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2006-02-27 16:34:17

悪役レスラーは笑う(書評)

テーマ:書評

アメリカ生まれの日系人レスラー、グレート東郷については力動山が活躍していた時代に名前だけは聞いたことがある。著者は「卑劣なジャップ」のサブタイトルの下に彼のレスラーとしての生涯について追求している。彼は母国であるアメリカでは卑劣で悪のかぎりを尽くすヒール(悪役)として、日本に来ては卑劣な日本人、祖国の魂を売った男として憎悪を受けたレスラーであったことが紹介されている。彼は選手引退後は有能なプロモーターとして日米を行き来し選手の斡旋をしているが稀に見る守銭奴であったとさらに評判を悪くしている。しかし人気のあったレスラー力動山からは「東郷さん」と信用されて重用されたいたという。

著者は東郷が祖国である日本、母国であるアメリカから憎悪を掻き立てるような態度をとったのはなぜか、力動山はなぜ彼を敬愛したのかという疑問からグレート東郷の虚像と実像に迫っている。まず著者は力動山と東郷の接点に迫る。東郷の父親は日本人、母親は中国人の不確実情報を得る。さらに力動山は北朝鮮の在日一世であることから二人には屈折したナショナリズムの点で共鳴する部分があったのではないかと類推する。ところが彼の出自を調べていくうち父親は韓国人である情報も得る。結局確実な出自は分からないままに終わる。(どちらも彼が言ったという伝聞)。彼は真実を語らないままに死んでしまい、彼の死後家族と財産は忽然と消え墓も見つからない状態だという。

東郷は敢えて日米のナショナリズムの憎悪の矢面にたったのはなぜか?著者は最後に「故郷喪失者である力動山と東郷はプロレスとというフェイクの究極を足場にして大和魂というもう一つのフェイクを偽装しながら結果としてテレビという最大のフェイクが発展することに大きな貢献をした。でも純然たるフェイクなどありえない。しっかり凝視さえすれば偽装でない怒りや哀しみが見えてくるはずだ。・・ただ血みどろになりながら笑いつづけるグレート東郷は僕より役者がはるかに上だった。悔しいがここは負けを認めなければならない」と述べている。

私の著者の言葉に共感を覚える。真の故郷をもたないデラシネとして生きたグレート東郷。それにして誰にも本心を明かさず不敵な笑いで過ごした彼の態度には不可解な点も多いが、怒りや哀しみに変えて、根無し草の強さを生かしある意味では日米の人々を手玉にとり冷笑しているイメージが浮かぶのである。

森達也著 悪役レスラーは笑う -「卑劣なジャップ」グレート東郷ー 岩波新書 2005年11月刊

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2006-02-24 19:51:08

レイテ戦記を想いだす

テーマ:読書雑感

フィリピン中部のレイテ島 で17日起きた大規模地滑りは、ごう音とともにギンサウゴン村(地図の下のセントバーナード町の中にある村)を襲った。現場では連日2000人規模の救助・捜索チームが約650万立方米の土砂や岩石と格闘しているがが南レイテ州知事によると、23日夕までに確認された遺体は122体で、1627人が行方不明のままだという。

レイテ島と聞いて太平洋戦争中のレイテ戦争を思い出した。この戦争はマッカーサー率いるアメリカ軍部隊が1944年10月20日、フィリピン・レイテ湾に上陸、その後全島を戦場とした米軍と日本軍の戦いが起こり、日本軍は8万人以上の兵士がほぼ全滅、数多くの島民が巻き添えで犠牲となった。島内には、マッカーサーのフィリピン帰還・上陸を記念したモニュメントが上陸地点のパロ海岸にあるほか、日本軍兵士の慰霊碑が各所にある。

作家・大岡昇平は1944年教育召集を受け、そのままフィリピン戦線に送られ、暗号兵としてミンドロ島に駐屯。米軍上陸後、山中に入ったが、マラリアに感染。米軍に捕らえられ、レイテ島の野戦病院と捕虜収容所で10か月間俘虜生活を送り、1945年12月、日本に送還されている。

彼はその様子を1948年『俘虜記』に書いたが、1951年には日本敗残兵がレイテ島の山中を彷徨のあげく悲惨な体験をした「野火」、さらに多くに資料文献、聞き取りにもとづいて1967年から2年半かけてレイテ戦の全体像として書かれたのが「レイテ戦記」である。

特にレイテ戦記は個人的な体験よりも「私はレイテ戦記を詳細に書くことが、戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものだと思っている。それが私にできる唯一つのことだからである」と述べている。その記述は補給を断たれた地上部隊は島北部の戦場で分断され、孤立し人肉食いのうわさが発生するなど飢餓地獄の極限状況にに追い詰められたことが記されている。

この作品について評論家の松岡正剛氏は「これは、文学作品なのだろうか。時代の証言なのだろうか。おそらくそのいずれでもない彫琢なのだ。言葉が戦争を覆いきれるかという切羽詰まった闘いなのである」と述べているが、その評価はともかく、この地すべりの悲惨さは、我々が忘れかけていた日本の愚かな戦争の悲惨さを描いた「レイテ戦記」を想いださせてくれた。過去の戦争の罪ほろぼしのためにも、支援協力を惜しまないでほしい。

大岡昇平著  レイテ戦記(上・中・下)中公文庫  1990年6月刊

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2006-02-22 18:05:19

司馬遼の「現在」

テーマ:読書雑感

『司馬遼の「現在」』という題で、秋田魁新報の文化欄に哲学者・鶴見俊輔氏(2月20日)と作家陳舜臣氏(2月21日)の話を載せている。これはたぶん共同通信の配信で地方新聞に載せられたもののようだ。内容は戦国時代や幕末・維新、明治など、激動期の日本を多く描いた司馬遼太郎に対してその歴史観やアジア観について二人の考えと、現在の日本を司馬はどう見ていたかについて聞いたものである。

この中で特に興味をもったのは鶴見、陳両氏の共通の視点が、明治維新から日清・日露戦争までにいたる評価とその後の日本についての司馬の考え方に目が向けられていたことである。

鶴見さんは「私は日本が日露戦争を終えた1905年以降、国民が「日本は強い」という「幻想の繭」の中に自ら閉ざしてきたと考える」と日露戦争後のことについて述べ、日露戦争そのものについて評価を下していないが、司馬さんが「幕末維新や明治のリーダーに見たのは、一人の人間が明治以前と明治以後の二つの世界を併せ持つ「両世界性」だったろう」とのべ,彼の明治維新に対する思いを評価している。しかし、司馬さんには、この「幻想の繭」に紡がれた国民常識を疑う知恵があり抑制された筆があったとも弁護している。だから日露戦争時代の群像を描いた「坂の上の雲」の映画化を断ったのは、「国民が「幻想の繭」にいる以上、明治の賛美になることは避けられられないという司馬さんの感情の根元の反逆心に触れる重要な点である」と述べている。


一方、大阪外語大の1年先輩でありそれ以来の友人の陳さんは、「考え方ほぼ同じであるが相容れない部分が一つある」として「明治維新以来の日清・日露戦争に至る評価」について述べている。陳さんは孫文が「日本は帝国主義の走狗となるか、アジアの平和を守る城になるか」と述べたことを紹介し「司馬君は日清・日露まではよかったとする。明治維新が否定されたら、彼は身もふたもない。私は「平和を守る城」を選ぶ道もあったと思う。勝海舟が日清戦争に反対したように日本にもそういう動きがあった。歴史に「もし」はないと司馬君はいうが、私は見直す必要があると考えている」と厳しい見方をしている。

二人の日清・日露戦争については相似点があるが、私の考え方は日露戦争をはっきりした否定した陳さんに近い。陳さんは中国の古代から現代まで多くの著書を著しているが、清国がイギリスに力で屈服された「阿片戦争」を著している。彼の著述の内容からして、日露戦争が防衛戦争ではなく、帝国主義間の争いとしか見えなかったことは容易に推察できる。

話がそれたが鶴見、陳さんが司馬さんの考えを通して現在の日本について述べているのが参考になる「司馬さんの単世界の外に踏み込んだ史観は、米国という世界一の大国の懐に抱かれ、今度は負けることがないと思っている日本の現在を疑う、「知恵」の在りかたを今も示しているように思う」(鶴見)

「対米重視の小泉政権は靖国参拝でこじれた韓国や中国との関係修復の糸口を見出せないでいる。アジアで地域統合構想「東アジア共同体」の具体化に向けた動きがはじまったが、アジアから日本を見つめてきた司馬君がこれをどうみるか。私たちが司馬君から学ぶことが多い。」(陳)

この二人の老リベラリストの見方は傾聴に値する。

陳舜臣著  阿片戦争〈上・下〉 講談社 1996年7月刊

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2006-02-20 15:38:53

詩人茨木のり子さんの死を悼む

テーマ:読書雑感

詩人の茨木のり子さんが、昨19日午後、自宅で死去しているのが発見されたことにショックを受けている。彼女の詩に初めて出会ったのは「現代の詩人全集12巻(中央公論社)」を購入したときである。(1983年)

その中に彼女の処女詩集「対話」(1955年)が収められている。その「対話」のなかに「いちど視たもの」ー1955年8月15日のためーという詩がある。「パリの女はくされていて/凱旋門をくぐったドイツの兵士に/ミモザの花スミレの花を/雨とふらせたのです・・・」で始まるこの詩は「いちど視たものを忘れないようにしよう」というフレーズをリフレインにして戦時中に彼女が見聞きしたことを語り、「たった一つの獲得品/日とともに悟る/この武器はすばらすく高価についた武器/舌なめずりをして私は生きよう!」で終わる。この詩を感動をもって読んだ記憶がある。

また詩集「自分の感受性くらい」(1977年)の中の最後の2フレーズ

駄目なことの一切を
時代のせいにするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木さんは「ばかものよ」と自分を叱っているが、平易な言葉で感性豊かな詩を書き上げている。また彼女の戦争・女性にたいする見方にも共感する。友人の詩人、故石垣りんの詩「崖」はサイパン島の女性たちの海に身投げをした玉砕を詠った詩であるが(1969年表札などに所収)茨木さんは感動して感想を寄せている。

その最後の「それがねえ/まだ一人も海にとどかないのだ。/十五年もたつというのに/どうしたんだろう/あの/女」のフレーズにふれて「私の考えによれば行方不明の女の霊は戦後の私たちの心の中に実に曖昧に紛れ込んのだ」とそのとらえがたい怨みを曖昧にしていると鋭い見方をしている。

茨木さんの凛とした姿勢はベストセラーになった詩集「倚りかかららず」からも伺われる。

倚りかからず
               
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

凛として孤高に生きた   詩人茨木のり子  享年 79歳  合掌

茨木のり子著 倚りかからず 筑摩書房 1999年10月刊

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2006-02-17 19:25:21

作家・保坂和志の小説

テーマ:読書雑感

週刊朝日に連載中の「夫婦の情景」に作家の保坂和志さんと妻の清水みちさん(英文学者、昭和女子大助教授)の夫婦のことが載っている。(2006年2月24日号)保坂さんは「大の猫好きで知られる純文学作家、熱烈なファンをもつが、その小説には、特にストーリーはない。事件もなく、日常が続く。読み続けることの楽しさ、幸福を指摘する人も多い」と紹介されている。彼の詳細については公式ホームページパンドラの香箱 参照。

私が保坂さんを知ったのは今から5年前、朝日新聞社の月刊書評誌「一冊の本」に連載された「往復書簡 日々のレッスン 小島信夫 保坂和志 2000年1月~2001年3月)を読んでからである。(これは朝日新聞社から「小説修業」と題名をを変えて、2001年9月出版されている。)この連載を読んで保坂さんは老大家の小島信夫さんと、トルストイ、 バージニア・ウルフ、チェーホフ、カフカ、ジョイスなどの文学にふれながら、小説の存在意義について対等に論じていることに驚く。

保坂さんはこの書簡「日々のレッスン」が単行本「小説修業」として出版された時、「小説の話をしている時間と言うのは自分の精神生活の一部・・だと思うんです。そういう時間の中では僕みたいな40代の小説家だろうが、小島先生のような80過ぎの小説家だろうが、等しく偉大な小説を仰ぎ見る存在になっているんです。でも小島先生は偉大な小説を仰ぎ見る気持ちが人にぬきんでて強いと思いますね。ご自分の実績など全然関係なくて、本当に小説家になることを夢見たきっかけを与えてくれた小説にであったときのようになっています。僕が一番尊敬しているところはそこかもしれない」(「一冊の本2001年10月号)と述べている。保坂さんの疑問に真摯に受け止め応えている小島さんはさすがであるという印象をもったが、それにしても、保坂和志という作家は何者?と思った記憶が残っている。


そこで、小島さんがが激賞した保坂さんのデビュー作「プレーンソング」を読んだのである。読んでみて戸惑いを覚えた記憶がある。最初に紹介されているように日常の断片を書き続けこれといったストーリーもない。冬のおわりから初夏までの季節の移り変わりのなかで4人の若者が主人公のアパートでの諍いをするでもない共同生活。そこで出会う野良猫とのかかわり、さらには会社の知人との競馬の話などがでてくるのみである。あの優れた文学的教養の持ち主の保坂さんはその片鱗さえみせずこの小説は終わったと感じた。

そしてこの小説の意図を探しあぐねていたが、「往復書簡 日々のレッスン(小説修業)」を読み返すと、この小説については(1)この無気力な若者たちは何もしないで、いったい何を考えているのか。(2)登場人物と同等ともいえる扱いを受けている猫は何を意味するか。という二つの批判があったことを保坂さんが述べている。そして、(1)については彼らは十分にいろいろなことを考えているが、普通の小説のように能動性として現れていないこと。(2)については猫は猫で何の比喩でもなかたったと答えている。しかし、10年経ち社会の変化にともないこのような批判がなくなっていったとのべている。

それだけではその意図が明確にわからず、彼の他の小説を読む気力をうしなっていった。ところが、彼が2003年に著した「書きあぐねている人のための小説入門」を読み、自分の曖昧な保坂さんの小説観が少しずつ見えてきた。この本は小説を書く人のための入門書というべきものであるが、彼の小説の対する考えを知るための興味ある本である。このなかでも「プレーンソング」について述べている。

まず、プレーンソングでは「悲しいことは起きない話をする」ことを心がけたと言う。つまり、ネガティブなもの(事件、心理・・)を避けたいというのが彼の考えである。また文中に比喩を使わないという姿勢である。つまり猫は何を表現しているかではなく「猫は猫として描く」というのである。これは彼の他の小説でも伺えることである。

さらにプレーソングは内田百けんの「阿呆列車」をヒントに「電車の窓から外の景色を眺めている面白さ」を描くように小説を展開したいと言う彼のねらいがあったようだ。つまり、ネガティブなストーリに頼らない面白い小説を書きたいというのが彼の思いなのである。


そして「小説にとって技術なんかは本質的な問題ではない。ジャズやロックは既成のジャズやロックの概念を打ち消したり、そこから逸脱したりすることがあるように、小説も確立された技術論、方法論、スタイルを踏襲したら、もうそれは小説ではない。ストーリーがあれば小説になるわけではないのは今さら言うまでもないけれど、人物が出てくるから小説なのでもない、風景が描写されているから小説なのでもないし、小説とはいわく言いがたい小説性が立ち上がってくるもので、簡単に伝えられる技術論や方法論では絶対にたどりつくことができない。ひどく遠回りにみえる「抽象的」なことを考えつづけることだけが、小説にたどり着く道なのだ」と述べている。彼の淡々とした抑制された文章の中にこのような意図が隠されていたのである。

「週刊朝日」の夫婦の会話を読みながら発見したことは、この「プレーンソング」の題名である。Plain song (中世教会音楽の技法で単旋律聖歌)の意味であるが、内容からなんとなくそんなイメージをしていた。実は締め切り間際まで題名が決まらないでいたら、当時交際中の現在の奥さんからこの言葉を見つけたという電話できめたという。奥さんは当時翻訳していたジェン・ボウルズの「plain pleasures」(素朴な愉しみ)からその辞書の同箇所にPlain songを発見したと言う。保坂さんらしいエピソードである。なお奥様はバージニア・ウルフなど現代イギリス文学の研究者である。とすると小島信夫と保坂和志の往復書簡を固唾をのんで読んでいたにちがいない。

最後に現在夫婦がこれまで拾った猫は10匹、現在飼っている猫は3匹だそうである。猫嫌いな私にとっては保坂さんの小説にはついていけそうもない。

保坂和志著  プレーンソング 中公文庫  2000年5月刊
小島信男・保坂和志著  小説修業(日々のレッスン) 朝日新聞社 2001年9月刊
保坂和志著  書きあぐねている人のための小説入門 草思社 2003年10月刊

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2006-02-14 21:01:32

麻生外相の外交・歴史感覚

テーマ:時評

昨日13日のNew York Timsの社説はJapan' s Offensive Foreign Minister(日本の攻撃的な外務大臣)というEDITORIAL(社説)を載せている。これはNew York Timsの系列であるIntInternational Herald Tribune から読むことができる。以下その中から主要な部分を抄訳してみるとまことに厳しい批判である。その歴史的な見方は中国、韓国寄りの観もあるが、アメリカの主要紙の日本の外交に対する厳しい見方に耳を傾ける必要がある。

Then there is Japan's new foreign minister Taro Aso, who has been neither honest nor wise in the inflammatory statements he has been making about Japan's disastrous era of militarism, colonialism and war crimes that culminated in World War II(日本の新しい外務大臣は麻生太郎氏ですが、彼の第2次大戦中の日本の軍国主義、植民地主義、戦争犯罪の悲惨な時代についての扇動的な声明は正直でなく思慮が足りない。)

そして日本の過去の歴史(韓国の女性の性的奴隷状態、中国人の捕虜虐殺などにふれたあと彼の怒りを買っている理由として次のように述べている。
Two of the most recent were his suggestion that Japan's emperor ought to visit the Yasukuni Shrine, where 14 Japanese war criminals are among those honored, and his claim that Taiwan owes its high educational standards to enlightened Japanese policies during the 50-year occupation that began when Tokyo grabbed the island as war booty from China in 1895(最近の彼の二つの考え方tとして、14人の戦犯が祀られている靖国神社への天皇参拝の提案、1895年戦利品として奪った台湾の高い教育水準は50年間の日本統治の啓発によるものである。)


Aso has also been going out of his way to inflame Japan's already difficult relations with Beijing by characterizing China's long-term military buildup as a considerable threat to Japan. China has no recent record of threatening Japan. As the rest of the world knows, it was the other way around。 (麻生氏は、日本への重要な脅威として中国の長期にわたる軍備増強を特徴づけることによって日本の北京との難しい関係に燃え上がらせる方向に行っている。中国には日本を脅かす最近の記録もなく、それは逆であることを他の国々は知っている。)

New York Timsの社説に全面的に賛成でないが、麻生氏は過去にも韓国の「創氏改名」についての見解が物議を醸し出したことがある。仮にそれが正しいと信じるのは自由であるが、公職の立場にあるものがなぜ不用意に過去の歴史について発言するのだろうか。国民の大多数がそのように思っていると信じているのか?

それにしても、社説の最後に「Aso's sense of diplomacy is as odd as his sense of history (麻生氏の外交感覚は彼の歴史感覚と同じように奇妙である)とこき下ろされては彼の名誉にかかわることである。大臣は「まだ読んでいないが批判は自由である」とのべたそうであるが、反論できるくらいの明確な歴史認識をもつべきである。生半可な過去の歴史認識(知識)では「生兵法は怪我のもと」である。


先日読んだ中村政則の「戦後史」は書評に載せてあるが、中村さんは最後に「アジアに対しては過去の清算が終わるまで「戦後」は終わらない。金銭的な賠償だけを指しているのではない。過去の過ちを克服できても、消すことができないのである。」と述べている。過去の清算とは何か、そして何故この時期にNew York Timsはこのような社説を載せたのか?すっかり考え込んでしまった。

中村政則著  戦後史   岩波新書  2005年7月刊

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2006-02-12 21:52:48

雪は天からの手紙であるというが・・

テーマ:時評

10日、秋田県仙北市田沢湖田沢の乳頭温泉郷の秘湯として知られている「鶴の湯温泉」付近の斜面で雪崩が発生し1名死亡、入浴客ら16名人が軽傷を負った。11日、「雪崩・地すべり研究センター」の専門家らが訪れ、雪崩の規模や発生原因を調査。その結果、雪崩は高さ約80メートルの斜面で全長約130メートルに渡って発生。長期にわたって降り積もった雪が固まった斜面の上に、気温が上昇し湿った新雪が約40センチ積もり、新雪部分が滑り落ちる「表層雪崩」が3カ所で発生。4750立方メートルという「かなり大きな雪崩」であることがわかった。

雪の多面的研究で知られている高橋喜平氏(岩手県西和賀町)は長年雪崩の研究もしてきたが、それによると表層雪崩の到達距離を推定し、安全圏域を考えるための経験則として雪崩発生点を見上げた時の角度が18度以内ならば雪崩は到着しないという研究を1960年に発表しており、ノルウェーでも同様の経験則が発表されており、雪崩の到達距離から推定した安全圏を考える際に、普遍性のある法則だと考えられている。これは「喜平の18度の法則」として知られている。

この高橋喜平氏はさる2月1日、95歳で亡くなった。彼の生涯は雪害克服のみならず、雪に親しむことを唱道し、特に雪の文様の美しさを表した写真は私たち雪国の人間に自信を与えてくれた。息子の雪人さんとの共著「雪の文様」はその集大成の研究と写真集である。お孫さんは岩手県議であるが、雪文さん、あくまでも雪にこだわった名前が微笑ましい。なお直木賞作家で「炎立つ」「火炎」の作品で知られている高橋克彦さんは喜平氏の甥である。

今冬の豪雪に誘われるように「雪の巨人」高橋喜平氏は逝った。その直後、「鶴の湯温泉」に表層雪崩が発生した。彼の「18度の法則」を知っていれば大事故にいたらなかったのではないかと惜しまれる。「雪は天から送られた手紙である」と言ったのは中谷宇吉郎であるが、今年の雪の手紙は重すぎる。

高橋喜平 ・高橋雪人 著 雪の文様北海道大学図書刊行会 1989/03出版

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2006-02-10 16:57:30

「横浜事件」と「風にそよぐ葦」

テーマ:時評

昨日、戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で治安維持法違反に問われ、終戦直後の混乱の中で有罪が確定した元被告5人(故人)の再審が、横浜地裁で開かれ、有罪、無罪の判断をしないで裁判自体を打ち切る「免訴」の判決が言い渡された。

横浜事件は「共産主義を宣伝した」として、昭和17年から終戦直前にかけ、治安維持法違反容疑で「改造」「中央公論社」など雑誌編集者ら60人以上が神奈川県特高課に逮捕、30人以上が起訴され、多くは終戦直後に有罪判決を受けた。この再審の動きについては横浜事件全国ネット のHPに詳しい。

石川達三の小説「風にそよぐ葦」は「新評論」を経営する自由主義者、葦沢悠平を中心として戦時の言論弾圧と戦後の動きに戸惑う一家族の悲劇を描いている。新評論は中央公論、葦沢悠平は嶋中雄作がモデルであると言われている。この戦時の部分では横浜事件が描かれている。

この事件の判決は、「思想犯はしかるべき手続きをもって大至急釈放せよとの占領軍指令により、判検事の狼狽、自信の喪失、保身のための卑屈さは誠に無残なものであったが、その公判は、日本の裁判所始まって以来の奇怪なものであった」と石川達三はのべている。

つまり、検事は「新評論」の編集長を治安維持法1条に(この法律は10月15日に廃止)よって懲役3年を求刑し、裁判長は懲役2年執行猶予3年の判決を下し釈放している。最後まで反抗した評論家細川嘉六にいたっては彼を釈放する法的根拠に苦労し、理由不明のまま釈放しているという。

そこで石川達三は文中で言う「法治国家は一体何であろうか。・・法律の運用を担当する天皇の官吏であるところの司法官たちは思考の基準を失って右往左往する有様である。一億の国民はこのような怪しげな法律に服従を強いられ、拘束され、処罰され死刑にされながら何十年かを過ごしてきたのであった」

今回の裁判で、裁判長は「免訴を受けた者にも刑事補償が認められ、有罪判決は免訴判決の確定で失効する。免訴は被告らの名誉回復への道を閉ざすものでない」と述べたと言われるが、これは戦後の公判で治安維持法廃止寸前のどさくさに同法で有罪判決を下し執行猶予で釈放した発想と変わらない。終戦直後、その過ちに対しごまかしを図ったと思える司法の過去に、現代の検・判事たちは後輩として向き合う姿勢があってほしかった。

石川達三  風にそよぐ葦  新潮社  1973年9月刊

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2006-02-08 18:44:49

北朝鮮の行方(司馬遼太郎のことばから)

テーマ:時評

日朝協議は今日8日終わった。双方は(1)拉致(2)安全保障(3)国交正常化の3分野を関連させて話し合う協議方式を今後も継続することを確認したが、次回の協議日程は決まらなかったいう。

結局前進がみられぬまま終わったともいえる。特に「拉致問題は朝鮮は同じ説明を繰り返しただけで、疑念は全く解消されなかった」と原口大使は述べている。北朝鮮の金哲虎外務省アジア局副局長は「朝鮮語のことわざに「疑いは病気」というのがある。疑問をもてば何も信じないということだ。互いの疑問点を提起するだけでは解決できない。協力的な姿勢で問題を解決するための実質的方策を模索すべきだ。拉致問題は既に解決済みであり、逆に不信感を煽ってるのは日本である」という従来の従来の主張を繰り返した。(毎日新聞)

拉致事件は謎が多く、疑問点が多い。それを「疑いは病気」ということわざで日本を非難するのは筋違いである。拉致事件は謎が多く、疑問点が多い。それを「疑いは病気」ということわざで日本を非難するのは筋違いである。北朝鮮は植民地支配など「過去の清算」に関し、朝鮮人の“強制連行”や従軍慰安婦問題などに対する補償も行うよう主張したというが、これは日本も真摯に受け止めなければならない。そのためにもお互いが疑問点を出し合い謙虚に話し合うべきである。

「疑う」ことは時と場合により必要なことである。「金正日教祖体制」を疑うことはタブーな北朝鮮にとって「疑い」の言葉は禁忌なのだろうか。司馬遼太郎のエッセーをまとめた「風塵抄」の中に「古代・中世」というのがある。近現代の中に古代や中世の考えがまぎれこむ場合があるとして、その例の一つとして現代の教祖崇拝をあげている。そして次のようにまとめの言葉をのべている。

「ひょっとすると、人によっては計量的な社会に堪えかね、いっそ古代返りをしたいという芸術的願望(?)をおこすのかもしれない。しかし決して現代をこわすほどの力にはならない。それほど現代は堅牢である。それやこれやと思いつつ、現代のかのふしぎな情景として、北朝鮮を眺めている。これは中世なのか、それとも古代なのか。さらにいえば、全員がそのように演技しているのか。もし、演技しているとすれば、いつかは現代に帰還してくる。そのとき、帰還者がすべておだやかで流血もなければ、どんなにいいだろう。

司馬遼太郎が期待をこめて上記の文章を書いたのは今から10年前。北朝鮮が真の「現代」に帰還するのはいつか?

司馬遼太郎著  風塵抄 2  中央公論社 1996・4刊

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2006-02-06 15:54:04

金大中拉致事件文書公開に思う

テーマ:時評

1973年8月8日、韓国の朴正熙大統領(当時)の独裁を批判して日本で民主化運動をしていた金大中氏が東京都内のホテルから白昼連れ去られ、一時は殺されかけながら5日後にソウルで解放された。韓国大使館の中央情報部(KCIA、国家情報院の前身)要員である金東雲1等書記官(直後に帰国)の指紋が発見され、公権力による主権侵害だとして世論の対韓非難が高まった事件が起きた。韓国政府は金書記官の免職を決定、同年11月2日金鍾泌首相が日本を訪れて田中角栄首相に陳謝し第1次政治決着が図られたという。

韓国政府は昨日5日その拉致事件の外交文書を公開した。今日の各紙には金・田中会談の詳細な内容が掲載されている。それによると田中首相は、「韓国政府の介入事実が判明すれば、新しく問題を提起する」と述べた。これに対して金首相は「必ずそうするということか、それとも『タテマエ』か」と聞くと、田中首相は「タテマエ」とし、「この問題は『パー』にしよう」と返事した。当時、日本が主張した「真相糾明」も、形式的・外交的な行動だった事実が記されている。(朝鮮日報)

これは事件を早急に幕引きして日韓関係の正常化をはかるために両者の意図が一致しためといわれるが、日本の主権をないがしろにした日本政府と事件隠蔽を図った韓国政府の政治決着に唖然とせざるをえない。この当時の韓国は、朴正熙独裁政権が戒厳令をしき民主勢力を弾圧した時代であった。そのころT・K生のペンネームの韓国人が「韓国からの通信」と言う題で韓国の現状を記した真実の手紙を雑誌「世界」に載せていた。これが岩波新書にまとめられている。


その手紙の中に「私は多く若い人と話しあった。金大中をあのままに犠牲にすれば、そしてその線で日本政府が韓国政府と野合すれば、それこそ民衆の巨大な反日運動にであうであろうと言っていた。日本は朴政権の反日を恐れず道義的に正しいと思う道を行けばいい。そしてどこにころんでも自己の利益だけを求めるというのが、多くの韓国人の日本人観であることを知ってもらいたい。金大中事件のことでは熱しやすく冷めやすい日本人でないことを切に望む心である。」

当時のT・K生の日本および日本人に対する冷静な見方に驚く。日本は彼の願いを裏ぎったことになる。このT・K生は当時も誰であるか話題になったが、池明観氏(チ・ミョングアン)(前韓国翰林大日本学研究所長)であることが分かり、今回の文書公開についても談話を寄せている。(毎日新聞)

「民主政権である現盧武鉉政権が金大中事件が「KCIA(当時の情報機関)の関与がなかった」という軍事政権の文書をそのまま公表する姿勢に疑問を感じる。何も解明せず日韓癒着時代の文書を出すことは公権力による主権侵害、人権侵害事件本質を隠蔽した朴政権の立場を追認することになりはしないか」と疑問を投げかけている。

まだまだこの金大中事件には謎が残る。東京新聞は「誰が拉致を指示したか」「朴正熙大統領は関知していたか」さらに「犯人らは拉致だけでなく金氏の殺害まで考えていたのか」という疑問点を指摘している。「熱しやすく冷めやすい日本人」といわれぬようにこの事件の調査を見守りたいが、なぜこの時期に韓国はこの文書を公開したのだろうか?

T・K生 「世界編集部」著 韓国からの通信1972・11~1974・6 岩波新書  1974・8刊

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