2006-09-30 16:46:05

カタカナ語の多い新首相の「所信表明演説」

テーマ:時評

安倍新首相の「所信表明演説」を昨日TVで視聴しているうち、不謹慎にも居眠りをしてしまった。内容がつまらないからでなく、メリハリのない、やや早口の話し振りのせいかもしれない。今日改めて新聞で全文を読んでみてカタカナの言葉の多いのに驚いた。揚げ足をとるつもりはないが、その一部をあげてみる。

・活力に満ちたオープンな経済社会の構築
・アジアゲートウェイ構想
・イノベーション25
・新健康フロンティア構想
・ライブトーク官邸
・「カントリー・アイデンティティ」の発信

外来語が日本語として日常化してきているのは承知しているが、日本の今後の方向を決める政策の中に横文字カタカナが多いのに注目したい。確かに文章の前後を読むとその説明がついている。例えば「イノベーション25」は「成長に貢献するイノベーションの創造に向け、医薬、工学、情報技術の分野ごとの、2005年までを視野に入れた長期の戦略指針」だそうである。これだけではその内容はよく理解できない。

聞きなれない言葉は「カントリー・アイデンティティ」である。「セルフ・アイデンティティ」self identity(自己同一性)はよく聞くが、「country identity」はこれから類推して国家同一性と言うべきものだろうか?所信表明では「わが国の理念、目指すべき方向、日本らしさ」と説明している。新首相の周りにはブレーンとして某京大教授がついているからその入り知恵かもしれないが、この内容も具体的には分からない。東北の片隅にいる田舎親爺にとってはこのような耳障りのよいカタカナ言葉には戸惑うばかりである。

作家井上ひさしはその著書「私家版 日本語文法」の中に横文字カタカナについて述べている。それによると、NHK総合文化研究所が1973年全国規模の外来語調査の中で「横文字カタカナ」についての自由記述欄に次の内容が載っていることが紹介されている。「日本語が日本語でなくなりつつある」「日本語の美しさがこわされる」「日本語の語彙体系がめちゃくちゃになるだろう」「和製英語や略語は葯にたたたぬ」「耳できいてわからない。そんあものが日本語だろうか」約30年前の日本人の反応である。最近ではIT(ああ!これも横文字)発達で日本人は日本語に無神経になったのだろうか。新首相の唱道する「美しい国、日本」には「美しい日本語」が必要だと思うのだが。

井上ひさし著    私家版  日本語文法  新潮文庫  1984年9月刊

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2006-09-23 17:10:13

世間とは(阿部謹也氏を悼む)

テーマ:読書雑感

西洋社会史研究の第一人者で、「世間」をキーワードに独自の日本人論を展開した歴史学者の阿部謹也氏が9月4日亡くなった。遅ればせながら謹んで哀悼の意を表したい。

阿部さんの「世間」論については小生のHPに彼の著書「日本人の歴史意識ー「世間という視覚からー」 の書評をのせている。この本は古代から現代までの「世間」という視点からの日本人の歴史意識の変化を知る上で参考になる。

その中に阿部さんは「日本には世間という人と人の絆があり、その世間が個人を拘束している・・日本人は自分の振舞いの結果「世間」から排除されることを最も恐れて暮らしている。これは欧米では訳すことができない言葉である」と言っている。

先日、私の町内で昔から続いている「町内会」を脱退したいという者が現れた。隣近所のいざこざ(当事者にも原因がある)が原因である。東北農村の旧態依然の村落共同体的な扶助組織の性格もつ「町内会」は阿部さんの言う「世間」の要素を多分にもっており、それをを脱退しようとするするには相当の勇気がいる。しかしその脱退は世間という拘束から自由になりたいという個の確立ではなく、いわば世間からの一時逃避であると考えている。

しかし彼はそのような「世間」のしがらみから逃避したといえ、近代社会の「地域社会」からは逃れることはできない。先日、隣の家の木に「アメシロ」という害虫がつき家に入ってきて困るから町内会でなんとかしてくれと町内会長の私に抗議してきた。町内会長はそれは隣家との個人の問題であるから自分で交渉したらといった。それでも心優しき町内会長はすぐ隣家に連絡して駆除してもらったが、このように自然的・環境的においても地域社会から個人は逃れることができないのである。

阿部さんはこの本の最後に「世間の中でうまく適応できない人がいる。しかし世間とうまく折り合うことができない人は世間の本質を知り歴史と直接向き合うことができる。そのような意味で歴史はまず世間とうまく折り合えない人が発見していくものである」と述べている。世間とうまくおりあえず町内会を脱退した者が世間の本質を知っているとは思えないが、確かに世間から外れないようにうまく適応しようとしている人が多いのも事実である。阿部さんには「地域の変貌と世間」についてもっと教えてもらいたいことがあった。

阿部謹也著  「日本人の歴史意識ー「世間という視覚からー」岩波新書 2004年1月刊

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2006-09-20 22:23:13

無季俳句

テーマ:本の紹介

遺品あり岩波文庫『阿部一族』  鈴木六林男


俳人,黒田杏子(ももこ)さんが学生時代この無季俳句に出会い衝撃を受けたことを新聞連載のエッセイー「定型詩の中の戦争」のなかで書いている。「この一冊の文庫本を残して戦場に息絶えた兵士とその事実を心をこめて詠みあげている俳句作者にこころの底から連帯感を抱いている自分がいた」と黒田さんはのべいる。

後年、黒田さんは六林男(むりお)と知り合い、彼は「岩波文庫の句、あれは誰の遺品でもない、あの本を持っていたのはこの六林男だよ。だから句を詠めた」と語ったそうである。無季俳句などで表現の可能性を追求したこの俳人は、西東三鬼に師事。戦時中は中国やフィリピンを転戦している。そときに戦場の人間模様を鋭くとらえた句を作っている。

先に私は「季語集を読む」の書評を書いたが、作者の坪内稔典氏は言葉の端々にく定型季語の俳句の限界をそれとなく示唆しているように感じていたところ、この鈴木六林男の句に、かなり遅れている私も黒田さんの紹介によって衝撃をうけ、共感を覚えたのであった。

ところが現代の俳句界はホトトギスの流れを汲む稲畑汀子らの日本伝統俳句協会が一つの大きな流れがあり、社会性や土着性を重んずる金子兜太らの現代俳句協会が対峙しているようだ。(単純な見方でもっと複雑かもしれない)稲畑と金子はNHK俳句の選者として顔を出すときはあるが二人の俳句観の対立が出てきて,面白く拝見している。金子の方がその経歴から言って無季俳句に共鳴を示しているように思える。

最近、従来の風雅の対極に生きた無季俳句の鬼才、林田紀音夫(きねお)の「林田紀音夫全句集」が出版された。人間の悲嘆の表層を描くペシミズムは俳句から限りなく遠い。林田は批判を受けながらこのペシミズムを基底に、徹底して風雅を追わず自己と等身大の生を無季俳句に写し取ったという。(毎日新聞専門編集委員酒井差忠氏の言葉)

鉛筆の遺書ならば忘れからむ  林田紀音夫  

浅学の身で俳句云々はおこがましいが、季語を上手に駆使し豊かな自然詠の句が主流の中で、無季語であるが我々の琴線に触れるものもあることに最近気付き始めた。

林田紀音夫著 林田紀音夫全句集 富士見書房 2006年8月刊

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2006-09-17 18:21:54

ドラマと原作の間(あの夏、少年はいた)

テーマ:読書雑感
昨日のNHKで「あの夏~60年の恋文~」という土曜ドラマがあった。もしやと思って見ると、昨年発行された「あの夏、少年がいた」をラマ化したものであった。この本は映像作家の岩佐寿弥氏が昭和和19年、奈良高等女子師範学校の4年生のときの教育自習生の教師川口(旧姓雪山)汐子先生をあるTVの映像で見つけ、当時強烈な印象を残して去った汐子先生に手紙を書いたことから二人の手紙のやり取りがはじまり、その往復書簡集である。

同時代小学校生活を送った私は岩佐少年の記憶の確かさと年上の女性教師に対する思慕の念の文章に感心し、「あの夏少年がいた(書評) を載せているので参照されたい。(2005年11月29日のブログ)

ドラマは実際に主人公の川口さん・お孫さんの大学生、岩佐さんが登場し語るドキュメンタリーの部分と、小学生時代の様子をドラマ化した部分に分かれ二人の交流を映像化している。

本で見た二人を描いていたイメージとそんなに違わない実像を拝見したが、ドラマ化された映像には、違和感をもつ場面があったことは否めない。私の体験によるともっと殺伐とした風景が戦争末期にあったように思う。確かに奈良の子供たちは裕福な家庭が多かったと思うが、私は食料難に陥り野山の雑草を追い求めて放浪したことを思い出す。

確かに川口さんがその「教生日誌」に子供の様子を詳細に書き記している様子は戦時体制の中では稀なことであり感心するが、その少年や教師の気持ちが映像化されるとなんとなくそのイメージが限定され美化されてしまう感じである。むしろ、二人の語り(ドキュメント)に真実があり、関心をもったのはそちらであった。

それにドラマのサブテーマ「60年目の恋文」にも抵抗を感じる。岩佐さんの手紙も確かに感傷的で年上の人に対する思慕の面があるが、あの戦争を教師、児童等が共通体験したことこそ貴重であり、またそこに共感する二人の姿に感動する。

私にとってこのような甘い思い出はない。終戦まもなく代用教員の先生に「日本は戦争に負けた、今までお前たちに軍歌(音楽の時間は殆ど軍歌)を沢山教えた。今日はその歌を全部歌って別れよう」と窓を閉めて大声で歌わせ、まもなく辞めていったK先生のことを強烈に覚えている。こんな体験はとてもドラマにはなるまい。

川口汐子/岩佐寿弥著  あの夏少年はいた  れんが書房新社 2005年9月
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2006-09-15 18:44:30

「季語集」を読む

テーマ:書評
俳句の鑑賞が好きであるが、自分では作ることができない。一番の障碍は「季語」があるということである。初心者にとっていちいち「季語集」をめくりながらの発句はどうも性にあわない。

今回俳人坪内稔典氏の「季語集」(岩波新書)を読む機会を得た。これは単なる季語集でなく、季語にまつわるエッセーを載せながら俳句の世界に誘うものである。坪内さんは「子供や青年は季節感を意識しないでほどに自然的であるほうがよい。自然のエネルギーに満ち満ちしていればよい、やがてそのエネルギーだけでは生きづらいくなったとき、季節に頼り、そして俳句を作ろうか、思ったりもする。」と誠に柔軟な考え方をしている。

だからこれも季語?と思うものもあり楽しく読める。例えば「あんパン」でこれは春の季語だそうである。1879年(明治8)4月木村屋(東京)が桜あんパン販売して以来のことだそうだ。意外と季語の誕生は単純である。また「原爆忌」なども国語辞典にはまだ載っていないが、俳句の世界だけに通用しており、毎年多くの俳人が原爆紀の俳句を作っているという。
原爆許すまじと蟹かつかつと瓦礫あゆむ  金子兜太(「少年」1955)

また坪内さんは彼が作った「睡蓮にちょっと寄りましょキスしましょ」という俳句が非難や抗議の渦に巻き込まれた話に考えさせられた。彼は「睡蓮を通して心身のこわばりをほぐさないかぎり、生きることの切実さに深く触れることができない」と考えての作品だったようであるが、「花鳥諷詠」を重んずる俳句の世界では容認されず未だこの「睡蓮事件」は尾をひいているという。伝統的な日本の俳句世界が生きているようだ。

この本では季語のエッセーの後の俳句を2句ほど紹介している。その中で自分の感性にふれたものを紹介してみたい。

春愁やインキの壷に蓋忘れ       森田 峠
客観の蛙飛んで主観の蛙鳴く      正岡子規
素潜りに似て青梅雨の森をゆく     松永典子
草刈の匂いをつけて握手かな      小川千子
便所より青空見えて啄木忌       寺山修司
愛されずして沖遠く泳ぐなり       藤田湘子
がんばるわなんて言うなよ草の花    坪内稔典
山々に囲まれて山眠りをり        茨木和生
もう戻れないマフラーをきつく巻く    黛まどか
枯草の大孤独居士ここに居る      永田耕衣

坪内稔典 季語集  岩波新書  2006年4 月刊
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2006-09-12 20:41:41

「9.11」5周年に思う

テーマ:読書雑感

昨日9月11日はニュヨーク世界貿易センタービルやワシントン郊外の同時多発テロ発生から5年目を迎え数千人が集まって追悼式典が行われたことを今日に新聞は伝えている。特に遺族たちが「昨日のことのように悲しみや痛みを感じる。気持ちはまだあの日にある」という言葉に胸が痛む。

9・11後、テロ撲滅のために米国はまず、タリバンのいいるアフガニスタンを攻め、さらに大量兵器を隠匿、アルカイダと結びつがあるとしてイラクに戦争をしかけた。しかし破壊兵器はでてこず、「ワシントン9日共同」によると米上院情報特別委員会はブッシュ政権が指摘した旧フセイン政権とアルカイダの結びつきを完全否定し、米政権が掲げた「大義」を覆したと報じている。

さらに今日の毎日新聞はこの事件に関連して「米同時テロ:「中東民主化構想」は瓦解の危機に」の題で次のように述べている。

「米同時多発テロから5年の11日、ブッシュ米大統領は「テロとの戦い」の決意を新たにした。しかし、米国が対テロ戦争で撲滅を目指すイスラム武装勢力はアジアと中東の十字路でしぶとく生き残り、米国の軍事行動は住民の反発と過激思想の拡散を招いている。5年前、米の報復攻撃を受けたアフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンは、パキスタンのアフガン国境地域で新たな支配圏を確立しつつある。イラク戦争をきっかけに中東では宗派間対立とテロが激化、ブッシュ政権が掲げる「中東民主化構想」は瓦解の危機に直面している。」



「テロリスト」につくか「自分の方」につくかの二分法の迫り方に誰もテロリストにつくというものはおるまい。しかしそれは「自由を守る」という旗印のもとに、「正義の戦争」(?)を促し、その結果、イラクやアフガニスタンの無辜の民を犠牲にしてしまった。。(アフガニスタン4000名、イラク4万人の民間人死亡)アメリカの著名な言語学者ノーム・チョムスキーは9.11勃発直後、「9.11アメリカに報復する資格がない」という著書を著している。これは雑誌、新聞等で彼が発言したものをまとめたものである。その中に次のような発言がある。

問い お考えではアフガニスタンを攻撃することが「テロに対する戦争」でしょうか?
チョムスキー アフガニスタンを「攻撃すればおそらく大勢の無辜の民が殺されるはずだ。・・・・罪のない民衆がほしいままに殺戮するのはテロリズムであり、テロに対する戦争でない。

問い 平和を取り戻すのに西側世界の市民何ができるのか。
チョムスキー それは市民が何を求めるかで決まる。おなじみのパターンによる暴力の環のエスカレーションを望むなら、米国に呼びかけビンラディンの罠に嵌まり込み無辜の民を大量虐殺すればよい・・・。

9・11後の中東はチョムスキーの危惧が現実のものになってしまった。中東の独裁政権に対するテロ摘発強化は民主化に逆行し、民衆の反米感情に拍車をかけてしまったようだ。

ノーム・チョムスキー著   9・11 アメリカに報復する資格はない。文芸春秋社2001年11月刊

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2006-09-07 17:44:08

カニとエビ

テーマ:時評
北方領土・貝殻島付近で8月16日朝、根室のカニかご漁船第31吉進丸がロシア国境警備庁に銃撃・拿捕され、1人が死亡、2人の乗組員が帰還(30日)したが、船長は依然として拘束されたままである。今日のニュースによると船長に対する予備審問が9月11日に国後島古釜布の地区裁判所で開かれることが決まったそうだ。

この付近で獲れるタラバガニは1.5キロで1万円以上もするというからかなりの高級品である。元々は日本の領土であるから密漁拿捕はおかしいが、外交交渉は領土返還にいたっていないからどうしようもない。

日本のカニ輸入高は9万9千トン(2005年)で水産物の種類では12位にあたるが、その80%は輸入である。輸入国はロシア、カナダ、米国、中国である。ちなみに水産物輸入の第1位は圧倒的にエビで23万3千トン、その90%が輸入でブラックタイガー、ホワイト、むきえび等はインドネシア、ベトナム、インド、中国、タイ、フィリピン、ミャンマー、など東南アジアが輸入先である。、伊勢海老は日本の特産物だと思っていたが、オーストラリア、インドに頼っている。なぜこうも日本人はカニやエビが好きなのであろうか。

やや少し前であるが村井吉敬現上智大教授が「エビと日本人」(1988年 岩波新書)を著し話題をよんだことがある。それによると日本人は世界で取引されるエビの4割を消費(世界一)、1人当りにすると1年間に約3キロ、かなり大型サイズのエビで換算して、だいたい100尾を食べている勘定になるという。

もともと日本人がエビが好きなのでなく、日本の貿易収支の関係で、貿易黒字を解消するための輸入商品として、割と高価なエビをたくさん買い入れるようになり、私たちの食卓に上る機会が増えたのだそうだ。まったく国益の結果であり日本のグルメ志向に拍車をかけたというわけである。現在でもわれわれの食卓にはエビフライ、天丼、寿司、などエビを材料とした食品があふれている。

村井さんはこの本で特にインドネシアの現状にふれ、天然エビの漁獲の他に、養殖のものが増えているという。その結果川岸に繁茂しているマングローブ林の破壊、地下水の枯渇など深刻な環境破壊が起こり、現在も進行中という。エビ、カニというわれわれの飽食ともいうべき食生活の陰に、密漁(?)しなければならない日本漁民の生活問題や東南アジアの環境問題が横たわっているのである。

村井吉敬著  エビと日本人  岩波新書  1988年4月刊
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2006-09-05 19:45:38

エイドリアン・ミッチェルの詩

テーマ:読書雑感

岩波の「図書」に詩人アーサー・ビナード氏が「poetory talks」を毎月載せている。日本語の堪能なビーナードさんのこなれた訳詩を愉しみに読んでいる。今月号は英国の詩人エイドリアン・ミッチェルの短詩を紹介している。


Celia  Celia     Adrian  Mitchill

When I am sad and weary
When I think all hope has gone
When 1 walk along HIgh Holbon
I think of you with nothing on.

シーリア、いとしのシーリア

落ち込んだりくたびれたりしたとき
希望をすっかり見失ったとき、ひとり
ハイボールホーンを延々と歩くとき
ぼくはきみのことを思い浮かべるー
 す裸にして。

ビナードさんは「心底誰かにほれて大好きなその相手と一緒になると、ものの見方も変わり、みだらな空想も充実してくる。殺風景な幹線道路に沿ってとぼとぼ歩き、疲れた心の支えに、彼は恋人のシーリアを想う。二人は今、れっきとした夫婦だ。」と解説している。ビーナードさんの「with nothing on」=「すっ裸にして」の訳は、我々凡人にはとても思いつかない。

エイドリアン・ミッチェルを海外サイトで調べてみると、He has written large numbers of love poems and political poems.(彼は愛や政治的な詩を多く書いている。)と書かれ、上記のような詩ばかりでなく、ベトナム・イラク戦争に反対し平和を脅かすものへの嫌悪を詩に表現しているようだ。

その中に「To Whom It May Concern 」とベトナム戦争について書いた詩がある。最初の所だけ紹介する。(小生の拙訳)

To Whom It May Concern

I was run over by the truth one day.
Ever since the accident I've walked this way
So stick my legs in plaster
Tell me lies about Vietnam

  
拝啓

ある日、ある真実に気づかされた。
ばんそうこうを貼った足でこの道を歩いてきて
ある事件に遭遇して以来ずっと
ベトナムについての嘘を教えてくれ

詩は戦争について彼なりの感覚で平易な文章で深く捉えている。最後の部分に彼の本音が伺われる。

You put your bombers in, you put your conscience out,
You take the human being and you twist it all about
(あなた方は爆撃機を内におき、良心を外におく
 あなた方は人間を捕らえいたるところで歪めている。)

私はエイドリアン・ミッチェルという詩人を知ったことで満足している。

アーサー・ビナード作  看板倒れ  「図書」9月号  岩波書店 2006年9月刊

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2006-09-02 19:35:35

「殿様の通信簿」を読む

テーマ:書評
事実は小説より奇なりというが、歴史学者である著者が史実に基づいて江戸時代の大名の評価について書かれたもので誠に興味深い内容になっている。実は元禄時代に書かれた「土芥寇讎記(どかいこうしゅうき))という本があり、公儀隠密が探索してきた諸大名の内情を幕府の高官がまとめたもので、著者に言わせるとこれが「殿様の通信簿」にあたるという。

この本では徳川光圀(水戸藩)、浅野内匠守と大石蔵之助(赤穂藩)、池田綱政(岡山藩)、前田利家、前田利常(加賀藩)内藤家長(延岡藩)本多作左衛門(家康家臣)が書かれている。

光圀はこの通信簿では評判がよいが、「ひそかに悪所に通い、酒宴遊興甚だし」と書かれている。これについて著者は女好きは間違いないが所謂遊郭に出入りして学芸の交流を図ったのではないか。つまり光圀とっては文化サロンであったわけである。学問があるが柔軟な思想の持ち主で、「光圀漫遊」もこのようような色街に出没する噂からでたものではないかという。光圀が「女好き」は例外でなくは他の殿様、浅野内匠守や池田綱政にもあてはまるようだ。浅野は「長矩女色を好むこと切なり」、綱政は「曹源公(綱政)の子七十人おわせし」と書かれている。特に綱政は「不学、文盲で女色に耽っている」の通信簿である。なぜこうも大名に好色漢が多いのか?世継のために側室がいたのは常識であるが、元禄以来の「平和ぼけ」と豊かな生活とも関係ありそうである。

これに対して加賀藩の利家、利常の行動について著者はかなりの紙数を割いている。つまり外様の加賀百万石はなぜ潰されなかったか?徳川対加賀の確執と権謀術数の内容は興味深い。利家は秀吉に仕え、息子の利長にも秀吉の子、秀頼を守れと厳命してしている。そのままでは前田家が取り潰しにあってしまう。ところがタイミングよく利長が死んでしまう。(自殺説あり)跡を継いだ利常(側室の子)は家康の大阪の陣で活躍し加賀は生き延びるという段取りである。利常は徳川に侮られないようにできるだけ改易にふれない程度に抵抗を試み、藩営を維持している。

しかし元禄以降の大名は一般的には生活が豊かになり贅沢が可能になり、いろんな文化が発達に貢献するが、安定性を求め官僚に政治をまかせてしまう。土芥寇讎記はその事情をよく記録している。幕末の激動に成すすべのなく右往左往する殿様たちが数多くいたことがそれまでの彼ら生活を通じてよくわかる。

磯田道史  殿様の通信簿   朝日新聞社  2006年6月刊
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