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2005-12-31 17:55:02

ナミイと唄えば

テーマ:本の紹介

チェルノブイリの原発事故で汚染されたベラルーシ共和国東南部に位置する小さな ブジシチェ村で取り残された55人の年寄りと一人の青年アレクセイの生活を描いた映画「アレクセイと泉」の本橋成一監督が三作目の映画「ナミイと唄えば」を撮り、来春3月18日よりポレポレ東中野でロードーショーを行う。

沖縄最後のお座敷芸者の半生の物語で、主人公は石垣島のナミイおばあこと新城浪さん、85歳。幼い頃から歌が大好きで、9歳で那覇の遊廓に身売りされて以来サイパン、台湾、宮古、与那国、那覇、石垣と、歌と三線一本で生きてきたナミイおばあの歌の旅を追ってのドキュメントである。

実はナミーおばあについては、作家姜信子氏が「ナミイ!八重山のおばあの歌物語」を岩波から来春1月25日発行の予定である。このナミイおばあについて姜さんは朝日新聞社の書評誌「一冊の本」に連載中の「たのーる逍遥23」(2006年1月号)に「ナミイと唄えば」という題でエッセーを書いている。それによると姜さんは本橋さんの映画にかかわているようである。

ナミーおばあについて次のように書いている。「ナミイおばあは家の事情で、9つで石垣島から沖縄本島の女の町、辻に売られ、そこで三線や踊りといった芸者の基本を叩き込まれた。それがおばあの歌人生の始まり。最初は生きるための、生活の糧のための歌でした。そのうち生きることと唄うことがぴったり重なり合ってしまった。ひたすら唄う、ひたすら生きる。それはもう、唄うために唄い、生きるために生きているといったほうがよいかもしれません。」

とにかく四六時中唄いまくり、歌で神様を喜ばせ、浮世の人間たちを喜ばせば、喜びの力でどんどん寿命が延びると信じているナビイおばあを姜さんは「ナミイと唄えばどれだけ自分がきちんと生きているかを突きつけられる。その強欲さで人間が生きるということを、虚飾なしにまっすぐに突きつけてくる。そしてナミイは、じっと私を見ている。怖いばあさんです。」というのである。彼女の唄っている様子についてはFrances Culture CenterのHPナミイのお座敷にようこそ! から見ることができる。

さて「アレクセイと泉」で、「いのちの大切さ」を謳いあげた本橋監督が「ナミイと唄えば」でどんな人間像を描き出すか、姜さんの作品とともに楽しみにしている。

姜信子著 ナミイ!八重山のおばあの歌物語 岩波書店 2006年1月刊

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2005-12-29 21:01:31

今年読んだ本ベスト3

テーマ:読書雑感

今年の読書を振り返ると、素人ながら歴史の興味がありどうしてもその関係の本が多い。30数冊の中から、「今年読んだ本3冊」を選んでみた。新聞や雑誌にも著名人が今年読んだ3冊を上げている。サンケイの「2005今年の3冊」 を見ると、我々の気づかない専門的な本を読んでいる。気恥ずかしいがそれぞれ書評を書いているので思い切ってあげてみる。

粕谷一希著 「鎮魂 吉田満とその時代」文春新書2005年4月刊

奇跡的に生還した学徒徒出身の海軍少尉吉田満は日本銀行のエリート行員として日本経済の中枢で戦後を送る。しかし、高度成長を謳歌し、そのなかで浮かれるには、彼はあまりに真摯に過ぎた。山野に散り、深海に沈んだ多くの若者たちが死の前に遺した願いと誠実に向かい合ったひとりの男の見事な人生を描く。

川口汐子・岩佐寿弥著  あの夏少年がいた れんが書房新社 2005年9月第2版

ひと夏だけの教育実習にやってきた年上の女性(川口汐子)に思慕の念を抱き、忘れ得なかった当時九歳の少年(岩佐寿弥)が、59年後、偶然に視た古いテレビ番組の再放送でその名に思い当たる。「もしや」と書き送ったことで始まった二人の往復書簡。

藤木久志著 刀狩り 岩波新書 2005年8月刊

日本歴史上、秀吉の刀狩り、明治政府の廃刀令、マッカーサーの武装解除と三つの刀狩り(著者の言葉)を中世史専門の藤木氏がが史料を丹念に調べ、紛争解決の手段として武器を封印してきた民衆の姿を見出す。日本の民衆は、従来言われてきたような丸腰の民衆ではなく、武器を封印してきた自立した民衆として捉えなおす必要があるのではないかという考えを主張している。

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2005-12-27 21:03:22

刀狩りー武器を封印した民衆ー(書評)

テーマ:書評

藤木久志氏の「刀狩り」については、以前に藤木さんの著書「戦国の村を行く」 ( (朝日選書1996年刊)の中で、戦国の村人たちは戦乱の中で村の平和を守り生き延びるための努力している姿を描き、秀吉の「刀狩」についても、刀は実に様々な名目で村々で公然と認められ、刀狩令は徹底した村の武装解除だったという従来の通念に対して反証を挙げている。戦国の村人は戦争のみじめな被害者ではなくしたたに生きた様が描かれている。このようなこの藤木さんの中世史観に感銘を覚えた記憶がある。

今回の著書「刀狩り」も「戦国の村を行く」の考え方の延長上にあり、特に、歴史上「三つの刀狩り」があったことを多くの史料を駆使して実証的に述べられ興味ある内容になっている。三つの刀狩とは「秀吉の刀狩り」「明治維新の刀狩り(廃刀随意令)」「マッカーサーの刀狩り(武装解除)」である。

秀吉の刀狩りについて、藤木さんは先述のように村の武器を根こそぎ廃絶したというより、百姓の帯刀権や村の武装権の規制をし、いわば兵農分離として進められたが、村には多くのに武器が留保されたことを指摘している。中世の研究で知られている故網野善彦氏も秀吉の刀狩は百姓を農民にし、「平和」を維持しようとする「農本主義」の姿勢を明確にしようとしたものであると云っている。これは藤木さんの考えと共通する点があり、秀吉が「喧嘩停止令」を出し、村の平和を維持するために、武器を紛争処理に使わなように命じていることからも理解できる。農民も武器は手元にあるがそれを使用せず紛争を解決する手段をみにつけていく。この著書の副題は「武器を封印した民衆」となっているのも、このような意味がある。


江戸は戦争もない平和な時代が続くが、中には島原の乱のような民衆の蜂起もあり、武器をどのように手に入れたのか。堀田善衛の小説「海鳴りの底から」は丸腰する農民がまず武器を藩の武器庫から奪う設定であるが、藤木さんはその前に鳥獣駆除のために役に立たない武器として返却させていたと解釈している。また幕末になると統制がとれなくなり、豪農たちは公然と武器を調達し百姓を農兵に仕立てている。この農兵が従来の武器と暴力を封印し凍結してきた平和な村の雰囲気を一変させたわけである。封印を原則としながらいざなれば立ち上がる民衆のしたたかさを感じる。

明治なって廃刀令がだされるが、公然たる携帯は禁止されるが、所持そのもは問題なかったといわれる。為政者に人民非武装化の動きがあったがそこまでいたらなかったというのが藤木さんの分析である。しかし、「徴兵制にからんで非武装化の衝動(支配者に)がまったく影をおとさなかったとは言い切れない」と述べている点、もう少し掘り下げてほしかった。庶民の非武装と徴兵制の関係など知りたいところである。

太平洋戦争後、占領軍の武器没収はかなり徹底していたようだ。刀だけで90万本廃棄している。しかし、それにもかかわらず銃刀法で公認されている刀が現在230万本あるというのは驚きである。藤木さんは現代の刀も民衆の自律で武器であることを封印して今日にいたったというのである。

藤木さんは「長く武器を封印し、戦争を放棄して平和を謳歌してきた日本人、そのコンセンサスの歴史が個人から国家(憲法9条)のレベルにいたるまで危うく崩壊に瀕している」と危機感を述べている。秀吉の刀狩りのころの「専制国家」対「丸腰の民衆」というこれまで近世社会像は幻想であり、これを端緒にして武器封印の歴史を探り、非力な武装解除論(素肌の民衆像)から自律による武器封印論(自律した民衆像)への転換を説いている。現今の対外脅威論を煽り国家武装の動きへの警告とも取れる。

藤木久志著 刀狩り 岩波新書 2005年8月刊

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2005-12-24 21:09:27

クリスマス・カロル

テーマ:読書雑感

今日はクリスマス・イブである。クリスチャンではないが、伯母が修道女でいつもこのころになるとクリスマス・カードを送ってくれたことを思い出す。その伯母も亡くなり既に20年になる。18歳で洗礼を受け修道院に入り神に使え87歳の天寿を全うした。だから、この日は伯母を思い出す日にしている。伯母はいつかディケンズのクリスマス・カロルに出てくるケチで冷酷で人間嫌いのがりがり亡者スクールジについて書いてきたことがあった。

この物語はスクールジ老人ががイブの夜、相棒の老マ-レイの亡霊と対面し、彼の予言どうり、第一、第二、第三の幽霊に伴われて知人の家に訪問する物語である。今日改めて読み返してみた。現代の社会や人間にあてはまることが多いのに気づいた。

第一の幽霊は「過去のクリスマスの幽霊」で彼の過去が暴かれるが、その中で喪服を着た若い娘に「私はあなたの気高い向上心が一つずつ枯れ落ちて、とうとうお金儲けという一番大きな欲がすっかりあなたを占領してきたのを見てきましたのよ」と指摘される場面がある。ここで私は偽装建築に手を染めた懲りない面々を思い出した。

第二の幽霊は「現在のクリスマスの幽霊」で、「お前たちのこの世のなかには、私らの名をかたって、自分の情欲、傲慢、悪意、憎しみ、ねたみ、頑迷、利己主義の行為をやっている者たちがあるのだ」という幽霊が話す場面がある。現代の世のなかには未だ是に該当する人物たちがいかに多いことか!

最後の幽霊は「未来の幽霊」であるが、スクールジ老人は「善良な幽霊様、あなたの本心は私のためにとりなし憐れんでくださいます。私が心を入れかえた生活に入れば、こうしてお見せくださいました影を変えられるとおっしゃってくれませんか」と懇願する。このような願いを許容することが現代の社会にあるのか。

最後にディケンズは「彼はこの善い、古い都にも、また他のいかなる善い、古い都にも、町にも村にも、この善い古い世界にもかってなかったくらいの善い友となり、善い主人となり、善い人間となった。」と書いている。ディケンズのヒューマニズムが現代の社会にも通じることを祈るのみである。

今日はクリマスイブ、「クリスマス・カロル」の物語の最後の言葉を!「神よ、私たちをおめぐみください。みんな一人一人を!」

ディケンズ著 村岡花子訳  クリスマス・カロル  新潮文庫 1952年11月刊

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2005-12-22 18:03:29

日本は敗戦から何を学ぶか

テーマ:読書雑感

12月21日の秋田魁新報夕刊の文化欄「学芸話題」で日本を敗戦に導いた太平洋戦争から何を学べばよかのシンポジューム「大東亜戦争を再考する」が大坂市で開かれた様子が載っていた。これは作家小田実氏と精神医学者野田正彰氏が1941年に始まった戦争の今日的意義について議論したもので、その内容が紹介されていた。

これについては小田さんが彼のHP小田実のホームページ でその予告として「大東亜戦争」を再考する] の中で彼の考え を述べているので、ここでは野田さんの発言についてふれてみたい。

というのは野田さんは彼の著書「戦争と罪責」を紹介しながら考えを述べていたからである。実はこの本は私も過去に読んだことがありそれを読書評「戦争と罪責」 に書いている。(この本の内容については私の拙い書評参照)手前味噌であるが、私の感じたことをそのまま発言している。「ベトナム戦争に従軍した米兵は人間の許容超えた残虐行為への罪責感からその後も社会に適応できない例が多い。一方で日本の兵士はそうした精神破壊に至った事例が少ない」

野田さんはその著書で「日本軍隊の強さとは身体は傷ついても、心は傷ついていない不死、即ち感情麻痺の強さでであるとさえ断言している。」と私の書評にも記録している。これについて野田さんこのシンポジュームでさらに敷衍してつぎのように述べている。「悲惨な戦争は二度と起こさないという戦後の意識には、戦争は政治家が起こしたもので国民は犠牲者という意識が付随した。決定的に抜け落ちた罪責感で自分の行為が問われない文化構造が戦後の天皇制の下で形作られた」と述べている。

しからば今戦争をどう考えるべきか。野田さんは「日本は事実上、テロへの戦争に参戦した。だがテロは世界から不当に尊厳が冒された感じ、死を賭して闘う以外に選択肢がない心情に根ざす。必要なのはむしろテロとの対話で、日本が本当に戦争を反省したのなら、何が彼らを追い込んだかを理解し対話の手段を考察する役割があるはずだが・・」と述べている。傾聴に値する意見であるが、そのような役割は日本の現状では不可能に近い。

 野田正彰著 戦争と罪責 岩波書店 1998/8刊  

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2005-12-20 19:49:42

土門拳の格闘(書評)

テーマ:書評

木村伊兵衛とならんで日本の写真界をリードした土門拳が亡くなって最早15年経つ。この著書はかってアサヒカメラの編集長で土門と親交のあった著者が、没後15年を記念して、強烈な個性をもった土門の写真表現のありかたを追求しながら、彼の生涯をたどった大作である。

土門はどんな人物か?著者は高邁な志操をかかかげ熱情的と信念を兼ね備えた人間であるが、その自信過剰と激しい好悪感情が倣岸不遜であるととられて、批判者も多く毀誉褒貶がつきまとっていたと本の冒頭に紹介している。

土門についてまず驚くのは、カメラ雑誌でのアマチュア写真家への情熱的選評ぶりである。彼の気に入った写真には何ページも割いているその思い入れは異常ともいえる。これには雑誌編集長の著名な写真評論家、桑原甲子雄氏も辟易しあきれ返ったことが紹介されている。その文章も生硬な面もあるが、彼の唱える「リアリズム写真」の理論の支柱である「絶対非演出の絶対スナップ」」の考えを滔滔と述べている。そしてそれらの中から土門親衛隊ともいうべきアマチュアカメラマン集団を生み出している。

彼の「リアリズム」写真理論には批判も多かったようだ。秋田に来て優れた写真を撮った写真家・濱谷浩とは特に考えがあわず、土門が選んだ写真は「キタナイモノイコウル、リアリズムと解するアンチョコな写真が多い。私はそうゆう写真をクソリアリズムと呼んでいる」と酷評している。濱谷の秋田の農村写真も土門と通じるものがあると感じていたがこの二人の確執は意外であった。写真界の全体としては従来の花鳥風月のサロン的な写真を撮ってきた多くの保守的写真家は土門の「写真」(理論)を「乞食写真」として敬遠していたのである。


しかし、土門拳の写真は戦後の庶民(子ども)の姿を生き生きと捉えている。これに影響されたアマチュアが被写体を社会の暗い面(浮浪者、混血児、パンパンなど)だけに目を向けたためにために「乞食写真」と酷評されたきらいがある。中には「ウンチ」をした写真も投稿され、まさに「クソリアリズム」の様相を呈した側面もあったが、土門の社会に目を向けた「リアリズム」には共感できる面があり、彼が育てたアマチュアの方でも優れた作品を残している。しかし、「写真がドキュメントというレンズの機能を持っていることをリアリズムと考えているのではないか」という批判の中に、「リアリズム写真運動にひとつの限界があった」という著者の指摘にはなるほどとも思う。

またよく木村伊兵衛と土門が対立した言われ、私も三島靖氏の書いた「木村伊兵衛と土門拳」 の書評を書きその違いを述べた。しかし、この著書では二人の対談の様子が紹介され方法論の違いがあるが、木村も「リアリズム」理論に対する一定の理解を示していたことがわかる。(木村は写真おけるリアリズムというのはヒューマニズムであり明確な方法論であると述べている)

またこの本の副題が「リアリズム写真から古寺巡礼の道へ」とついているように、土門は後半、お寺や仏像の写真に情熱を示しているが、「ヒロシマ」や「筑豊の子どもたち」と「古寺巡礼」の間にどんなつながりがあるのか、理解できないでいた。これについて土門が次のように考えていることを紹介している。「今日ただ今の社会的現実に取り組むのも、奈良や京都の古典文化や伝統に取り組むのも、日本民族の怒り、悲しみ、喜び、大きくいえば民族の運命にかかわる接点を追求する点でぼくは同じことと思える。いわば前者が西洋医学の対症療法ならば、後者は漢方医学の持久療法ぐらいの違いがあるだじけで、何も問題意識に本質的な違いないと思っている。」

土門にとっては日本の民族精神を歴史的にとらえることと現代的にとらえることの整合性を踏まえての撮影であったことがわかる。そして、何よりも土門の仏像の写真は単なる情緒的、神秘性を排して材質観や量感を追求し、厳しい造形に内包する精神を捉えているという著者の分析の中に土門の意図を汲み取ることができる。

著者の「土門の写真表現の究極のモチーフは「民族の精神」の在りようへのかぎりない探求であり、賞嘆であり、それ故に「古寺巡礼」でなければならず、その尊い伝統に息づく現実の悔恨ゆえに発する告発の激しさは必然的に社会に向かう批判的リアリズムにならざるを得なかった、ということだ。その根底には、常に「敗戦現実」から再生を立ち上がっていく民族に永遠性のへのかぎりない希求があったと思える」という最後のまとめから、土門の歴史的評価が理解できた。

先日、杉本博司の写真展「時間の終わり」 を見た。その中の「海景」は海と空だけを時間系列でとった写真があった。これは一切の虚像的な価値を排して最大限の視覚的単純さを保つというミニマルアート(minimalart)の作品と言われているが、浅田表彰氏はこの「海景」を「中央の水平線から下を良く見ると波のひとつひとつまで精密に写し取られていることがわかる。そのようなリアリズムの極致がミニマリズムの極致である」と絶賛し,杉本の写真は「写真史の終焉を迎えた出来事である」と賛美している。

写真がこうも単純化されていることに愕然としたが、私には杉本の海(自然)の描写からリアリズムを感じることができなかった。ミニマルアートの絵画思潮はさておいて、無国籍的な芸術志向を嫌った土門は即座にこの「杉本の写真が記録することをやめた」画期的な出来事であるという浅田の考えを一笑するに違いない。

今年の「毎日写真コンテスト」で内閣総理大臣賞を受賞した佐々木浅雄さんの「公園の片隅」は、撮影地の日比谷公園の片隅でホームレスの男が寝そべり、その側に妻らしき女性の遺影が飾り,側に蜜柑のお供えがある写真であった。評者は、弱者を切り捨てる政策が浸透しているような現実を突きつけている写真であると評価していた。やや演出的な写真のきらいもあるが、そこに土門が目指した「社会的リアリズム」の精神が未だ生きていると感じたのは私だけだろうか。

岡井耀毅著土門拳の格闘―リアリズム写真から古寺巡礼への道 成甲書房 (2005-09-15出版)

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2005-12-17 17:12:25

司馬遼太郎の東北観

テーマ:読書雑感

司馬遼太郎人気は没後10年経っても衰えないようだ。朝日新聞社は新装【ワイド版】「街道をゆく」、週刊ビジュアル「街道をゆく」、新潮社はエッセイ集「司馬遼太郎が考えたこと」新潮文庫、文芸春秋社は「司馬遼太郎短篇全集」を発行中、さらに次回のNHK大河ドラマは司馬原作の「功名が辻」である。そして月刊誌「文芸春秋」は1月号で、養老猛司に「司馬遼太郎さんの予言」という論考を書かせている。 

養老の文章は司馬のエッセー集「この国のかたち」を引用しながら、いかに司馬が現代を的確に予言していたかを書いている。「この国のかたち」は発行された時に一部を読んだが、司馬なりの日本の現状分析を傾聴した覚えがある。(たしか「風塵抄」というエッセー集も出されていた記憶がある。)その中で養老はいわゆる司馬の歴史観は客観的でないという批判に対して、歴史は常に主観であると擁護しているが、一方では司馬の文章は「社会的に共有される」べきものであり、「予言のように今に生き、私たちに何かを指示してくれる」と賛美している。共有するかどうかはまさに個人の主観であり、そこに養老の押し付けを感じる。

しかし、司馬が大衆がはぐくんできた世間知を重視してきたという指摘に賛同する.。司馬が小説「韃靼海峡」を最後に「街道をゆく」に傾注していったことに関して養老が「街道をゆくがその典型だが、司馬さんは実際その場に足を運び、対象の前に立ち、何かを見て何かを感じることが大切にしていた。過去の膨大な資料から聞こえてくる音を漏らさず聞き取りながら、「大きな目」で視界に飛びこんでくる光景を捉え自分の考えを養っている」という分析になるほどと思う。特に全国を回りその地方の歴史、現状をから大衆の生き方に目を向け、「地域観」を捉えた「街道をゆく」には彼の小説とまた違う考えをしることできる。


まえおきが長くなったが、丁度週刊ビジュアル「街道をゆく」に「秋田散歩」が出たので、ワイド版 街道をゆく〈29〉秋田県散歩、飛騨紀行も買い求め、読み終えたところである。司馬は東北には第3巻陸奥のみち(青森・岩手県 )、第10巻羽州街道(山形)第26巻仙台・石巻(宮城)第33巻 白河・会津のみち(福島)第41巻 北のまほろば(青森)それに「秋田散歩)第29巻と7回来ている。特に今回読み返した「秋田散歩」には司馬の「東北観」や、さらに秋田出身の歴史的人物にふれ彼の考え方を知るうえで参考になる。

司馬は「秋田の散歩」の冒頭でつぎのように述べている。「奥州・羽州には、しばしば”人間の蒸留酒”とおもわれる人がいる。高度の市民感覚、精神の貴族といった感じの人格である」として、陸羯南(記者・青森)、原敬(政治家・岩手)、高橋是清(政治家・宮城)狩野亨吉(学者・秋田)、内藤湖南(学者・秋田)をあげ、「以上のひとびとをみるとさまざまな共通の印象がうかぶ。透きとおった怜悧さ、不合理なものへの嫌悪、独創性、独立心、名利のなさ。もしくは我執からの解放といった感じである。明治の薩長型のように、閥をつくってそれによって保身をはかるということがいっさいない」

司馬は明治維新を高く評価していることでしられている。「明治というのはあらゆる面で不思議でいろんな欠点がありましたが、偉大でしたね」と述べ、そして幕末という狂気に充ち不合理な社会の中で時代を越えた合理性を求めた男たちを小説にしている。「竜馬がゆく坂本竜馬)」「花神(大村益次郎)」「峠(河井継之助)」世に棲む日日(吉田松陰、高杉晋作)「歳月(江藤新平)」などであるが、なぜか大久保利通、伊藤博文など明治政府の中核にいた人物を描いていない。ここから前述の「閥をつくって保身」を図ったものたちへの司馬の嫌悪が伺われる。

朝敵としての南部藩出身の意識をもち藩閥打倒を叫んだ原、苦労して官界に入り健全財政主義を貫いた高橋是清などの東北人政治家を高く評価していることは、司馬の中に「東北人の精神的蒸留酒」としての私利我欲ない人物に共鳴する心情がにじみ出ている。しかし、私利、我欲のない人間がその後受難に会う東北の歴史があり、複雑な感じもする。

司馬はこの「秋田散歩」で秋田県出身の人物として菅江真澄(江戸時代の民俗紀行家)、安藤昌益(江戸時代、封建制度批判した人物)、栗田定之丞(砂防林の開発)、狩野亨吉 内藤湖南をあげているが、特に狩野亨吉と内藤湖南にふれ、その史跡を訪れている。

狩野亨吉は旧制一高校長、京都帝大文科大学長して活躍し、安藤昌益の発掘者、秋田師範しか出ていない内藤湖南を京都大学教授にしたことで知られている。彼は「武士は不耕の者」としてののしった無名の安藤昌益を見つけ、昌益の中に高度の武士(いさぎよさ、おくゆかしさ)を見出し、彼も名利を求めずさっさと大学を辞めてしまたことで知られている。また湖南も独学ながら東洋史学、日本文化史を研究し実証主義の京都学派の伝統を築いた学者である。

評論家の松本健一は、司馬が「秋田散歩」で東北人の蒸留された「高度の市民感覚と精神の貴族性」は狩野の独創性に裏打ちされ、また狩野が学者として世人が認識しなかった内藤湖南を官学の椅子に座らせ東大とは異なる京都大学をつくたこと、江戸期の安藤昌益という無名の独創的思想家をほこりの中から見出した独創的事暦を高く評価しているとのべている。そして「司馬の東北の旅は狩野亨吉や内藤湖南への再認識の旅となった」と「秋田散歩」の意義にふれている。司馬のこの「東北観」が今も生きているのかと思うとき、内心忸怩たるものがある。

司馬遼太郎著  街道をゆくワイド版 秋田県散歩 飛騨紀行 2005年11月刊
朝日新聞社編集 週刊街道をゆく 秋田県散歩  2005年12月刊

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2005-12-15 21:20:11

「民族浄化」を裁く(書評)

テーマ:書評

チトーが大統領をした時代の旧ユーゴスラビア連邦は多民族国家ながら、そのバランスをとり、ソ連の介入を排して労働者自主管理による独自の社会主義国であったという記憶がある。チトーが1980年死去後、そのバランスが崩れ、セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人、マケドニア人、モンテネグロ人、ムスリム人がそれぞれ民族独立を目指し紛争が起きている。

1990年代、クロアチア紛争、ボスニア紛争、コソヴォ紛争と続いたユーゴ内戦では、民族の間ですさまじい殺し合いが起こっている。特に1992年起きたセルビア人とムスリム人が争ったボスニア紛争では特にセルビア人が「民族浄化」をかかげ、ボスニアに住んでいるムスリム人のの半分220万人の追放、25万人の死者をだしている。

本書の著者、多谷千香子さんはこの戦争犯罪を裁く旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所(ICTY)(1993年設立)へ赴き、2001年から3年間、この法廷の判事を務めた日本人で唯一の戦犯を裁いた裁判官である。この本はユーゴの歴史、紛争の原因と経過や国際関係を踏まえてながら、民族紛争における「戦争責任」について述べている。

この本の題名の「民族浄化」という聞きなれない言葉については、高木徹氏が書いた「ドキュメント戦争広告代理店」 に詳しい。この著書はセルビアと争ったモスレム人の国「ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国」がボスニア紛争におけるセルビア人の凶行を国際的にアッピールするために、アメリカのPR企業「ルーダー・フィン社」を通して国際的世論形成をしたドキュメントである。その中で、この広告会社のジム・ハーフ氏がニューズウィークに出ていたこの言葉に目を留め、「民族浄化(ethnic cleansing)を使いセルビア人非難のキャンペイーンに使い、広まった言葉とされ、多谷さんも括弧づきでこの言葉を使っている。*高木徹氏はNHKデレクターで「大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたか」 を書き大宅荘一賞を受賞した方で、この「ドキュメント戦争広告代理店」はPR会社が戦争にまでかかわり、情報操作するユニークな著書である。


さてこの旧ユーゴ戦犯法廷であるが、多谷さんは自分がかかわったいくつかの事例をあげているが、特にヴラシッチ山でおきたセルビア人のムスリム人惨殺事件が目を惹く。強制収容所にいたモスレム人を断崖から突き落とした事件(死者200名、生還者12名)で助かった人の証言などはまさにナチスのジェノサイトと同じくらい残虐である。指揮者として裁判をうけたのは気の弱そうな「普通の男」で上官から命令されてやっと述べている。特にこれを指示したセルビア人勢力の指導者、ブルダニンという人物で彼は、モスリム人やクロアチア人の「民族浄化」に加担した「戦犯」として起訴され、禁固32年の判決を受けている。

その他コソヴォ事件におけるセルビア人のクロアチア人への迫害もひどく、当時のセルビア共和国の大統領ミロシェヴィッチは1999年戦争犯罪者として起訴されて裁判中である。ただここで気をつけなければならないことは、セルビア人=悪というレッテルについて多谷さんは、この法廷で裁判を受けているのはセルビア人が圧倒的に多いが、クロアチア人、モスリム人、アルバニア人も含まれており、一部の政治家や軍人は自己の権力拡大のために、一般市民を恐怖を煽り立て「民族浄化」を利用したものもいると分析している。その意味でこの本は客観的にユーゴの現状を述べており信頼が置ける。

またここで注目すべきことはミロシェヴィッチは未だICTYで公判中であるが、2003年には彼は国会議員として当選を果たしていることである。これは現政権の経済政策がうまくいかず、民主化の象徴といわれた現首相に対する指導力に疑問を投げかけるセルビア人も多く、それがミロシェヴィッチへの期待に変わっていったようである。何処の国も威勢良く改革を叫ぶ人物に魅せられるのが一般大衆のようである。

現在ボスニア紛争は1995年のデイトン合意で治まっているが、NATO諸国から派遣された部隊(IFOR)が滞在しており、治安が保たれている。まだまだ民族間には民族浄化の後遺症が残っており、平和共存への道は険しいという。この著書は日本のような単一民族では考えられない多民族国家の現状を知るうえでの好著である。

多谷千賀子著 「民族浄化」を裁くー旧ユーゴ戦犯法廷の現場から~2005年10月刊

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2005-12-12 17:36:21

仲代達矢「老い」への挑戦

テーマ:読書雑感

nakadai 12月9日のNHK[人間ドキュメント」は「仲代達矢 いま挑戦の秋」を放映した。仲代さんは現在民芸の奈良岡朋子さんとの共演で「ドライビング・ミス・デイジー」を演じているが、公演初日までの40日間に密着したドキュメンタリーである。

仲代さんは9年前、最愛の妻であり演劇の同志であった宮崎恭子さんを亡くしている。舞台稽古を終えて家に帰っての一人暮らしのようすが写しだされたが、そこには孤独な「仲代達矢」の姿があった。『彼女ひとりで墓には入れない。僕が死んだ時、一緒に入ります』と、今も妻の遺骨は埋葬せず部屋に置き、それに手を合わせる仲代さんには、俳優、演出家として名を遂げた颯爽とした姿は見られなかった。仲代達矢72歳、彼にも「老い」がしのびよっているのを実感した。

記憶力の減退は科白を覚えるのも容易ではない。その呻吟しのたうちまわる「老いの様」をカメラは非情にも容赦なく撮っている。またそれを隠すことなく撮らせる仲代さんの態度に胸がつまる思いであった。妻を失った喪失感と孤独のなかで、老いを感じながら、一俳優として演劇に挑戦する仲代達矢。しかも舞台稽古で民芸の若手演出家、丹野郁弓さんからダメを押され素直に聞く彼の謙虚さ。

「ドライビング・ミス・デイジー」はアメリカのアルフレッド・ウーリーの作で映画にもなり1987年度ピューリッツアー賞を受賞している作品である。米国南部にまだ人種差別が色濃く残る1940年代。72歳のデイジー(奈良岡)の運転手として、黒人のホーク(仲代)が雇われる。デイジーは最初、彼の車に乗ろうとしないが、やがて2人の間に友情が芽生えていくというストーリーである。

TV画面では初日の富山公演が写しだされたが、毅然としているがどことなくかわいらしい奈良岡さんとひょうきんでおどけた仲代のふるまいが笑いを誘っていた。75歳の奈良岡さんと72歳の仲代さんは現実として老年の域に達しようとしている。しかし、劇中では老いても自立して生きようとする凛とした姿を映し出していた。

日常と非日常の中で「老い」に挑戦している仲代さんの姿に奥様の宮崎恭子さんの影を感じたは私だけだろうか。宮崎さんはエッセー集「大切な人」を死の直前まで書き続け、夫の所までかいて命が尽きている。しかし仲代の孤独を支えているのは未だ亡き妻、宮崎恭子さんであることを感じたドキュメントであった。

宮崎恭子著  大切な人 講談社  1996年9月刊

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2005-12-10 22:26:34

女帝論争

テーマ:時評
「皇室典範に関する有識者会議」が「女性」「女系」天皇の容認という皇室典範改正案の報告書 をまとめて以来、各団体、個人など多くの賛否の意見が寄せられている。ブログをみてもこれに関するものが多く関心の深さに驚く。今日の毎日新聞の「主張 提言 討論の広場」で3人の方が意見を述べているが、大方現在寄せられている多くの意見もこれに集約されているとみてよい。

渡部昇一氏(上智大名誉教授) 1240年ぶりの皇統危機(過去の女帝は夫のリリーフか終生独身。寵愛された道鏡が皇位を狙った故事も)

高橋紘氏(静岡福祉大教授)皇位安定への時代の声(男子継承は側室制度により維持された。長く民間にある旧宮家の復帰は難しい)

高森明勅氏(拓殖大客員教授)庶系排除で不可避に(旧皇族復帰論でも男系は早晩困難に。典範や律令から女系は皇統に含まれる)

渡部氏のように男系天皇が絶えることが皇統断絶につながるという考えの方が根強い。。最近は男性にしかないY染色体が失われることによって、万世一系の皇統の最大価値が失われてしまうという主張がある。これについては立花隆氏の「女性・女系天皇容認で議論を呼ぶY染色体とミトコンドリア」 の論説が参考になる。

また渡部氏は称徳(孝謙)天皇が道鏡を自分の配偶者にして天皇の地位につけようとした事件以来の危機であると述べているが、「歴代天皇総覧―皇位はどう継承されたか 」( 中公新書)を著した 笠原英彦氏(慶応大教授)はこれについてその著書「女帝誕生」で次のように述べている。

この道鏡事件は研究者の間にも見解が分かれているが、近年称徳天皇には道鏡を皇位につける意思はなかったという見解が打ち出されている。結局称徳は皇位継承のありかたをめぐって行き詰まり、そこに道鏡の策動が生じたというのが笠原氏の考えである。そして「古代最後の女帝称徳は皇位継承争いの回避のためでも、ましてや「中継ぎ」の天皇でもなく結果として万世一系につらなる血統の論理を際立たせることで生涯を閉じたとその政治性を評価している。

高橋氏、高森氏の考えは側室制度の廃止、庶子の排除が将来男系天皇の維持が行き詰まるという点では共通している。側室が生母である天皇は約60代を数えるという。ただ二人の考えの違いは高橋氏が日本国憲法を踏まえて、象徴天皇が「日本国民の総意に基づく」を基本に国民と共にある皇室であるべきだと言うのに対して、高森氏は万世一系を維持することが基本にありそのためには、女系も皇統に含まれ、断絶にならないという考え方である。

なお高森氏の著書では過去の8人10代の女性天皇にふれ、男系男子の原則が厳密に守られてきた訳ではない。これら過去の女帝を「先例」と見るか「例外」と見るかが問題だが、これは「先例」と見るべきだ。そして明治になって「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」という旧皇室典範で男系天皇が明確化されたという。これについては高橋氏も一般庶民が天皇の存在を知ったのは明治以降であると述べている。この本は新旧「皇室典範」制定の経緯を知る好著である。

共同通信社が3、4両日に実施した全国電話世論調査で、政府の「皇室典範有識者会議」が打ち出した女性、女系天皇について聞いたところ、女性天皇の子どもが即位する女系天皇について「認めてもよい」とする回答が71・9%を占め、従来の「男系を続けるべきだ」の16・1%を大きく上回った。ただ女性天皇を認めた場合の皇位継承順位は「(男女を問わず)第1子からとすべきだ」(43・3%)と「(天皇の子どもの兄弟姉妹間で)男子を先にすべきだ」(42・2%)とで意見が二分された。このアンケートでは女系を認めながらも男系にこだわりをみせていることがわかる。このような国民の声をどのように反映させて「皇室典範改正」にふみきるか注目したい。

笠原英彦著 女帝誕生 危機に立つ皇位継承 新潮社  2003年6月刊

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