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2006-03-30 22:06:31

イギリス人の読書傾向

テーマ:読書雑感
4月23日はユネスコにより「世界本の日World Book Day]に指定されている。英国ではそれに先立ち、3月2日にWorld Book Dayが開かれ、その様子をWorld Book Day2006 に載せている。

その中にFavourite Happy Endings from a Book(ハッピーエンドの小説で好きな作品)のアンケートを実施しその結果The results of our Happy Endings survey を発表している。ベスト10は次の通りである。

1.Pride and Prejudice (高慢と偏見 :ジェーン・オースティン著(英)
2.To Kill a Mockingbird アラバマ物語 :ハーパー・リー 著(米)
3.Jane Eyre(ジェーン・エアー; シャーロット・ブロンテ 著(英)
4.The Curious Incident of the Dog in the Night-time(夜中に犬に起こった奇妙な事件:マーク・ハッドン著(英)
5.Rebecca (レベッカ : ダフネ・デュ・モーリア 著(英)
6. The Time Traveler's Wife(タイムトラベラーズ・ワイフ:オードリー・ニッフェネガー(米)
7. A Town like Alice (アリスのような町:ネヴィル シュート(英)
8. A Room with a View (眺めのいい部屋:エドワード・モーガン・フォースター著(英)
9. The Shadow of the Wind(風の影: カルロス・ルイス・ザフォン著(スペイン)
10. Middlemarch(ミドルマーチ:ジョージ・エリオット著(英))

殆ど英国の作品が多い中で、2位の米国「アラバマ物語」、8位米国のタイムトラベラーズ・ワイフ、9位にスペインの「風の影」が入っているのが注目される。特にアメリカの人種差別を扱ったアラバマ物語は’61年にフィクション部門でピューリツァー賞を受賞し、’63年に映画化されアカデミー賞に輝いた作品である。実は先日TVでこの映画を見たばかりである。強姦の嫌疑をかけられた黒人青年を救おうとする弁護士(グレゴリー・ペック )の熱演に魅せられた。この作品をイギリスでも読まれているとは予想外のことであった。

なおアンケートはUnhappy endings people would most like to change(悲しい結末を変えたいと思う作品)やDo you think that following endings are happy or sad?(次の作品はハッピーエンドか悲しい結末か)などの結果も載せられ英国人の読書傾向を知ることができる。

ハーパー・リー著 菊地重三郎訳 アラバマ物語   暮しの手帖社 (1984/05)
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2006-03-27 20:34:20

サトーハチローの涙

テーマ:読書雑感

作家佐藤愛子さんが雑誌「オール読物」に「まだ生きている」というエッセーを毎月載せている。その4月号に不良兄貴(愛子さんの言葉)サトウハチローのことについて書いている。ハチローは上野の美校(現芸大)にニセ学生として2年間通学(?)していた時の話である。

勘当を受けているハチローは空腹に耐えかね、上野動物園の七面鳥を釣ろうと仲間と鯛をつる太い針にみみずををつけて垂らしたら、「ほろほろ鳥」がかかってきた。焼いて食べたたら美味しいので毎日出かけて釣上げた。これに気づいた動物園では美校生の仕業とにらみ、動物園長の名前で美校校長の宛てに次のような手紙をかいた。

「貴校の猿どもが我がほうのほろほろ鳥を獲るので困っている、厳重に取り締まってもらいたい」それに対して美校正木直彦校長の返事である。「貴園の猿は檻の中に入っているから問題はないでしょう。しかし我が校の猿は放し飼いであります。どうかほろほろ鳥はそちらで守っていただきたい」手紙のやりとりを知らないハチローが次の日出かけ竿を垂れようと下を見たら、ほろほろ鳥の姿はなく猪がいたという。

佐藤さんは「まことに心あたたまる話ではないか。正木校長、動物園長ともに大人物ある。このことがどこから漏れて学生間に広まったとき、全校生徒は正木校長を崇拝したという。後年その話をする大不良ハチローの目にも涙が浮んだという。」

佐藤さんは駒大苫小牧高校の野球部卒業生が宴会を開いたことに関して青春は無軌道なものだ。これくらいのことで目くじらをたてるとは何事かと上記の例をだしたのである。佐藤さんは「やってしまうのが青春なのだ。正木校長はそれを理解したのだろう」と述べている。

佐藤さんのエッセーは「古きよき時代の話」であり、時代錯誤も甚だしいと批判される方も多いのではないかと思う。全てに責任をとらせがんじがらめの現代の社会ではハチローの行動は格好のマスコミの餌食になるのは目に見えている。佐藤さんも「作家佐藤紅緑の長男、ニセ学生発覚」「ニセ学生ほろほろ鳥を食う」くらいの記事になったろうと述べている。佐藤さんが言いたいのは駒大苫小牧校のことよりも、すべてに余裕がなくアソビがない時代に対する警鐘と受けとめた。その意味で彼女のエッセーは一服の清涼剤である。

佐藤愛子著  まだ生きている 不愉・・・ム、ム、ムオール読物4月号  2006年3月

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2006-03-25 21:29:40

藤沢周平「幻の短編」発掘

テーマ:読書雑感
藤沢周平は昭和46年「溟い海」でオール讀物新人賞を受賞でデビューするが、その数年前の無名時代の作品が「読切劇場」などに掲載された14の短編が発見された。そのうち、22日発刊された「オール讀物」4月号には、庄内藩の抗争を描いた上意討」と藤沢作品には珍しい悪女物の「佐賀屋喜七」の2編が「没後九年目の贈り物発掘!藤沢周平“幻の短編”」のタイトルで掲載されている。今後は8月号まで毎月1編のペースで登場する予定だそうである。

藤沢周平研究家の阿部達二氏は周平の助走時代として「靭さ、巧みさ、優しさとわずかな稚拙さみてとることが出来る」と述べているが、その中の「上意討」についてその感想を述べてみたい。

この時代の周平作品は未だ「海坂藩」ではなく「庄内藩」と実在の藩で書かれている。藩主酒井忠勝の弟忠重は専横暴虐で評判が悪い。彼の悪口を言った家臣に「即刻成敗」の命が下る。家老松平甚三郎久恒は一計を図り、家臣金谷範兵衛を刺客に向ける。実は範兵衛は幕府の家老松平伊豆守信綱(忠勝の嫡子忠当は松平伊豆守の娘を嫁にもらっている)の密使であることを甚三郎は見破ってのことである。範兵衛は剣の使い手であることを隠していたのであるが、見破られたことに気づき、妻を密かに逃げさせ、自分も相手を倒して逃亡するというストーリである。

この上意討の場面に甚三郎はその場面に藩内の最高の剣の使い手を向けさせるが、範兵衛に襲い掛からず彼が逃げていくのを見送る。これも家老甚三郎が範兵衛の逃亡を見越しての深遠な策略であり、「知恵伊豆」といわれた松平伊豆守への姿勢を示したものと藤沢さんは述べている。権謀術数うずまく幕藩体制を巧く描きながら、家老甚三郎の優しさを垣間見ることができるのはさすがである。最後に甚三郎が妻と芍薬の花を愛でるしっとりとした描写で終わるのは、すでに初期の藤沢作品にも見られことが印象的である。

盛りの藤沢さんの小説と比べ物足りない点をあげるとすれば、文章全体が説明的で冗漫なのが気になる。範兵衛は甚三郎の意図を見抜き直ぐに逃亡を計画するが、心の葛藤がなかったのか?「上意討」という幕藩体制の非情さは描かれているが、理不尽な上意討に悩む甚三郎の様子をもう少し描いてほしいという気持ちも残った。

藤沢周平著  上意討   オール読物4月号  2006年3月
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2006-03-23 21:32:18

「大地の歌」(書評)

テーマ:書評

画家、安野光雅氏が架空の学校の校歌、寮歌の歌詞をつくり、35編を「大志の歌」としてまとめたものである。その校章まで作る凝りようである。小川村立めだか小学校校歌、東京都立蚤小学校校歌、揚葉町立あげは小学校校歌、西表村立西表山猫小学校校歌、里山村立すずめ小学校校歌、私立九官鳥小学校校歌など面白い学校が目白押しである。

歌詞を紹介しながら感想を述べることにする。

おいらの給食 すばらしい
トマトジュースの赤い色
栄養満点血のにおい
ああ我等が蚤の小学校

おいらの校長 どこえ行った
なんでもいっぱい飲み過ぎて
人手にかかってつぶされた
ああ我等が蚤の小学校
(東京都立蚤小学校校歌)

蚤の生態をうまく捉えおもわずにやりとする。またなぜ東京都立にした意味を考えると、「おいらの校長」の歌詞のなかに東京都の管理主義教育に対する痛烈な皮肉ともとれるのである。

しかしこのような洒落の歌詞ばかりではない。スペイン 「アンダルシア地方モゲール町 キリスト教会付属ロバの日曜学校校歌」には「ヒメネスさんがまっている」というタイトルがある。

山ほどの飼葉を背負いち
チント川のほとりを帰る
いつまでも このままだといいな
ヒメネスさんが待っているから

ヒメネスとはスペインのノーベル賞受賞詩人、フアン・ラモン・ヒメネスのことである。太陽の町モゲールでアンダルシアの故郷の田園生活を営み、読書と瞑想と詩作に没頭した。月のように銀色の,やわらかい毛並みの驢馬プラテーロに優しく語りかけながら過ごした日々の散文詩「プラテーロとわたし」を書いている。このことをイメージしてつくったのだろう。含蓄のある校歌である。

その他境港市立鯖高等学校 伝承歌 鯖節は草野心平ばりのリズミカルな歌詞が面白い。「サバダッテバ」の題でつぎのように歌っている。

サ・バ・ダ  サバダバダ サバダバダ
サバダバダ サバダバダ バダバダ

安野さんはこのような校歌集をなぜ「大志の歌」としたのだろうか。メダカやガマや色々な動物が登場するが、彼らの動きを通して管理教育の現代の学校、さらにいえば現代の教育に対するプロテストともとれる。童話の学校というサブタイトルが掲げられているが、まさに現代の学校にはこの童話性が欠如しているように思われる。知性、ウィットにとんだ歌詞の内容に元気付けられる。

安野光雅著 大志の歌 童話の学校 校歌・寮歌 童話屋 2005年8月刊

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2006-03-20 22:44:35

夫(妻)の危機に妻(夫)は立ち向かえるか

テーマ:読書雑感

月刊「中央公論」3月号は「熟年離婚」の特集をしている。加藤秀一氏の「日本はかつて離婚大国だった」は面白い歴史的な見方をしてる。江戸時代よく三下り半とか女性はすぐに離婚された例を聞かされるが、結構女性の方から家を出て行く者もいたらしい。明治になってから家族制度の整備が離婚を減少させたというのである。結局最近の熟年離婚は男性の無理解が相場であるが、加藤さんは夫婦間の「心の絆」の問題ではないかというのである。

先日藤沢周平の「隠し剣シリーズ」について書いたが、その中に「孤立剣残月」という短編がある。15年前、藩の上位討ちの命で乱心者の相手を4人の討手のリーダーとして討ち取り栄光に輝いた武士七兵衛が、その弟が成長し果し合い申し込まれる物語である。お家断絶になったはずなのに、政権が変わり弟が藩に取り立てられ地元の帰っきたからである。

七兵衛は命じた家老、かっての仲間に助太刀を申し込むが、理由をつけて誰も協力しようとしない。彼の妻までが夫が栄光の時代代茶屋遊びをしてうつつを抜かしたことを忘れず、よそよしく長い不和の時代が続いている。この仇討を妻に打ち明けると自分のことは自分で解決せよと「その始末がつくまで実家に帰らせてもらいます」と冷たい。

結局七兵衛は孤立無援一人で立ち向こうことになる。わずかにかって剣の師匠から教えられた秘剣「残月」の剣法を思い出す。長く剣から遠ざかっていたが、わずかの期間であるがそれを修練しそれに賭けようとする。


当日相手は若く剣の使い手の名手。たちまち追いつめられる。そのとき、一人の女が襷、鉢巻をしめ懐剣をにぎり走ってくる。妻の高江である。「来てはならん」と叫んだとき相手は不用意の一瞥を女に向けたとき、七兵衛は秘法「残月」が脳裏に浮び八双から剣をおろし相手を倒す。

そして最後の描写である。「ここで果し合いをなさると、つさっき聞いたのです。ご無事でよかった」高江はくしゃくしゃに顔をゆがめると泣き出した。いーっとべそをかいた口になり、涙をながしなら、高江を七兵衛の顔から目を離さなかった。その顔を見返しながら七兵衛はまだ物をいえず、犬のように口を開けて喘いでいる。」

なぜ不和の続いている妻が助太刀に駆けつけたのだろうか。しばらく考えたがやはりこの夫婦には「心の絆」が失われていなかったのではないか。駆けつけた妻にとっさに叫んだ「来てはならん」という夫の言葉。「大丈夫ですか、お前様」と覗き込み夫を気遣う妻。心の通いあいが見られる。

七兵衛は孤立無援で、剣の腕が錆付いていながら相手に立ち向かい果し合いが終わった時の彼の疲労困憊ぶりを支えようとする妻の姿が印象的である。要は夫の危機に、あるいは妻の危機にいかに立ち向かえるかではないか。藤沢さんはこのことについて述べている気がする。これは「熟年離婚」の視点から貴重な問題提起ではないか。中央公論では団塊世代が退職してから数年後の2010年が熟年離婚のピークとしているが、夫婦の絆とは何かについてもっと考える必要がある。

藤沢周平著 孤立剣残月(隠し剣秋風抄) 文春文庫  2004年6月刊

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2006-03-18 16:59:35

藤沢周平の「隠し剣」シリーズ

テーマ:読書雑感
現在、山田洋次監督が藤沢周平原作の映画化に取り組んでいる。「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」についで第三作目は「武士の一分」である。(原作は「盲目剣谺返し」)藤沢周平の隠し剣シリーズは短編で「隠し剣孤影抄」と「隠し剣秋風抄」の二冊にまとめて発刊している。前回の「隠し剣 鬼の爪」は「隠し剣孤影抄」に、今回の「盲目剣谺返し」は「隠し剣秋風抄」の中に収録されている。

「隠し剣秋風抄」のなかには9つの短編が載せられているが、いずれも藩の下積みの武士がしがらみの中で剣を振るう様が描かれている。その中でもこの「盲目剣谺返し」は秀逸である。藩の毒味で中毒になり盲目になった主人公、三村新之丞が妻加世の不倫に気付き離縁する。しかし、新之丞の上司に夫の将来を頼みに行き、体を要求されたためと知った彼は、その上司に果し合いを申し出る。その時の微かな音にも反応する秘剣「谺返し」で相手を倒す。山田監督が映画の題名を「武士の一分」にしたのは、文中の相手と戦って場面の「だが狼狽はすぐに静まった。勝つことが全てではなかった。武士の一分が立てばよい。敵はいずれ仕かけてくるだろう。生死を問わず、そのときが勝負であった」という描写から採ったものであろう。卑劣な男に「武士の一分」の矜持で立ち向かうという主題であろう。

しかしこの小説は果し合いの後に藤沢さんの意図があるように思われる。離縁した妻に代わって下僕の徳平が女中を見つけきて家事を手伝わせる。新之丞は直ぐに汁の味、おかずの味付けから女中が離縁した加世と気付く。下僕徳平の心使いに「ーふむ、徳平め!」というセリフが憎い。しかし、彼は知らない振りをして過ごす。

ある日、蕨たたきが出たとき『「今夜は蕨たたきか」と新之丞は言った「去年の蕨もうまかった。食い物はやはりそなたのつくるものに限る。」加世は石になった気がした。「どうした?しばらく留守している間に、舌をなくしたか?」』の言葉から加世を許す気持ちが伝わる。

そして加世がいたたまれず台所に逃げ込む最後の場面「台所の戸が閉まったと間もなく、ふりしぼるような泣き声が聞こえた。縁先から吹き込む風は若葉の匂いを運んでくる。徳平は家の横で薪を割っているらしく、その音と時おりくしゃみの音が聞こえた。加世の泣き声は号泣に代わった。さまざまな音を聞きながら、新之丞は茶を啜っている。」藤沢さんの終末の部分はその雰囲気をさらりと描きうまい!山田監督はこの原作をどう描くか?

藤沢周平著 隠し剣秋風抄  文春文庫 2004年6月刊
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2006-03-16 18:11:40

「他人の手紙を暴く」こと

テーマ:時評

昨日の毎日新聞のスクープとして、占領時代に連合国軍総司令部(GHQ)が行った検閲を巡り、検閲官として日本人の雇用を示す資料を毎日新聞が入手し、元検閲官2人が郵便検閲の実態を証言したことを報じている。

郵便検閲は無作為抽出した郵便物を対象に、GHQ批判などが書かれた手紙を英訳した。GHQ側は、日本人検閲官に「日本人の生活や考えを知るため」と目的を説明し、業務を口外しないよう指示していた。GHQの民間検閲部門は、占領下の情報統制のため新聞や雑誌のメディア検閲の一方、大規模な郵便検閲も実施。東京、大阪、福岡の検閲所などで4000人が従事、大半は日本人とされる。証言した2人によると、東京での郵便検閲は、個人信書を無作為抽出した手紙を検閲し、開封した手紙は検閲のテープを貼り郵便局に戻したとのことである。

「検閲」について追求してきた竹前栄治氏の著書「GHQ」岩波新書によると、GHQの参謀第二部の下に民間諜報局があり、さらにその下の民間検閲支隊が中心となって日本人の思想、世論の動向を徹底調査し、的確な情報収集に成功したという。1947年6月統計では郵便物14600、国内電報221万、電話傍受24000が検閲されたという。検閲の際のガイドラインは占領軍ないし連合国批判、極左、極右的宣伝に該当するという一般的基準のほかに、復員、物価や食料難、公職追放、労働組合、企業の経営状態まで及んでいるがその検閲の内部まではわからず、今回の証言資料は初めてものだという。

生活のためにやむをえずこの仕事に従事した日本人が多く、今回証言したある女性は「検閲で日本人の生活が分かりよりよい占領政策がとれる。裏切りと思われるから仕事のことを外にいうな」と言われたが「「食べるのに必死な人々の叫びや、子どもを抱え高物価を嘆く主婦の声が忘れられない」と話している。またもう一人の男性は「手紙で国民の生々しい現実に触れたが、何故人様のものをと強い抵抗がありよく泣いた」という。

確かに日本の正確な状態を知り戦後の民主化に役立てようというGHQの占領政策にはプラスの面もあるが、日本人のプライバシーが侵害された例が少なくなく、これをどのように評価してよいものか複雑な気持ちである。それにこれに従事した日本人が「他人の手紙を暴いた心の痛み」を背負っている事にやりきれないものを感じる。改めて戦争とその後の波紋の広がりについて考えてしまった。

竹前栄治著  G H Q  岩波新書   1983年6月刊(絶版)

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2006-03-14 20:28:25

読書の型

テーマ:読書雑感

読書量がとみに少なくなっている。何か工夫がないものかとかなり前に読んだ岩波新書の「私の読書」を書架から取り出した。これは岩波の書評誌「図書」に載ったものを編集部がまとめたもので昭和58年(1983年)発行であるから、かれこれ20数年前の冊子である。

作家の松本清張氏、経済学者の安井琢磨氏、植物学者の沼田眞氏、数学者の小平邦彦氏など既に鬼籍に入られた人も多く、この本は既に絶版になっている。その中で作家の城山三郎氏の「三つの型の読書」が題の書き込みが目にとまった。城山さんの体験から読書には「集中豪雨型」、「交流・交易型」「たのしみ型」の3種類があるという。

「集中豪雨型」は関心のある分野を集中的に読むことだという。例えば哲学に関心がたかまってくると、1年間はカント、1年間はマックス・ウェーバーにと体系をたてて集中的に読む時期があったという。作家はある作品を書くにあたり手に入る文献資料に目を通すことになるからこの型が有効な場合があるという。私も数年前、月ごとに今月はアメリカの作家フォークナー、来月は西行と読書計画をたてて読書をしてみたが、1年で終わってしまった。

「交易・交流型」は読書会とかで同じ本を読み論評しあう型である。残念ながら読書会での読書はしたことがないが、ネットで知り合った人たち数人がメーリングリストで本を読みあったことがある。三浦綾子の「海嶺」、司馬遼太郎の「菜の花の沖」、舟橋誠一の「花の生涯」などを読みネット上での話し合いがはずんだか、これも都合で1年足らずで終わってしまった。

最後に「たのしみ型」の読書を城山さんはあげている。これは読むものが決まっていないで、その日の気分によって読む読書で城山さんは数冊のジャンルの違う本を枕元においてそこから自由に取り出して読書すると言う。これは私も経験しているが枕元におくには殆ど雑誌類でこれが読書といえるか自信がない。

結局読書の型があるが、要は気力が衰えるとなにもできないことがわかった。城山さんは最後に『「集中豪雨型」読書に明ける朝、午後の「交流型」読書のひととき、そしてひとりだけの贅沢である「たのしみ型」読書の待つ夜。それらの読書トリオが侍る限り、わたしはわたしなりのひそかな黄金の日々が続いて行く』と書いている。城山さんがこれを書いてから20数年たつが今でも黄金の日々は続いているだろうか。

図書編集部編   私の読書(岩波新書 ) 1983/10出版 絶版

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2006-03-12 20:29:16

村上春樹氏の苦渋

テーマ:読書雑感

2・3日前の各紙に作家の村上春樹さんの生原稿が流出し、古書店などで高値売買されている記事が載った。4百字詰め原稿用紙73枚で100万円を超す値段で古書店に出ていたという。流出した原稿は、デビュー前から知り合いだった、当時の中央公論社の編集者に直接、手渡したもので、編集者はその後退社、03年に死去したと報道されている。

新聞にはその編集者の名前は出なかったが私はすぐ思い当たった。村上さんはその事情について先日出たばかりの文芸春秋3月号に「ある編集者の死ー安原顕氏のこと」という題で詳しい事情を書いている。安原顕氏と言えば中央公論社の文芸誌「海」の名編集長として知られ、彼の死後も、伝説上の名編集者「ヤスケン」として若い人の憧れの人物でもあるが、毀誉褒貶がひどく批判する方も多い。

作家の村松友視氏は彼と中央公論社に勤務時代から親しく、「過剰な読者と過剰な視線で、本を愛し、そしてジャズを愛した男の残したものは」と彼の死を惜しんで「ヤスケンの海」という本を著している。私もその書評 をHPに載せている。特にこの本では作家の大江健三郎氏を誹謗し大江氏を怒らせたことが書かれていることが印象に残った本であった。


文春に載った村上さんの書き込みで新しく発見したことは、彼が安原さんと25年間の長い付き合いであり、当初はいろいろ世話になったことが書かれているが、ある日彼が突然手のひらを返したように村上さんの批判を繰り返すことになった事実を告白している。これについて思い当たることは、同じ中央公論社の編集長であった宮田鞠栄さんがその著書「追憶の作家たち」の中で、Y氏の名前で彼にてこずったことが書かれている。「文学に対してすら初めに嫉妬があったといえないだろうか。「嫉妬」は彼を苦しめる無意識の病いだったのではないだろうか。ほとんどの作家と決裂していくY氏にとって・・・」という箇所は村上さんにもあてはまる。

村上さんは彼と袂を分かつが、それでも「結果として励ましてくれた」という礼儀を失わない抑えた書き方をしながら、今回の原稿流出についてはその所有権は基本的に作家にあり、「そのような行為は明白に基本的な職業のモラルに反しているし、法的にいっても一種の盗品売買であるまいか」と述べている。

村上さんの文章からは安原顕さんに敬意を表ながらこの事実を書かなければならない苦渋が伺われる。そして最後に「僕は安原顕という編集者の死を長い歳月ににわたって少なからず親愛の情を抱くことができた一人のユニークな人間の死を悼む。しかしそのほかにさらに悼むべきことが存在していることに、やるせなさを感じないわけにはいかないのだ。人の死は、他の何かの生命を携えていくものだろうか」という言葉に彼の複雑な思いを察するのである。

村上春樹筆 「ある編集者の死ー安原顕氏のこと」   文芸春秋3月号 2006年3月刊

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2006-03-10 18:13:12

アーサー・ビナードの日本語詩(書評)

テーマ:書評

先日詩人・アーサー・ビナードが小熊秀雄の童話「焼かれた魚」を英訳した絵本を出版したことをかいたが、彼自身の日本語第一詩集「釣り上げては」を読んでいないことに気がついた。彼は1990年来日しているが2000年にこれを出版している。この詩集には32篇を収録しているが、感銘・印象に残る詩があるので記してみたい。

まず気がつくことは亡くなった父への思慕と追想の詩が数編あることである。この詩集の題名になった「釣り上げては」は父との釣りの思い出を詠い、父の死に顔を想いだす「父と現場」、おそらく飛行機墜落で死んだ父を「男の眼が涙ぐむ、父の破片で。帰ってきたら また釣りに行こう。」と詠んだ「ターミナル」など確かな想い出を綴っている。

また「おや」と思ったのは、日本の詩人「菅原克己」を歌った「夏のある日曜日」である。

パンツだけ穿いて窓のそばに座り込み
ぼくは翻訳していた。
菅原克己が五十何年も前に
警察に引っ張られ いやというほど
殴られたことを書いた詩を・・・

で始まるこの詩の作者、菅原克己は戦時中、反戦思想のために警察に監視された詩人である。そして、小熊秀雄またしかりである。私は彼ら二人は左翼思想をもちながらも硬直化せず、豊かな叙情性のある詩を書いたことをビナードさんは評価したのではないかと思う。とかくするとその過去の言動や思想で人間をラベリングする日本人に比べ彼の柔軟のある考え方には感心した。

菅原克己の「東一番町、ブラザー軒」で始まる「ブラザー軒」は、死んだ父と妹を追想した詩である。それはビナードさんが父を追想した点と共通している。フォークシンガー高田渡がこれに曲をつけ歌ったことで知られているが、私にとっては学生時代を過ごした仙台東一番丁の「ブラザー軒」がすごく懐かしく感じるのである。

この詩集でもっとも感銘をうけた詩は「リンゴ園の宇宙人」である。ジミーという年上の幼馴染からリンゴ園で17年に一度現われる蝶の羽化を見せられた感動と彼の死への挽歌である。

いまになってみれば、ホントのエイリアンは
おまえのことだったじゃないかと、思えてならない。
ぼくらみな宇宙人とでもいう
メッセージを内蔵し、どこからともなくやってきて・・・

ジュウシチネンゼミの羽化に
ぼくは立ち会いたい、一度、絶対に。

アーサー・ビナードの透明で平易な日本語は日本の詩人より私たちの琴線にふれる深い内容をもっている。

アーサー・ビナード著  釣り上げては  思潮社  2000年7月刊

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