感

2.26事件の青年将校の遺書発見

2・26事件で、処刑された陸軍の青年将校ら17人分の遺書45枚が69年ぶりに見つかった。 処刑前に入っていた陸軍刑務所の看守にあてたものなどで、自宅に保管していた仙台市平田俊夫さんから、将校らの遺族で作る「仏心会」に届けられた。七十回忌が営まれる12日に公開される。(7月11日読売新聞)

平田さんによると、1930年代後半、父・平治さんを「花淵」という友人が訪ね、「今は公にできないので預かってほしい」と、油紙に包んだ遺書の束を置いていったという。 花淵氏は捕らえられた青年将校らの世話をしていた看守と見られている。

新聞に遺書のほかに、世話になった看守に向け「入所中ノ御厚情ヲ深謝シ奉ル 只吾人ノ真精神ハ兄等ノミゾ知ル」(丹生誠忠中尉)といった言葉が署名とともに毛筆で書かれていたことが紹介されている。この丹生中尉は処刑5時間前に書いた遺書を残している。「吾等十六将校の赤キ血ノ上二日本ハ建設セラルカ 読ミテ此処二至ル誰カ悲憤ノ血涙二袖ヲ絞ラザル・・・」青年将校らは農村の疲弊と財閥に対する反感、政党の腐敗を改革するために「天皇親政」の実現を図ったものといわれる。いわばテロ行為で是認はできないが、当時の日本の現状を憂うる心情が丹生中尉の遺書ににじみ出ている。

澤地久枝の著書「妻たちの二.二六事件」に、丹生中尉は妻の寸美子さんに贈った遺詠を紹介している。「強く生き優しく咲ける女郎花 死ぬる迄女房に惚れ候」澤地さんは「死ぬる迄女房に惚れ候と書いて自らは銃殺された男を、女は忘れられることはできるだろうか。愛されることは辛いことである。2.26事件の妻達が長い歳月、夫の思い出を捨てきれず、事件の影をひいて生きてきた一つの理由は死に直面した男の切々とした愛の呼びかけがからみついているためである。・・それは妻達にとって見えない呪縛となった。」と述べている。

澤地がさんが2.26事件で残された妻達を訪ね歩いたのは1971年のことである。既に鬼籍に入っておられる方が多いが、遺族の方々はおられると思う。国賊といわれながら生きてきた人たちを思うと切ない。先日遺族会の「仏心会」の世話役安田善三郎さん(被告安田優氏弟)はTVで「歴史を記録する上でも大切に残していきたい」と話しがらも「然しその行動を是認してはならない」と毅然として述べていたのが 印象的であった。

澤地久枝著  妻たちの二.二六事件  中公文庫  1975年2月刊