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2006-06-29 21:06:42

自分の本懐問え

テーマ:読書雑感

福井日銀総裁が村上ファンドに1000万円を拠出しその運用額が2200万になっているという。彼自身与野党の政治のかけひきに巻き込まれて気の毒な点もあるが、ルールに抵触しないといいながらその姿勢はいただけない。

今日の毎日新聞のシリーズ「戦後60年の原点」で「経済成長」をキーワードに作家の城山三郎さんが「自分の本懐問え」のテーマで戦後経済の発展について記者の質問に答えて語っている。

そのなかで「本にされている経済人も多いですが記憶に残る人物は」に答えて「土光敏夫さん。経団連会長を辞め、第2次臨調の会長をしていたころ、自宅を訪ねると玄関の戸の滑りが悪くて開かない。ガタガタやっていると、土光さんが庭先から「そこはだめだ。こっちこっち」と手招きして縁側から家に入られれましてた。あばら家でね、庭の手入れもしない。私心のない人でね、臨調も日本のため、それがアジアのためになればと引き受けたのでしょう」と述べている。

いささかも私心がなく、国家経済の改善に乗り出した土光さんは城山さんにとっては「自分の本懐」をとげる好ましい人物に写ったようだ。城山三郎編「男の生き方40編」の中に土光さんの長男、陽一郎さんが「日曜日のない父」の題でエッセーを載せている。

とにかく家庭を省みず、家では過去のことや仕事のことを話さなかった人であったらしい。父の好きな言葉は中国の古典「大学」に出てくる「まことに日に新たに、日々新た、また日に新たなり」でその日一日を大事にしようと生きていたという。「ミスター合理化」といわれた土光さんであるが、土いじりが好きで家ではつつましい生活であったようである

城山さんは「ホリエモンや村上ファンドについて聞かれ「いつの時代にもああいうはざまに生きる人は出るもの。でも私の小説の素材にはなりません。要するに金儲けだけでしょう。カネの力に任せるところに美学はない。金儲けのうまい人や会社に興味なし。勘弁です」と切り捨てている。

そして男であろうとあろうと女であろうと「ここが自分の本懐」があるということですね。国民が意識がもてば「国の本懐」がみえてくるのではないでしょうか」と述べている。かって城山さんは国鉄総裁をした石田礼助を「粗にして野だが卑ではない」と表現したが、今の経済人には日銀総裁を始めとしてスマートだが「卑しい」人間が多すぎる。

城山三郎編 男の生き方40選  上・下  文芸春秋社1991年4月刊

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2006-06-26 15:38:10

哀悼、詩人宗左近さん

テーマ:読書雑感

詩人・評論家の宗左近さんが19日未明、東京都内で死去した。尊敬し親しみを感じていた人々が最近お亡くなりになり寂しい。詩人・作家の清岡卓行さん、作家の米原万里さん、歌人の近藤芳美さんとブログで哀悼の意を表したばかりである。

宗さんがその人生の中で出会った沢山の詩歌を紹介した「詩歌のささげもの」 の読み感銘を受けた点をHPにメモしている。その中で、私は「昭和20年の東京空襲の火炎の中で母と別れ離れになり死なせたことを自分の責任と感じ、常にそれを負い目に「自分の罪」として生きてきたことが彼の詩の原点にあるということである。自分が被害者でなく加害者であるという彼の意識はずしりと胸に響く」と書いた。

宗さんは、縄文土器の収集家としても知られている。宮城県加美町にの縄文芸術館 には、宗さんが半生をかけて収集した縄文土器・土偶のコレクション200点が寄贈されたのが展示されている。2度ほど訪れたことがあるが、特に東北地方に出土した土偶、深鉢、壷などの土器には魅せられた。さすが詩人の感性はこの縄文の凄まじい超時空のエネルギーの別名こそ詩であるという言い方をしており圧倒される。

しかしなんと言っても空襲で亡くなった母を詠った「燃える母」が頭から離れない。この1月に詩集が愛蔵版として発行されたばかりである。詩の後半部である。



見ている炎の海はたちさったけれど
見みえない炎の海があふれかえっているのだから
サヨウナラはないサヨウナラとはいえない

ああ炎えあがり炎えあがりつづける母だから
わたしのまるごと垂直に宙に吸いあげられてゆきかねない
この白すぎる朝を焼きおとすために
この光すぎる中空を煙らせるために
サヨウナラはいわないサヨウナラはいいえない
わたしは炎されつづけてゆかなければならないのだから
サヨウナラぐるみ炎していったもののためにわたしは
サヨウナラぐるみ炎されつづけていかなけばならないのだから
懐かしい母の乳房の匂いのする
サヨウナラはないサヨウナラよサヨウナラ
幼い日の夕焼けの染めている
サヨウナラはないサヨウナラよサヨウナラ

戦争犠牲者や縄文人への鎮魂をうたい続けた詩人の宗左近、享年87歳。合掌。

宗左近著  長篇詩 炎える母   日本図書センター (2006-01-25出版)

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2006-06-23 22:29:24

歌人、近藤芳美さん逝く

テーマ:読書雑感

戦後短歌を担い手であった近藤芳美さんが21日亡くなった。短歌に疎い私がなぜ近藤さんを知っているかというと、20数年前彼が著した「青春の碑」という自叙伝に感銘を受けた記憶があるからである。書架から埃のかぶった本をとりだし読み返してみた。

この本は近藤さんの旧制中学校、高校、大学時代、さらに中国での軍隊生活を短歌とのかかわりを中心に、家族、友人、歌人などの人間関係を描き、彼の思索する様子を率直に述べているのが印象的ある。昭和10年代、近藤少年は日本の戦争の足音の響きを目に見えない重圧として鋭敏に嗅ぎ取っていたようである。また旧制高校時代の寮生活で文学・人生を語り合う体験もしている。そこには多くの友人の名前が出てきて詳述されている。

同じ町に転地してきたアララギ派歌人中村憲吉と知り合い、さらに土屋文明に近づく。特に文明の出会いは強烈である。近藤さんの原稿をざっと目を通すとも一度全部作り直すように指示する。しかし忘れられたように片隅に残っていた近藤さんに優しい言葉をかける。文明の厳しさと優しさが伝わってくる場面である。

近藤さんは東京工大の建築科に入学するが、アララギとの関係を保った生活を送っている。当時の近藤さんの短歌が紹介されている。「国論の統制されていくさまが水際たてりと語り合うのみ」文明は「こんな歌を作っているといまに君は縛り首になるぞ」と荒い声で冗談をいったという。

しかし近藤さんのつぎの言葉が歌人としての芽生えと姿勢がうかがわれる。「周囲の世界が次々に音をたてて崩れていくような日、だれもしだい同じことを語りだす日、少年の日から、いつもためらい友人たちに恥じるように作りつづけた短歌だけが、自分の最後のことばだと私はひとり思い始めた」近藤さんの短歌生活の原点ではないか。



中国での軍隊生活体験についても詳述しているが、軍隊で上官に不条理な目に合いながら近藤さんはただ非難するのでなく、そのよさも見つけ出し描いている点は凡百の戦争体験記ではない。ただ、彼は病気で戦場に赴いていないが、日本兵の残虐な行為について兵士が語り合った事実を書き留めている。この戦争体験が近藤さんの精神生活あるいは作家活動に影響をあたえたことはまちがいない。

また妻年子さんとの出会いと結婚、支えあう二人の描写は美しい。病身の彼女をいたわりけなげに生きていく姿に感動する。死亡記事によると喪主は年子さんになっているようで未だ健在であることを知った。

この本は近藤さんは「青春の碑」と名づけているが、「今は過去になってしまった戦争を一時期の青春として共に学び、共に苦しみ、それぞれの生き方を求めて死んでいった人々を私の悔いの記録と共にひそかに目に見えない石に向かって刻みつけたかったからである」とのべている。謙虚に生きた近藤さんらしい言葉である。

私は残念ながら近藤さんの短歌の作風にについての知識はもたない。2年前、90歳を過ぎてからの歌集「岐路」を発行。その中に「テロリズムに加担するか文明の側に立つか問う単純のすでに仮借なく」 というのがあった。「今現在が時代の岐路だ。戦争とは何か。人間と戦争の関係を中世まで遡って考えなければならない」と述べていたという。(毎日新聞、坂井佐忠氏)未だ鋭い文明批評を持ち合わせていたことに驚嘆する。

過去の体験を忘れず真摯に生きた近藤芳美 享年93歳。合掌

近藤芳美著  青春の碑(上、下)1979年10月刊

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2006-06-20 21:47:57

善意の押し付け

テーマ:読書雑感

地元の福祉関係紙に母親ボランテアのグループが一人暮らしの中高年者に月に何回か弁当を届ける活動をしている様子が載っていた。たまには一緒に会食する機会も設けて喜ばれているそうである。確かに善意の活動に違いないが、私のような天邪鬼には素直に受け取れないものがある。

アメリカの作家で、庶民の哀歓とユーモアを描いた作家O・ヘンリーがいる。彼は数多くの短編を書き「最後の一葉」「賢者の贈り物」などは知られた作品であるが、その中に「善女のパン」というのがある。

40歳になったミス・マーサは独身で小さなパン屋を開いている。毎日固くなった古パンの塊を買いに来る画家風の男がおり密かに思いを寄せ、めかした服装をして応対する。ある日、古パンを求めた時、たまたま消防車が通り過ぎ、男は戸口に見に行く。そのスキにミス・マーサは男が買ったパンを深く切り込みバターを塗り包んでおく。

翌日、その男が血相を変えて店に来る。毎日笑顔で会話を交わしていた男が「おまえみたいなやつを、おせっかいのバカ女というんだ。」と叫ぶ。止めに入った仲間の若い男によると、彼は建築の製図家で新しい市役所の設計図の懸賞に応募するために鉛筆で下絵を描き、それが出来上がると一握りの古いパン屑で下絵を消していたのだ。(消しゴムよりよく消える)それが彼女がパンにバターを塗ったばかりにその設計図が駄目になってしまったというのだ。

最後の場面がO・ヘンリーらしい終わり方である。「ミス・マーサは奥の部屋に行った。水玉模様の絹のブラウスをぬいで、いつも着ていた古い茶色のサージの服に着替えた。それからマルメロの実と硼砂との混合物を、窓の外の屑箱へ捨てた。」

相手を考えない思い込みの善意は他者を傷つけることが多い。私には「善意の給食弁当」にそれを感じてしまうのである。他人の食事にまで口を出さないでほしいというが私の考えである。

O・へンリー著   O・ヘンリー短編集(一) 新潮文庫 1993年3月刊

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2006-06-17 21:24:36

「ドミニカ移民訴訟」と「蒼氓」

テーマ:読書雑感

今から50年前、ドミニカへ移民した日本人のうち170人(原告)が東京地裁へその移民政策の杜撰さを糾弾して国に賠償請求をしていた訴訟にたいして移民が「物心両面にわたって幾多の辛苦を重ねてきた」と述べ、国の違法性を認めながら約31億円の賠償要求は「除斥期間(20年)を経過しており、請求の権利は消滅している」という判決を下した。

ドミニカ移住は1956年、日本政府がドミニカ政府の申し出を受け、「カリブ海の楽園で広大な優良農地が無償で手に入る」と宣伝し、56年から59年の間に10数回にわたり249家族、1319人ドミニカに渡った。ところが、実際は石ころばかり多く、塩が噴出し灌漑用水もなく農業に向かず、理想とは遠くかけ離れた荒れ放題の土地だったという。

移民たちは生活苦に喘ぎ、40年以上も救済を求める要求を続けたが政府はこれといった対策をとらず、ついに2000年国を相手取り賠償請求をの提訴をしたが、判決は国の責任を認めながら時効で賠償できないというのである。国の無責任さ、法律の無情さに心が痛む。これでは「棄民政策」といわれても仕方がない。

中南米への移住は今に始まったことでない。石川達三の「蒼氓(そうぼう)」(第1回芥川賞受賞作品)は1930年代のブラジル移民についてかかれたものである。この作品は第一部 蒼氓、第2部 南海航路、第3部 声無き民となっているが、第一部では出発までの収容所の生活、第2部ではブラジルまでの航海の様子、第3部でブラジル到着し移民生活の始まりを描いている。「蒼氓」は辞書を引くと「人民、一般の人」の意味であるが、「氓」そのものには移住民、外来人の意味もある。亡+民でなんとなく棄民のニアンスを感じる言葉でもあり、石川達三はこの意味も含めているのかもしれない。



その出発にあたっては『「ブラジルさいくからには俺あ、死んだ気に働ぐつもりだ。なあ麦原さん」「ンだない」彼は皺の寄った黒い顔を上げて答えた。「どうせ、日本に居だとて何ともなんねで、飢え死ぬもんなら。・・・なしゃ」「ンだンだ」と相手は応じた。「誰もな、楽に食べられる者だら、移民にゃあなんね。なあ」』という会話の場面がある。昭和10年代の農村の状態をよく表している。あまり期待しないでの移住であったことがわかる。

またたブラジル移民の生活について「ブラジルの生活は日本で想像したような理想な天国でもないし、無限の宝庫を開く開拓者の野心的生活もないし、また易々と大成できる所でもいことが大分わかった。健康地でもない楽天地でもない。労働の激しいこともわかったし、島流しであることもわかった。」と述べている。

しかしこの小説では国の棄民政策を知りながら、この地に住もうという移民たちに対して、石川は「ここはブラジル国の土でもなく日本の土でもない。ただ多勢の各国人の寄り集まって平等に平和に暮らす原始的な共同部落に過ぎなかった。大陸の大自然のなかに迷い込んだ人間たちが住む小さな洞穴ともいうべきもであった」と書き、そこに曙光を見出し生きていこうとする移民へ励ましを送っているようにもとれる記述に注目したい。

しかるに50年前のドミニカ移住は「カリブ海に浮ぶ南海の楽園」という政府の鳴るもの入りの移住政策である。それに踊った人々を云々するのは酷であるが、期待を膨らませての出発であった。それだけになんともやりきれない痛みを感じる。

石川達三著  蒼氓・日陰の村  新潮社  1972年10月刊

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2006-06-15 16:57:55

小野小町と芍薬

テーマ:読書雑感


6月、芍薬の花の季節である。昨日もう一つのブログ「From Dewanokuni」 に地元の小野小町伝説について書いた。ところが、作家岡本かの子がこれをもとに「小町と芍薬」という作品を書いていることを知った。著作権がなくなったのでインターネット図書館「青空文庫」でも掲載されている。(小町の芍薬

国史国文学の研究家である村瀬君助が小町伝説がある秋田県雄勝郡小野(当時)を訪ねる内容である。おそらく岡本かの子はこの地を実際に訪ねこの作品を書いたものと思われる。次の描写は50数年前のこの地が生き生きと描かれ近くに住む私には想像できる懐かしい風景である。

「北国の六月は晩春の物悩ましさと初夏の爽かさとをこき混ぜた陽気である。梨の花も桃も桜も一時に咲く。冬中、寒さに閉ぢ籠められてゐた天地の情感が時至つて迸り出るのだが鬱屈の癖がついてゐるかして容易には天地の情感が開き切らない。開けばじつくり人に迫る。空の紺青にしても野山の緑にしても、百花の爛漫にしても、くゞめた味の深さがあつて濃情である。真昼の虻の羽音一つにさへ蜜の香が籠つてゐた。芍薬の咲いてゐる所は小さい神祠の境内になつてゐた。庭は一面に荒れ寂れて垣なども型ばかり、地続きの田圃に働く田植の群も見渡せる。呟くやうな田植唄が聞えて来た。」



村瀬君助はなぜこの地を訪れたのか。彼は妻子を失い、伝説の美女小野小町にのめりこみ、「小町は無垢の女だ。一生艶美な童女で暮した女だ」と思い込んだからである。友人は少女病(マニア)のかかったという。今の言葉でいうと「ロリコン」であろう。そして、この地で釆女子(うねめこ)という16歳の美少女に出会う。少女は「この土地は小野の小町の出生地の由縁から、代々一人はきつと美しい女の子が生れるんですつて。けれどもその女の子は、小町の嫉みできつと夭死するんですつて」と顔を芍薬に埋めて摘んだ花に唇を合わせ、白い踵をかへして消えるやうに神祠の森蔭へかくれてしまう。そしてこの作品の最後の場面である。

「失神したやうになつてゐた君助は、やがて気がつくと少女が口づけた芍薬の花を一輪折り取つた。彼は酔ひ疲れた人の縹渺たる足取りで駅へ引き返した。君助は東京へ帰つてから、かなり頭が悪くなつたといふ評判で、学界からも退き、しばらく下手な芍薬作りなどして遊んでゐるといふ噂だつたが、やがて行方不明になつた。」

岡本かの子は一人の男が小町という超現実の美女の俤を心に夢み、小町伝説の地での美少女の出会いを通してその伝説の呪縛から抜けることの出来なかった孤独な男の姿を芍薬に託してを見事に描いている。現在も小町塚のある祠のある山の麓には芍薬が咲いている。

岡本かの子著「小町の芍薬」「花の名随筆6 六月の花」作品社  1999年5月発行

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2006-06-13 22:07:06

ジェームズ・ジョイスとブルームズ・デイー

テーマ:読書雑感
アイルランドの作家ジェームズ・ジョイスの作品「ユリシーズ」にちなんで毎年6月Bloomsdayが開かれている。これは主人公であるブルーム夫妻にちなんで開催されるもので、一昨年ユリシーズ100周年 の記念行事が行われたことをブログにも書いた。

今日のアイルランドのウェブ誌「Ireland on line]の記事によると、Bloomsday events unveiled (ブルームズ・ディーの内容明らかになる)の記事が載っている。

Joyceans are being invited to a traditional Guinness and kidneys breakfast on North Great George’s Street while tours, talks and readings will be held throughout the city centre.

(ツアー、話し合い、読書会などが市センターで開催されいる一方、ジョイスファンは北グレートジョージ街での伝統的なギネス(アイルランド Guinness 社のスタウトビール)と内臓料理の朝食会に(ブルームは好んで獣や鳥の内臓を食べた)招かれる。

ジョイスはアイルランドでは今でも人気があるが、青年期にはアイルランド民族主義に冷淡で、故国を嫌い孤立し、後年、フランスやスイスを転々としながら執筆活動を続けている。しかし、故国への思いはあったようだ。

彼の著作「ダブリンの人々」中に「死せる人々」という作品がある。これは二人の老姉妹が毎年のクリスマスシーズンにダブリンの自宅に知人を呼んでパーティーを開く。二人の古くからの友人たちは、テーブルを囲み四方山話をする内容である。

その中に客の一人が「あんたがあんな新聞(デイリーエクスプレス紙、ロンドンの朝刊新聞でアイルランド民族闘争に反対の立場をとる)に書くなんてあんたがウェスト・ブリトンだとは思わなかった」という会話がある。これはwest Britonのことで、アイルランド併合以後、英国本土人を指してBritonとよび、西方のイギリス人、つまり生粋のアイルランド人でないことから「イギリスかぶれ」を意味しているようだ。

アイルランドは長い間のイギリス支配が続き、故国を嫌ったジョイスも作品では故国に対する思いが強かったらしい。それが「イギリスかぶれ」の言葉になったと思われる。やはり彼はアイルランドの作家である。

ジェ-ムズ・ジョイス著/安藤一郎訳 ダブリン市民  新潮文庫 (改版) 2004年12出版
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2006-06-09 22:13:39

白洲次郎の直言

テーマ:書評

珍しくわが田舎町の書店に今売れている本の中に白洲次郎の本が3冊並んでいた。白洲次郎の流儀 (白洲次郎・白洲正子・青柳恵介・牧山桂子他著 新潮社2004-09-25出版)、白洲次郎占領を背負った男( 北康利著 講談社 2005/08出版)、プリンシプルのない日本(白洲次郎著  新潮文庫 2006/06出版) である。

今何故「白洲次郎なのか」つい先日、「風の男 白洲次郎 新潮文庫」を読んだばかりであるが、確かに体制の中にいながら権力に靡かず自分流に生きた男して惹かれる面があるが、所詮は上流階級の貴族的人間という先入観はぬぐえなかたった。だが待てよ、こんなに自由に振舞える人間が現在の財界、政治の世界にいるのか?否である。彼の評伝を書いた青柳恵介氏は「風の男」、親友であっ作家今日出海氏は「育ちのよい野蛮人」と呼び、本人は「カントリージェントルマン(田舎紳士)」と自称した白洲次郎への郷愁が共感を呼ぶのも、現在、「魅力ある人間」の欠乏のせいであろうか。

一体、彼自身、戦後の日本をどう見ていたのだろうか?彼が諸雑誌に載せた雑感(政治、経済占領政策、日本人論)が平成13年出版され、今回新潮文庫から出たばかりの「プリンシプルのない日本」を(1951年(昭和26年)から5年間、文芸春秋に載せたものを)読んでみて特に感じた点を書いてみたい。

新憲法制定でGHQとかかわった白洲の新憲法の性格と改正問題は今日的問題としても参考になる。白洲は「現在の新憲法は占領中米国側から「下ろしおかれた」もので・・占領がすんで独立を回復した今日ほんとの国民の総意による新憲法ができるのが当然であると思う」という基本的考え方を述べている。しかしその憲法のプリンシプルは実に立派である。戦争放棄の条項はその圧巻であり、押し付けられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきであるとも述べ、その柔軟な考え方は昨今の憲法改正論者と違うことに気付かされる。



また安保条約を結んでいるアメリカへの姿勢も傾聴に値する。彼は戦後占領政策の非なる部分に断固反対した石橋湛山を賞賛し、政治家、役人の中に「骨のある奴がいない」「八方美人が多すぎる」と嘆いている。だから「アメリカがどんどん主張しこちらはおっかなびっくりで、何も云わないようなら、日を経るにしたがって残るのはただ誤解と悪感情だけだ。政府も殊更外務省や駐米の大使館はもっと勇敢に信念をもってアメリカに当たるべし」と述べている。これを書いたのが1956年、今から50年前である。日本の対米政策の現状を考えるときに白洲の警告は全然生かされていない。日米同盟は大切であるが、モノをいえない日本外交を墓下の白洲は苦笑しているに違いない。

白洲は妻の正子の関係で吉田茂と縁戚関係にあり、彼とウマがあい何でも云える間柄であったが、吉田茂の政治家としての功罪の最大の失敗は辞め時をあやまったことにあるという。サンフランシスコ平和条約の帰路「あなたの政治的役目はすんだから帰朝後辞める様に」と忠告したそうである。しかし池田勇人の慰留にあって辞めず最悪の事態を迎えたという。それでも「吉田老は枯れない滅私奉公の愛国者であったが、成果としての失敗は彼の年齢であり彼の育った時代の結果であり彼を責めるのは酷である」と吉田を敬愛していたことが分かる。

全体としてこの本は世の中全般にわたる文明批評でもあり、その内容は一方に偏せず公平に物をみて判断し直言する態度には感心する。彼を精神的貴族としか見なかった不明をわびたい。

白洲次郎著 プリンシプルのない日本  新潮文庫  2006/06出版)

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2006-06-07 21:10:01

詩人清岡卓行氏の死を悼む

テーマ:読書雑感

作家・詩人としても知られる清岡卓行氏が3日死去した。中国・大連生まれ。もともと詩人であるが、先妻の死をきっかけに小説を書き始め、大連の街の記憶と、そこでの先妻との出会いを作品化した「アカシヤの大連」で、70年に芥川賞を受賞している。

私は彼の叙情に溢れた詩が好きであるが、生まれ育った「大連」への思いが詩や小説の中に顔を出している。彼の作品「邯鄲の庭」に「ある濁音」という文章あり、「大連」を「だいれん」と読むか、「たいれん」と読むかにこだわりをみせている。

中国製のジャムを見つけ、その瓶のラベルをみたら大連で作られたもので中国語と英語で書かれており、その中に大連が「DAIREN」と記されていることに喜びを見出したことが書かれている。というのも日本の権威ある国語辞典を調べたら「だいれん【大連】→たいれん」とあり、「たいれん」が主で「だいれん」が従になっていることに清岡さんは「消しがたい違和感」を覚えたというのである。

そして、清岡さんは『「大連」にあまり関心のない日本人からみれば、「大」という文字が「だい」とも「たい」とも読むこのであるから、その発音のちがいなどどちらでもいいことかもしれない。しかし、私にとっては重大な問題であった。やや誇張して言えば、「だ」であるか「た」であるかの音声上のごく僅かなちがいによって、私の幼年時代や少年時代の思い出は、生きもすれば死にもするように思われたのである』と述べている。

その文章の最後には「人間は年をとってくると少年時代や幼年時代の記憶が不思議に鮮明に浮かび上がってきたりするというが、そのことと関係あるのだろうか?つまりDAという濁音は私の遠く遙かな記憶が生き生きとと甦ってきたりすることについて、思いもかけなかった予告の音楽的な合図なのだろうか?」と結んでいる。清岡さんの幼・少年時代育った「大連」に寄せる思いがひしひしと伝わってくる文章である。

遠い別れ 清岡卓行

明日あたり 春が訪れそうな静かな夜
幼い子供と寝てその眠る顔になぜか
ぼくが死ぬとき彼が感じるであろう
驚きや悲しみや怖れなどをふと想像する。
     詩集「 四季のスケッチ」より)

大連の思いを忘れず、鋭い観察眼とみずみずしい感性をもった詩人・清岡卓行の死を悼む 享年 83歳、合掌。

清岡卓行著  邯鄲の庭    講談社   1980/05出版


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2006-06-04 20:43:50

絵画盗作事件とベンヤミン

テーマ:時評

春の芸術選奨で文科大臣賞を受けた洋画家の和田義彦氏が、知人のイタリア人画家アルベルト・スギ氏(77)の作品と構図などが酷似して作品を多数出展し問題になっている。和田氏は「似た作品」と認めながら「同じモチーフで制作したもので、盗作ではない」と主張している。

同じ場所や人物を描いたのなら類似作品が出る場合があると思うが、それにしてもスギ氏は「和田氏のカタログ2冊を見ただけでも、少なくとも30点は盗作に当たる」と多くの作品に類似が見られるようである。

これについて今日の「日経」のコラム「春秋」はドイツの思想家のベンヤミン(1892~ 1940年)の、「芸術作品はそれが存在する場所に1回限り存在する」の言葉を引いて、「ベンヤミンは複製技術で作品からアウラ(霊気)が失われる芸術の運命を予測したが、こんな「複製」がまかり通るのを見通せたかどうか」と述べている。

これはベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」という著書の中でのべたものである。写真の出現によって、複製技術が発達すると芸術作品の真正性が問われるという。つまり「ある事物の真正性は、その事物において根源から伝えられるもの総体であってそれが物質的に存続していること、それが歴史の証人となっていることを含む。歴史の証人となっていることは、物質的に存続していることに依拠しているから、その根拠が奪われる複製にあっては歴史の証人となる能力もあやふやになる。・・こうして揺らぐものこそ、事物の権威、事物の伝えられる重みに他ならない」と述べている。

この著書を解説した多木浩二氏によるとこの「重み」を総括して「アラウ」であると述べている。だから「日経」のコラム氏が「アラウ」を「霊気」と訳しているが正確でない。作品の中の歴史的重みを含む総称で「複製技術時代に芸術作品において滅びゆくものは作品は「アラウ」である」と述べている。

今回の盗作は確かに色つかいなどに工夫が見られるというが、ベンヤミンの理論からすると模写にすぎない。そこには「根源から伝えられるもの総体」は感じられず、まして「歴史の証人にはなりえない」。作品は「共同制作」や「オマージュ」というが苦しい弁解に過ぎず。70年前ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」で説明した「アラウ」はどこにもない。

多木浩二著  ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読  岩波書店 (2000-06-16出版)

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